受験と環境

2017.02.20.16:29

「名子役」として有名な芦田愛菜ちゃんが「偏差値70を超える私立名門中学に合格!」というのがネットでは大きなニュースになったようです。芸能界に疎い僕は、いつぞやも生徒たちに「先生はピコ太郎も知らなくて生きてるんですか!」と呆れられたのですが、これも塾で話題にならなくてよかった。アシダアイナと読んで恥をかくところだったからです。

 アメリカでは、これは一定年齢以上の人しか知らないかもしれませんが、名子役として人気を博したブルック・シールズやジョディ・フォスターの例があります。前者はプリンストン大学、後者はイェール大学に入ったから、才色兼備と騒がれたので、今は映画監督としても活躍しているジョディなどは「高校時代はロサンゼルスのリセ(註:これは厳密にはリセのロサンゼルス校と言うべきでしょうが)に在籍し、バカロレアを取得。卒業後はハーバード大学、コロンビア大学などを蹴って、イェール大学に入学した。アメリカ文学を専攻し、トニ・モリソンの論文で優秀な成績(Magna Cum Laude)で卒業した」(ウィキペディア)というから、その才媛ぶりも半端ではないのです。

 天は二物を与えず、と言いますが、しばしば与えるので、前にうちの塾でも、可愛い上に頭がいいというので、男の子たちに騒がれ、本人は迷惑がっていたようですが、ストレートで国立医学部に入った女子生徒がいました。文学好きで、歌もプロ並のうまさだというので、二物どころか五物くらいもっているように思われたのですが、「神はえこひいきする」のです(頭がいいのも道理で、両親は共に国立大出身の医師。母親は、「こんな美人の女医さんも珍しいな」という人だったので、そちらも遺伝なのです)。

 その芦田愛菜ちゃんは、実は小4の頃から中学受験塾に通っていたそうで、とくにここ数か月は毎日十時間を超える猛勉をして、栄冠を手にしたということです。先週末、週刊誌を立ち読みしたら、合格したのは女子学院と慶応中等部だったとのこと。女子学院に進んでトーダイを目指すか、手堅く慶応をえらんでそのまま慶大にエスカレーター進学するか、迷うところでしょう。ひょっとしたら、国際派女優を目指しているようでもあるので、大学はアメリカの名門を、と考えているのかもしれません。

 元は関東の塾にいたので、僕も中学受験の大変さはよく知っています。小4から塾通いをするのはふつうで、お金も親の手間も、半端でなくかかる。入試の際には面接で親の「品性」もチェックされるというので、僕みたいな人間だと「わが校の上品な校風からすれば言語道断」ということで、わが子がいくら頑張っても落とされてしまいそうです。

 今年はまだこれからですが、毎年出る「東大合格者高校ランキング」を見ると、ベストテンはつねに有名私立・国立の中高一貫校で占められています。国公立医学部も、統計を取ればそうなってしまうでしょう。京大は公立高校もぽつぽつ混じっていて、全体に特定の学校への偏りが少ない(地元占有率も低く、割と全国からバランスよく集まっている)が、いずれにせよ私立が強いことには変わりがないので、「お受験」が過熱するわけです。

 中高一貫校が大学入試に強いのは、有名難関校の場合、元々頭のいい子が集まっていて、そういうのが切磋琢磨すれば半自動的に学力も上がる、ということがまずあるのですが、他に、先行学習で五年間で六年分の課程を全部終えてしまって、高3段階では入試演習に入って、丸一年受験準備に使えるということが大きい。これに加えて、都会だと有名予備校や塾にも通えるので、万全の対策が取れるわけです。教員も、そういう学校は能力の高い教師を揃えられるので、低次元の丸暗記ばかり強いる並の公立高校とは違って生徒に刺激に富む、面白い授業を提供できる。あれやこれや、「受験に強い」のはあたりまえなのです。

 地方の並の公立高校の場合、六年分を五年で詰め込むのと違って、二年で三年分は無理だし、生徒の粒もそこまで揃っておらず、教師の質も劣るので、初めから勝ち目がない。当地の高校などの場合には、ここの「延岡の高校」コーナーに何度も書いたとおり、朝夕課外なんて余計なものまであって、内容も貧弱そのもので、その目立った効果は生徒を慢性睡眠不足に追い込むだけなので、逆に生徒の足を引っ張る結果になるのです。それでは基礎も応用もどちらも駄目ということになりかねず、いずれにせよ自分で勉強するしかないが、その時間的・内面的ゆとりもないので、たとえていうなら、何かのスポーツ部に入って、毎日過酷なうさぎ跳びの練習ばかりやらされて、身も心もクタクタになったが、かんじんのスポーツ技能の方はまるで上達しなかった、というようなものです。この鬼コーチ、その指導の非科学性をいくら説明してあげても自分の指導の正当性に固執するので、処置なしなのです。「考える力」のない教師に「考える力」のある生徒が育てられるわけはないが、「ある」つもりでいるから、始末に負えない。

