夏休みの変容~勝手に遊べなくなった今の子供たち

2017.07.22.12:07

 今回は煩わしいアベ政治(早く退陣してくれれば書かずにすむのですが…)のことはひとまず忘れて、夏休みの話です。

 今日は22日ですが、僕の記憶では、高校に入った頃は一学期の終業式が24日から20日に繰り上がって、夏休みは昨日からだったような気がします。すでに期末テストが終わった段階で授業は午前中だけの「短縮授業」というのに切り替わっていて、午後は毎日下宿近くの広い川(海まで数百メートルで、潮の干満で深さが変化した)で泳いでいたものですが、この日になるともう奥熊野の実家に帰っていて、今度は渓谷の淵でアマゴ(ヤマメの兄弟分)なんかを追いかけ回していたわけです。

 夏休みはだから、高校時代は42日間、小中学校では38日間あったわけです。しかも、その前の10日ほどは半ドンで、午後は好きなだけ遊べた。この「短縮授業」なるものは、昔の学校にはクーラーなんてものはなかった(ふつうの家にもなかった)ので、お勉強はまだ涼しい午前中に済ませて、あとは海や川、好きなところに行って泳ぐなり、魚とりをするなり、勝手にしろということだったのでしょう。いわば「夏休み前の肩慣らし期間」で、子供たちは喜んでその仰せに従っていたのです。

 60を過ぎた今でも、僕は夏場になると全身の細胞が活性化したみたいで元気になるのですが、これは子供時代のそうした幸福な記憶と関係している。昼間は川で好きなだけ遊んで、夜は夏休み用に楽しみにとっておいた西洋の長編小説(むろん、翻訳で)なんか読む、というパターンが定着していたので、夏になると自然に読書量も増えるのです。

 お勉強の記憶の方は、残念ながらほとんどない。小中学校の頃は、夏休みの間に登校日というのが2回ほどありました。朝礼とホームルームだけで終わりなのですが、これは学校が生徒たちの無事を確認するという趣旨のものだったのでしょう。そこで子供たちは「宿題やった?」「いや、丸残り」というような会話を交わして、「よかった! やってないのは自分だけじゃない」というので、「赤信号みんなで渡れば…」心理を強化することになり、心安んじてサボり続けることができたのです。その宿題も、今思えば1日30分か1時間もあれば終わる僅かなものだったのですが、それすらちゃんとやれなかったのです。

 そういうわけで、農家などでは家の手伝いもたまにはやらされたのですが、当時の子供にとって夏休みというのは、長期間心おきなく丸々遊べる、まさに「地上のパラダイス」でした。じっさいあんな嬉しいものはなかったので、当時はまだ日本中が貧乏でしたが、自然は豊かで、子供たちが好きなクワガタも、川の魚も、ウジャウジャいたから、そこで遊ぶのにお金はいらなかった(今は絶滅状態に近くなってしまったニホンウナギなど、信じられないくらいたくさんいたのです)。よく朝から川に出かけて、夢中になっているうちにおひるを食べに帰るのも忘れて、夕方腹ペコで帰って、大目玉を食ったものです。昼食を食べに戻ったときは、おなかがもつので、帰りが夜の8時になってしまうこともあって、またしても怒られる。そんなことの繰り返しでした。

 今は田舎でも、地域の年齢層の違う小中学生ぐらいの子供たちが川で群れて遊んでいるなんて光景を見ることはめったにありません。土日に家族連れを見かけることはありますが、昔は子供の中に大人の姿を見つけることは稀で、子供たちだけで遊んでいるのがつねでした。大人たちは皆仕事で忙しかったから、子供同士、勝手に川や海で遊んでいたのです。

