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犬の話

2018.01.01.22:41

 まずは、あけましておめでとうございます。今年は「戌年(いぬどし)」で、犬は概して忠実で善良な動物であることからして、よい一年になることが期待されます(安倍首相も「もり・かけ問題」に関して、犬を見習った誠実な答弁を心がけましょうね。あんたが正直に答えないからあれはいつまでたっても終わらないわけで、野党やマスコミのせいにしなさんなよ)。

 犬に関して、かねて僕が不思議に思っていることの一つは、軽快にタッタッとステップを踏んで歩いている時、前から見ると体の線がまっすぐではなく、進行方向に向かって少し斜めになっていることです。これはどの犬でもたぶん同じで、その方が歩きやすいのでしょうが、何度見てもユーモラスで笑ってしまいます。僕の観察によれば、それも前から見て、右ではなく、左に傾いている。どういうわけでそういう歩き方になるのだと、犬にきいてもむろん答えてくれないわけで、彼は「何をヘンなこと言ってるのだ…」と当惑の表情を浮かべるのみです。ライオンとかトラ、ヒョウなんかでも同じなのでしょうか? それともあれはイヌ科の特徴で、ネコ科はまた違うのか?

 僕にとって犬に関する思い出が一番たくさんあるのは、十代末から二十代初めにかけて、浪人・大学生の頃(その後も出稼ぎみたいにしてやったことがありますが)、新聞配達をしていた頃のものです。配達人にとって、犬は重要な存在です。たいていの犬は顔なじみになると吠えなくなって、対応もフレンドリーになるものですが、中には性格の悪い犬がいて、いつまでもしつこく、卑怯にも安全な距離を保ちつつ吠え続ける者がいる。中には飼主がそばいるとよけいにカサにかかって吠えたてる犬がいるので、今「者」と書きましたが、僕は基本的に犬と人を区別しない、「犬人同視」の人間なので、そのようなサイテーな犬には腹を立てたものです。

 最初僕は東京新橋でそのアルバイトを始めました。仕事の真面目さが評価されて、試用期間三カ月が一ヶ月に短縮されたのですが、最初にやらかした失敗が犬にまつわるもので、配達区域の大半はビル街でしたが、中には民家も混じっていて、そのうち一軒にたいそう性格の悪い座敷犬がいたのです。朝刊は表のポストに入れるので問題ないが、夕刊は玄関の戸を開けて、「夕刊でーす」と呼ばわって中に廊下を滑らせるようにして投げ込む。するとその邪悪な犬が爪音も荒々しく飛び出してきて、目の前でキャンキャン吠えたてるのです。それだけではない、向かいの家に新聞を入れていると、今度は二階に上って、ごていねいにその窓からまた激しく吠えたてる。それが毎度で、最初に区域を案内して順路を教えてもらっている時からずっとそうでした。「うるさい犬ですね」と専業員の人に言うと、「あの犬は馬鹿なんだよ」と苦々しく言っていたので、相手かまわず、郵便屋さんにでも誰にでも、しつこく吠えたてるのです。

 あるとき、二階の窓から顔を出して吠えたてているその犬に、ついに僕は堪忍袋の緒を切らし、石をぶつけてやろうと思いましたが、あたり一帯がきれいに舗装されているので、悲しいかな、小石一つないのです。やっと見つけたのがタバコの吸い殻で、これでもないよりはましだと二階に向かって投げつけたところが、その窓がガラリと大きく開き、「何をしている!」とそこの主人が呼ばわるのです。面倒なことになったと思いながらも、「おたくのクソ犬に石をぶつけてやろうと思ったのだが、残念なことにそれがないので、代わりにたばこの吸い殻を投げつけたのだ」と正直に答えました。何という非礼だ!とその主人は激昂しました。うちは戦後三十年近くにわたって、他の新聞屋の勧誘には耳を貸さず、ずっとおたくから新聞を取り続けている。そういう上客に向かって、あるまじき態度で、これからすぐ店に電話をして、このことを言いつける、というのです。それまでは「まずいことになったな」と内心困惑していたものの、その言葉を聞いてカチンと来た僕は、「それなら勝手にそうしろ。自分のしつけの悪いクソ犬が無礼を働いていることは棚に上げて、よくもそんなことが言えるな。明日から他の新聞を取れ。誰がこんな家に配達してやるか!」と捨てゼリフを吐いたのです。

