灘中校長を歴史教科書採択で詰問~安倍政治の本質

2017.08.04.15:59

 安倍にとっては内閣改造で人気挽回を狙ったこの時期に、こういうニュースがネットに出回るのはさぞや困ったことでしょう。元気のいい時なら、「何でこういう偏った、“誤解を与えかねない”記事を書くのだ!」と官邸から直接圧力をかけることもできたでしょうが、そういうメディアコントロールがもはや効かなくなったので、「報道が正常化」しつつあるのです。以下、神戸新聞の記事。

灘中に「教科書なぜ採択」盛山衆院議員ら問い合わせ

 この、「学び舎」の歴史教科書については、僕もだいぶ前に教育関係者の間で評判になっているという話を聞いたことがあります。よく工夫された、ていねいに作られた教科書だという話で、きわめて良心的なものだというのです。だから名門の灘中がそれを採用していると聞いても、何ら驚きはない(右翼からは「自虐史観教科書の一つ」とみなされているのは説明するまでもないでしょうが)。

 これと反対の不快な話は、「新しい歴史教科書をつくる会」とやらの元幹部が執筆に加わったという育鵬社の「歴史」や「公民」の教科書採択を、安倍自身が「新しい教育基本法の趣旨に最もかなった教科書は育鵬社の教科書であると確信しております」(2011年9月21日、都内で開かれた「教科書改善の会」主催のシンポへのメッセージ)と述べて、強力に後押ししているという話で、これらの教科書なるものがファナティックな「日本は素晴らしい」幻想に彩られた歴史修正主義者の書いたトンデモ本の一つであることは、いくらかでも歴史知識のある人には周知のところです。

 だから、この件もそうした文脈からすればよく理解できるので、いかにも金魚のフンみたいな安倍の子分どもがやりそうなことです。校長先生の「自民党の一県会議員から『なぜあの教科書を採用したのか』と詰問された」「本校出身の自民党衆議院議員から電話がかかり、『政府筋からの問い合わせなのだが』と断った上で同様の質問を投げかけてきた」というのは本当でしょう。盛山正仁衆院議員の「灘中の教科書について、OBとして周囲から疑問の声を聞いたので、校長に伝えただけだ」「『政府筋からの問い合わせ』と言った覚えは全くない」という弁明は、これまで安倍政権及びその周辺の連中が関与を否定する際行った「釈明」と全く同じパターンです。「圧力」ではなく「ただ聞いてみただけ」であり、脅しに使った「首相の意向」「政府筋からの問い合わせ」といった言葉は、「なかった」ことにされるのです。

 この記事に出てくる「200通以上の採択を批判する『文面が全く同一』のはがき」については、「草の根」を装った多数派工作を得意とする日本会議関係者のしわざだと見るのが一番妥当に思われますが、その日本会議流・サンケイ流のトンデモ史観(都合のいいように史実を取捨選択し、誇張もあちこち混ぜて「美しい歴史」を創作する)に洗脳された一人の病的なネトウヨのしわざだということもありうるでしょう。

 ここであらためて想起しておかねばならないのは、安倍はあの「森友学園教育」を讃美していた男だということです。別にアッキーだけが「暴走」していたのではない。幼稚園のあの異様な光景がネットやテレビに出回って、猛烈な批判が巻き起こるや、彼は慌てて「関係ない」ふうを装った。森友関係の講演会にしばしば招かれていた他の「文化人」「保守派論客」たちについても同様です。

 安倍のこれまでの歴史や教育についての発言を仔細に点検するなら(そういうサイトがすでにできているかも知れませんが)、彼が日本をどの方向に引っ張っていこうとしていたか、彼が目論む憲法改正の性質がどのようなものであるのか、はっきりわかるでしょう。僕が彼を許せないと思っているのは、アホノミクスは二の次で、何よりこの点なのです。それをどんな汚い手を使ってでもゴリ押ししようとした。追いつめられた彼は「経済政策重視」を必死にアピールしていますが、そんなものはただの人気取りのための付け足しで、彼の本質は「できそこないのヒトラー」「戦前回帰の全体主義者」たるところにあるので、それが見抜けないのは幼稚な人だけでしょう。今、彼の暴走を許せば、「忖度政治」が定着する中、二人目、三人目の安倍が必ず出てくる。それで戦前回帰の「安倍レジーム(それは日本会議レジームと言ってもいいが)」は完成するのです。

