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ミシェル・ロクベール『異端カタリ派の歴史』について

2016.12.07.15:23

 前々回の記事でも少し触れましたが、十日ほどかけて、ひととおりこの分厚い歴史書を読み終えました。それから少し時間がたったので、読んでいる途中書いておきたいと思ったことも半ばは忘れてしまったのですが、そこらへんは思い出せる範囲で書いてみたいと思います(最後に、『偉大なる異端』との内容的異同についても触れるつもりです)。

 こういう本は、研究者かよほどマニアックな歴史好きでもないと全部読むのは難しいと思いますが、カタリ派の歴史に関するエポック・メイキングな著作であることはたしかで、よくぞ訳してくれました、と言いたくなるような本です。翻訳作業は半端でなく大変だったはずで、訳された武藤剛史教授には純粋に頭が下がります。数年がかりのお仕事だったでしょう。訳文も明快そのもので、文化的偉業と呼ぶにふさわしい。出した講談社も立派です。以下は、その講談社の紹介サイト。

異端カタリ派の歴史 十一世紀から十四世紀にいたる信仰、十字軍、審問

 いくらかでもカタリ派に関する知識のある人には周知のことですが、この異端宗派ほど有名な(西洋では)割にその思想・信仰の内容についての情報が乏しいものも珍しく、著者が「序」に書いているように、「彼ら自身が書いた神聖なテキストとして今日残されているのは、三つの典礼書とふたつの神学理論だけである。これらの書物が重要であることは疑いないとしても、それらが私たちに教えてくれるのは、信仰や典礼のあり方についてだけであり、彼らの内面の歴史については何も語ってくれない」のです。

 だから著者は、「カタリ派信仰のそれ自体としての価値や精神的重要性をどう考えるか、あるいは、この消え去った信仰を哀惜の念をもって思い浮かべるか、それともいまなお断罪の対象とみなすべきか、そうしたことはすべて、ひとりひとりの主観的判断に委ねられている。本書でも、そうした問題にはほとんど立ち入らないつもりである」「私の研究はもっぱら当時の資料にもとづいているが、私自身は、カタリ派を信奉する立場にも、またこの信仰を誹謗する立場にも、あえて立つつもりはない。信奉者にせよ、誹謗者にせよ、彼らは多くの場合、あらかじめ先入観をもって、そのうえじゅうぶんな情報もなしに、想像の中で勝手なイメージを膨らませているにすぎない」として、ストイックな歴史描写に徹する意図を明確にしています。

 それゆえに本書の記述は信用できる(事件の意味づけや人物の評価など、主観抜きに行うことはできないので、「完全な客観性」を求めるのは不可能ですが)と言えますが、カタリ派の思想・信仰の内容についてはほとんど触れられていないので、そういうことを期待する読者は肩透かしを食わされてしまうことになるでしょう。しかし、上記のとおり、カトリックの側からの駁論や異端審問の記録(当然ながら、そこには大きなバイアスがかかっている)を真に受けるのならともかく、その方面に関しては資料自体が極端に乏しいのです(だから、手前味噌になりますが、ガーダムの『偉大なる異端』のような本に盛り込まれた、前世記憶をもつ人たちや「霊界通信」によって得られた情報――それをどう受け取るかは読者の自由に委ねられる――が意味をもってくる)。

 しかし、最初の「序」には、「例外的」にある程度カタリ派思想についての突っ込んだ言及が見られて、そこが面白い。「善神・悪神の二元論」についての著者の理解も示されていて、それはよくある浅薄な誤解には落ち込まない、知的レベルの高さを示すものと言えるので、少し引用してみましょう。

