「共謀罪」に反応しないのは学校の管理教育のせい?

2017.05.20.14:34

「政府の意向に反したものは全て取り締まりたい、そのための武器がほしい、という権力の本音は何も変わっていない」

 そう語るのは元駐中国大使の丹羽宇一郎さん(78)で、これはむろん、「『共謀罪』の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が十九日、衆院法務委員会で可決された」ことを受けてのものです。詳しくは東京新聞の次の記事。

「共謀罪と共通点」警職法 59年前に横暴を阻んだ市民運動

「法案の成立を許せば『今生きている世代は、ここ五、六十年で最悪ということになる。絶対に阻止する気迫と情熱が欠けている』と警鐘を鳴らす」とありますが、自公連立政権が絶対多数を握っている上に、維新の会が賛成に回っているので、阻止はできないでしょう。

 昔みたいに、大学生を中心として若者が大反対運動を起こすということもない。必要なのは「世論の猛反発」ですが、それがないのです。今の大学生にとって重要なのはシュウカツで、そちらが順調ならまあ文句はない。そんなところでしょう。

 例の加計学園の件は、あれだけ証拠がありながら、いまだに政府は知らぬ存ぜぬを決め込み、野党がどんなに騒いでもそれは無視できるというのは驚くべきことです。末期の朴槿恵政権と違って安倍政権の支持率は下がっていない。何とも不思議です。

 まあ、まだ衆院本会議可決にはいたっていない。次に参院もある。理論的にはまだ潰すチャンスは残っているわけですが、「政府は一般市民は関係がないと言うし、僕ら(私たち)は怪しまれるようなことはしないから、それで逮捕される心配はないんじゃありませんか?」というのが「フツーの人」の反応なのでしょう。一方でスノーデン本が売れていても、今の大方の人は、とくに若者は、管理慣れしすぎているから、個人情報を把握されても、電話やメールを盗聴されても、そういうのは気にならないのかも知れません。ネットのあの薄気味の悪い「パーソナル広告」なんてものも、腹を立てるどころか「親切で便利」なんて言っていたりするようだから。一言でいえば、アホになっているのです。妙な虚栄心はあっても、独立自尊の気概などというものはない。逮捕されなきゃ別にいいんですよ、という感覚です。

 大体、政治運動、反政府運動をする人なんてのは、「偏った」人たちで、サヨクでしょう? 僕らは関係がないんで、そういう人たちが逮捕されても関係ないんです。生活の安定が大事なんで、そこそこ貯金もできて無事に暮らせるかどうかが大事なんですよ。蟻塚の蟻とおんなじだなんて言われても、そんなことは気にしません。よけいなことをして政府ににらまれ、警察がそれを“忖度”して暴走したとしても、そういう「よけいな」ことをするから悪いんで、それで人生を棒に振るなんて馬鹿じゃありませんか?

 だから、例えばヤフーのニュースサイトに出ている次のジャーナリスト・まさのあつこ氏の周到な警告記事のようなものを読んだとしても、これは本質を衝いたよくできたものだと僕は感心したのですが、何も反応しないのです。

「共謀罪」焼け太り法案強行採決

 これを読めば、それがどんなに危険なものなのか、実感できると思いますが、ここに挙げられている例はどれも政治がらみで、自分たちは市民運動の類とはそもそも「関係ない」から、どうでもいいと思うのです。それでどんどん政治がおかしくなって、しまいには自分の生活に直接影響が出てくるまでになって、その段階で初めて騒ぎ出すのですが、そのときはもう「手遅れ」なのです。他者の運命には無関心で、自分のそれに関してだけ大騒ぎするこの手の人たちは、身勝手な政治権力と同じくらい危険で、「暗黒時代の招来」に対して責任があるのだと僕は思いますが、そういう自覚はないのです。

 こういうふうになるのには、学校の管理教育も大いに貢献しているのではないかと僕は思うので、しばらく前も全日制都立の六割の高校で「地毛証明書」なるものを提出させていた、というニュースがありましたが、こういうのは例の「容儀検査」というものがあるからで、今は大方の公立中・高校でこれをやっているのです。ずいぶん前からこういうのはやっているようだから、今の四十代ぐらいから下はその経験者でしょう。僕はいっぺんもそんなものを受けた記憶はないので驚いたのですが、日の丸君が代も今は学校式典では「必須」となっているので、僕など君が代はいまだに歌詞もロクに知らないままですが、これは一度もそのようなことを強要されたことがなかったからです。大体、あんな陰気なメロディ、僕は好きではないので、これは幸いだったのですが、今はそんなことは言ってられないのです。

 今はいちいちそんなことに反発していたのでは身がもたないし、学校も卒業できないということになるのでしょう(実際、今なら卒業できていたとは思えない)。「管理慣れ」にはこういうことも関係するのです。管理されているのが常態になれば、新たな管理強化もそれだけやりやすくなる。子供の頃は、たとえそれが理不尽なものでも、学校の意向に沿った管理に反する者は罰せられるという経験をして、それが「ふつう」だと思い込んで育つと、政府の意向に沿った管理が行われ、それに反したり、逆らったりする者が処罰されるのも別に理不尽で不法なことだとは思わなくなる。罰せられる側が「悪くて愚か」だということになるのです。

 ブラック企業、ブラック職場の背景には、子供時代のブラック部活の問題が隠れているのではないか(つまり、理不尽な部活体験の記憶があるので、理不尽なブラック職場にも文句が言えず、耐え忍ぶだけになる)、という指摘がなされていますが、学校時代の度の過ぎた生徒管理が、政府の独善的な管理と暴走に抗えないオトナを作り出すのです。

 その意味では、今の学校も多いに責任があるわけで、後でこの「テロ等準備罪」(何度も言いますが、大方はテロとは無関係)なるものが悪用されて治安維持法並になったとして、後世の歴史家はそれが成立した背景を探り、「学校の管理教育の成果」として、国民がこの手のものに鈍感になり、それに明確な反対の声を上げられなかったことを大きな理由の一つとして挙げるかも知れません。

 ちなみに、この「共謀罪可決」をネットでニュース検索していて、面白い現象を見つけました。大手新聞、通信社はもとより、多くの地方新聞(目ぼしいものはほとんど全部と思われる)が批判的な論説や記事を載せているのに、あのうるさいまでにネットにはよく出てくる産経と、「日本版人民日報」と揶揄される読売の記事が全く出てこないことです。グーグルで五ページ目まで見てみたが、一つも出てこない。「安倍政権に不利なことは書かない」という両紙の“方針”の徹底ぶりには失笑させられます(「テロ等準備罪可決」にワードを変えてみると、産経の「警察現場が歓迎している」という記事が出てくる。それはあたりまえで、他でもないこの「警察現場が歓迎」というのが一番懸念されていることなのですが…)。

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