二階俊博~安倍と一緒に、はよう去(い)ね!

2017.07.27.17:07

 まず関係のない話を一つ。ヤクルトが14連敗(そんな不名誉な記録で下賤なナベツネ巨人に勝たなくていい!)のあと3連勝、とりわけ昨日26日の勝利は10点差をひっくり返してのプロ野球界20年ぶりの快記録だということで、僕は感涙にむせびました。相変わらずのダントツ最下位ですが、優勝は広島に譲るとしても、勢いに乗れば、ジャイアンツよりは上に行けるかも知れない(元々7連敗ぐらいは平気でするチームなのです)。希望の曙光がほの見える出来事でした。

 それでは本題です。以下は昨日の時事通信の記事。

 自民党の二階俊博幹事長は26日、大阪市内で開催した二階派研修会であいさつし、「自民党がいろいろ言われていることは知っている。そんなことに耳を貸さないで頑張らなくてはいけない」と述べた。
 世論の批判は意に介さないとも受け取れる発言で波紋を広げそうだ。
 二階氏は、政権に疑惑の目が向けられている「加計学園」問題などを念頭に、「いろいろ話題に乗せられたことがあるが、くだらんことは常識外れだから、切り捨てて前を向く」とも語った。
 マスコミ批判も展開し、「いいかげんなことばかり喜んで書く人がいる。われわれも料金を払って購読している。責任を持ってやってほしい」と注文を付けた。
 これに関し、菅義偉官房長官は記者会見で「政府としては常に国民の声に謙虚にしっかり耳を傾け、安全保障や経済再生を前に進めていきたい」と述べた。


 この二階なる人物は、僕の故郷の選挙区のおっさんです。容貌からして暴力団の組長風ですが、あれとボルサリーノハットの麻生あたりが会食してたら、ほとんど日本版マフィアの秘密会談でしょう。「あんなもんしかおらんのや」というのが田舎の人たちの嘆きで、かねて僕が竹中平蔵と並んで「和歌山の恥」にカウントしている人物です。頼まれたわけでもないのに、二人で北と南を「代表」して下さってるわけです。

 去年の6月には、それについては一度このブログにも書きましたが、長男を自分の地元の御坊市長選に立候補させて、ど田舎の市長選にもかかわらず、例のともちんや進次郎まで応援演説に駆り出し、「国政選挙並」の対応をしたにもかかわらず、ダブルスコアで負けてしまうという「ありえない」話で全国的に有名になりました。理由は、その長男が人望ゼロのノータリン(やや古い表現なので解説しておくと「脳足りん」の意味です)で、「あんな粗暴な奴を市長にしたらえらいことになってしまう!」という御坊市民の危機感のなせるわざだったと言われています。

「この親にしてこの子あり」かと、妙に僕はナットクしてしまったのですが、おとっつあんのこの発言なんか見ると、むべなるかなと、誰でも思うのではありませんか? その「ありえない落選」関連の記事では「二階王国の落日」は間近で、参院の世耕弘成が衆院へ鞍替えしそうだなどと書かれていましたが、この世耕にしてからが、見た目は割とスマートながら、人も知る安倍の腰巾着の一人で、一体人を見る目をどこにつけているのだと言いたくなるような御仁なのです。彼は世襲議員なので、同じ世襲同士、安倍とはウマが合ったんでしょうかねえ…。

 話を二階に戻して、それがまた、こんなアホなこと言ってるわけです。「ほんま、やっとられんわ」とはこのことです。タイトルの「はよう去ね」というのは方言で、これはまだけっこう各地で使われているようですが、「とっとと帰れ」の意味です。古文の「いぬる【往ぬる/去ぬる】」がまだ生きているわけで、僕の祖母などは「夜中に突然目が覚める」という意味で「おどろく」を使っていたほどなので、高校の古文の授業で習ったときも、「そんなの、元から知っとるわ」と思ったほどでした(だから子供たちは方言を馬鹿にしてはいけないので、意外と由緒ある言葉だったりするのです)。

