かくて課外は存続する(2)

2017.04.21.10:45

 一年前に、「かくて課外は存続する~課外の『不受講届』について」という一文をここに載せました。

 それは、延岡高校はこれより先に法律違反の嫌疑を逃れるために課外(費用は別途徴収)の主催者をPTAに移していたのですが、それでも批判があるので全員に強要するのはまずいと、受講したくない生徒にのみ、「不受講届」なるものを出させることにしたという話を巡るものでした。しかし、そのやり方がいかにも姑息(配布が今年も4/10で提出締め切りが4/14と「考える時間」も異常に短い)で、これでは「『不受講届』を出す勇気のある保護者・生徒はほとんどいなかったことでしょう」と書きました。果たしてその通りになったようですが、今年はそれを出す勇気のある生徒がいたそうで、学校にとってそれは「想定外」だったので慌てたらしく、その生徒たちは学年主任の先生か何かに呼び出されて、考え直すよう「説諭」されたという話です(生徒曰く、「出る杭は打たれるんです」)。

「やっぱり…」と聞いて僕は笑ってしまったのですが、それなら初めからそんな通知出すなよと言いたくなります。そういう自覚は当校の先生たちにはないのでしょうが、これは本当は教育の根幹にかかわる重要な問題なのです。今は安倍政権の「忖度(そんたく)政治」が問題になっていますが、生徒たちが将来社会人になったとき、国家権力が憲法違反の自由侵害を行っているという批判を避けるために、国民に何かを一律強制する際、「それに従わない自由」があるという見せかけを作ったとします。しかし、ほんとは全員強制であり、従わない者は「非国民」として処罰されるとか、その反対表明によって著しい不利益を受けるということなら、「従わない自由」は空虚なタテマエでしかありません。人々はそう「忖度」して、自分の“自由意志”で「従う」ことにしたのだと、「従いたくない」本心を偽る。そういう国家を「全体主義」と呼ぶのですが、延岡高校のこういうやり方はそうしたことのいわば“予行演習”になり、全体主義国家の「忠実な臣民」養成に進んで貢献していることになるのです。それが「ふつう」で、異を唱えるのが許されないのは問題でも何でもない(実はここが問題!)のだという「刷り込み」を行っているのと同じになる。

 北朝鮮のような独裁国家ならともかく、民主主義国家においては「自分で考えて、主体的に判断し、行動できる人間になれ」と教えるのがふつうです(少なくとも高校生ともなれば)。それと反対の教育を行って、今は権力の意向が右だから右、今度は左だから左と、それを忖度して迎合するしか能のない人間をつくるのが教育なら、そんなものはない方が百はマシでしょう。そういう教育でできた“善良な”骨なしクラゲの大群は市民社会を破壊する。

 僕の言っていることがわかりますか? 延岡高校では在校生に「大学に合格した先輩方の有難いお話」を聞かせたりもします(文書で配布することもある)。「学校の方針に従っていれば間違いない」「課外と宿題をこなしていれば大丈夫」なんて紋切り型の話ばかり聞かされるのですが、あれも実態はヤラセなのです。「こういうのにまともに付き合っていたら受からないな」と思って自分であれこれ工夫して勉強して、難関大に合格しました、というような生徒にはお呼びがかからない。学校批判を平気でぶちそうな卒業生は具合が悪いからで、二番手三番手の駅弁国立の合格者より、ほんとはそういう生徒の方がずっと有益な話をしてくれるのですが、学校側は「注意深く吟味」して、そういう卒業生には話をさせないのです。これ、「延岡の常識」です。

 延岡高校では今年、現役国公立合格者が全体の七割近くにのぼったと、「過去最高」を自慢しているそうです。去年も「過去最高」だと言っていたので、今年はさらにそれを上回る「好成績」を示したというわけです(PTA会長名義で出された「不受講届について」と題された今年の配布文書にもこのことが取り上げられ、「その発展の大きな下支えとなっている」課外と讃えられている)。

 僕は去年、「近年稀に見る悪さ」だったと書きました。浪人勢がよかったものの、現役勢はとくに難関大の失敗率が顕著だったからです(当然そういう生徒は後期には受かるから、上のデータでは合格者にカウントされる)。今年はそれに輪をかけてひどかった。東大・京大・阪大はゼロ、九大も僅か二人、国立医学部は地域枠推薦の一人だけ、というのはここ十年来なかったほどの悪さなので、同学年の生徒たちは「上がいない」のだと苦笑していましたが、二年連続で“不作”が続いたのです(生徒たちの模試の成績からして、来年再来年は挽回しそうだと見られますが)。