…カタリ派の二元論は、たしかに原理的二元論、第一原理にかかわる二元論であるとはいえ、単純素朴に「善神」と「悪神」を対立させるようなものではけっしてない。もしふたつの原理が力の上で対等であるならば、つまりそれぞれが、価値的にまったく対等の立場で、一方は善において、他方は悪において、互いに自由にふるまうことができるとすれば、それぞれがそれぞれにおいて自足自存していることになり、そこには真の意味における二元論は存在しないだろう。…(中略)…
 たしかにカタリ派信者たちは、悪の原理を「悪神」あるいは「異邦の神」と言ったりするが、それはあくまで言葉の綾であって、ほんとうに神だと考えているわけではまったくない。そもそも、悪の原理に言及する場合、ほとんどつねに「まことの神」と対立させる――『二原理の書』でも何度も繰り返されている――のであって、それはつまり、この悪の原理は神ではない、あるいは偽の神である、ということを言わんとしているのである。「至高にして真実の神」は、唯一ただひとりであって、その唯一性が力強く宣言される。ただし、それは善なる神の唯一性にほかならず、たしかにこの神は唯一の創造主であるが、あくまで「良き創造」の唯一の創造者なのである。この「良き創造」に含まれるのは、純粋に精神的で目に見えないもの、すなわち、天使、魂、そして「黙示録」が語っている「新しい地」と「新しい天」、つまりこの世の非物質的かつ天上的な写しである。それゆえにこそ、カタリ派の文書は、正々堂々と、「私たちは唯一なる神を信じます」と宣言することができたのだ。しかも、「天と地の造り主」という言葉さえ付け加えたのである。


 要するに、グノーシス主義でもカタリ派でも、「悪はなぜ存在するのか?」というところから「悪の原理」は構想されたので、これがどうしてカトリックからすれば「許しがたい異端」であったのかといえば、「この問題についてのカトリック教会の基本的立場は、…神は唯一の創造者、あらゆるものの第一原因にして根本原理、使徒信経によれば、『天と地の』、ニカイア信条〔第一回ニカイア公会議(325年)で作成された信条〕によれば『見える者、見えないものの』、つまりは物質的および精神的現実すべての造り主」であるからなのです。

 カトリックにしても、「人間世界に厳然と存在する悪」は認めざるを得なかったので、彼らはそこから二つの「神話」を作ることになった。一つは「神に反逆した堕天使(これが悪魔となる)」の神話であり、もう一つはその悪魔の誘惑に負けて禁断の木の実を食べてエデンの園を追放される羽目になったアダムとイブの神話で、それが人間の「原罪」なのです。

 しかし、天使も人間も「善なる全能の神」が作り給うたものなら、彼らはどうして「悪に走る」ことになったのか? それは「愚かな天使や人間」の「自由意志」によるものだと言うのですが、控えめに見てもそんなものをつくって、自分に反逆させるなどというのは、「神の悪趣味」以外の何ものでもありません。厳しい処罰を与えるためにあえて未熟な存在をつくったとしか思えないからで、どう見てもそれは「善良な神」のやることではない。処罰や虐待を快とする神なんて、「悪神」以外の何ものでもないことになってしまうでしょう(カタリ派は「愛の神」しか認めなかった)。

 ある意味でグノーシスやカタリ派は、カトリック神学の「痛いところ」を衝いているのです(それについては長くなるので省きますが、「神による創造」を前提とするかぎり、論理的な整合性では明らかに前者に分がある)。これに加えてカタリ派はカトリック教会の秘蹟を全面否認した。これは「神の代理人」としてのカトリックの権威を否定することにつながります。当時のローマ教皇は王侯たち世俗権力の上位に君臨する、いわば「王の中の王」でした。これはそうしたあり方自体、福音書の教えに反すると言えますが、「死後の魂の行方」を決定する者として、その世俗支配力に固執し、「地獄落ちの恐怖」を煽ることによってこれを維持していたのです。カタリ派はカトリックの秘蹟、教義の否定によって思想面でその土台を揺るがすと共に、そうしたローマ教皇を頂点とする権力組織そのものを「キリスト教の教えに反するもの」として批判した。カタリ派からすれば、それは「善なる神」ではなくて、「悪神」、悪魔に仕えるものとしか見えなかったのです。

 これをそのまま放置して、カタリ派が西洋世界全体に広がるようなら、カトリックはその世俗支配権力を失うしかなく、だから激しい弾圧に走ったのは当然だったと言えるのですが、カタリ派を標的として設けられた異端審問はその後も長く続き(その正式な廃止は1821年、と本書にはある。だから17世紀のガリレオもその地動説が「教会が正しいと認める天動説に反する」ということでドミニコ会士に告発され、異端審問にかけられるのを免れなかったのです)、夥しい数の犠牲者を出したにもかかわらず、結局はそれを失うことになった。世界にとっては幸いと言うべきですが、巨大な世俗支配権力としてのカトリックは、新約聖書を素直に読むなら、「逸脱」としか言いようのないグロテスクな恐怖政治の主体となり果て、その異端審問というシステムは、その後「宗教の領域から政治の場に移されることによって、驚くべき復活を遂げた」のです。「おそらく、二十世紀は、とりわけ政治的異端審問が猖獗をきわめた時代として記憶されるに違いない」と著者は述べています。

