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大学に推薦で入ることの是非

2016.09.04.21:35

 台風で身動きが取れないので、久しぶりに受験関係のことを少々。

 この場合の推薦はAO入試なるものも含みますが、最近は国立でも推薦で入る生徒が増えています。0%だった東大と京大でも今年から推薦が導入されて、全体に占める比率はごく僅かなものだとはいえ、「最後の牙城」が崩れた感がありますが、旧帝大の中では名古屋大と東北大の推薦比率が割と高く、全体の2割近い。他に有名どころでは筑波は推薦が多く、ほぼ3割が推薦による入学者です。地方の国公立(とくに公立)にはもっと高いところも珍しくないので、中には5割が推薦というところさえある。難化がよく話題になる国公立医学部にもふつうの推薦に加え、地元優遇の地域枠推薦というのが設けられていることが多い。

 お受験サイトの一つ、リセマムの記事(2015.9.24)には「国立大学協会は、推薦入試やAO(アドミッション・オフィス)入試、国際バカロレア(IB)入試などについて、入学定員の30%を目標に拡大することを改革プランに盛り込んだ。平成28年度の国公立大学における推薦・AO入試の定員は15.6%」とあって、今後も拡大する見込みです。「入試の多様化」と言えば聞こえはいいが、少子化が進む中、推薦入試の枠を増やして、一般入試の定員を絞り、偏差値の低下を防ぎたいというホンネもあるのでしょう。

 私立に関しては言うまでもないことで、早慶ですら一般入試による入学者は5割前後です。これは推薦だけでなく、付属校からの進学組もいるからですが、私立の推薦には通常推薦、AO入試に加え、指定校推薦というのがあって、これは校内選考さえクリアすれば百%合格なので、受験生からすればオイシイ制度です。昔はそんなものは存在しなかったので、大学側としてはあれやこれや、「確実に入学する」生徒を増やして、一般入試の定員を減らし、偏差値を高めに維持したいという思惑が働いているのでしょう。国公立も私立も、タテマエはともかく、ホンネは「少子化で苦しい」から推薦枠を拡大する方向に向かうのです。

 ひとくちに推薦と言っても、楽なのからしんどいのまであって、今年から始まった東大・京大のそれなどは、応募条件が厳しい上、センターの高得点も必要だし、提出書類も多い、口頭試問も大変とあって、それで入学した学生たちが一般入試で入った学生と較べて見劣りすることはたぶんないだろうと思いますが、中にはテキトーで、何を基準に選定しているのか今一つよくわからないところもあります。「美人だと受かる」という風説も根拠がないわけではないので、高倍率の一般推薦など、「どうも見た目がかわいい子は合格しやすいな」というのは僕の偽らざる実感です。看護系の場合などは、面接官に女性が多いだろうから、嫉妬を買って裏目に出ることもあるかも知れませんが、おじさんが多い学科だと明らかに有利になる。前に塾の生徒に、見た目は申し分なく美人なのだが、笑うとき猫みたいに喉を鳴らしながら笑う子がいて、キャラも面白かったのですが、せっかくの美貌がそれでは台無しなので、面接のときその「喉鳴らし」はやめた方がいいとアドバイスしたことがあります。「何でですか?」「だって、君、それじゃまるで大型のドラ猫みたいだろ」「失礼な!」それで合格したところを見ると、「喉鳴らし」は自粛したのではないかと思われるのですが、逆にそれが「意外性」として受けたのでしょうか?

