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文科省「腐敗」の深刻度

2017.02.07(17:05) 438

 そこまでひどかったのかと、ため息が出るほどです。何より深刻なのは、文科省側に事態の深刻さについての自覚が全くないらしいことで、「国家百年の計」である教育がこういう三流省庁・役人たちの手に握られているのかと思うと、誇張ではなく戦慄せざるを得ません。

 まず、天下り問題についていえば、それが禁止されて正々堂々と天下りできなくなったので、「人助けだと思って」OBが人事課と共謀して、規制の裏をかき、おいしい天下り先を斡旋していたというのですが、世間の常識からすれば、再就職先は自分で探すのがあたりまえで、「据え膳」を用意してもらうのが当然だなどと、発想自体がお役人ならではの甘さです。「人助け」というのは完全な「内輪の論理」で、そこには卑しい利己性しかない。社会に巣食うダニみたいな連中だと言っても差し支えはないでしょう。

 もう一つは、次のような記事に見られる「現役出向」の問題です。

天下りあっせん 現役出向、83大学241人 補助金巡り癒着懸念(毎日新聞)

 この問題に関しては、同じ毎日の1月26日の記事にこうありました。

 自民党の河野太郎前行革担当相は26日午前の衆院予算委員会で、文部科学省の官僚が国立大学法人に幹部として出向する「現役出向」が241人に上り、そのうち理事が76人を占めるというデータを示し、「大学は文科省の植民地になっているのではないか」と追及した。今月1日現在の数字だという。
 河野氏は「文科省は大学の運営交付金や補助金のさじ加減を握っている」と指摘。今回の天下りあっせん問題を踏まえ、現役出向をやめるよう求めた。松野博一文科相は「出向は国立大学法人の学長からの要請に基づき行われている。現場感覚を養い、行政に反映できるメリットもある」と答弁した。


 URLをつけた上の記事には、その出向先の「多い国立大一覧」が付いていて興味深いのですが、異常な多さで、大学側が予算配分の権限を握る文科省に「揉み手外交」を行っているみじめな姿が浮かぶので、「学問の独立」などどこの世界の話かという感じです。河野大臣の「植民地」という言葉は言い得て妙で、文科省側の「現場感覚を養い、行政に反映できるメリット」というのは典型的な役人の答弁にすぎません。

 大学側からすれば、出向したお役人に「好印象」をもってもらえれば、先にもグローバル大学の認定なんてわけのわからないものもありましたが、何かと便宜をはかってもらえて、好都合なわけです。役人としては、出向先で学者先生相手に権力をふるえる快感がある。「あっ、そんな態度私に取っていいんですかね? 匙加減が変わりますよ」というようなものです。「いや、そのあたりはどうぞよしなに…」と大学側は平身低頭する。そういう図式。

 お役人の側からすれば、「旧態依然たる大学の体質を変える」という自負があるのかもしれませんが、一連の報道からすると、文科省自体が腐りきっているわけです。組織ぐるみで不正を働きながら、「身内にだけ甘い」彼らにはその明確な自覚すらなかった。その程度の連中に大学改革もへちまもないだろうと思われるので、ブラックジョークとしては面白いが、真面目にそんなこと言われても、誰もまともに取り合う人はいないでしょう。

 僕は塾教師という変則的な立場で教育に関わりながら、文科省というのは一体何をしているところなのだろうと、これまでにも疑問に思うことがよくありました。大学入試制度改革一つとっても、おかしなことをやって、それでボロが目立つようになると、また新たな「改革」を思いつきだけでやろうとして、「有識者」なるものを集めて何とか諮問会議、何とか委員会を作って、テキトーとしか言いようのない「提案」を出させ、事態をさらに悪化させる。そういうことの繰り返しなのです。文科省のおかげで教育がよい方向に変わったなんて話、聞いたことがない。日本の大学の世界ランキングが下がっているという問題にしても、文科省の役人的な発想では表面的なこと、形式的なことにこだわるばかりで、本質的なことには目が行かないから、大学側の自主努力に任せておいた方が百はマシでしょう。

 いらないことをするだけだから、最低限必要な事務部門だけ残して、いったん解体してしまってはどうでしょうかね? よく教育委員会無用論が聞かれますが、その元締めたる文科省それ自体が「いらないもの」の最たるものかも知れないのです。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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