いつまで入試制度の“改悪”を重ねれば気がすむのか?

2017.07.12.17:08

 こちらも書いておきたくなったので、異例ながら連投します。

 以下は、「新大学テストでの英語 受験生の負担増が心配だ」と題された7月12日付毎日新聞社説の全文です。

 3年後にスムーズな大学入試改革を実現するため、なお検討を重ねるべきだろう。
 大学入試センター試験に代わって2020年度に実施する「大学入学共通テスト」の実施方針を文部科学省がまとめた。
 英語は23年度までの4年間、現在のマークシート式と、英検やTOEFLなど、民間の試験を併存させることになった。
 大学がどちらか一方を、または両方を利用できるようにする。24年度からは民間試験に完全移行する。
 20年度から民間試験に一本化する案も検討されたが、急な制度変更を懸念する高校などの声に配慮したということだろう。だが、試験制度が複雑になるため混乱が生じないか、不安がつきまとう。
 まず心配なのは、受験生の負担増だ。両方の試験をどう使うかは、大学が選択する。志望する複数の大学が民間試験とマーク式の異なる試験を課せば、受験生は両方の準備が必要になってしまう。
 試験結果の公平な評価を、どう確保するかも課題となる。大学で両方の試験の選択型を採用した場合、もともと性質の異なる2種類の結果を比較しなければならないからだ。
 民間試験も課題は残されている。文科省が例示する民間試験は8種類ある。たとえばTOEFLは留学を、TOEICはビジネスを想定した試験だ。目的や内容、難易度も一律ではない。
 入試に際しては、実施団体が採点し、国際基準の「CEFR」(セファール)の6段階評価に当てはめる。だが、得点がどの段階に当たるのかは各団体が決める。やはり公平に評価できるのかが問題になる。
 民間試験の場合、受験料の負担や、試験会場などで受験機会に格差が生じる懸念もある。環境整備に早急に取り組む必要がある。
 国語と数学では記述式問題の導入が決まった。だが、採点基準など詳細を詰めるのはこれからだ。
 文科省は11月に5万人規模のプレテストを実施して、問題点を洗い出していくという。
 大学側には、新制度が円滑に始動できるか、なお不安が根強い。見切り発車にならぬよう、しっかりとした検証と計画の策定が欠かせない。


 駄目な役所の特徴は、何かしろと言われて、軽挙妄動し、明確な見通しもないまま、何が何やらわからない中途半端なことをして現場に混乱をもたらすことで、文科省のこれなんか、その典型でしょう。

 近いところでは法務省と法曹団体によるあの「司法試験制度改悪」が想起されるので、訴訟大国アメリカの猿真似でロースクールを作って合格者を大幅に増やしたものの、弁護士余りが甚だしく、食えないというので、今度は昔通りの700人に減らせ、と言い出す始末です。しかも、無駄にカネと時間ばかりかかるというので、それを避けられる予備試験の受験者が激増(ロースクール入学希望者の方は激減)し、その予備試験経由の合格者がすべての大学のロースクールを押えてトップになり、判検事の採用でも、大手法律事務所の採用でも、予備試験組が一番優秀だというので優遇されるようになっているというのだから、ほとんどマンガです。その“成果”は学部にも及んで、法学部の不人気と偏差値低下を招き、経済学部などに文系優秀層が逃げてしまう現象まで起きているのです。現実的なシュミレーションができない馬鹿の集まりが法務省と法曹団体トップなのかと、笑いものになっています。

 センター試験について言えば、そもそもその前身の「共通一次」導入が失敗だったのです。それ以前は一次と二次に分かれた試験は東大だけで、他は大学別の個別試験だけだった。しかも、共通一次より東大の一次試験の方がずっとレベルはましだった。それは機械的な丸暗記に頼らなくて済むものだったからです。

「マーク馬鹿(思考の緻密さと深さがなくなる)」という言葉が生まれて、それは名称は変わったが今のセンター試験も同じで、僕は毎年、パソコンで試験当日深夜にその年の英語問題を解くのをつねとしていますが、全くもってあれは眠たい試験です。あんなもので、語学力の適正診断など出来るわけがない。端的に言えば、センター9割でも二次の記述の得点は3割以下ということになっても何の不思議もないようなものなのです。

 まあ、昔も受験者がむやみと多かった多い私立は記号問題中心にせざるを得ず、わが母校の問題など低級知能パズルのできそこないみたいで、何たるクソ問題かと思えるようなものでしたが、幸い受験生の多くはそんなかったるいものばかり「対策」でやっているわけではなかったので、その弊害も和らげられたのです。

