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自尊心と異常犯罪

2011.01.26.15:01

 ネットのニュースサイトで、「力士乱闘に衝撃発言!? 朝青龍、自分を棚に『常識ないねえ…』」という見出しを見て、思わず笑ってしまいましたが、今度はグルジア出身の力士が二人、早朝のインド料理店で乱闘騒ぎを演じたとか(相撲協会も今はあれこれ尻拭いに追われて大変です)。その事件に来日中の朝青龍がコメント求められて、「常識がないのかねえ…。オレには考えられない」と澄まして答えたという話です。

 ど派手な泥酔暴行事件の主(ぬし)が何を…ということで「衝撃発言」と評されたのでしょうが、何とも可笑しい。このあたりが彼のトクなところです。思慮深そうな白鵬と違って、彼には天下無敵の能天気といった風情があって、それが妙な愛嬌になっているのです。これが大真面目に、「自分の不祥事がこのような相撲界の風紀の低下を招いた面があるかと思うと、今は反省しきりです」などと優等生的なコメントをしたとしたら、皆かえってギョッとして、何か大きな天変地異の前触れではないかと心配になってしまうでしょう。

 しかし、次のようなニュースは笑えない。英会話学校講師リンゼイさん殺害事件の犯人、市橋達也が逃亡手記なるものを出版するという話で、遺族は「強い嫌悪感」を表明しているとのこと。それは当然と思われますが、その犯罪の猟奇的な異常性と逃げっぷりゆえに社会の関心を集め、大部数が見込めるからと堂々「著書」も出せるというのは、あらためて考えてみるとどうもおかしな話です(その本の印税を遺族に渡すとか、何か公益に役立てたいとか、余裕こいてそんなこと言える立場か、と思うのがふつうでしょう。ただの喧嘩沙汰とはわけが違うのです)。

 僕は、この世の中には「こういうことをやったらもう完全に終わり」というものがあると思います。市橋の場合、あまりにも下劣な犯罪で、申し開きの余地があるとは思えません。あの秋葉原の無差別殺傷事件の加藤智大なども同じです。「何でこういうことをする羽目になってしまったのか?」ということは解明されてしかるべきで、本人もそれは理解するのが望ましいと思いますが、それがすんだら、死ぬ他はないのです。その程度の“覚悟”はもって生きてもらわないと、この世界には何の緊張もないことになってしまうでしょう。何ら罪も落ち度もない善良な人を殺しておいて、自分の側の事情は最大限考慮・尊重して「寛大な措置」を期待するというのは、通らない理屈です。

 相変わらず「狂人」を装い続けて刑を逃れようとしているらしい(刑自体はすでに確定している)オウムの教祖、麻原などもそうですが、近頃は覚悟のない人殺しが増えすぎているように思われます。ひとの命は屁とも思っていないが、自分の命は惜しくてならないのです。市橋にしても、自分の命だけは惜しくて仕方がなかったので、整形を重ねてまで必死に逃げのびようとしていたのでしょう。逮捕後しばらく黙秘を決め込んだのも、罪を逃れようとしてのことです。利己的な打算能力だけはお釣りが来るほどありそうに見える。そこまで腐ったら人間はもうおしまいなので、そういうふやけきった自己愛の化け物みたいな奴に殺されたのかと思ったら、遺族はやりきれないでしょう。

 市橋の場合、解明されるべきは、「逃亡中の生活の詳細」などではなくて、殺害にいたった経緯、その病的なパーソナリティの形成過程です。秋葉原事件の加藤の場合には、「子供時代の母親の養育態度」に問題があったと本人が主張し、事件の直接のきっかけになったのもネットに自分のニセモノが現われたりして、自分の「居場所」を奪われてしまったことだと言っているそうですが、何たる幼児性かと、起こした事件の陰惨さとのあまりの落差に唖然とさせられるのです。

 加藤の場合、報道されていることが事実なら、たしかに度の過ぎた教育ママだったらしい母親に責任はあったでしょう。しかし、世の中に何の落ち度もない親など絶無と言っていいので、真の問題は、彼がいつまでも「親離れ」できなかったところにあります。要するに、彼は二十代の半ばを過ぎても母親の一面的な学歴信仰と成功崇拝から一歩も外に出ることができずに、「落伍者」である自分を卑下し、世の学歴エリートや成功崇拝に毒された「社会の不公平」を呪ったのです。自分自身がその歪んだ価値観の一部であったという自覚はない。高校入学後も成績が低下せず、学校秀才であり続け、有名大学に入学し、有名企業に就職していれば、彼は鼻持ちならない利己的な腐れエリートになっていたことでしょう。どっちに転んでもロクなことにはならなかったわけで、それを思うと、僕には馬鹿馬鹿しい気がするのです。そこから何で外に出ることができなかったのか。挫折は彼にはそのためのいいチャンスにもなりえたはずです。酷なようですが、それは親ではなく、彼自身の責任ではありませんか。検察は死刑を求刑しているようですが、今の日本の刑罰制度ではそれは当然の対応でしょう。