 こうした「二階語」は、いちいち論評するに値しない愚劣なものですが、そこに表明された“感覚”ほど今の政治の劣化を端的に物語るものはないでしょう。自分に不都合なことは「くだらんこと」「いいかげんなこと」と全部「切り捨てて前を向く」というのは、権力は「もった者勝ち」で、それを身内とお友達の利益のために使おうが、民主主義的なプロセスを無視しようが、立憲主義を破壊しようが、勝手だろうがと言っているのと同じだからです。

 これはヒトラー時代のドイツの状況を想起させます。周知のとおり、ナチス政権は「近代民主憲法のお手本」とされるワイマール憲法下で出現しました。彼はえげつないまでのプロパガンダと謀略によって政敵を次々葬り(その象徴とされるものが自作自演を疑われる「国会議事堂放火事件」で、ナチスはこれを「目の上のたんこぶ」共産党をのしわざと決めつけ、叩き潰すのに利用した)、その後「全権委任法」なるものを成立させて、独裁体制を確立したのですが、これは「おまえらがいったんオレを選んだ以上、何をしようとも文句は言うな」ということだったのです。それによって憲法は完全に空文化した。

 幸いなことに、安倍政権のメディア操作は読売に「前川風俗通いスキャンダル」を書かせたあたりで猛批判が起きて機能しなくなりましたが、それまでどんなえげつないことをやってきたか、記憶力のいい人は憶えておられるでしょう。高市「電波発言」なんてものもありましたが、安倍に批判的なニュースキャスターや番組は官邸発の「上からの圧力」でほとんどが姿を消した。最近はスクープ連発で元気を取り戻してきた朝日なども、一時は例の「従軍慰安婦誤報問題」で叩きに叩かれ、虫の息だったのです。

 一方で「安倍政治の正義、素晴らしさ」を喧伝する日本会議系の御用メディア、御用文化人・学者は露出が目立った。それにロクな奴がいないのは、百田尚樹、高橋洋一なんか見てもよくわかるのですが、なかでも笑えたのは、TBSワシントン支局長なる肩書をもつ山口敬之でした。彼は有力安倍応援団の一人である見城徹が社長を務める幻冬舎から『総理』『暗闘』という二冊の露骨な安倍ヨイショ本を出したのですが、一時はテレビに引っ張りだこだったとか。ところが、例の詩織さんレイプ事件で信用失墜、逮捕目前で安倍の忠犬として有名な警視庁の中村格刑事部長の横槍が入って、逮捕を免れていたということまで発覚したのです。

 敵はどんな卑劣な手を使ってでも潰し、味方はどんな汚い手を使っても助ける。安倍のヤンキー政治家としての面目躍如ですが、彼のやることにはどこにも「公正さ」「透明性」「デュープロセスの遵守」なんてものはないのです。省庁幹部の人事を官邸が決めるのみならず、内閣法制局長官からNHK会長、日銀総裁、さらには最高裁判事の人選まで自分の思うままにしようとし、それによって「忖度政治」を行き渡らせる。安倍が何より嫌うのは、自分に批判的なことを言う人間、幼稚な自分を「無条件に受容」してくれない人間です。この「無条件の受容」という言葉はカウンセリングでよく使われる言葉で、子供の頃それを十分経験しないと病んだ人間になると言われているのですが、強い自己不全感を引きずる幼児人格の彼は、六十を過ぎてもなお、それを周囲に求めてやまないのです。

 安倍は精神科医かセラピストの長期にわたる治療を要するレベルの病人です(彼の腸の持病も、半ば心因性のものでしょう)。だから僕は危険だと言っているのですが、彼の「改憲妄想」もそこから発している。もしも彼の好きにさせれば、彼は現行憲法を全面廃棄し、「権力を縛る法」ではなく、独裁を可能にする「国民を支配するための法」をつくるでしょう。それは無理だからというので、中途半端なことを言っているにすぎません(それでも、盗聴法や共謀罪はそのための布石にちゃんとなっているのですが)。時代錯誤の彼の国家主義は、彼内部の病的な自己不全感と関係している。よく彼が口にする「国民の安全」など、彼の関心には入っていないのです。彼がほしいのは「祖父の岸信介ですらなしえなかった改憲を果たした政治家」という評価であり、幼児的な全能感を味わえる「総統」的な、国民の全面服従が実感できる体制なのです。