 冗談はさておき、もうだいぶ前に「推薦で学科能力を全く見ないのは好ましくない」という通達もどきが文科省から発せられたようで、総合問題形式の基礎学力テストだの、学科の口頭試問だのが通常の面接に加えて課されることが多く、中には大学院入試みたいに、英語と学部に関係する科目(物理だの生物だの)のかなり本格的な論述試験(一般入試よりレベルが高いのではないかと思ったこともある)が課されるところもあります。小論文というのも、むろん多い。

 そういうわけで、推薦だのAOだのといっても、大学・学部の数だけあって、いちがいには言えないのですが、一般論として言えば、推薦の方が学科能力的には楽です。センター利用推薦の場合には、センターではかなりの高得点を取らねばならないが、一般受験組は大方その程度は取っているので、二次のハードな個別学力試験が免除されるというのは大きい。小論文も、作文が得意な子には有利です。指定校推薦と来た日には、名目的な面接だけなので、学校の内申(定期テストの成績は多くの場合、学力を保証しない)がよくて、学校の覚えがめでたければ、一般受験で合格できる見込みはほぼゼロでも、間違いなく入れるのです(但し、高校側としては、それであんまり出来の悪いのを送り込むと、大学入学後劣悪な成績を取って、指定校枠が取り消されてしまう危険がある)。

 推薦を受験する場合、気をつけなければならないのは、秋の大事な一時期にあれこれの書類書きや小論文、面接の練習などに追われて、それで受かればいいが、そうでなかった場合、学科試験用の勉強がその間なおざりになるので、それで周りに差をつけられたと焦って、努力が空回りし、それがなければ成功していたかもしれない一般受験に失敗してしまうことがあることです。気落ちするなと言っても、大方の生徒はそれまで試験に落ちたことはないので、生真面目な子ほどダメージを受けやすい。

 塾としては、とにかく生徒が受かってくれればいいので、推薦受験の生徒も可能なかぎりバックアップしますが、僕個人の好みとしては、やはり一般受験でガチンコ勝負をする方がいいかなと思っています。たとえ通知表にアヒルが並んでいても(これは五段階評価のオール2という意味ですが)、当日の試験でいい成績を取りさえすれば、どんな難関大でも入れるのです。基準が明確で、潔くていい。

 わが子にだけは好みを押しつけることは許されるだろうと思ったので、僕は自分の息子には高校も大学も、一般受験で勝負しろ、と言っていました。センター利用のそれは除き、推薦は年内に結果が出ます。だから早く安心もできるのですが、ストレスとプレッシャーがかかり続ける中、それを避けずに最後までやり通すところに価値があるのです。結果はどうあれ、勝負すべきところではきっちり勝負する。それが男の美学というものだ、などとは別に言いませんでしたが、性格的に紛らわしいのがイヤというのは父子同じだったと見えて、彼はその路線を貫きました。センターが今一つで、データ的に合否が半々か少し分が悪い程度でしたが、元々二次の比重が高いのだから、条件としてはアドレナリンが出てちょうどいいのです。勝負じゃ、行けえ~。プオー(法螺貝の音)。

 しかし、よそ様の子供相手にそれでは無責任のそしりを免れないので、推薦に反対するようなことはない。それで受験の、合格のチャンスが増えるのは望ましいことだからです。「推薦で入ると、大学に入ってから授業についていけなくなるおそれはありませんか?」という生徒の質問には「基本的にそれはない」と答えます。それはモチベーションの問題で、一般入試で入っても、それが低いと落第することはあるのです。

 ついでに思い出したので書いておくと、しばらく前に「医学部学生の学力低下が問題になっている」という医学教育関係者の文章をネットで見たことがあります。医学部は難化しているのに、なぜそういうことが起こるのか? 理由は比較的単純ではないかと思います。今は成績がいいと医学部志望になることが多くて、本来の医師適性を欠いた医学部生がそのため増えているのが一つ。つまり、モチベーションが低いのです。もう一つは、他でもない「医学部の難化」にあります。並外れた秀才ならそうカリカリやらなくても受かるとして、大方はそうではないので、受験勉強一辺倒になってしまって、ゆとりがなく、日頃本を読んだり考え事をしたりといった側面がやせ細り、それが大学入学後マイナスとなって表われるのです。受験学力は試験が終われば一気に低下する。しかし、教養的な側面はそうではないので、入学後、モチベーションは低いわ、教養はないわの二重苦が彼らを襲うことになるのです。協調性のないジコチューも医学部生には多いという話を、実際に医学部に進学した元塾生から聞いたことがあります。お勉強一途で、人格的な成長がなおざりになってしまった者もまた少なくないのです。

