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受験エリートの劣化

2016.12.02.13:23

 最近はそれを疑わせる事件報道が続いています。しばらく前には、千葉大医学部の学生3人が集団強姦事件で逮捕され、その前には東大生5人が類似の事件で逮捕、これらの事件の間には、一度ここでも取り上げた慶大広告研のひどいレイプ事件(その後に法学部生が駅のホームから女子学生を突き落とすというおまけつき)があり、とめどがないという印象ですが、今度は都内の名門国立高校で悪質ないじめがあって、それに対する学校の「不適切な対応」が問題になっているという報道です。以下、日経電子版の記事。

 東京学芸大は29日、東京都世田谷区の学芸大付属高校で昨年、同学年の生徒間でいじめがあったと明らかにした。被害に遭った生徒は手首の骨折や脳振盪(しんとう)を起こしていた。同大はいじめ防止対策推進法に基づき「重大事態」として文部科学省に報告するのが半年遅れたなどとして、28日付で当時の校長ら計5人を戒告などの処分にした。
 生徒側から被害届を受けて捜査していた警視庁世田谷署は今年5月、手首に骨折を負わせた生徒と、脳振盪を起こさせた生徒の2人をそれぞれ傷害容疑で書類送検した。同大の出口利定学長は記者会見で「生徒は安心して学校生活を送る権利があり、学校はそれを守る義務がある。被害生徒に深くおわびする」と謝罪した。
 同大は、第三者調査委員会の報告書の概要を公表。昨年5~9月、体育祭の練習時に被害生徒が倒されて手首を骨折したことや、その後に投げられて脳振盪を起こしたこと、複数の生徒からセミの幼虫をなめさせられたことなどの行為をいじめと認定した。
 昨年6月にいじめに関するアンケートで生徒から被害の訴えがあったほか、同9月には保護者からの申告もあったが、学校側から文科省への報告は今年3月だった。
 報告書では、いじめの申告があった昨年9月時点で既に、いじめ防止対策推進法に基づく「重大事態」に至っていたと結論づけており、同大は対応の遅れについて「重大事態に対する認識が甘かった」と述べた。同高校は全国有数の進学校として知られている。〔共同〕


 どうも話はこれだけではないようで、ヤフー知恵袋には次のような投稿もあります。すでに7月の時点で、こういう指摘がなされていたのです。

学芸大学附属高校の謹慎処分連発について

 これは今回ニュースになったものとは別件なので、相当ひどい状態になっているようです。ちなみに、この学校の大学進学実績を調べてみると、2016年度で、これは浪人も含めた総数ですが、東大が57人、一橋19人、東工大13人、東北大10人、京大9人、その他有名国立大たくさんで、国公立医学部も、こちらは圧倒的に浪人が多いとはいえ、40人の合格者を出しています(早慶はそれぞれ177と148人で、実進学者数は46と54)。一学年は350人前後。

 上の知恵袋の記事にもあるように、最近は「落ち目」になっていて、焦った学校はあの手この手で生徒管理を強化すると共に、土曜講座なども始めた由。僕はそれを読みながら、「宮崎県の県立高校の真似をし出したのか?」と思わず笑ってしまった(そのうち朝夕課外も導入する?)のですが、要するに、以前は飛び抜けてよくできる生徒が多く入学していたのが、最近は都立の日比谷など、他に流れるようになって、これまでの大学進学実績が維持できなくなることを恐れて、管理強化に舵を切り、ところがそれが裏目に出て、不評がさらに広がると共に、生徒の不祥事も逆に増えてしまった、ということなのでしょう。

 にしても、田舎の人間からすれば、「ぜいたく言いなさんな」という感じで、上記の進学実績など、宮崎県の高校全部のそれを合わせても、難関大合格者数ではここ一つに完敗ということになるので、何でもっとおおらかになれないのだと不思議です。

 また、入学する生徒の学力レベルが下がっているから管理を強化して、勉強時間を増やさせる、というのも頭が悪すぎる。ここのブログ記事でも読めば、そういうのは何の役にも立たないことがわかるでしょう。生徒の自発性を損なうような管理と無理強いほど、学力伸長に有害なものはないのです。

 話をモラル面に戻して、落ち目だろうと何だろうと、これだけの進学実績を示しているのだから、学芸大附属高校が「未来のエリート」養成校であることはたしかで、にもかかわらず、あまりにも次元の低いこのようないじめ事件を起こすとは、嘆かわしいことです。同様に「隠蔽体質」の学校当局も情けない。