 果たして配達を終えて店に帰ると、中年の担当の専業員の人がひきつり笑いを浮かべて、「あのう、大野クン、今日は途中で何かなかったかね?」と言いました。「ありましたよ」と僕は憤然として答えました。やはり電話は入っていたのです。「あそこの新聞代は僕の給料から引いてもらって構いません。全くあの家の主人とクソ犬は許しがたい」と。すると、実はそのことなんだが、先方が言うには、よく考えると自分の方も悪かったので、明日以降もそのまま新聞を入れてほしいという話だったのだというのです。何? それで翌日配達に行くと、奥の方で犬が吠えているものの、押えられているらしく出てこないし、二階にのぼってほえることもない。ずっとそのままだったので、わが怒りは消えたのです。

 もう一匹、僕を怒らせた犬は、これは別の場所での話ですが、学生向けの安下宿が何棟も立ち並ぶ区画の、管理人か誰かが飼っている中型犬で、放し飼いにされていて、配達人が来ると、誰彼なくワンワン吠えたてながら後を追い回すという卑劣な犬でした。そのしつこさが半端ではない。ある日の夕刊配達時、僕は一計を案じて、その周辺にはうまい具合に石がいくらもあったので、手頃な大きさの小石を一つかみ、ジャンパーのポケットに入れておきました。果たして配達の間中、四、五メートルほどの距離を保ちながらずっとしつこく吠えながらついてくる。全部配り終わって、帰ると見せかけていきなり振り向くと、僕は猛ダッシュでその犬を追いかけました。予期せぬ行動にあわてた犬は、必死に逃げましたが、逃げ場を失ってある下宿屋の中に飛び込みました。そこは玄関が広くなっていて、両側に下駄箱が並んでいる、昔はよくあった造りです。犬は廊下に逃げ込みました。部屋は一階にも五つほどあるようでしたが、各部屋のドアは閉まっていて、逃げ道はもはやないのです(二階への階段はかなり急だった)。僕はポケットからゆっくり小石を取り出し、玄関に仁王立ちになったまま、狙いを定めて犬に投げつけました。そういうときはコントロールがよくなるので、五回のうち三発は動く標的に命中しました。キャインという悲鳴が上がる。ざまあみろ。これでお仕置きは十分だと思った僕は満足して帰りましたが、翌日行くとその犬は犬小屋にきちんとつながれていて、僕の姿を見ると、驚くべき早さで犬小屋に飛び込み、出てきませんでした。家の中に平気で石を投げ込んでいたわけだから、住人たちにとっては戦慄すべきことで、苦情が来てもよさそうなものでしたが、それは全くなかったのが不思議でした。あんなアンタッチャブルな配達人にはそんなことをしても効き目はないと思ったのかもしれませんが、ともかくわが心の平安は(おそらく他の配達人のそれも)回復されたのです。人の場合は話せば(脅せば?)わかるが、聞き分けのない犬相手にはこういうのしか手がなかったのです。

 こう書くと犬たちと僕の関係は悪かったように見えるかもしれませんが、大部分は非常に良好でした。僕は基本的に動物好きなので、犬に嫌われるタイプではないのです。中でも思い出深いのは、ある三階建てのアパートの管理人のおばさんが飼っていた雑種の大型犬です。そのときはバイクで配達していたのですが、その犬はバイクの音を聞き分けていて、僕のバイクの音がすると、犬小屋から飛び出して、長い鎖をジャラジャラいわせながらウォーミングアップを始めるのです。全部配り終わった後、僕は必ずその犬を相手に10分ぐらい遊んでいたからです。その犬は正面から体重を乗せて飛びかかるのが得意技でした。それで僕は意地悪をして、後ろへパッと下がって、鎖が伸び切って前足が空を切るように仕向けたのですが、敵もさるもので、彼はあるとき知らんぷりを装いました。そして、ちらりと横目で見ると、次の瞬間ワッと襲いかかってきたので、フェイント攻撃を仕掛けたのです。奇襲攻撃が成功して僕が尻もちをつくと、その犬は満足そうでした。雨の日にぬかるんだ土の上でやられたのではたまりませんが、晴れた日には時々そうやって花をもたせてあげないと犬の方も面白くない。