 それがいつから始まったのかは知りませんが、当時は自主運営の子供会が健在で、月1ぐらいで地域の公民館に集まって会議を開いていた。メンバーは小3くらいから中3までだったと記憶しています。選挙で三役を決め、その時々の議題について討議するのです。お盆や正月前には、「道普請(みちぶしん)」というのがあって、大人たちと一緒に地域の共有道路の草刈りや清掃を行う。他に家々を回って空き瓶回収を行うこともあったので、それをリヤカーか何かで2キロほど離れた町場の酒屋までもっていって、代金をもらうのです。道普請でも大人から子供会への金一封が出た。そういうのをプールしておいて、「茶話会(さわかい)」と呼ばれる中3卒業生の送別会(数人ずついくつかのグループに分かれ、皆で買い出しから調理までやって、公民館ですき焼きやカレーを楽しんだ。そのときは終わり頃、大人の誰かが火の元の点検に来てくれました)などに使ったのです。山奥で近くに高校がなく、当時は中卒で就職する子が多かったので、その送別会は子供たちにとって大きな意味をもっていたのです。

 夏前、梅雨明けが近くなると、子供会でその年の「泳ぎ場」というのを決めました。大水が出ると川の流れが変わってしまうことが珍しくなくて、川はその都度姿を変えたのですが、今年は川のどの淵が地域の子供たち共通の「泳ぎ場」にふさわしいか、3つほどの候補の中から投票で決めるのです。このときにはA派、B派、C派というふうに分かれていて、自分の支持する場所に賛成が増えるように、事前の「多数派工作」なども行われて面白かったのですが、民主的に一番票が多かったところに決まるのです。そしてそれが決まると、いついつの日曜、そこに全員集合という付帯決議が行われる。皆でビーバーよろしく石や流木を組んでそこに堰(せき)をつくり、少し深くして、その淵がいっそうプールらしくなるようにするのです。そしてその淵のそばの河原には、先端に黄色い旗をつけた棒切れが立てられる。それは毎年学校から子供会長に渡される旗で、そこが「公認の泳ぎ場」であることを示すのです。

 むろん、子供たちは他でも泳いでいたのですが、「公認」なので、泳ぎがメインの目的の場合はたいていそこに行く。面白いのは、浮き輪をもった小さい子をそこに預けに来る親もいたことです。「頼むね」と言って、親はさっさと帰っていく。二、三時間するとまた連れに来るのですが、そこで遊ばせていれば、年かさの子供たちが注意して見ていてくれるので、親としては安心なのです。じっさい、そこは深いところは二メートルをゆうに超えるので、泳いでいて溺れかける子も出る。そういうときは泳ぎの達者の子がすぐ飛び込んで助けてくれるから、水死者などは一度も出たことがなかったのです。子供はそういうのを見ながら育つので、自然に年齢に応じた役割がどういうものか学習する。

 そして、その「泳ぎ場」の上流と下流には、泳ぎに飽きて魚とりを始めた子供たちの姿が点々とつながっている。そこでも小さい子は大きい子に、魚とりの方法を教わったりしているのです。晴れた日にはそういうわけで、子供たちは男の子も女の子も、全員川に出払っていた。そこにはのけ者にされた子は一人もいなかったので、中には知的な障害をもつ子もいましたが、そういうことも一緒に遊ぶには関係なかったのです(自然は面白いもので、そういう子供が構えた網に、とんでもない大物が飛び込んだりして、「えっ、おまえがそれとったの?」なんて周りがびっくりすることもあるのです)。

 今でも子供会というのは存在するようですが、それは親がかりです。部活も親がかりなら、遊びに行くのも親がかりで、「子供が外で勝手に遊べる夏休み」は事実上、消滅した。夏休み自体が今は短縮傾向にあるようで、静岡県の吉田町というところではそれが16日間にまで削減されるというので、子供たちが「町長のバカヤロー」と憤慨しているなんてニュースもありましたが、どのみち今の子供たちは背中の皮が三回むける(日焼けでそうなってしまうのです)まで夏休みに遊び倒すなんてことはできなくなっているわけです。

