安倍首相の苦境に学ぶ“スピリチュアルな妻”への対処法

2017.04.02.12:51

「アッキード事件」は沈静化の兆しがなく、最新の週刊誌もこぞってこの問題を取り上げていますが、昭恵夫人と籠池妻とのメールのやりとりが公開されて、その中にやたら「神がかった」表現が出てくるというので、昭恵夫人のスピリチュアリズムへの入れ込みぶりにも関心が向けられているようです。

 メールに出てくるその表現というのは、「全ては必然であると思います」「神様は全てご覧になっています」「なんでこんなことになってしまったのか、神様は何を望んでいるのでしょう」「祈ります」「私には祈ることしかできません」「神様はどこに導こうとしているのか」等々(とくに「祈り」は頻出する)で、森友学園事件をはじめとする今回の夫人がらみの一連の不祥事は、別に「神様」は関係ないので、要は昭恵夫人の無責任かつ軽薄な「口利き」の乱発が引き起こした公害みたいなものではないかと大方の人は考えると思いますが、「神様に呼ばれた」と思っている夫人には、そうした口利きもすべて「神様のお導き」に従ったものだということになって、こういう事態になっても、それは「神の与え給うた試練」という解釈になってしまうのでしょう。だから「今はじっと我慢の時です。私もまだまだ追い詰められるのかもしれませんが、お互い頑張りましょう」というような籠池妻への呼びかけとなって、自分の愚かな行為を反省するとか、表に出てきて責任を取ろうというような方向には行かないのです(「私も修行。来月私の親しい人が教育勅語の本を出します。今はそういうときなのでしょう」なんて言葉も出てくることからして、その「神様」は「戦前教育の復活」を望むネトウヨ的な「神」のようですが…)。

 これには神様も大弱りで、「わしはおまえに、そんなアホなことしろと言った覚えは全然ないぞ」とあごひげをしごきながら渋面をつくっているかも知れません。昭恵夫人にしてみれば、しかし、今回の窮地も自分が馬鹿なことをしたからではなく、「神に選ばれし者」ゆえに与えられた試練で、より大きな、人知ではうかがい知れない「神の経綸」――というような言葉は昭恵夫人には難しすぎるだろうからわかりやすく言い直すと、「神様の大きな計画」の一部なのです。それは昭恵夫人のさらなる「成長」のために仕組まれている。「いや、わしにはそんな計画は全くないよ」と神様は即答しそうですが、昭恵夫人のような“スピリチュアル”な人にはそれは「ある」ことになっているのです。

 別の解釈をすれば、昭恵夫人は総理夫人という社会的地位を乱用して、森友学園の他にもあれこれ社会的公正を害するような口利きをしていたので、籠池夫妻はたしかに「ふつう」ではありませんが、こういう事件でもなければ、彼女は今後も無自覚に「善意」でそういうことを続けていたでしょう。そこで神は、そうした彼女の愚行にストップをかけるために、警告の意味で、彼女に今回の事件を贈ったのです。「ええ加減にせんかい!」と神様は言いたかったのだと、そのようにも解釈できるでしょう。

 おそらく“スピリチュアル”な解釈としては、そちらの方が正しい。僕はふだんそんな話は全くしませんが、「スピリチュアル系」の本の訳者の一人でもあって、たぶん昭恵夫人より数十倍はその方面に精しいでしょう。ただ、僕は科学や常識を尊重するので、「ありがとう」を一万回唱えれば金運がよくなり、ガンも治って、大学にも合格するとか、頭痛がしてくるような何とか教祖の支離滅裂話(今どきのカルト教祖の話にはよく科学用語が出てきて、「量子力学」がどうのと言ったりしますが、それは実は量子力学とは何の関係もなかったりするのです)に「感動」したりはしないし、「祈りを向ければ水の波動が上がって放射能が防げる」みたいなたわけた話も、それがどれほど深刻な害悪を及ぼしたかの一通りの歴史的知識もあるので、教育勅語や国家神道が素晴らしいとも思わないわけです。「日本文化」なるものを大麻と結びつけて、「『日本を取り戻す』ことは『大麻を取り戻す』ことだ」なんて飛躍しすぎた論理に同意することもない。