 これはあくまで「概して」ですが、昔の秀才は少なくとも高校ぐらいの時点では、お勉強ができるというだけでなく、人格・教養面でもすぐれていて人望がある、ということが多かったような気がするのですが、そういう常識はもはや通用しなくなっているようです。むろん、かつての秀才たちも多くは社会に出て日本的タコツボ組織の悪弊に染まるうちに堕落してゆく、という経過を辿ったのですが、堕落するのが今は少々早すぎるのです。初めから腐っていてどうするんだ、という感じです。

 こういうのは学校よりも家庭に、さらには家庭よりも社会の風潮に原因がある、と言えるかも知れません。学校のお勉強ができるというだけでちやほやしすぎるから、それが期せずしてバカ殿教育になってしまうのです。暗記能力が高いとか、低級知能パズルみたいな試験が得意だからといって別に大したことはないのですが、そういうものを過大視しすぎる。

 あるいは、こういうことも言えるのかも知れません。本物の秀才の場合、そんなに苦労しなくても勉強はできるから、ある程度ゆとりがあって、だから人格も歪まないが、飛び抜けて頭がいいわけではない“準秀才”の場合には、そうした秀才たちに対抗するのに早くから半端でない努力を強いられ、そればかりになってしまうから、ストレスもたまるし、他の面がなおざりになって人格的にもひずみが生じてしまうのだと。学校が管理を強化して自由を奪うようになると、なおさらそうなりやすいのです。

 たぶん色々な要因があるのでしょう。ケースバイケースで、その原因も違うのだろうと思われますが、全般に他者に対する同情や共感(これは自分のエゴイスティックな感情の他者への投影とは違います)の能力が落ちてきているのはたしかで、要するに、感情面での野蛮化、幼稚化が進んでいるのです。学習という営為が、人格的な陶冶と結びつかず、それとは無関係な平面で行われる。そしてそれに多忙になりすぎるから、人格面での成長はむしろなおざりにされてしまうのです。

 これは学校の教科学習の質とも関係するので、僕は塾教師をしながら、「こんなクソ面白くもない教科書勉強ばかり、しかも多数科目やらされる子供たちはかわいそうだな」と思うことがあります。昔と違って今は大学進学率が高いので、いやでも真面目にそれにつきあわざるを得ないのです。それは内面的な意味感とは無関係の地平で行われていて、彼らはそれに耐えねばならない。

 これまでも何度も書いたように、大学入試の英文などには内容的に面白いものがたくさんあるのですが、その前段階で、それが読めるようになるまでに退屈な勉強に耐えねばならず、学校の授業に関して言えば、そういう面白い英文などは使わないので、最初から最後まで意味感とは結びつかない無味乾燥なお勉強を強いられるのです(一部の有名進学校の場合などは、授業もかなり掘り下げた「アカデミック」なものだったりして、そこらへんかなり事情が異なるようですが)。そういうありようでは、試験の点数が上がるかどうかしか、生徒たちには楽しみがない。それは不幸なことです。

 だからといって、入試制度を知識重視から人物重視に切り替えるべきだとは、僕は思いません。人物だの人格だの、そういうものは試験で評価すべきものではないのです。基準が不明確だからだけではない、大体、試験目当てで人物・人格を良くするなんて、考えただけでも醜悪な話でしょう。それが醜悪だとわからないのは、選挙用の人格偽装に何ら後ろめたさを感じない政治家先生たちだけです。

 要は、知識面と感情的発達のバランスが悪すぎるということですが、これは親や教師の日頃の接し方でもずいぶん違ってくると思われるので、「どこに目をつけて子供たちを見ているか」です。極端なことを言えば、ガリ勉して成績はよくなっているが、その分、情緒的、人間的成長が犠牲になっているな、と思われるようなケースでは、後々その生徒は問題を起こして、自分も苦しむ羽目になるのだから、勉強よりも犠牲になっている心理的側面を懸念して、もっとゆったりさせるなどして、成績は下がっても、そちらの方を成熟させる手立てを講じる必要があるということです。