 同じ頃、柴犬を飼い出した家がありました。あの犬は可愛いものですが、子犬だとえくぼがあってことにそうです。それは庭の小さな柵で囲まれた犬小屋にいましたが、見る見る大きくなっていくのを見るのが楽しみで、おまえは足が太いからもっと大きくなるよ、などと言っていたのですが、あるとき、バイクを走らせていて、何者かが追ってくる気配に気づきました。見ると、その柴犬がこちらに向かって疾走しているのです。バイクを止めて犬を抱き上げながら不思議に思いましたが、大きくなって柵を飛び越えられるようになったから、追いかけてきたのでしょう。そのまま連れて帰りたい誘惑を覚えましたが、そうはいかない。配達はほとんど終わりかけていて、バイクの前かごは空だったので、そこに載せて僕は道を戻り、家まで送り届けました。幸いあたりの家々はまだ起きていない時間で、「誘拐犯」扱いされずに済みました。ちゃんと家にいないと駄目だよと言って下ろすと、こちらを見ていたが、今度は追ってこなかった。あれは賢い犬です。

 よく「犬は飼い主に似る」と言われます。たしかに、ブルドック系の犬を見て飼主を見ると、そちらも心なしかブルドック系だったりして笑えることがあるのですが、これは主に性格面のことを言ったものでしょう。飼主が偏狭傲慢で排他的な人間だと、犬もそうなりやすく、温厚な人が飼うと、犬も自然にフレンドリーになることが多いのです。むろん、フレンドリーだからといって番犬として無能だとはかぎらず、いざというときはたいへん頼りになったりするのです。僕がお仕置きしたような卑劣なクソ犬は、かんじんなときには物の役には立たない。犬を飼う人は、自分の隠れた面がその犬に反映され、それによって自分の本性が見抜かれてしまうこともあるのだと知っておいた方がいいでしょう。犬が立派なら、たいていは飼主もすぐれた人柄の持主なのです。vice versa(逆もまた真なり)。これは血統証なんかとは関係がない。

 子供が親をえらんで生まれてくるのと同じで、犬も飼主をえらぶのだと言ったのは、英国の精神科医、アーサー・ガーダムです。ペットショップで犬をえらぶときでも、その微妙な意思決定のプロセスには、犬からのアピールが働いていて、人は無意識に犬にえらばれているという側面もあるのです。だから飼主は、自分に見合った犬をえらんでしまう。その時点で、すでに犬柄と人柄はかなり一致しているのです。

 また、ガーダムによれば、犬は“昇格”して、人間に生まれ変わってくる可能性が最も高い動物の一つだということです。進化論的にヒトに近い猿は、人間に生まれ変わることはめったにない。それは彼らが「低級な動物の攻撃衝動を最大限に保持している」からで、これに対して「犬や猫に人間として生まれ変わる資格を与えるものは、彼らの人と平和に暮らし、受容的な態度のもてるその資質である」(『偉大なる異端』「第15章 魂の輪廻」)というのです。

 僕が若い頃、ある柴犬が隣家の赤ん坊を放し飼いにされた凶悪な犬どもの襲撃から守って、激闘の末死んだ、というニュースがありました。家族が短時間留守にした隙に、その赤ちゃんは襲われたのですが、危険を察知した隣の柴犬が命がけでそれを防ぎ、畳の上には多くの犬の足跡や血痕が残っていて、その柴犬は傷だらけでそこに倒れていた。それで調べた結果、そうしたことがわかったというのですが、ベビーベッドの赤ちゃんはおかげで傷一つなかったのです。凶暴な犬どもを放し飼いにしていたクソ男は警察から厳重注意を受けたという話でしたが、赤ちゃん殺人未遂、柴犬殺害の「間接正犯」として、刑務所送りにすべきだと、僕は憤ったものでした。

人間より百倍はエラい犬(名前は「太郎」だったと記憶しています)ですが、ガーダム説によれば、こういう立派な犬はほぼ間違いなく人間として生まれ変わってくるのです。おそらくそれは人間としても立派な部類の人として生まれ変わるのでしょう。昨今は猿の生まれ変わりとしか思えないような低級な人が増えているとしても、こういう犬はその魂の気高さゆえに、よき人として生まれ変わるのです。

 そんなことはありえない、と言う人たちと議論する気は僕にはありませんが、何にしても、犬というのはかなり個性の鮮明な動物で、高度なコミュニケーション能力をもつことは、いくらかでも犬と親しく接したことのある人たちにはおわかりでしょう。そして人間には犬の美質に学ぶことが少なくないので、今年はそれを反映したよい年になってもらいたいものです。

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