 とにかく今はこの「二重制度」のおかげで、受験生はセンター対策と二次の個別試験対策の二つを同時にやらねばならなくなった。これはそれ自体、余計な負担です。その分忙しくなって、ロクに読書なんかしているひまもないということになると、大学入学後モノを言う生きた学力の方は必然的に低下せざるを得ないでしょう。駅弁国公立の理系の場合、二次は英語がないところも少なくないのですが、センター英語だけで英語力を判定することは無理なので、昔の個別試験一回きりのときは当然英語も試験科目に含まれていたわけだから、そちらの方がよかったのです(これはあのセンター国語も同じです)。

 まともな大学は、今でも入試問題作成には力を入れています。自力でまともな入試問題一つ作れないような低レベルな大学は潰れてしかるべきなので、ゴチャゴチャおかしなことをやるより、センター試験=統一試験そのものを廃止してしまえばいいのです。シンプル・イズ・ビューティフル、なぜそうしないのかと不思議でなりません。その方が税金の節約にもなる(TOEFL、TOEIC対策なんて、今はふつうにどの大学でもやってますよ。その段階では遅すぎるということはない)。

 当時聞いたところでは、あの共通一次=センター導入に際しては、高校の先生たちのおかしな「要望」が大きかったのだそうで、彼らは大学の入試問題は難しすぎる、これは高校の現場教育をないがしろにするものだと文句を言ったのです。つまり、学校の授業をちゃんと聞いてさえいれば6、7割はとれるような試験にすべきだ、そしたら生徒たちも真面目に授業を受けるようになるだろう、ということだったのです。

 これも現実的思考力の欠落をよく示すもので、それでは差がつかないから、二次試験を重視して、そこで難しい問題を出題してふるいにかけるということにならざるを得ないので、受験生にとっては、新たにセンターの負担が増えただけ、という結果になったのです。

 要するに、高校教師のつまらないプライドが事態を複雑にした。ワリを食ったのは受験生たちだったのです。昔は「ふつうの」学校授業は入試の役には立たなかった。しかし、それはそれでいいので、大学、特に難しい大学を受ける連中は入試との「落差」を埋めるために自分で勝手に勉強した。それで何が悪いのかと思いますが、それでは学校教師の立場がないというのでおかしな共通テストを導入させ、結果として難関大の二次は相変わらず「学校レベル」を超えているので、受験生にとって負担は増えたが、「役に立たない」のは今も同じなのです(有名進学校のそれは別でしょうが、ここは「ふつうの公立高校」の授業を念頭に置いて言っているのです)。

 今は国公立も推薦枠を拡大しています。私立の前例に見られるように、推薦入学者の学力が低くて、その占有率が大きくなると大学の信用自体が低下してしまうというリスクはありますが、そうなると困るのは大学の方なので、当事者だからそうならないように対策は自然に講じるようになるでしょう。げんに講じているのを僕は知っているので、文科省がとやかく指図するには及ばないわけです。

 だから、改革のディティールがどうの、方向性がどうのというより、いらんことをしなければいいだけなのです。大学毎の個別試験だけに戻し、推薦制度なども独自に考案させればよい。それが受験生にとっても、大学にとっても、一番いい解決策でしょう。

 大体あの、何とか審議会とか諮問会議というのは何なのでしょう? 有識者だの文化人だの企業家だのを集めてどうのこうの言わせても、所詮は名誉欲とプライドだけ無駄に高い素人の集まりで、誰もグランド・デザインをもっている人はいないのです。そこでやることはといえば、大方は他国、とくにアメリカの猿真似(統一試験を2種に分けるなんて、完全にそれですよ)で、いじればいじるほど制度を悪くしてしまう。愚の骨頂とはこのことです。

 政府も文科省も「いらぬお世話」から手を引け。僕が一番言いたいのはそのことです。とくにノータリンの安倍政権になってからのズレた「教育制度」いじりは目に余るので、大学の文系学部潰しだの、企業の下請け化だの、僕は腹の立てどおしです。幸いあの政権はもうじき潰れますが、この際だから、こういうのは全部白紙に戻してしまえばいいのです。僕はセンター全廃主義者ですが、下手にいじり回して複雑にするよりはまだ今のままの方がマシ、と考えています。同じ意見の人は、教育関係者には多いだろうと思うのですが。

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