 まだ安心できませんが、際どいところでどうやらそれは回避できそうだと、今僕は思っています。問題は、しかし、安倍だけではない。「忖度」にこれ努める、周辺の政治家、官僚、学者、文化人の類です。「安倍一強」と言われる中で、これほど日和(ひよ)る奴が多いのかと、僕はそのことにびっくりしました。彼らにはむろん、自分が何をしているかの自覚はありません。本当の意味での歴史知識も、人間性に対する洞察力もない。「美しい国」の「美しい歴史」というフィクションに自尊心の拠り所を求めようとするのはそれ自体病的なことなのですが、社会的沈滞を背景にそうした病人が増えているので、それを保身・栄達に利用しようとしたり、あるいはそうした自身の心理的メカニズムには気づかないまま、“純粋に”「愛国心の高揚」に陶酔する、アッキーみたいな馬鹿もいるのです。

 いや、安倍自身がこれだと言ってよいでしょう。「首相の憲法改正への情熱は本物」だとよく言われます。教育基本法に「愛国心」を盛り込み(第一次安倍政権の時代.日本会議のサイトには嬉しげに「旧基本法の『人格の完成』を期すという抽象的な目標から、新基本法には、日本国民を育成するための大切な徳目が教育目標として明記されました」と、日本語がヘンですが、書かれています)、学校教育における「国旗国歌指導」の徹底を指導要領に明記させ、学問的には疑問のありすぎる「育鵬社の右翼教科書」を「新しい教育基本法の趣旨に最もかなったものと確信」して、採択活動を後押しし、政府に逆らいそうな「非国民」連中は「共謀罪」でたやすく内偵、逮捕できるようにして、仕上げは「愛国心」に染められ、かつ「国民の義務(納税や子供に教育を受けさせる義務だけでは足りないので、国家権力に忠誠を誓って奉仕する義務が必要)」を明記した新憲法への改正なのです。

 こう見ると流れは一貫しているわけですが、安倍はこれを彼の考える「美しい国」への必要不可欠な道程と本気で思っているので、「国家権力に都合がいいように法制度を変えてしまう」罪悪感などは微塵もないのです。それは彼の「燃える愛国心」のなせるわざで、「正義」だから、その実現のためには民主主義的な手続きなどどうでもいいと思っている。そのあたり、園児の教育勅語暗唱に感動の涙を流して、森友の小学校認可をゴリ押ししようとした妻のアッキーと同じくらい幼稚で“純粋”なのです。

 だからいいというものではないことは、説明せずともおわかりでしょう。そうした“純粋さ”は裏に病的な性質を秘めたもので、それゆえ無責任なものだからです(自己陶酔と情熱は本来似て非なるものです)。潮目が変わって安倍退陣が時間の問題になったのは「不幸中の幸い」でしたが、これまでのように「安倍一強」が続いて、周りの忖度行動が増え続けていれば、「物言えば唇寒し安倍の風」となって、彼の野望はすべて実現する可能性があった。それを思うと背筋がぞっとします。

 この灘中の一件に類した、安倍追随者の「忖度行動」は他にもたくさんあるでしょう。マスコミはこうした事例をきちんと報道すべきで、安倍政権のような独善的で狭量な政権がどれほど多方面にわたって有害な影響を及ぼすものなのか、国民はよく理解しておく必要があります。おそらく安倍政権の唯一の「業績」と呼べるものは、危険な独裁者が出現したとき、日本社会が権力者への忖度と批判の自粛によってどれほど「自発的隷従」に流れやすいか、それが学習できたことでしょう。小ヒトラーのおかげで大ヒトラーへの備えができたとすれば、この腐れ政権も多少は社会のためになったということです。
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