 同趣旨の記述は『偉大なる異端』の中にもあって、「ヒトラーが情報と中傷的なプロパガンダの普及のためのあらゆる装置を意のままにしたことを思うとき、異端審問の業績は真に印象深いものである。現代世界の秘密警察のいかなる組織も、その偉大な先駆者と原型を正当なものとしてそこに認めることができるのである」と記されています。独裁国家がよく使う「密告の奨励」なども、カトリックが異端弾圧のために案出したものの一つなのです。

 著者ロクベールは、カタリ派に対する「言いがかり」でしかないような誇張された俗説もあっさり否定する。「かつては、カタリ派は閉鎖的なセクトであり、その信奉者たちを世間から、また社会生活から引き離して、彼らに禁欲生活を強い、それを広めることによって、いずれは人類を消滅させることを目論んでいた、などとまことしやかに言われていた」が、よく調べてみると、「私自身もすっかり驚いたことに、そこに見出されたのは、時代と社会にしっくりおさまり、心やすらかに日々を送る、ごく普通の男女であった」というのです(著者も述べているように、こうした「見方の転換」にはデュベルノワの功績が大きかった)。

 カタリ派は自らを「カタリ派」と称したわけではなく、彼らは自らをクリスチャンと呼んでいた(聖職者を表わすパルフェという呼称についても同様。「完徳者」と訳されているそれは、元々は「完全な異端」という意味で異端審問官たちによって命名されたものにすぎず、信者たちは親しみと敬意をこめて「善き人」と呼んでいた)。彼らは権力を求めず、自らも手仕事などの仕事に励みながら、人々を助け、癒すのが使命と考えていたので、ガーダムも言うように、「原始キリスト教徒の復活を自任していた」のです。権威主義的で、官僚的強権的、そしてしばしば腐敗のきわみにあったカトリックの聖職者たちと較べて、カタリ派の聖職者は質素で明るく、民主的で、人間的な魅力があった。でなければ、そもそもあんなに人気を博したはずはないので、逆に言えば、だからこそカトリックはそれに脅威を覚えたのです(素朴な一般信者にとっては神学の差異などほとんどどうでもよかったので、一番大事だったのは聖職者の人柄です)。

 現代的な見地からすれば、カタリ派のカトリック教会の各種の秘蹟の否認も合理的な理由に基づくものばかりで、今ではよほど迷信的な人でないかぎり、カトリック信者でもその「魔術的効能」を信じる人はいないでしょう。端的に言えば、それは迷信にすぎないのです。

 おそらく今の時代では、ことに日本では、「世界の創造」を云々すること自体がナンセンスだと考える人が多いでしょう。著者も言うように、「もし世界が創造されたのではなく、すべては永遠のはじめから存在するとすれば、世界を存在に至らしめた原因ないし原理などはもともとありえなかったのであり、それゆえ、カトリックであれ、カタリ派であれ、キリスト教神学は宙に浮いた空論だということになってしまう」からです。

 要するに、神だの悪魔だのは幼稚な擬人化、自然的な諸力への人間の感情的投影の産物にすぎないということになって、科学によっても「宇宙の謎」はまだ解明されていません(おそらく永遠にそうでしょう)が、偶然の積み重ねの果てに人類も出現したのだから、そういうことを云々すること自体が馬鹿げているという話になるのです。

 それでも「世界は神がつくった」と言う方がまだしも穏当で、「人間の魂は悪魔がつくったこの物質世界に投げ込まれたのだ」というのでは、精神衛生上もよろしくない。グノーシスやカタリ派より、カトリックの方が「平和的」かつ「高級」な感じがするでしょう。

 にもかかわらず、それならどうしてカトリックは長期間にわたってあれほど非道かつ冷酷残忍な行為を働くことができたのか? それは彼らが地上における「神の代理人」であったからで、異端を弾圧、抹殺するのは「正義」だという建前があったからです。彼らは「神の名において悪魔の所業を行う」ことに矛盾を感じなかった。異端信者は「悪魔の僕(しもべ)」に他ならず、彼らを殺したり、地獄の責め苦を味合わせたりするのは「神の栄光を称える」ことと矛盾しないどころか、むしろ「当然の義務」だったのです(とくに十字軍の指揮官、シモン・ド・モンフォールのような男にとっては)。

