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あり得るのか?―間違いを指摘された英文法の駄目プリントをそのまま使い続ける延岡高校

2018.01.28.20:29

 阪大に続いて、京大でも入試の物理の問題に不備が指摘されたという報道がこの前ありましたが、ああいうのはかなり高級な問題で、これとは次元が異なります。

 僕が「延岡高校『ベーシック・グラマー』の解説の嘘について」と題した一文をここに載せたのは、2016年10月のことでした。「あれはオレが作ったのだ」と自慢していた英語科のボスが他校に転出したのがその翌年で、この問題が多すぎた英語科教師は何でも自分の手柄にしたがって平気で嘘をつく習性があったので、それがほんとかどうかは知りませんが、とにかく彼がいなくなれば、このアホなプリントの使用もやめるだろうと、僕は喜んでいました。

 何せ、2年の途中まで英語の授業と言えばほとんどこればかりなので、おかげで学校の授業と宿題だけやっているだけの生徒はほとんど学力が伸びないという深刻な弊害が出ていたのです。それで文法だけはわかるようになるというのならまだしも、うちの塾の生徒など見ていると、文法が一番苦手という生徒が多いので、3年で塾に来た生徒にまで一から文法を教え直さねばならなくなったりするのです。要するに、何の役にも立っていない。

 いや、もっと悪いというべきで、ワンパターンの同じ形式の羅列なので、考えずに機械的にやってしまうという悪癖がつく。当然、退屈で面白くないことこの上ないので、多くの生徒が言うように「手が疲れるだけ」なのです。

 これは実話ですが、息子が高2の一学期だったか、僕は彼の模試の成績表を見ていて、文法の失点が異様に多いのに気づいて驚きました。3分の1しか得点できていないのです。長文で稼いでいるから全体として点数は悪くないが、一体どうしてこうなるのだとたずねたところ、「あのBG(ベーシック・グラマーのこと)ばかりやらされているうちに、だんだん文法がわからなくなってきた」と言うのです。何だって!? 僕は高校生になったら英語は教えるよと約束していたので、塾で週に一回(3年時は週2に増やしましたが)英語長文の授業を始めました。文法ぐらいは学校で足りるだろうと思っていたのですが、逆効果になっていることが判明したのです。

 おまえ、それはまずいよ、ということで、自分で本屋に行って、薄めの文法・語法の使いやすそうな問題集を一冊買って、それを2週間ぐらいで終わらせて、不明箇所はまとめて質問するよう言いました。彼はその通りやって、すると以後、文法の失点は激減しました。

「一体、学校は何をやっているのだ?」とあらためて呆れたのですが、その時点ではあれがクソプリントだという認識はあったものの、見る気もしないので、嘘の解説まで施されていることには気づかなかったのです。

 あれに気づいたのは偶然で、生徒が定期試験前にそれをもってきている時、何気なく手に取って解説を読み、「何じゃ、これは?」と驚いたので、それがたまたま仮定法の箇所だったのです。仮定法は当然ですが、重要箇所です。その冒頭にあんなトンデモ解説(率直に言って、頭が悪いとしか思えない)を載せているのだから、致命的なので、こういうのはよくあるミスプリの類とはわけが違う。自信たっぷり、大嘘を教えているのです。それで仮定法がほんとにわかるようになったら、その方が不思議なくらいです。解説の執筆者である当の教師の側が仮定法を誤解しているのですから。

 僕はそれ以前にも、あんなものは役に立たないから使用をやめるべきだと書いていました。そこに嘘の解説まで重なっているとなれば完全に終わっているので、とどめを刺すつもりであれを書き、幸いにおかしな英語ボスも転出したことだし、使用はやめることになるだろうと、生徒のためにも喜んだのです。

 ところが、新1年生にもまだあれを使い続けていると知ったときは「何を考えているのだ?」と信じられない思いで、しかし、時間的余裕がなかったので暫定的にそうしているだけで、僕が指摘した箇所などは急場しのぎの直しを加えて、“その次の学年”から正式に使用を中止する腹積もりなのだろうと、よい方に解釈しました。

 最低限の常識があればそうするはずです。しかし、先日、学校にはそんな「常識」などはカケラもないことが判明したので、塾の1年生の授業の時、「君ら、そろそろ仮定法に入ったんじゃないの?」ときくと、「はい」というので見せてもらったら、全然直っていなくて、嘘の解説をそのまま載せ、授業でもその嘘を復唱しているというのだから、開いた口がふさがらないのです。英語教師としてふつうの学力があれば、あれは嘘だと気づくはずです(それもないのなら、教師なんかやるなよ)。