 これは基本的に他の学部でも同じで、ガチンコの一般入試で入ったからレベルが高いというものでもない。たとえば英語などでも、昔は受験勉強はクソ面白くないからと、ペーパーバックの面白そうなのを探して読み散らかしたりと、入試には直接関係のない、ある意味で無駄な勉強をしている受験生が一定数いました(これもやり過ぎると、受験勉強の方がお留守になってしまう危険があるのですが)。大学に入ったら、好きなだけ本を読んでやろうと、それを励みに我慢しているような生徒です。こういう生徒だと、入試が終わったら学力はガタ落ちということにはなりにくい。今でもそういう若者はいるでしょうが、比率的に減っているようなので、それなら受験学力では見劣りするが、小論文で面白い答案を書いたりする生徒の方が、大学入学後の伸びしろは大きいということになるでしょう。

 まあ、一番いいのは高い教科学力もあって、プラスそういう「遊び」もあるという学生で、比率的に言えば、入試問題の性質上、タダのガリ勉では受かりにくい東大・京大あたりの学生にその両者を満たしている学生が一番多い、ということになりそうですが、無駄に科目だけ多いセンター試験を一律強制されることもあって、全般的には明らかにそうした「遊び」の豊かな学生は減っている。AO推薦では、ただの暗記秀才ではない、創造的なセンスをもつ学生がとれる、ということは言えるかもしれないので、その意味では「推薦枠の拡大」も積極的な意味をもつわけです。

 しかし、一般入試では無理そうだから推薦で何とか、という受験生の方が多いのはたしかです。「早く決めて安心したい」という対決逃避型の生徒も、推薦狙いには多い。どちらも動機は「消極的」で、むろん志望理由書や面接時の自己PRでは皆、尤もらしいことを言うのですが、就職面接の際のタヌキとキツネの化かし合いみたいなもので、「偽装」を見抜こうと、面接官はあれこれツッコミを入れたりするわけです。で、受験生の方はあらかじめそれを想定して、事前に対応を考え、こう来たら、こう答えるということも練習しておく。

 小論文の場合だと、国語力と「考える力」はある程度明確にわかるし、総合問題の類では基礎学力のあるなしは判断がつく。しかし、推薦というのはどうしても「人物試験」の色彩が強くなり、その基準は曖昧なままにとどまります。「蓼食う虫も好き好き」的な側面は免れず、何で受かったのか落ちたのか、よくわからないままなのです。

 通常の一般入試の場合は、そのあたり明確で、学科試験の点数が足りたか足りていなかったかだけです。そこで問われていること以外のことは何もわかりませんが、基準が明確なので、後腐れがない。それがああいう試験の大きなメリットです。

 僕は高校生当時、作文の類だけは得意としていたので、小論文推薦などの機会が多い今の子供たちがうらやましい気もするのですが、受けたとしても面接で落とされていた可能性大です。「反抗的かつ挑戦的で、規律を軽視し、著しく目上の人間に対する敬意に欠ける」などと「査定」されてしまうのです。学校の内申書の人物評価欄には「堅実にして、よく努力する」と書かれていたのですが、自分で時間割を作って落第しない程度ギリギリまで学校をサボっていた(当時、遅刻と早退は、たとえそれが半日単位のものでも、三回で一日分の欠席にカウントされたので、その点をフルに活用すれば毎日のようにサボっても出席日数三分の二という条件はクリアできた)ので、欠席日数の多さからしても、その人物評の虚偽性は明らかだったのです。ほとんどそれはブラックジョークみたいなものなので、担任の先生はどういうつもりであれを書いたのかと、今思い出しても笑えるのです。そういう表現は当時の「定番」だったのでしょうか?

 そんな不良はこのブログ読者にはいないかと思いますが、似たような評価が下されそうな人は、初めから受験はガチンコ勝負で行くしかないと覚悟しておいた方が賢明です。
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