 ここに皮肉なパラドックスがある。自分の側が絶対的に正しく、善ならば、それに敵対する側は不正で、悪であるということになって、何をしても許されるということになってしまったのです。十字軍にしても、異端審問にしても、ローマ教皇の当初の意図を超えて現場の人間が「暴走」し始め、手がつけられないものになってしまう(そのあたりもこの『異端カタリ派の歴史』には詳しい)のですが、だからといって教皇庁の罪が軽減されるというものではなく、彼らは「悪魔の力を支配のために利用する」ことをあえてしたからこそ、そうなってしまったのです(その「悪魔の力」の由来に関する理論はどうであれ)。

 独善的な信念やイデオロギーに凝り固まった人間や党派が、敵対する人や党派を敵視するあまり、非道かつ卑劣なふるまいをするのは今でもありふれたことで、「普遍的な人間心理」だと言えるかも知れず、だから「善悪は相対的なものにすぎない」という議論も出てくるわけですが、これはある意味で危険な論理です。というのも、観念やイデオロギーに完全に頭をやられてしまっている人間でないかぎり、立場からは自由に、僕らはそこに隠れた悪を認識することができるからです。これは重要な論点です。普遍的な道徳というものがもしあるとすれば、僕はそれはあると思いますが、自らの正義をふりかざして残虐行為に走ることそのものを悪だとする感性が人間にはあって、そういう「相対的なものでない」善があるとするのでなければ、この世の争いや対立は永遠に解決しない。そういう「絶対的」なものは、知性の領域にではなく、ハートの領域にある。女性聖職者を認めないカトリック教会は煩瑣な神学にとりつかれた典型的な男性優位のピラミッド組織で、だからこそそれがわからなくなってしまう陥穽に落ち込んだのだと見ることもできるでしょう。女性や子供には本来自然なものとしてある「人間らしい柔らかな感情(それは根源的な善悪の直観を含みもつ)」が、そこでは息の根を止められて、全く機能しなくなっていたのです。

 その「ハートの領域」とは、魂の、プシュケの領域と言っていいもので、今でも大小様々な犯罪(露見しないものを含めて)の背後には共通して「感情の鈍麻」という現象が観察されますが、それは人間の善性の座がその領域にあって、知性の領域にはないことを示しています。知性は本来善でも悪でもないが、魂が抑圧されて、知性がそれとは無関係に暴走し始めるとき、それは必然的に「悪魔に仕える」ものとなってしまうのです。

 現代文明が「悪魔的」なものになったのもそのためだと思われますが、「魂の救い」をその任務としたカトリックがなぜそういうものになる皮肉な結果を生んだのかといえば、彼らにとっては魂も、その救いも、たんなる「観念」でしかなくなっていたからです。彼らは「神学の高楼」の建設に多忙になったが、そうした「灰色の理論」(ゲーテの『ファウスト』の言葉を借りれば)にかまけ、官僚的な支配組織の中に住まううちに、生き生きとした自らのハートとの連絡は断たれ、その空虚な内面を補償してくれるものは権力か世俗的野心でしかなくなってしまった(彼らがそれを自覚していたとは思えませんが)。そういう人間にとっては「神の愛」なるものもカトリックの教義と組織に従順な者だけに差別的に与えられる「恩恵」にすぎない。だからそれは自らの悪が認識できない「邪悪な巨大組織」へと堕してしまったのです。

 これは現代に生きる僕らにとっても、十分に教訓的なことです。宗教にかぎらず、排他的ナショナリズムや市場資本主義の崇拝でも同じで、科学的ドグマですら、一種の「宗教」となりえるのです。独善的に自らの主義主張が正しいとし、反論を封殺し、力づくでもそれを押しつけ、人々を従わせようとするとき、僕らはそうとは知らないまま、「悪魔に魂を売り払う」羽目になるのです。かつて「神の代理人」を自称したカトリックが「悪魔の代理人」となり果てたのと同じように。

 僕はしばらく前に『チャイルド44』という映画を見て、スターリン支配下のソ連では「楽園(つまり共産主義国家ソ連)には殺人は存在しない」という建前になっていたという話に笑ってしまったのですが、スターリンぐらい「粛正」という名の殺人に熱心だった独裁者も珍しいでしょう。犯罪は「邪悪な資本主義国家特有のもの」で、「楽園」たる共産主義国家にはそんなものは存在しないのだというのは、ブラックユーモアの最たるものですが、思想統制というものが行き着くところは、きまって恐怖政治なのです。建前上「悪」は存在しないが、そういう国家社会こそ「悪の楽園」になるというパラドックスがあるのです。