 この期に及んでもまだ彼は「加計学園問題の何が問題なのか」わかっていないという話ですが、それは彼の幼児人格を考慮に入れないと理解できない。じっさい、彼はイエスマン体制の何が悪いのか、忖度、情実政治の何が悪いのか、立憲主義の否定がどうして問題視されるのか、わかっていないのです。過保護の小学生がいきなり総理大臣になるとどうなるか、そのあたりから想像して初めて合点が行くのです。出来の悪かった彼はお勉強を怠けたのみならず、通常なら人格形成のプロセスで自然に身につく社会性も欠落したままなのです。

 安倍は一応、法学部政治学科なるものを出ています。ふつうならそこでさっき言った「デュープロセス(due process of law 法に基づく適正手続の保障)」なんかも習うのですが、そういうことの意味や重要性が何もわからないまま、卒業したのです。加計学園問題など、前川・前事務次官が繰り返し指摘しているように、まさにそこが無視されているわけですが、それが法治国家の否定に直結するものであるということが、この小学生にはどうしても理解できないのです。

 それは二階俊博についても同様で、こんなこと言うぐらいだから、どうせ学歴なんてものはない叩き上げの政治家なのだろうと思って調べてみたら、何と中大法学部を出ているのです。今は落ち目とはいえ、彼の時代の中大法は難関です(政治学科の方だからいくらか見劣りするとしても)。

 しかし、考えてみれば、安倍の寵愛ただならぬ防衛大臣のともちんなんかも法学部(不快なので、どこのとは書きません)の出身で、司法試験にも一応受かっているわけだから、それであれだけの「失言」連発とは呆れてものが言えないので、要するに単位を取ったり、試験に受かれば、そういうのは用済みになってしまうのでしょう。よく法学部の受験案内などには「リーガル・マインドの養成」なんて書かれていますが、全然そんなものは「養成」されていなかったりするのです。

 二階に話を戻しましょう。こういうのが今の自民党では派閥の長であり、幹事長の要職まで務めているのだから、末期症状と呼ぶほかないのですが、安倍の幼児人格が伝染したのか、こんなのばかりになっているのは驚くべきことです。二階は元々田中角栄仕込みの典型的な利益誘導型土建政治屋、ゼネコン政治家です。「日韓友好活動家」である点など、安倍とは違うところもあるのですが、公私混同はお手のものなので、そこらへん、安倍の「忖度政治」には何ら違和感をもたないということなのでしょう。幹事長抜擢への「恩義」もある。元々が理念ではなく、「情実」で動く古いタイプで、それが奇妙な具合に今の安倍政治とマッチしたのです。そう理解すれば、上の記事のたわごともよくわかる。

 民進党はあのていたらくだし、安倍を退場させてもこれでは絶望的だなと思っていたら、八月号の文藝春秋に「安倍が自民党を劣化させた 自民ベテラン議員・村上誠一郎の諫言」という記事が出ていて、これが「よくぞ言ってくれました」というようなレベルの高い議論で、読んで僕は感心しました。皮肉なことに、村上氏は加計の獣医学部ができる愛媛県の選出議員で、今治市は自分の選挙区だという。しかし、尤もな理由を挙げつつ、明確な反対を表明しているので、説得力は十分です。あの加戸・前愛媛県知事の賛成論とはレベルが違う。まだお読みになっていないという方はぜひお読み下さい。自民党にもまだこういう冴えた人は「かろうじて」ですが、残っているのです。