 市橋の場合も医学部入試に失敗して、それが「青春の蹉跌」となり、いったん私大に入ったものの、再受験して、医学部は断念して国立の園芸学部に入学、上昇志向の強い歯科医の両親の高いプライドを彼も共有していたようですが、海外留学など、医師に代わるステータスを模索している最中に、ああいう「変態的な」殺人事件を起こしてしまったわけです。ここにも「傷ついたプライド」と「幼児性」が垣間見える。精神鑑定を行えば、彼にはこの種の犯罪者にはよく見られる「情性欠如」が認められるでしょう。知能はふつうかそれ以上だが、深い感情が欠落しているのです。物質的な過保護と虚栄心の強いナルシシスティックなパーソナリティが、深い感情との接触を困難にした。かんたんに言えばそういうことなので、おそらく彼は、指名手配の殺人容疑者となって逃亡生活を送っているときだけ、“生きている”感覚がもてるという、倒錯的な事態を経験したのではないでしょうか。彼が自己流の「整形」を試みたというような話も、表面的な目的とは別に、生命感や感情をからだを傷つけることによって確認しようとする、無意識の衝動が関係していたのではないかと思われます。リストカットなどと、そのあたりは似たところがありそうだということです。

 僕はむろん、それがこうした犯罪の「免責事由」になるとは思いません。程度の差こそあれ、生命感情の希薄化は今の文明社会の人間すべてに共通する病理のようなものだとも言えるので、現代人はそれと“誠実に”正面から取り組むことを要請されているのです。そこから貴重な多くの洞察が生まれ、パーソナリティの変容や、新たな生の次元へと導かれる発見ももたらされるのではないでしょうか。
 猟奇的な殺人に安易に走る前に、もっと自分を真剣に悩め、命をかけるならそれに賭けろ、と言いたくなるのです。深い怨恨でもあっての殺人ならともかく、安易に人を殺しておいてから、今さら「実録手記」もクソもあるかと、言いたくなるのです。

 前に人文書院から、カナダの人類学者エリオット・レイトンが書いた『大量殺人者の誕生』(中野真紀子訳)という本が出ていて、非常に面白かった記憶があるのですが、これは現代アメリカの殺人鬼たちの背景に、アメリカ社会の病理を見たもので、「現代のポスト工業化社会では、特に1960年以降に戦後の大量雇用創出の時期が終わり、急速に出世の機会が狭まったアメリカ社会において、上層労働者階級や下層中産階級が自分を永遠に締め出した中産階級への復讐として、その象徴である大学生やモデルを殺す」「工業社会における人間の商品化と人間性の剥奪は、自己の存在価値を否定された者が他者の存在価値を否定することによりこれを償うという行為を合理化する」(訳者あとがき)といった隠れた“意味”が読み取れるというものです。

 今の日本の場合には、幸いにアメリカみたいに不気味な連続殺人鬼が百人も野放しになっているということはありませんが、それは日本人が元来“草食”的であるおかげにすぎないとも言えそうなので、アメリカの基準に当てはめるなら、加藤も市橋も「上層労働者階級や下層中産階級」家庭の出であり、強い上昇志向を持ちながら、挫折し、そういう一面的な価値観しか知らないがゆえに、生き迷って人格に大きな歪みが生じるのを余儀なくされ、それがこういう犯罪へとつながった、という見方もできそうです。犬も食わない虚栄心や自尊心は自己肯定感とは似て非なるものですが、その違いを学ぼうとしない人間は、最悪の場合、こういう状況にまで落ち込んでしまうのです。

 たんに家庭の問題や精神病理学的要因だけに還元して事足れりとするのではなく、もっと広い視野と深い洞察力をもつ学者が出てきて、今のわが国のこうした不可解な“ビョーキの犯罪”を解明してくれないかなと思うのです。(レイトンのこの本、今ネットで確認すると、まだ絶版にはなっていないようです。個別・具体的な描写にもすぐれた示唆に富むよい本なので、関心のある方には一読をお勧めします。この種の問題を扱った本の中では一番読み応えがあったというのが僕の印象です。)
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