チビチリガマを荒らしたお馬鹿さんたちは「教育棄民」か?

2017.09.16.16:39

 先ほどネットのニュースサイトに毎日新聞電子版の次のような記事が出ていました。

 沖縄県読谷村の「チビチリガマ」で遺品などが壊された事件で、県警嘉手納署は15日、器物損壊の疑いで16~19歳の少年4人を逮捕した。少年らは「心霊スポットに行こうと思った」「肝試し」などと供述し、4人は容疑を認めている。

 平和を祈る象徴的な場所である「チビチリガマ」を荒らした疑いで地元の少年たちが逮捕されたことを受けて、沖縄では怒りやむなしさが広がった。
 16日午前、チビチリガマの遺族会の関係者らが、荒らされた入り口付近などを丁寧に清掃した。集団自決で祖父母ら5人を亡くした与那覇徳雄会長(63)は、少年たちの逮捕について「遺族としては一安心だが、まさか少年たちがこういう行為をするとは夢にも思っておらず、怒りも覚えるし、ショック。なぜこんなことをしたのか、とにかく動機が知りたい」と語った。そのうえで「今後ともチビチリガマから平和を発信していきたい」と述べた。
 石原昌家・沖縄国際大名誉教授(平和学)は「今回の事件は常識ではありえない行為で、死に対する畏れが欠如している。犠牲となった住民らは集団死に追い込まれ、1987年にもガマは荒らされた。今回で3度『殺された』ことになる。教育の現場で沖縄戦の実態や歴史が伝わっていないのではないか」と指摘した。チビチリガマのある読谷村の石嶺伝実(でんじつ)村長は「容疑者が少年だったことに衝撃を受けている。歴史の風化が叫ばれているが、それがここまで来たのかという思いだ」と話した。【佐藤敬一、佐野格】


 先日はYoutube にアクセス数を稼ごうと、明白に法に触れる過激影像を投稿して逮捕される馬鹿な若者が跡を絶たないという記事が出ていましたが、こういうのも同レベルで、事の是非善悪、物事の軽重の弁えが全くつかないというのは、怒りを通り越して、悲惨な印象を与えます。頭が悪いにもほどというものがあるので、こういう子供や若者は家庭や学校で人間としてのまともな扱いを受けていないからそうなるのだとしか思えない。

 僕はこういう子供や若者を広義の「教育棄民」と呼びたいのですが、その数は増え続けているように見えます。その彼らが文字どおりの「心なし」としか言いようのない無残な行為を繰り返す。無神経・無知も度を越しているから、たやすく犯罪行為にも結びつくわけです。

 先に「頭が悪い」と書きましたが、こういうのはむろん、知能だけの問題ではないので、人間的な心というものが育っていないからそうなるわけです。人は無意識に自分がされたことを周囲に、社会に返すものなので、これは彼らが人間的な扱いを受けていないということを意味します。だから、お説教すればそれで片付くという問題ではない。日頃の人間的なケアが、彼らには圧倒的に不足しているのです。

 昔と違って、今は地方でも地域共同体が空洞化し、家庭が孤立してそれぞれの子育てを行うようになっているので、親に教育力がないと、それが子供にモロに出てしまいます。親がろくすっぽ子供のことを顧みず、世話もしない、学校でも落ちこぼれて教師にお荷物扱いされるということになると、子供はよくなる道理がなく、淋しさから似たもの同士集団を作って群れるようになり、それがこういう事件にもつながるのでしょう。

 塾で生徒たちの相手をしているかぎりでは、今の子供たちは昔の子供と違って親に大事に育てられてるなという印象を受ける(僕など、昔の基準では「過保護」だったが、今の基準ではその範疇には入らない)のですが、塾に通えるということ自体、家庭に余裕があって、子供も大学進学を前提にできるだけの素質があるということなので、生徒たちに中学時代の話を聞くと、やはりとんでもない家庭のとんでもない子は一部にいるようだということがわかって、僕が直接知っているのはかぎられた範囲の子供たちでしかないということがわかるのです。親御さんたちは子供の教育に大きな関心をもっているが、なかにはそんなものはまるでない、という親もいるわけです。

 問題はそういう広義のネグレクト家庭の子供たちに社会がどう対処するかでしょう。そういう無責任な親は子供を作るな、ではすまない。そう言いたくなるのはわかりますが、下手すると、そういう言い方はおかしな優生学思想につながりかねないからです。

 そもそもの話、今の時代は子供を育てるのにお金がかかりすぎます。四年制大学への進学が十八歳人口の五割を超えているということは、大学進学が「標準」になっているということですが、ことに地方の場合、子供が三人もいて、全員を大学かそれに準じる短大・専門学校へ行かせるとなると、よほど裕福でないかぎり借金を免れない。子だくさんだった昔の地方の親なら、義務教育だけ受けさせて後は子供を放り出せた。高校進学率は戦後かなり早い段階で急上昇しましたが、地元の公立高校なら費用は高が知れていて、今ほどの負担にはならなかったのです(塾そのものがほとんど存在しなかったので、塾代も不要だった)。

 家庭事情から、大学はもとより、高校も怪しいという子供は、早い段階で希望を失ったような感覚をもつでしょう。親も、世間並のこともできないという劣等感から、投げやりな子育てに傾きやすくなるのではないかと思われる。そういう「教育格差」の問題も、ここにはからんでくるわけです。

 少し考えただけでも、あれこれ問題が隠れているのがわかるので、「どうしようもない馬鹿ども」と罵ったり、「親の顔が見たい」と冷笑を浮かべて言うだけでは問題は解決しない。何らかの意味で彼ら(親も含めて)は社会から「排除」された存在なので、本人たちにその意識的自覚はなくても、予期しない形で彼らは社会に復讐するのです。だから、そういう連中のことは知らん、というわけにはいかない。

「心霊スポット」だの「肝試し」だの、その年齢の子供にはありがちなことですが、歴史的・社会的文脈の中でものを考えたり、文化というものの深みがわからないというのは、何も彼らにかぎったわけではなさそうなので、あの愚劣なポケモン何とかにしても、その点では同じでしょう。軽薄な時代思潮にそういう「教育棄民」のような子供や若者はことに影響されやすい。そういうことも言えそうです。
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