 話を戻して、中学受験の場合、小学生の頃からそんなにお勉強させて大丈夫なのかという問題はあって、僕自身は昔から、その年齢では好きなだけ外で遊ばせた方がいいと考える派です。勉強は後でいくらでも取り返せるが、子供時代の楽しい遊び体験は取り返せない。私立には小学校からというのもあって、一番有名なのは慶応幼稚舎ですが、あんまり早くから同質集団の中で育つと、人間や社会の見方に偏りが生まれやすいという懸念もある。色々な家庭、能力の子供が混在するふつうの公立小中にも「世の中の実相」を学ぶという点で、それなりのメリットがあるのです(いじめは私立にもある。ある意味でそれはいっそう陰険ですが、表に出にくいというだけの話です)。

 今は公立の地盤沈下を食い止めようと、全国的に公立の中高一貫校を作る試みが行われている(宮崎県にも三校ある)ようで、そうすると受験に強い私立と同じ態勢がとれる。学費は私立と較べてずっと安いから、親の経済力にかかわらず、優秀な子供たちに私立と同じ教育を受けさせられる可能性が広がったと、一応理論的には言えます。「一応」というわけは、今は教員の社会的地位が低く、教員志望者の学力レベルも他の業種の大卒者と較べて概して見劣りする上に、公立の教員採用試験の基準は外から見ると不透明なので、それに見合った資質と能力をもつ教員が確保できるのかどうか、いくらか疑念があるからです。

 ついでに公立中高一貫校の入試について言うと、どこもかなりの高倍率になっているようですが、それは私立入試とは少し違うのだそうです。次の記事をご覧ください。

・合否を決めるのは入学試験ではなく「適性検査」

 公立中高一貫校を語るうえで忘れてならないのが、「適性検査」です。公立中高一貫校の場合、「受験」ではなく「受検」といいます。なぜかといえば、学校教育法が受験競争の低年齢化を防ぐ目的で、公立中学校は私立などで行われる「学力検査」を禁じているからです。
 そこで、私立受験のような科目別テストではなく、作文などを通して考える力や表現力など、教科を超えた総合的な思考力や表現力などを見るための「適性検査」が行われます。
「適性検査では、私立と違って、ほとんど知識量が問われることがありません。公立である以上、入試による学力選抜ということができないので、その子の思考力や学校で学んだ基礎学力を測る問題になっているといっていいでしょう。私立に比べて、小学校の勉強にプラスアルファといった感じの知識が問われる程度で、あとは思考力や計算力、作文力を鍛えることで対策ができることも魅力の一つです」と中村さんは言います。(日経DUALの記事より引用)


「私立受験のような科目別テストではなく、作文などを通して考える力や表現力など、教科を超えた総合的な思考力や表現力などを見るための『適性検査』が行われ」るとありますが、こういう「試験らしくない試験」は、実は頭のよさをはかる手段としては最も有効です。いわゆる「地頭」のよしあしは、そういうところにはっきり出るので、もしその趣旨どおりの「適正検査」が行われているなら、知識量や特殊なテクニックがモノを言う試験よりずっと効果的に優秀な子供をえらび出すことができるでしょう(そもそもが私立中学自体、「受験対策」ではカバーしきれないそういう面を見られるような試験問題づくりに苦慮しているはずですが)。

 だから公立の中高一貫校は、教員の質の問題さえクリアすれば、大学受験に関しても私立に負けない成果を出すことができるでしょう。地域差はむろんあるとしても、素質の高い生徒を集めて、それで難関大にはめったに受からないということになれば、それは教える側に問題があったということになるわけです。