 見ていると、今でも地方には子供たちが遊べそうな場所は町から近いところにいくらもある。しかし、大人の地域共同体が崩壊してしまったのと同じで、子供のそうしたコミュニティも今は消えてしまったのでしょう。僕は子供の頃、山や川であやうく死にかけたことが何度かあります(むろん親には内緒)が、そうした経験もないので、自然とのつきあい方がわからず、子供たちだけで遊ばせると事故がこわいということもあって、学校や親が禁止しているのかもしれません。

 実際、水の事故は多くなっているようです。僕がこのブログに名前を借りている祝子川なども、下流は遊泳禁止になっています。水死者が毎年のように出るからです。このブログもかなり危険ですが、本家の祝子川もなかなかにこわい川なのです。にもかかわらず、僕は息子が小学生の頃、何度も一緒にそこで泳ぎました(母親には内緒でしたが)。そこが危険とされる理由の一つは、水量が多くて流れが見た目以上に強いというだけでなく、河原と川の境目がなだらかではなく、急に深くなっていることにもあるのでしょう。河原がすぐそこだから、もう足が着くだろうと思っても、ズボンといってしまうのです。どんな川でも、地形や流れなどに癖があるので、そのあたり心得ておく必要がある。プールと川や海は違うのです。足がつったときの対処法なども、昔は年上の子からふつうに教わったものですが、今はそれも知らない子が多いでしょう。

 しかし、こういうのも時代の流れで、いい悪いの問題ではありません。昔と違って進学率が上がった今はお勉強もしなければならない。中学生たちは部活の他、塾の夏期講習があるだろうし、小学生でも、中学受験をする子供たちは夏も大忙しなのです。高校生ともなればなおさらで、大学受験に備えて夏は猛勉しなければならない。今はふつうに学校の夏課外というのもあるから、少なくとも7月いっぱい学校は続く。塾の生徒に昔の高校生の夏休みは42日あったのだというような話をすると、一体それはどこの国の話ですか、みたいになるのです。

 まあ、僕みたいに子供の頃遊んでばかりで全然勉強しなかった人間は立派な大人になり損ねるということはあるかも知れないので、ほどほどには勉強もした方がいいと思いますが、楽しかった夏休みの思い出はいつまでも残るものなので、回数はそう多くなくても、親御さんたちは子供を川や海に連れて行くなどして、丸一日腹いっぱい遊ばせてやることは、やはりした方がいいでしょう。複数家族で出かけると、子供には遊び仲間がいるからなおいいということがある。彼らがガヤガヤやっている様子を見るのは、それ自体愉快なものです。すでに見たように、子供たちが勝手に遊べる時代ではなくなったから、意識的にそうする必要が出てきたのです。

 僕自身は、自分が遊びたいというのもあって、子供が小さい頃、事情が許すかぎり家族で川や海に出かけました。あれこれ魚とりの方法なども伝授したのですが、彼はすぐそれに夢中になったから、子供は昔も今も同じなのです。中学の頃は部活(熱烈野球少年だった)の関係で、お盆をはさんだ五日ぐらいしかまとまった夏休みがありませんでしたが、そのときは連日鮎とりで、高校になってもそれは続いた。高3の夏も日曜になるたび出かけていたので、そのために車を出さねばならない母親は「受験生で他にこんなことしてる子がいる?」と呆れ顔でしたが、「気分転換が必要である」という父子の主張が勝って、それは続いたのです。後で本人に聞くと、「あれは最高に楽しかった」そうなので、幸い受験もうまく行ったから、良質の気分転換になっていたのです。