 けれども、昭恵夫人みたいな人は今の日本にはけっこういるのです。とくに女性に目立つ気がするので、「ビビッと来た」とか「私には直感的に『これだ』ってわかるんです」とか、よしあしの基準がそうしたたんなる主観であったりする。いい年をしたおばさんにかぎってそうだったりするので、中には「私にはエゴがないので、そういうので苦しんでいる人のことがわからないんです。『宇宙の法則』があって、私はそれに従って生きているだけなので、うまく行くんです」なんて、周りの人間がいいとこどりばかりしたがるその人の尻拭いにどんなに苦労させられているかにはおかまいなしに真面目な顔でそう言ったりするので、どん引きになってしまうのですが、昭恵夫人もこの類のお幸せな人なのでしょう。

 この種の人は複雑な社会システムとか、人間の悪の側面(自分のそれもむろん含めて)とかが全然見えていないので、事の善悪は大方自分のフィーリングで決まってしまう。論理立てて物事を考えることもしない(できない)ので、相互に連絡のない矛盾した行動を取っても平気で、単純なだけに愛すべき人物に見え、「まあ、あの人は天然ですから…」ということで周りからは大目に見られることが多いのですが、高い社会的地位などに就けると大変なことになりかねず、それが今回の「アッキード事件」の本質なのではないかと思います。「地獄への道は善意で舗装されている」ということわざは彼女のためにあると言ってもいいくらいですが、問題は、この種の穿った言葉の意味を、この手の人たちに理解させることは非常に困難だということです。

 そう理解すれば、今回の件に関しては、安倍首相は同情に値する。一般家庭の主婦ならたんなる奇行や「余計なお世話」から起きた小さなトラブルで済んだものが、総理夫人の地位にあったから、影響力も大きくて、おおごとになってしまったのです。今までは原発問題や沖縄基地問題で政府の方針に反するような行動を取り、「家庭内野党」ということで好意的に受け取られ、それが安倍政権への風当たりを小さくする効果をもたらすということで首相には好都合な側面もあったので放置していたのでしょうが、それは「たまたま」で、よく考えられた行動などでは全然なかったのです。

 こういう「神がかり妻」にはどう対応すればいいのか? よく夫婦の一方がカルト宗教に入れ込んで家庭が崩壊したというような話を聞きますが、昭恵夫人の場合には、その軽信ぶりと性格からしてそうなるおそれは大いにあるとはいえ、何か特定の団体に入れ込んだというようではまだないようです。だから、ふだんからコミュニケーションが取れていれば、「神様のおつかいとはいっても、そういうのは君の思い込みにすぎないということもあるのだから、良識というものを忘れずに、それに一致することをよく心がけていないと、善意のつもりでも悪事の片棒を担いでしまうおそれは十分ある。それを忘れないようにして、何かするときはこちらにも必ず事前に相談するようにね」と優しく諭すこともできたでしょう。森友の件は、夫もネトウヨで元は夫婦そろってその教育勅語教育を賞讃していたようだから、夫人の方は当然夫の支持が得られたものと思って行動して、それがこういう悲惨な結果になったと言えるので、要はどちらも幼稚すぎたということになってしまいそうですが、夫人がどういう人間なのかということを夫として知らなさすぎたとは言えるでしょう。

 稲田朋美防衛相もそうですが、安倍首相にはどうも、「独善的なところがあって、ちょっと生意気だが、幼稚であんまり賢くない」女性が気に入るという性格的弱点があるようです。妙にカルトがかっているという点も、この二人には共通する。そしてどちらも、一時はよかったが、後では政権に大きなダメージを与えることになった。男性にとって、女性は多かれ少なかれ不可解な存在で、同性の品定めはできても異性のそれは難しいものですが、「失敗したなあ…」というのが今の偽らざる心境ではないでしょうか。こういうのも、しかし、「神様の試練」なので、ここはごまかさずに誠実に事態に対処する他ないでしょうね。そうすれば夫婦共々、もっと「成長」できるのではないでしょうか。それこそが「神様の意図」だと、昭恵夫人流に考えれば言えるのではないかと思います。

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