 これは、「神がつくり給うたこの善き世界」の牧人を自任するカトリック教会が、その教えに反する「悪神の現世支配」を説くけしからん異端を撲滅するために、マフィアも真っ青の「粛正」に励んで、この世に地獄図絵を現出させたのと似ています。それによってかえって「悪神の支配」がリアリティをもってしまうということには、彼らは思い至らなかったのです。

 これを要するに、人間の中には神と悪魔がブレンドされていて、その配合比率は遺憾ながら後者の方がいくらか多いと言えるので、僕らはそれに努めて自覚的であるべきだということです。「権力は悪魔の力と結託する」と言ったのは、カタリ派ではなくて社会学者のマックス・ウェーバーですが、ことに権力欲にとりつかれると、人は悪魔的たらざるを得なくなるのです。

 それを防止するために近代憲法の「思想、信教、言論の自由」はある。洗脳教育の類を排し、オープンな思想表明、言論の場が確保され、かつそれによって不利益を受けないことが保障されているなら、思想統制は困難になって、力づく人を従わせることもそれだけ難しくなる。かつてのカトリックとカタリ派の対立にしても、当初はカトリックも「説得と議論によって迷い出た羊たちを元の囲いに戻そうとした」(『偉大なる異端』)のですが、それが奏功しないのに苛立って、十字軍という暴力に訴え、のちにそれでもカタリ派信仰が一向弱まらないのを見て、今度は異端審問というさらにいっそう陰湿で悪質な思想統制(死刑を含む峻烈な刑罰付きの)に乗り出したのです。「思想的に劣った異端」が「由緒ある正統」に思想戦で敗れた、というのでは全くない。それはカトリック側の政治的プロパガンダにすぎないので、それならそんな非道な暴力に訴える必要は何もなかったわけです。

 似たようなことは今後も起きうるので、そうしたことには注意しなければならないということですが、最後に、『偉大なる異端』との記述の異同についていくらか書いておきたいと思います。これは『偉大なる異端』をお読みになった人には参考になるでしょう(煩瑣なので、以後、色分けはまとまった引用文だけにします)。

 まず、異端審問所が聖ドミニコによって創設されたというガーダムの記述に関しては、訳註で「それは間違いだろう」と書いておきましたが、やはり間違いで、それはグレゴリウス九世によるというのが正しいようです。しかし、ガーダムがなぜそう考えたのか理解するヒントがこの本には出ているので、「伝統的歴史解釈のひとつの流れとして、ドミニコ会が担うこの『審問』創設の起源を聖ドミニコにまで遡らせ、それを彼の拭いえない汚点とする見方がある」と書かれています。ガーダムはそれを「踏襲」していたのです。

 しかしロクベールは、「ドミニコは異端者たちをたしかに〈追跡〉はしたが、〈迫害〉したわけではまったくな」かったとして、こうした見方が濡れ衣だったと述べています。僕はその訳註で、「異端審問官が主にドミニコ会士から登用されたのは事実で、それはドミニコが異端排除にとりわけ熱心だったこととむろん関係する」と書きましたが、これについては「ふたつの理由がある。すなわち、この会の驚くべき発展とその学識である」と述べられています。この会は、「一世代足らずの間に、意欲満々で、戦闘的ともいえる新しい活力をカトリック教会にもたらしたのであ」り、それが教皇グレゴリウス九世のお眼鏡にかなったのです。

 異端審問官の正式な名称は、「異端の腐敗堕落を審問すべく聖座より派遣される判官」だったそうで、その後「任命された者たちは、みずからの任命当初の使命を大きく逸脱し、彼ら自身の召命を裏切ることになる」のですが、とにかく「任命の動機」としては、説教修道士会(他に「説教者修道会」「説教者兄弟修道会」などとも呼ばれるようですが、ドミニコ会の正式名称)がとりわけ狂信的な連中から成っていたから、というわけではなかったのです(彼らはその「熱心さ」の裏返しとして、元々そうなる素質を隠しもっていたのだと解釈できなくもありませんが)。著者には『聖ドミニコ 黒い伝説』という未訳の本があるようですが、ここの記述からして、それはそうしたドミニコの「悪い評判」に対して同情的なものになっているのでしょう。