 にもかかわらず、学校は二年連続で「過去最高」を更新したと誇らかに言う。今年の顕著な特徴は、推薦組がむやみと多かったことです。それは実に生徒数全体の三分の一近くに上った。わが零細塾ですら推薦進学が七人もいた(内訳は、国立四人、公立二人、私立指定校推薦一人)ので、こんなに推薦組が多かったことはかつてありません。今の私大は、有名どころでさえ各種推薦やエスカレーター組で入学者の五割前後を占めますが、国公立も推薦枠を拡大していて、その流れに乗ったのです。これが全員一般受験でガチンコ勝負をしていれば、かなり悲惨な結果になっていたことでしょう。「国公立合格が多いって、こういうカラクリだったんですね。私は騙されていました」と、他でもない推薦で中堅国立に合格した生徒の一人が言うので、「君の合格もその“騙し”に利用されるんだよ」と僕は笑ったのですが、推薦でカバーし、一般受験の合格者は下位国立で数を稼いだというのが実情で、どう見ても自慢になるような話ではないのです(これに対して、都会の名門公立高校などの現役進学率が高くないのは、第一志望の受験に失敗すれば、浪人して再チャレンジする生徒が多いからです)。

 柿などに豊作と不作の年があるように、子供にも学年によってそういうのがあるのだと、昔、僕の母親は言っていました。「どうも、おまえの学年は全国的に出来が悪いのではないか?」と真顔で言われた(おまえの出来が悪いのも「不作の一部」だという含意)のですが、たしかに、僕の同級生にロクなのがいないのは、オウムの教祖・麻原彰晃や現首相の安倍晋三が同学年であることからしても正しいように思われます(僕はひそかにそれに責任を感じているので、早くオウム以上に危険で有害な――それが認識できない人が多いのは憂慮すべきことです――安倍政権を倒さねばならないと思っているのですが)。

 何を言いたいのかというと、だから大学進学実績の良し悪しなども、生徒個人の資質にもよるので、いちがいに学校の指導の良し悪しでは決められないということですが、僕の知るかぎり、ああいう課外や過剰管理が生徒の学力の底上げに役立っているという証拠は何もない。むしろそれは自学自習のゆとりと意欲を奪って、伸びる芽をつんでしまっているのではないかという疑念の方が強いので、生徒たちを慢性睡眠不足に陥れる弊害も併せ考慮して、「取柄のない制度」だと繰り返し言っているのです。それなら平常授業の質とレベルを上げることに、学校側は注力すべきだと。

 あとは生徒の好きにさせればいい。勝手に自分で勉強するなり、塾に通うなり、させればいいのです(主体性のあるそういう生徒の方が大学入学後も伸びる)。「地方で塾や予備校がないから、学校がそれを肩代わりする」なんて昔言ってたらしい理屈はすでに崩壊しているのです。「経済的に貧しい家庭の生徒には不平等になる」という論理も成立しない。受験サプリ改めスタディサプリなんて廉価なネット予備校も存在するからで、パソコン一台あれば毎月千円程度の費用でそれが利用できるのです(テキスト代は別途かかるようですが)。

 ほんとのところ、ああいうのは大手スーパーの進出に続き、ネット通販の普及で価格で太刀打ちできない個人商店が潰れてしまったのと同じで、あおりを食って塾もどんどん潰れている(去年の統計によれば、他業種は減っているのに、塾の倒産・廃業だけは増えている)のですが、それは時代の趨勢というものなので仕方がない。「対面授業」のメリットと塾の個性で勝負するしかない。この商売も甘くないのです。ところが公務員教師が集まる学校の課外だけは、その必要性もないのに、実質強制で生徒に選択の余地を与えないわけで、こういうのは職権乱用と同じくそれ自体不正なことです。課外が必要と思うかどうか、アンケートを「学校への忖度は無用」と明言した上でとってごらんなさい。80%以上は「いらない」と答えるでしょう。これまでも生徒集会で何度も課外廃止に対する要望は出されました。それらは学校側から頭ごなし全部無視されて議題から外されたので、教育者としてこういう生徒対応は最悪ではありませんか? おまえらはナチスか、と言いたくなります。違うと言うのなら、それをわかるように説明してみなさい。できないでしょう。

 今のここら辺の公立高校というのは何なのか、と思います。幸いに今回転出しましたが、生徒をいわれなく「放射能」呼ばわりするような人権感覚ゼロの頭の悪すぎる教師(他にも余罪多数あり)がデカい面をしていたり、僕には理解しがたいことばかりです。宮崎県はおそらく、全国でも最も難関大進学者が少ない県の一つでしょう。どうしてそうなってしまうのかという理由の一つに、こうした非効率で理不尽な課外による長時間拘束や、生徒に対する「自由の抑圧」がある。何が不当であるかという感覚もマヒしているのではないかと思われるので、北朝鮮に疎開させられても無理なく適応できる人間を育てるのが目的だというのなら別として、根本から教育というものを考え直した方がいいでしょう。安倍政権には「権力には意向を忖度して文句を言わず、進んで服従する人材をつくる」というので表彰してもらえるかもしれませんが、そういう人材をいくら「輩出」しても、日本社会の明るい未来はつくれないのです。

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