 現政権下ではむろん、こういう政治家は「絶滅危惧種」とならざるを得ないので、一刻も早い安倍退陣が望まれるのですが、和歌山の二階の選挙区の人たちも、こういうのを当選させ続けることは国家のためにも地域のためにもならないから、次の選挙では二階を落選させるために何らかの手立てを講じるべきでしょう。二階はおそらく、世襲を考えているはずで、長男が先に見たように馬鹿でどうしようもないとすれば、次男か三男かをいずれ後継に立てるつもりでいるでしょうが、それも阻止して、しがらみのない政治家を国政に送った方がいい。こんなたわごと政治家の息子なら、どのみちロクなことにはならないのです。

 最後に、「忖度政治」の恐ろしさについて述べた本があるので、かんたんにご紹介しておきましょう。ティモシー・スナイダー『暴政』(池田年穂訳 慶應義塾大学出版会)という、新書版の薄い本です。原題は On Tyranny : Twenty Lessons from the Twentieth Century で、著者はホロコースト研究や近代ナショナリズム研究で有名なアメリカの歴史家で、名門イェール大学の歴史学教授です。

 これの第一章が「忖度による服従はするな」で、まるで今の日本のために書かれた話のようになっているのです。「おそらく、世の新体制なるものも、あれやこれやと手を尽くして市民たちに直接影響力を行使する、そんな手段を当初は持っていませんでした」と著者は述べて、1932年のヒトラーでも、1946年のチェコの共産主義者のケースでも、「どちらの例においても、十分な数の人間たちが自発的に新たな指導者に精一杯の献身をしたからこそ、ナチスも共産主義者も同じように、『自分たちは速やかに完全な体制変革に勧めるのだ』、そう気づいてしまった」のだと続けるのです。「熟慮を欠いた服従という初めの行為があったので、次の段階では後戻りできないものとなってしまったのです」と。

 要するに、ヒトラーは一人であれほどの残虐行為、破壊行為ができたわけではない。上の意向を下が「忖度」して、それが拡大、エスカレートするうちに、それは上の者が望んだ以上に徹底した、恐るべきものになってしまったわけです。著者はここで有名な「ミルグラム実験」のことにも触れていますが、安倍一強体制と呼ばれるものの中で進みかけていたことも、まさにこれなのです。今となっては幸いなことに、その「忖度政治」「忖度行政」が「もり・かけ問題」という予期せぬ副産物を生み出し、「待てよ…」ということで世論のストップがかかった。マスメディアも正気を取り戻したのです(産経や読売は除き)。本丸の戦前回帰的な国家システムへの完全な改造へと進む前に、それと比較すれば軽微な問題で躓きを見せたのです。僕が繰り返し言っている「安倍政治の真の危険性」は後者にあります。それが考えすぎだとか、「印象操作」だと言う人は、直観力が鈍いとしか思えない。

 第二章の「組織や制度を守れ」もまさにどんぴしゃりの議論なのですが、こうして書いていけばキリがなくなるので、興味のある方は直接お読み下さい。要するに、民主的なシステムというものは、自動更新で機械的に維持されるものではなく、それを守る明確な意識と努力が人間の側になければ、形骸化し、崩壊してしまうということなのです。そのあとには僭主政治家の暴政がやってくる。「まさかそこまではしないだろう…」というような「良識に基づく希望的観測」に頼ると悲惨な結果になる。今の日本人にはとくにこれは必要な教訓でしょう。平和ボケしすぎているからです。

 一つ一つが短いので、これは塾の英語教材にも使えるなと思って、僕は原書のペーパーバックも注文しておいたのですが、実際これは大学入試問題にも使えそうなので、出題するところがあるでしょう。三年ほど前、僕は東大の国語の入試問題も当てたほどなので、その本を読ませた生徒は結局東大ではなく京大を受験したので、直接役には立たなかったのですが、難関大を受験する生徒たちはとくに、マークしておいた方がいいかもしれません。まあ、すでに訳が出てしまっているので、それを考慮して外すかもしれませんが。

 それでは、仕事の時間も近づいてきたので、今日はこのあたりで。
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