 だから、それはお勉強とも両立するわけです。僕は「小中学生の頃は落ちこぼれさえしなければ学校の勉強はどうでもいい」と考えていて、中学になっても小学校時代の「家庭学習30分」が変わらないという母親の嘆きは笑って聞き流し、わが子の勉強にはノータッチでした。勝負は高校に入ってからで、それも別にガリガリやる必要はないので、落ちこぼれないようにしつつ、少しずつペースを上げていって、競馬でいうと最後の直線に差しかかったあたりで猛烈な追い込みをかければ、それまでの遊びや読書で培われたパワーがものをいう、と考えていました。先行逃げ切りタイプの馬もいますが、それでは面白くないので、途中までは目立たない位置につけておいて、最後に外から回り込むようにしてすーっと前に出て、そのまま先行馬をごぼう抜きにするというのが一番カッコいいわけです。

 むろん、中には、その直線で思うように伸びないこともあるでしょうが、先行していても息切れして次々抜かされてしまう馬もいるのだから、そのときはそのときなのです。とにかく早くから勉強していればいいというものではない(高3になって初めていくらか勉強し出すというのでは間に合わないでしょうが)ので、とくに「遊びも勉強のうち」という年頃では、しっかり遊ばせてあげた方がいい。All work and no play makes Jack a dull boy(勉強ばかりして遊ばない子は駄目になる)という英語の諺は真実なのです。

 前にここに書いた「父親よ、もっと子供と遊べ」という一文は幸い多くの人に読んでいただけたようですが、子供とコミュニケーションがうまく取れないという人は、小さい頃子供の遊び相手をしてあげなかったことも関係するのではないかと思います。僕自身、子供の頃、山仕事で多忙な父にモドリというウナギとりの仕掛けを作ってもらったことがあって、これは入口を竹細工で編んで作ったりして、結構精密な作業を要するのですが、目を皿のようにしてその作業を眺め、後で不器用ながら自分でもそれを作ったことがあります。父はそれを1、2週間田んぼの泥の中につけてくさみをとり、それを川の中にもぐって仕掛ける実演までしてくれたのですが、翌朝その筒の中にはかたちのいいウナギが8匹入っていた。父の偉大さが強く印象づけられたもので、他にも、ツケバリという仕掛けをするときの、時期による場所のシフト(同じ夏でもウナギの餌あさりのルートが変わる)の仕方とか、釣り針の糸の結び方、春先のアマゴ釣りのコツなど、その当時教わったことは今でもほとんど全部憶えているのです。男の子にとってはとくに父親に相手をしてもらうことは嬉しいので、それが先々の人間関係の土台となるのです。僕の父親は一本気な恐ろしく不愛想な人間で、大方は怒られてばかりだったのですが、それでもそういうところがあって、子供にはそれが嬉しかったのです。子供というのは、そういうものです。

 そういう自分の経験があるものだから、小さい頃、わが子にも遊びの相手はできるかぎりしてあげようと思いました。僕は怖い父親ではなく、自分の父親ほど多忙でもなかったので、その分多く相手ができたのですが、母親と較べて父親は子供と接する機会が少なくても、そうしておけばコミュニケーションに問題は生じにくいのです。遊び相手をしていれば子供の性格もよくわかるから、成長段階に応じた的確なアドバイスもそれだけできやすくなる。わが子の場合、「子供時代、十分遊べなかった」という不満はゼロのはずで、人間にとってそういう“納得感”というのは人格形成上、案外重要な意味をもつのです。

 だから、地方から都会に出ている人はお盆休み、おじいちゃん、おばあちゃんに孫の顔を見せに帰省する人が多いでしょうが、その際は子供に自分が昔やっていた魚とりの方法を教えるとかしてあげれば、子供たちはただ家でスイカを食べているよりずっと喜ぶでしょう。そうでない都会育ちの人も、家族で自然と直接触れ合えるキャンプなどされてはいかがでしょう? どちらの場合も、そこに無神経にゴミなど捨てないよう、「公徳心」教育もちゃんとしていただきたいのは言うまでもありませんが(前に神奈川県かどこかで、上流の山の方が大雨になっているのに、そのまま河原でキャンプしていて、増水した水に流されて死者が出るという事故があったので、そのあたり必要な予備知識はちゃんと備えておいていただきたいと思いますが)。


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