 とにかくそれで、今、延岡高校のメディカルサイエンス科のあるクラスでは、生徒たちの間であの記事のコピーが回し読みされたり、直接このブログでそれを読んだりして、結構盛り上がっているようですが、いたずら小僧たちはそのコピーを知らんぷりして教卓の上に置いておくとか、提出する課題の中に“誤って”混入させてしまうとか、あれこれよからぬ作戦を考えているようです。

 僕が彼らに示唆したもっと良い方法は、先生にあれを見せて、「先生、わが校の誇りである神聖なベーシック・グラマーに難癖をつけ、あれは最低のクソプリントだと言って、こういう誹謗中傷を書いているけしからん塾の教師がいるので、反論してやっつけてやって下さい。あれのこの解説部分が嘘だなんて書いているのですが、ありえないですよね? げんに僕らはそう教わっているのだし、ぜひ学校の公式ホームぺージで反論していただきたいのです。それと、この記事には、先生方が親切にも単語集のこの単語は入試には出ないから覚えなくていいとバッテンをつけさせていることにも言及して、『げんに入試には出ているから単語集にも載せられているので、よけいなことするな!』なんてことも書いているのですが、こういう失礼なことにも反論してやってください〔註:さすがにこれはまずいと思ったのか、今の1年にはこの単語集バッテン指示は出ていないようですが〕」云々。

 そうしていただければ、僕にも自らの愚かさにあらためて気づくきっかけが与えられるので、喜ばしいのですが、ついでにここの課外に関する記事も見て、「朝課外の必要性と素晴らしさ」についても述べていただければ、「生徒を慢性的睡眠不足に陥らせ、健康を害し、学習能力を低下させる効果以外は何もない」とするわが認識の誤りにも気づかされるでしょう。この問題は去年9月、福岡の県議会で取り上げられて以来、朝日や毎日、日経など、大手新聞社まで「九州地区の公立高校の異様な風習」として記事化するようになっていますが、学校側はここらへんで生徒たちを納得させてやる必要があるのです。名目的に「不受講届」なんてものを出させ、実際に出すとその生徒を呼び出して「説得(事実は強要でしかない)」するなんて姑息な裏工作はせずに、です。

 その際は、いまだに生徒や保護者の間には「善意のボランティア」で先生方がやって下さっているのに、それに文句を言うなんてバチが当たる、と信じ込んでいる人たちがいるので、実際は時給1500~1800円(学校によって違う由)の「おいしいバイト」になっていて、教育公務員は残業手当が出ないからと通常の賃金自体が他の公務員と較べて割増しになっているのにそうしているのだということも、正直に明示しておくことです(小中学校の先生たちの長時間労働は社会問題化していますが、彼らのそうした超過勤務は基本的に無給なので、同情に値します)。兼業禁止の公務員法規定に反するおそれがあるというので、PTA主宰という名目に数年前に変えた姑息な対応にも、併せて触れておくべきでしょう。そういうことは全部すでにこのブログで指摘していますが。

 ついでに言うと、先日、宮崎市の某私立高校で講師をしているという人が塾を訪ねて来て、こういう話を聞きました。そこは朝課外はないが夕課外や土曜授業はあって、しかし、それに対する残業代は支払われていないのだと。そちらは美しき「無償の奉仕」なのです。「それで給料はいくらもらってるんですか?」と露骨な質問をすると、副担までもっているのにかなりの薄給で、公立の先生よりずっと低いのです。その人の意見では、その課外も、公立高校のそれと同じで生徒を疲れさせているだけで、むしろ生徒たちの自学自習の妨げになっているとしか思えない、という話で、宮崎県には強い私立が一つもないのですが、県立高校の退職教師を雇って校長や教師にすることが多いので、眠たい授業が多く、意識も旧態依然のままだから、やることのアホさ加減では似たようなものになってしまうのです。

「何だと、私らをアホというのか!」と先生たちは怒るかもしれませんが、アホ以外の何者でもないでしょう。何もかも「昔からやってることだからやめられない」だけです。こういう人たちにはいくら道理を説いても無駄で、何も考えないのだから、そういう先生たちが団子になって生徒たちに「考える力」をつけさせるというのは、ブラックジョークでしかありません。自分にそれがないのに、どうやって生徒に考える力をつけさせるんですか?