 それで落ちて浪人になったり、東大が一橋に、一橋が早慶になっても、べつだん大した問題ではないと僕は思いますが、学校や教育ママパパにしてみれば一大事で、「そんなことは断じて許容できません」ということになるのでしょう。けれども、頑張って現役で東大に入ったまではよかったが、入学後まもなく「不登校」になってしまい、アパートでゲームばかりしていて、親御さんが頭を抱える、といったケースもあるのです。ほんとは高校時代、心理的な問題を抱えている気配はあったのだが、学業を優先させて、尻を叩いてしまったのが間違いだったと後悔している、という母親の話を僕は聞いたことがあるので、今はどの大学にもカウンセリング・ルームの類が設けられていて、そこで手に負えなければ外部の精神科医に紹介、というシステムになっているようですが、「病める秀才」は増えているのです(そういうのは、もっと早い段階、高校の時なら、もっとやりようがあって、軽微にすんだのではないかと残念に思われたのですが)。

 学芸大附属のいじめ生徒たちの場合には、自分が悩むのではなく、非道なふるまいをして他の生徒を苦しめているのだからそういうのよりずっと深刻で、傍迷惑と言えると思いますが、彼らが何らかの心理的問題を抱えていることは間違いない。人を人とも思わないその未熟な性格からして、大学入学後は冒頭の強姦事件のようなことを起こしても、何ら不思議ではないでしょう。

 もう一つ、僕に不思議なのは、先の記事から判断するかぎり、明らかにそれはたんなる悪ふざけの域を越えていたのに、他の生徒たちはどうしてそれを止めることができなかったのか、ということです。

 ふつうならそのようなことは見ていて不快になるはずなので、「おまえら、いい加減にしろ」ぐらいは言いそうなものです。もう高校生なのですから。一人で言うのは勇気がいるというのなら、何人かで相談して、「もうやめた方がいいよ」ぐらいは言えるでしょう。なのにそれをしないというのが僕には不思議なのですが、「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉はもう死語になっているし、そんなよけいなことにかかずらって面倒なことになるのは、自分の学業成績や受験の心配で頭がいっぱいになっている手前、エネルギーの無駄づかい、と思ってしまうのかも知れません。「弱きを助け強きを挫く」というのも同じように死語になっているので、「ボクらはいじめの当事者ではないし、何でそんなこと言われなきゃならないんですか?」と逆ギレされかねない。

 今は何か事件報道があると、「犯人」とされた人物に非難罵倒が殺到する時代で、ネットにもすぐ揶揄・冷笑の類があふれますが、そういう人たちの多くは自分の私的な日常では理不尽を見聞きしてもだんまりを決め込んで何もしない人が多いのではないでしょうか。「叩いても安心」な人間だけ叩き、しかも自分は安全圏に身を置いているのです。そんなに「正義感」に富んだ人間が多くいるなら、いじめや不正など激減してしかるべきですが、実際は全然そうはなっていないらしいことからして、自分は何もしないのです。

 オトナの過労自殺の問題などでも、何でそんなひどい状態を上司や同僚たちは放置していたのかというのが疑問なので、それが「ありふれたこと」なら、いずれお鉢が自分に回ってきて、自分も過労死する羽目になるかも知れないのです。どう考えても頭の悪い話で、自分が可愛いのなら、苦しんでいる他者を助けていた方が自分のためにもなるのです。

 エリートであるならなおさら、自分のことにだけかまけているようでは駄目で、社会を是正し、弱い立場にある人たちを助ける気概をもっていてしかるべきだと思うですが、今の受験エリートというのは、「格差が拡大する社会の中で、いかにうまい汁が吸える側に回るか」ということが最大の関心事になっているのかも知れず、そういう志の低さを恥とするメンタリティも乏しくなっているのかも知れません。それでいてむやみと自己愛と自惚れだけは強いとなると、つける薬がなくなってしまう。僕の定義では、そういうのこそ「頭が悪い」ということになるのですが。

 昔の某法務大臣の言葉をもじって言うなら、「この程度の国民ならこの程度のエリート」ということになるのかも知れませんが、「鯛は頭から腐る」と言われるので、相次ぐ「エリートの卵」たちの不祥事は、今後の日本社会を占う不吉な前兆と言えるかも知れません。世の教育ママパパたちも、そこらへんはもっとよく考えて子育てした方がいいでしょう。いくら学校のお勉強はできても、利己的で小学生以下のモラルしかなければ、それはエリートではなく、社会にはりついたダニにすぎないのです。中身はダニでも、大事なのは外見で、高級官僚になったり、医師になったりしてくれれば、それで満足ということなのかも知れませんが、それなら親も同類と言わざるを得ないでしょう。
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