 問題はそういう公立の中高一貫校もなく、私立にも見るべきものがないというような地域の子供たちで、延岡などはまさにこれに該当するのですが、環境的に不利になることは否めないので、自力本願にならざるを得ない。学校側の管理・時間拘束がきつすぎて、その「自力」の発揮まで妨げられるのは問題で、当地で半ば公然と保護者の間で語られているのは、「ああいう『指導』ではよくできる子でもせいぜい九大どまりで、阪大レベルになるともう無理。国立医学部も推薦でないと狙えない」といったことです。これは二次学力が身につかないからで、センター試験は基礎さえしっかりすれば特段の指導は必要ないし、生徒たちは何のためにあんな忙しい思いをさせられているかわからないわけです(その基礎も怪しいのは、延岡高校でも、他の教科のことは知りませんが、センターの英語が5割を切る生徒がたくさんいることからもわかります。あの試験、基礎力さえあれば7~8割は行くはずで、主要3教科の中で一番点が取りやすい)。

「せいぜい九大どまり」なんて言うと、旧帝大で九州随一の大学である九大様を馬鹿にするのか!と叱られるかもしれません。わが零細塾でも、ここ十年で九大に現役で行った生徒は八人ほどいて、いずれも優秀な生徒たちだったので、そういうつもりはないのですが、言わんとしているのは、生徒本来の資質からすると、1ランクか2ランク下の大学しか受からなくなる、少なくともそういう傾向が強い、ということです。これは教育環境というファクターでそうなってしまうので、僕は別に難関大信者でも何でもなく、それぞれの生徒がその能力に見合った大学に合格してくれれば嬉しいのですが、ふつうに考えてそれは惜しいことでしょう。逆に言うと、九大は大丈夫だろうなと見ていた生徒が、重なる疲労で途中から失速して熊大になってしまう、といったこともあるのです。そういうのは塾教師から見ると歯がゆい感じがする。中には思った以上に伸びて、当初は視界に入っていなかった上位の大学にすんなり合格する生徒もいるのですが、率直に言って、それは学校のおかげではないのです。むしろそちらの「手抜き」がうまく行って、必要な効果の上がる勉強ができたということが大きい。

 だから、前に「遺伝か環境か?」と題して書いた記事にもあるように、元々の素質、潜在能力というものは勉強に関しても大きいが、教育環境も受験には大きな影響を及ぼすので、地域によっては選択の余地があまりなくて、そういうところの子供は割を食うこともあるということです。

 こういう場合、学校がよけいな世話を焼かずに、無用な課外などは廃止して、無駄な宿題も減らし、授業では基礎の習得(たんなる暗記ではなくて理解に基づくそれ)を大事にする、というふうにしてくれれば、生徒たちは自分で勉強するゆとりがもてて、塾もいわゆる「発展学習」や入試向けの実戦力養成に傾注できるようになって助かるのですが、現実はなかなかそうは行かない。もう一つ、行き過ぎた部活の問題もあって、中には話を聞くだけで、それじゃ勉強との両立はとうてい無理だな、と思われるものもあるのです。何事もバランスを考えてやってもらわないと困る。

 前にも書いたように、今は地方でも塾があるし、スタディサプリ(受験サプリ改め)みたいな廉価のネット予備校もあって、それは経済的に余裕のない家庭の子でも無理なく利用できるので、学校が受験指導の任に当たる必要自体がなくなっているとも言えます。こう言っては失礼ながら、「生兵法は怪我の元」で、受験指導の場合には、指導する側ではなくて、それを受ける生徒の側が「怪我」させられるので、事態はいっそう深刻なのです。

 最後に、生徒や親御さん向けに言い添えておくなら、受験というのはやはり「よく準備した者が勝つ」ものです。二次試験の過去問を解かせて、その出来具合を見れば大体の予測はつくので、センターでいくらA判定が出ていても、いくら答案を文字で埋めても、これだとよくて3割の点数しかもらえないなというようなものなら、受かる道理がない。二次試験の問題というのは大学間でかなり極端な難易差があって、それは全員が同じ問題を解く模試などの偏差値では測りきれないところがあるので、実際の受験ではそのあたりをよく把握しておくこと、そしてそれに対する備えをしておくことが重要なのです(あの大学別の冠模試というのも、問題がズレたところで難しすぎたり、採点方式に疑問があったりするので、一応の参考にしかならない)。

 気をつけたいのは、本人は「かなりできた」つもりでも、実際はその半分以下の点数しかとれていないということもあることです。支離滅裂な英文和訳の文や、構文自体成立していない英作文など、実際はかぎりなく零点に近いでしょう。それでも半分ぐらいは点がもらえるのではないかというのは希望的観測というもので、そういうものに頼ってはいけないが、指摘されるまでそれがわからない人というのは案外多いものです。逆に本番後「しくじりました」と言うから、どんなことを書いたのかときくと、マイナーなミスがあるだけで、大筋は合っていて、まともな日本語にもなっているから、君が自分で思ってるほど悪くないよというケースもあって、こういうのは大方受かっている。そういうものです。