 教育者というのは生徒に対応するとき、「こうだからこうだ」という説得力をもたねばなりません。親の場合でも、まともな親は子供に正直なところを語らせ、ホンネのやりとりを通じて子供を納得させるようにするもので、都合が悪くなると「誰に養ってもらってると思っているのだ!」なんてわめくのは下の下です。

 学校の教師となればなおさらで、校則であれ、課外であれ、生徒を納得させるだけの言葉をもっていなければなりません。僕が高校生の頃は、理不尽なことがあると生徒が教師に反論してやり込めるというのはとくに珍しいことではありませんでした。僕自身そうした経験があるので、あるとき似たようなことが二度続いて、その先生たちは職員室に帰ってから「あの生意気な生徒は何だ!」と担任の先生に当たり散らしたらしく、朝のホームルームの後、廊下に呼ばれて「おまえは無茶苦茶言いすぎる。少しは私の身にもなってくれ」と、叱責とも哀願ともつかぬことを言われたことがありますが、僕は別に個人的な恨みからそうしたわけではないので、げんにクラスの皆は大喜びしていたのです。こいつは生徒をなめてるなと腹が立ったので、言い方はきつくなってしまったが、言ったこと自体は正しかったと今でも思うので、それで教師の対応や授業は変化したから、無駄ではなかったのです。

 昔は高校生は子供扱いされていなかったので、高校生の言い分はそれだけ尊重されたとも言えるでしょう。今は「わが校ではこうなっている。おとなしく従え」となっているようで、それを生徒たちが不快に思うのは当然です。僕は塾で生徒にそういう対応はしていないので、自分が間違えたときは素直に謝るが、それで生徒たちに軽んじられるということは別にないわけで、何で学校の先生たちはそうしないのでしょう。

 前に全校集会の議題で、それはクラス毎に出すのですが、「朝課外について話し合いたい」という意見が一番多かったという話を生徒たちから聞いたことがあります。民主主義の原理からすれば、それを一番に取り上げるのが筋ですが、学校側はそれを議題に乗せないよう妨害した。そこには取り上げるべき理由がクラスごとに書かれていて、僕はそれを見せてもらいましたが、生徒たちがきちんと理論武装もしていることがそこから読み取れたので、やっていれば実りある議論になったでしょう。ところが学校はそれを葬り去った。生徒たちの疑問に答え、説得する自信がなかったからそうしたのです。

 わかりきったことですが、それは僕がそそのかしたからではありません。一人もうちの塾の生徒がいないクラスでもそうだったので、彼らは自分で考えて強い疑問を抱いたのです。学校側はそれに正面から向き合う義務がある。なぜそうしないのでしょう?

 何も考えない学校の先生たちは当然ながら考えていないでしょうが、これは最悪の政治教育なのです。理不尽なことでも権力には逆らうな、正当な疑問でも口に出すことはするな、どうせ言っても何も変わらないのだから、議題として出すならどうでもいい花壇の新設とか、そういうものにしろ、後はネットの2ちゃんあたりに他人の下劣な中傷文でも書いて憂さ晴らしをするがいい、そう教えているのと同じなのです。それが税金で食わせてもらっている公務員、教育者のやることか? ここは北朝鮮なのか?

 課外の話はこれくらいにして、あの無駄に英語授業を潰す手段になっているベーシック・グラマーに話を戻すと、あの批判記事は小中学校の先生や、他校の教師たちは読んでいて、生徒にも知っている子が少なくないのに、延岡高校の英語科の教師は一人も読んでいないというのは妙な話です。それとも指摘が難しすぎて、読んでも何が書かれているのか理解できなかったとでも言うのでしょうか? あるいは、全校集会で課外の問題を取り上げないようにしたときと同じで、「見なかった」ことにしているだけなのか? そうすれば使い続ける口実になるからです。間違いが書かれていても、どんなに学力をつけるのに役立たなくても、それは前任者たちの責任であって、自分の責任ではない。代わりの教材や授業をどうするか、考えるのは大変なので、そのままにしておくことにしましょう…。そういう「暗黙の合意」が先生たちの間にはあるのでしょうか?

 何にしても、その場合、被害者は生徒たちになるわけで、僕としては呆れる他ありません。あれを使い続けるというのなら、げんにこういう指摘がある以上、そうする「正当な理由」を示さねばなりません。でないと、解説の嘘を指摘したあの記事と、この記事のコピーが自己増殖を始めてそこらじゅうにばらまかれ、学校は本格的に困ったことになってしまうでしょう。それは僕のせいではないので、責任転嫁されては困るとだけ、最後に言っておきたいと思います(学校側から要望があれば、いつでもファイルを送って差し上げますよ。それを職員会議の資料にでもなさったらいかがでしょうかね)。

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