 もう一つ、『偉大なる異端』ではいかにも性格が悪そうな「悪役」として登場するフランス王ルイ八世の未亡人ブランシュに関しても、僕は読んで驚いたのですが、「いとこのレモン〔七世〕にたいしてある種の尊敬の念、さらには愛着の気持ちすら抱いていた」のだとされる(つまり両者は近い親戚だった)。フランス軍による派手な破壊工作は、ブランシュがそれを知らなかったはずはないとしても、彼女の命令というより、副王であるアンペール・ド・ボージュが指揮してやらせたことだったのです(その目的は「レモンを交渉の席につかせる」ことにあった)。王太后ブランシュは、「ルイ八世存命の頃の厳しい政略からはかなり後退し、…レモン七世の失権も、彼の全領地の併合も望んでいなかった」というのです。

 この本を読んで僕はあらためて驚いたのですが、当時の王や領主、貴族間の「政略結婚」の徹底ぶりはすさまじいもので、ほとんどがそれだったようです。「愛のない結婚」をトルバドゥールたちが嘆いてみせたのも無理からぬこと(そのあたりに関しては『偉大なる異端』第十二章参照)。だから姻戚関係が入り組んでいて、ややこしい。時間的にはこれよりだいぶ前になりますが、シモン・ド・モンフォール率いる十字軍と、トゥールーズ伯レモン六世+アラゴン王連合軍との「ミュレの会戦」にしても、ガーダムも言うように、その戦闘における連合軍側の敗北は「カタリズムとラングドックの希望にとっての墓場」となったのですが、なぜアラゴン王がこの戦争に加わったのかという十分な説明はなされていない。「おそらく、彼は北部フランス人が自分の領土のそばまで侵略してくるのを見たくなかったのだろう」で片づけられているのですが、アラゴン王はレモンの「義兄」(つまりその妹がレモンに嫁いでいた)だったのです。彼の参戦が遅れたのは、対イスラム軍との戦いに多忙だったからにすぎない(このアラゴン王の名、ガーダムの本ではPierreⅡとあるのでそのまま「ピエール二世」としましたが、正しくはPedro IIで、『異端カタリ派の歴史』にあるように「ペドロ二世」とするのが正しいようです。ガーダムの本にはこの手の間違いは珍しくないので気づいたところは直したつもりですが、ここも確認していれば事前に訂正が可能だったろうにと残念です)。

 他にもこの「義兄弟」の政治的利益が一致するということなどもむろんあったのですが、それでこの強力な連合軍が成立したものの、十字軍に対して圧倒的に有利に見えたにもかかわらず、アラゴン王はその「向こう見ずと騎士道精神の過剰から、モンフォール軍に無分別な強襲をかけ」(『偉大なる異端』の描写)、途中で落命する羽目になって、予想外のみじめな敗北につながったのです。

『異端カタリ派の歴史』では、このあたりのくだりは「第七章 アラゴン王ペドロ二世――勇み足」と次の「第八章 レモン六世の失脚」にまたがっていて、対教皇との駆け引きなども入って、半端でなく話は長いのですが、その戦闘シーンだけに限定すると、アラゴン王は、ふつう総大将は「後衛あるいは予備部隊にとどまるのが普通」であるのに、あえて中衛に入って、「それでも最低限の用心はしており、自分の紋章を部下の騎士の一人のそれと交換していた」のがかえって裏目に出て、落命するというサエない話になったのです。

 十字軍は王の旗を見つけると、それを持っている騎士に襲いかかった。するとペドロ二世はみずから正体を明かし、自分こそ王だと叫んだ。まさにその瞬間、彼は槍を突き刺され、即死してしまった。入り乱れた戦いのなかで、おそらくは誤って殺されたのだろう。というのも、交渉のさい、優位な立場に立てるし、また多額の身代金を要求できることから、王は殺さず、捕虜にするのがふつうであった。

 ドン・キホーテさながらで、これで流れは一気に十字軍に傾いてしまったわけで、レモン六世にとっては「義兄の蛮勇」にすべてをぶちこわされてしまったかたちです(レモンのより周到で慎重な戦略がアラゴン王の部下に「臆病者のふるまい」としてあっさり斥けられてしまったのは『偉大なる異端』にもあるとおり)。アラゴン王はその配下の武将と共に、その武勇、男らしさをトルバドゥールたち(ちなみに、この本はあくまで歴史書なので、ガーダムが書いているような、彼らの詩のミスティックな意味についての考察などはない)に賞讃されていたそうですが、その代償がこれだったのです。