 そこらへんのことは過去問を解かせている段階で大体わかるので、いくら頑張っても単語などの知識レベルではなく、理解力レベルでここの問題は無理そうだなと思ったときは、僕は志望校替えを勧めます。むろん、他教科、たとえば数学が並外れてできて、二次でも満点近く取れそうだ(本人の希望的観測に基づくのではなしに)というのなら、また話は別です。しかし、他も人並なら、まず勝ち目はない。

 むろん、この大学のレベルなら、この問題はほとんどの受験生はできないだろうと思われるのもあって、そういう場合にはそこはできなくていいわけです。標準的、基本的な問題でおかしな答案を書かなければ無事合格する。

受験に関して一番アドバイスが必要なのは、おそらくこのあたりでしょう。そしてそうしたことも踏まえて答案の書き方、勉強の進め方で必要な自己修正(そこは素直さ、柔軟さが必要です)をやって、できる準備をきちんとした受験生は合格する。「うーん。微妙だな」と感じられるケースでは、とにかく結果を待つしかないわけですが、大方は受かるべくして受かるし、落ちるべくして落ちるので、予想外のことはあまり起きないのです(今は入試の得点開示が多くの大学で行われていて、京大、阪大の受験者あたりは今後のこともあるのでそれを事後に教えてもらっているのですが、これまでのところでは、センター判定のよしあしにかかわらず、皆二次への準備をきちんとした子たちだったので、余裕の点数で合格していました)。

 これは延岡の県立校の生徒たちについてですが、概して受験準備に入るのが遅すぎるので、これは生徒たちが課外だの部活だので多忙すぎることもむろん関係するのですが、高3の途中から飛び込みで入った生徒たちの場合には、元からよくできる子ならともかく、もっと早く来てくれれば第一志望を諦めずにすんだのに、と思うケースが多いので、本来的な能力は十分ありそうなのに時間が足りず、基礎固めも終えないうちに本番に突入ということになってしまうのです。センター試験が終わってから初めて二次の過去問を見て、その準備に入るというようなのも遅すぎる。それが本人の学力レベルからすると下の大学の場合は別として、難関大の場合なんかとくに、間に合うわけはないのです。

 むろん、早くから来ていても、教えたことが右から左に抜けていってしまう生徒もいて、「これ、前にも何度か教えなかった?」と昔のことばかり繰り返す認知症の老人になったような気分できくと、「先生はわかってないんですね。メモリーの容量が決まっているので、古いのは自動的に消去されるんです」と澄まして答える生徒がいたりするのです。「それがほんとだとすれば、先に基本的な重要なことを教えるわけだから、大事なものから順に消されていくことにならない?」と言うと、「そうです! だから模試の成績が勉強すればするほど、逆に下がっていくということにもなるんですよ」と明快に解説してくれたりする。こういう生徒はユーモアがあって面白いのですが、教師はそれを聞いて顔では笑いつつも、心では泣くのです。パソコンみたいにメモリーの増設というのはできないものなのか…。

 冗談はさておき、そういうわけなので、生徒諸君は主体性をもって、早めに準備にとりかかることです。高2の終わりまでに英数国の基礎固めぐらいはしておく。それをしないから、理社も加わってやることが増えると、何が何やらわからなくなってきて、未整理のコマギレ知識の洪水の中で溺れる羽目になるのです。たとえメモリー容量が決まっていたとしても、知識が理解に基づいて整理されると、データが圧縮されて、空き容量が増えることになるでしょう。そのためにはロクに考えもせずやみくもに詰め込むのではなく、理解して入ってくる知識に有機的な関連をもたせ、整理する努力が必要です(そういうのだと応用も利く)。二流三流の学校というのは、指導も物量作戦に頼りがちですが、そうしたやり方に振り回されていると、多忙さからやることが万事雑になり、板についた緻密な思考ができない人間になってしまう。それでは学力も伸びず、それが要求される二次の記述などにはなおさら対応できなくなるので、後で泣く羽目になるのです。そのあたり、自覚をもつことが大切です。そうすれば自分の学力的な弱点も客観視できて、次に何をやればいいのか、どういう勉強の進め方をすればいいかといったことも、おのずと見えてくるでしょう。
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