妻をめとらば…

2017.04.10.17:16

 この歌は僕ぐらいから上の年代の人にはなじみのあるものでしょう。名調子だから、その一番目の箇所は多くの人が覚えている。作詞は与謝野鉄幹だそうですが、

妻を娶(めと)らば 才長(た)けて 見目美(みめうる)わしく 情けあり
友をえらばば 書を読みて 六分(りくぶ)の侠気(きょうき) 四分(しぶ)の熱


 こういうのはあくまで“理想”を語ったものでしょうが、「妻をもらうのなら、才能豊かで容姿端麗、愛情に満ちた女性が望ましく、友人をもつなら読書家で、男気と情熱がうまくブレンドされた、骨のある人物が望ましい」というほどの意味です。

 理想は理想としても、何としても避けたいのはこの逆で、器量がイマイチの上に、頭のネジがいくつも飛んだような見栄っ張りのお調子者を妻にしたり、無教養で利害打算だけで動くような、妙に小賢しいだけの誠実さに欠けるイエスマンばかり友にしたのでは、“一生の不作”ということになってしまうわけです。

 むろん、「類は友を呼ぶ」という諺もあるので、妻であれ友であれ、自分にふさわしい者が集まってしまうということはあるので、そこらへんはいかんともし難いところがあるのですが、若い人たちは中年になって「運命」と諦める前に、そのあたり心して、ハズレばかりになってしまわないように、それ相応の努力をすべきだということになるでしょう。

 わけても気をつけるべきはお見合いで、良家の令嬢だからといって、頭がよくてしつけもしっかりしていると思い込んではなりません。中には親の目を盗んで夜な夜なディスコに入り浸り、お勉強はさっぱりで、関心はお化粧とファッション、異性だけ、というような程度の低すぎるのもいるからで、付属だとエスカレーター式に自動的に上の大学に進学できるのがふつうなのに、出来が悪すぎてそれすら許されず、専門学校にしか行けなかった、なんてケースもあるのです。その後の就職が一流どころだったといっても、アテにはならない。それは良家の子弟なら優先的にコネ入社ができるので有名な会社だったりすることもあるので、唯一の取柄は早くから遊んでいるので酒が強く、会社では「宴会部長」として重宝されたりしたのですが、こういうのは行く末アル中に発展してしまうこともあるので要注意です。それで男関係が乱れることもある。

『人は変われる』というタイトルの本もありますが、これは「人間というのはなかなか変わらないものだ」という事実があるからで、それ相応の意識的努力があって初めてそれは可能になるものなのです。努力の嫌いな人間は結局変わらない。たまたま夫も似たような怠惰な人間だったが、こちらも毛並がよく、親や祖父の七光りで、高い社会的地位に就いたとしましょう。自分もその夫人として大きな権力をもつことになってしまうと、お里が知れては大変と、それにふさわしくふるまおうとするのですが、いかんせん中身がないので、苦しい状況に追い込まれる。僕はよく塾の生徒たちに「君らぐらいから二十代半ば頃までの十年間ぐらいは、一生で到達できる知的レベルを決定してしまうほどの重要性をもっているから、遊ぶのはむろんかまわないが、勉強すべきことは勉強し、悩むべきことは悩むというふうに、自分で考えてきちんと努力するんだよ」と言うのですが、それをしなかった人は昔の不勉強のせいで、難しい本なんかは読んでも全く理解できないし、筋道だった文章も書けなければ、まともなスピーチ一つできない。耳学問で表面的なコマギレ知識だけは集めても、それを検証する能力もなければ、有機的に関連づけて、それを生きた教養として血肉化することもできないのです。「易きにつく」性情そのままに、未熟な主観による印象だけで評価を下すことになり、周囲に「支離滅裂」の印象を与えてしまうことになる。

 権力をもつとそれを利用しようとする人間が集まるのは世の常です。賢い人だとそれにはさりげなく注意して、人を見る目も磨かれていくが、怠惰で刹那的な生活を送り、無能に磨きをかけてしまった人間は、当然劣等感が強くて自己肯定感に乏しいから、迎合に弱く、人が集まると舞い上がってしまって、自分には魅力があると思い込む。人を見分けるどころではないので、こんな利用しやすい、便利な人間はいません。それで無思慮な口利きを重ね、社会的公正を害し、世の無秩序を増幅させても、それは「世のため人のため」であり、自分は神様に呼ばれて使命を果たしているのだという自己陶酔に陥ったまま。