『偉大なる異端』を訳すとき、調べがつかなかったので、やむなくそのままカタカナ表記にしたfaiditsは、この『異端カタリ派の歴史』では原語と共に「残党騎士」の訳語が与えられている(「異端であるとして領地を召し上げられた騎士」というガーダムの説明は正しい)。彼らがカタリ派防衛軍の中で果たした役割は、この本によれば、僕の想像以上に大きかったようです(表記ついでに言うと、コンソラメントゥム「救慰礼」は、この本では「コンソラメント」となっており、原音では「クンスロメン」だという)。

「なるほど、これはほんとはこういう話だったのか!」とわかったこともあって、マイナーな部分ですが、それも書いておくと、『偉大なる異端』p.98に、1211年の教皇使節との会談で、レモン六世は配下の貴族や騎士たちが「平民服を着て、二種類の肉しか食べてはいけないということまで」要求された、という記事がありますが、これは「肉は週二回しか食べてはならない」が正しいようです。僕もここは「何かヘンだな?」と思ったものの、原文がそうなっているのでそのまま訳したのですが、「二種類の肉」ではなく、「肉は週二回まで」なら納得がいく。前者では懲罰としてはかなり不可解なものだからです。伝承に複数あったのか、ガーダムが誤読したのか、どちらかだったのでしょう(「平民服」の箇所も、『異端カタリ派の歴史』では「苦行層に倣い、粗末な袖なしマントを着る」となっている)。

 こういう細かい異同は他にもあって、有名な「ベジエの虐殺」についても、「皆殺しにせよ!」発言は、「シトー修道院代理の教会活動家」ではなく、シトー大修道院長アルノー・アモリーその人の「直接発言」だったと、『異端カタリ派の歴史』には書かれている。要するに、事はいっそう悪質だったということです(この高名な大修道院長は、その世俗的な野心と強欲のために、協力関係にあった十字軍の指揮官、シモン・ド・モンフォールとも後に対立する。「公正」でつねに冷静な著者ロクベールも、モンフォール以上にこの人物には強い嫌悪感を抱いていたように読めます)。

 異端審問の陰惨さに関しては、僕の印象では、『偉大なる異端』に書かれている以上にひどいという感じなので、読者はあれに誇張はないと思っていただいていいと思いますが、十字軍にしても、異端審問にしても、事態がおそろしく入り組んでいたのはたしかで、教皇、現地司教、異端審問官、諸侯、フランス王(途中まで十字軍への参加を拒んだが、代替わりして関与し始めると、こちらが主役になり、完全な侵略戦争の様相を呈した)などそれぞれの勝手な思惑が入り乱れて、醜怪きわまりない歴史絵巻が展開されることになるのです。「問題なのは、カタリ派ではなく、あんた方の方だろうが」と言いたくなるほどで、『偉大なる異端』には描かれていないレモン七世のその後についても、結局は失敗に終わる彼の失地回復を目指しての権謀術数には、同情するというより、そのしつこさに呆れるのです。

 こうやって書いていくとキリがないので、これぐらいにしますが、概してガーダムの歴史記述は簡略にすぎるとしても妥当なものだと言えると思うので、有名なモンセギュール攻防戦に関しても、落城の際の二週間の猶予の意味、「カタリ派の財宝」などについての解釈(両者の違いはそこに稀覯原稿の類が含まれていたかどうかが一番大きい)は異なりますが、それはどちらが正しいかは決められない部類のものです。

『偉大なる異端』で手薄な部分は『異端カタリ派の歴史』に詳しく、一方、後者で手薄な思想方面の記述は前者に詳しい、ということで、僕としては両方読んでもらえるといいな、と思うのですが、オカルトが入るとアレルギー反応を示す人は今でも少ないことからして、両者が書店の同じ棚に並ぶことは少なく、両方の読者が重なることもあまりないでしょう。このブログ記事がその垣根をこわす役に立ってくれればいいがと思って書いてみたのですが、「昔の外国の異端宗教の話なんて興味ないので、どちらも読みません」と言われかねず、それが一番痛いところです。
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