「テロ等準備罪」はなぜ必要なのか?

2017.04.26.17:29

 4月24日の朝日新聞に次のような興味深い記事が出ていました。

米NSA、日本にメール監視システム提供か 米報道

 NSAは60年以上にわたり、日本国内の少なくとも3カ所の基地で活動。日本側は施設や運用を財政的に支援するため、5億ドル以上を負担してきた。見返りに、監視機器の提供や情報の共有を行ってきたと指摘している。
 たとえば、2013年の文書では、「XKEYSCORE」と呼ばれるネット上の電子情報を幅広く収集・検索できるシステムを日本側に提供したとしている。NSAは「通常の利用者がネット上でやりとりするほぼすべて」を監視できると表現している。ただ、日本側がこのシステムをどう利用したかは明らかになっていない。


 これは意味深長です。今国会で審議されている「テロ等準備罪」(多くがテロとは無関係)は、数々の強力な反対意見にもかかわらず、与党の数の力で成立しそうですが、一連の流れを見ると、特定秘密保護法(国民に対して国家の秘密を隠し、それを暴露する者を厳罰に処す)がまずあって、次に盗聴法(正式には「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」の改悪→対象拡大)が来て、今回のこの法案というわけで、「国家機密は国民に対して隠すが、国民は犯罪に加担するおそれがあるものとして常時監視下に置かれるのだ」という「国のかたち」を法制度によって確実なものにしようとする意思が露わだからです。

 僕も頭が痛くなるのを我慢して、ネットに出ているその法案の条文にざっと目を通しましたが、煩雑の極みで、こういうのは法律学の素人にはチンプンカンプンでしょう。政府や法務省は「善良な国民がそれによって被害を受ける恐れは一切ない」と言い、日本弁護士会や法律学者の多く(野党も)は「危険きわまりない悪法だ」と批判する。どちらが正しいのか、一般国民にはわからないわけです。

 それをざっと見た印象で明確に言えるのは、これは大方はテロとは無関係で、カバーする領域が広すぎるということ、「テロ等準備罪」という名称は、安倍首相はよく野党やマスコミの批判に「不当な印象操作だ!」といってぶち切れますが、これはまさにその「印象操作」を狙った名称にすぎないということです。実態は以前三度も廃案になった「共謀罪」の焼き直しにすぎない(罪状を減らしたと言っていますが、依然として多すぎる)。

「準備段階で処罰できる新法がないと有効な防止にならない」というのは嘘です。というのも、内乱罪のような重罪に関しては、すでに刑法で「予備または陰謀をした者」への処罰が規定されているからです(78条)。法案を見ていて僕に気になったのは、「公務執行妨害罪」なども当然のように含まれていますが、これなど、行政に対する批判をしていたというだけでそれへの「準備」の疑いをかけられて、監視・盗聴される可能性があるのではないかということで、悪くすれば警察の“忖度”によってそのまま逮捕されかねないのです。私的なわずか数人の「行政監視ネットワーク」が明日は「危険な犯罪集団」に認定されるのです。

 大体が、「準備」しているかどうかを知るには早い段階から監視していなければならない。しかもこれだけ保護法益(と専門用語では言います)が広いと、監視の幅も当然広くならざるを得ない。「国民全体に網をかける」ていのいい口実になり、不正な盗聴やハッキングがバレでも、「国家と国民の安全のため」にしていたことだったと言い訳できるのです。だからこそ、「テロと何の関係がある!」という批判はあっても、対象にする犯罪をこれ以上減らしたくない。それがホンネでしょう。「広いことそれ自体に意味がある」のです。

 むろん、「監視による委縮効果」も狙っているわけですが、冒頭の朝日記事との関連でいえば、NSAから「提供」された「ネット上の電子情報を幅広く収集・検索できるシステム」を心安んじて使えるように、盗聴法とセットでこのような法律を成立させることは国家権力にとって不可欠な「準備」なのだということなのでしょう。法律お構いなしに国民の電話やネットの大規模盗聴をしていたアメリカと違って、われらが自民党は、一応「合法」かどうかを気にするだけの“ささやかな良心”は持ち合わせている、と言うべきでしょうか?

 いったんこういう法律が成立すると、強権的な政府がそれをさらに「改悪」して、思想弾圧、国民統制に悪用するようになる可能性は否定できない。いりもしない通信傍受法を、数年を経ずして「改悪」したことからもそれは十分考えられることです。最初は「忖度」と「拡大解釈」によって政府にとって好都合になるよう運用していたのが、「ええ、めんどくさい! もっと問答無用な締め付けができるように変えてしまえ!」となるのです。

 むろん、途中で改悪されなくとも、現段階ですでに「十分悪い」のですが、言いうることは国民を潜在的犯罪者、予備軍として監視(処罰を前提として)する「一億総監視社会」がすぐそこまで来ているということで、東京オリンピックもとんでもないことのダシに使われることになったものです。

 この問題に対する一般の関心は、中身がよくわからない上に森友問題のようなスキャンダルじみた側面がないので今一つのようですが、未来に及ぼす深刻な影響という点では比較にならない恐ろしさをもつので、「こんなの通しちゃっていいんですか?」とあらためて問いかけておきたくなったのです(問題は、そういうことに無関心な人はそもそもこんな記事は読まない、ということなのですが…)。

 安倍政権の「憲法改正」の真の狙いも、それを「国民主権」から「国家主権」に変えたいというところにあるのは自民のお粗末すぎる草案からして明白なので、彼の「戦前回帰」の野望は着々と実現しつつあるわけです。「家畜のようにおとなしい」今の日本のマスメディアと国民の行く末は、完全管理の養豚場か鶏舎のそれに近いものになるでしょう。どんな狭量で独善的な政権でも安心できる社会建設、それが現政権(申し分なく「狭量で独善的」な)の願いなのだと言って差し支えないだろうと思います。

【追記】新しい朝日の記事、貼っときます。

「共謀罪」法案へ反対声明 ジャーナリストら有志14人

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