 甚だしきは虐待を疑われるような洗脳教育にまで「感動」し、昔の「有難い書物」など暗唱させると、「その言霊が細胞の隅々にまでしみわたって、それで芯のある人間をつくる」なんてオカルト学説を信奉して、そういうのは「不登校やニートの若者まで“治す”」効果をもつのだと主張する(おそらくは戸塚ヨットスクールなどの「教育」も、この人には同じ「感動」を呼び起こすでしょう。その弊害なんてものは想像することすらできないのです)。

 この人は、欧米の有閑マダムなども自己満足でそういうことをよくやるものですが、途上国の教育支援にも、むろん、自分が現地でその困難な活動に直接携わるなんてことは決してしないのですが、表面的にコミットし、いつ親に売り飛ばされるかわからない子供たちの「無垢な瞳」に感動するのです。それにひきかえ…と彼女は思わざるを得ない。文明国たるわが国の恵まれた子供たちは気ままに育ちすぎ、「感謝の心」をもたず、惰弱・利己的になりすぎているのではないだろうか? たしかに「子供の貧困」なるものが最近とやかく言われているが、途上国の子供たちのそれとは比較にならない。これは今の学校教育に問題があるので、教育勅語や四書五経を丸暗記させて、「芯のある人間」に育てる必要がある。戦前教育をいちがいに否定するのは間違いで、「お国のために命をささげた」若者たちの文集にも私は感動して涙したものだが、そういう崇高な、凛とした精神の美しさを今のわが国の国民は見失っている。

 年中飲み歩いている芯のないお遊びクラゲのような人間に、どうやって「芯のある」人間がわかるのだというツッコミはさておき、こういう話は飛躍の連続で、実際は全然つながっていないのですが、そんなことはご本人にはわからない。「言霊」の作用で、私の「感動」は皆様にも伝わるでしょうと、無茶苦茶な話を平気でするのです。その発展途上国の子供たちにしても、国が豊かになれば顔つきは変わってくるので、それはべつだん学校の道徳教育とは関係がないし、今の日本の子供たちにも悩みや苦しみはあるのですが、そういう入り組んだ議論は、この手のお幸せな人には理解不能なのです。

 この人は自然のもつスピリチュアルな意味にも目覚めたらしく、有機農法の農場なども作り、例によって手間ひまかかる面倒な作業はほとんど人にやらせているのでしょうが、田植え姿をホームページにアップしたりしてご満悦です。それで、あるときなどは国内の昔の歴史的対立が今にまで尾を引いていることを憂慮し、「平和」の実現のために、山口県にある自分の名前を冠した農場でとれた米を、会津の酒造会社に持ち込み、そこで酒をつくらせ、「長州と会津の仲の悪さ」をそれで解消しようと目論んだのだという。素晴らしい…。安直すぎて言葉もないほどですが、そのお酒は自分が経営するバーで飲めるので、値段は未定ですが、皆さんよろしかったらおいで下さいという話です。

「なめとんのか、おまえは!」なんて言ってはいけません。ご本人は大真面目なので、これは最近話題を独占した某幼稚園での講演の中身なのです。小学校が設立されれば、彼女はその栄(は)えある名誉校長に就任予定だったのですが、皆さんもご存じのとおり、残念なことになりました。

 一体、こういう人を何と言えばいいのか…。言いうるのは、若い女性はこういうのを他山の石として、家柄はあってもそういうものには頼らず、自分を磨くのを怠らず、将来赤恥をかいたり、「傾国のレディ」なんて呼ばれる公害をまきちらすような人間にはならないよう努めることです。男性の方は、細身(この人も若い頃はそうだった)が好みだなんて、そういうところだけで決めず、よくよく中身も見て、慎重に妻をえらぶことです。でないと自らの職を危うくすることにもなりかねないのですから。

 尚、これを書くにあたって参照したのは、次のサイトの講演(1)(2)です。それを視聴するには“大いなる忍耐”が必要なのでお薦めできませんが、念のためにソースを明示しておきます(この件に関しては、読者もいい加減ウンザリしただろうから、これが最後です)。

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