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ポケモンより自然と遊べ!

2016.07.23(19:55) 396

「全く、馬鹿ではないのか…」と僕のような中高年は思ってしまいますが、世界中で「ポケモンGO」なるゲームが大ブームになっているのだという。おかげで任天堂の株価は高騰、菅官房長官は「わが国のコンテンツが広く親しまれていることは喜ばしい、今後もコンテンツの海外展開を支援したい」と喜色満面、国内でも発売され、ポケモンのキャラが首相官邸にも出現したと記者会見で告げられると、「もう見つかってるんですか?」と驚きの表情を見せたという(記者どもも、もっとマシなことを話題にしろよ)。

 僕は昔からネッシーだの、大蛇だの、コンゴの奥地にいると言われた恐竜の生き残りだの、ヒマラヤの雪男だのの話が好きだったのですが、それは人間が作ったものではないからで、「自然の神秘」というものを感じさせるからでした。ポケモンの場合は初めから人間が仕組んだもので、そんなものにいいように操られるというのは屈辱的なことに感じられますが、そういう神経は今はもうなくなっているのでしょう。

 意外性を演出するために、それは様々な場所に出現する(と言っても、スマホの画面上のことにすぎません)そうですが、アメリカではポケモンをつかまえようと原発の敷地内に無断侵入した者もいれば、ワシントンDCにあるナチスによるユダヤ人大量虐殺の資料を展示するホロコースト博物館などにも「複数のポケモン」がいて、当局はスマホの使用を慎むよう呼びかけているのだとのこと。日本では、「二十代とみられる男性が熊本地震で被災した熊本城の立ち入り禁止区域に入ろうとした。城の案内人が危険だと説明すると立ち去った。市は任天堂に、城の敷地でポケモンが現れないような措置を取るよう申し入れた。午後零時半ごろには、京都市上京区の京都御所で、大学一年の男子学生(18)が塀に近づいたため、侵入防止用の警報音が鳴り響く騒ぎがあった」(東京新聞)という。

 この分では、ビルの屋上近くの空中にポケモンが浮かんでいるようにすれば、それをつかまえようとして落下して死ぬ者も出てくるでしょう。そうなると「殺人アプリ」として禁止になるでしょうが、そういうことにでもならないかぎりこの空疎で愚劣なゲームを禁止できないというのは嘆かわしいことであると思われます。

 昔、インベーダーゲームというのがはやったことがあります。僕が喫茶店に行かなくなったのはあれがきっかけだったので、喫茶店の多くが小銭が稼げるとこれを導入するようになって、うるさくて仕方がない。雰囲気もがらりと変わってしまったので、ゆっくり人と話をしたり、店内に流れる静かな音楽を聞きながら本を読んだりする環境ではなくなってしまった。今もあるかどうかは知りませんが、東京にはルノアールのチェーン店がたくさんあって、あそこはこの愚劣なものを入れなかったので、ルノアールだと安心して入れたものです。いずれにせよ、日に二回は喫茶店に入るほどの愛好家だったのに、あれをきっかけに喫茶店から自然に足が遠のいたのです。そういう人は僕だけではなかったでしょう。ゲームをゲームセンターでやるのは一向構わないが、喫茶店のようなところに持ち込まれると、文化が破壊されてしまう(結局はあれで喫茶店商売も駄目になったのです)。

 そこらへんのけじめがなくなり始めたのはあのインベーダーゲームあたりからです。ホロコースト博物館や原爆ドームのようなところにまでポケモンを「出現」させるとなると、それは犯罪ではないかと思いますが、製作者もそれで遊ぶ人間も思わないのでしょう。その感性が僕には理解できない。一方で自爆テロや銃乱射事件が頻発し、他方ではこれなのです。軽薄と陰惨が同居している。どちらも現実逃避という点では共通しているように思われますが、いい年をした大人までが、「経済」にプラスだというので歓迎の意を表すというのは恥さらしなことです。

 今は親の世代そのものがファミコン世代でしょう。もう三十年も前、お盆に帰省していたとき、僕は従兄の一人から、今はこんな田舎でも川で遊ぶ子供の姿を見かけることはめったにないのだという話を聞かされたことがあります。今どきの子は魚とりなんてしないし、泳ぐのも川ではなく、学校のプールで泳ぐ。日がな一日川で遊んで、熱中のあまり、昼食をとりに帰るのも忘れて、後で親に大目玉を食らう、というのは昔はよくあったものですが、いまはそんなことはなくて、習い事だの塾だのもあるし、プールに短時間泳ぎに行く他は、冷房の利いた部屋で学校の宿題を片付け、あとはファミコンで遊ぶ。都会の子供と、今は大して変わらなくなっているのだという話でした。その彼らが今はもう子持ち世代になっている。

 僕は、人間は自然とのつながりを見失ったらもう終わりだと考えています。どう「終わり」なのかを説明するのは難しいが、自然への配慮が失われるだけでなく、生物としての本能が深刻なダメージを受けてしまうと思っていて、だから自分の子どもが小学生ぐらいの頃、とくに夏は川で魚とりを教えて、とことん遊ばせました。一緒に遊べる仲間がいた方がいいから、複数の家族で出かけることもよくあったのですが、いつの時代でも子供、とくに男の子はそういうことが好きなもので、遺伝なのかどうか、うちの息子はとくにそれが好きでした。もう日が暮れるからそろそろ帰るよと言っても、「もう少し」と言ってなかなか水から上がろうとしない。追いかけるターゲットもハゼからエビという具合にだんだんレベルアップして、小6から中学生(部活で休みが少ないのは残念でしたが)ぐらいになると鮎とりの手ほどきをしたのですが、魚の習性と大体のやり方を教えて後は実地にやらせるというのが僕のやり方で、そうすると試行錯誤するうちコツをつかんで自力でうまくやれるようになるのです。僕も子供の頃、父親からやり方を教わったり、年上の子たちがやるのを観察して、試行錯誤を重ねて上達しました。学校のお勉強には全く発揮されない集中力と研究心がそこには働いたので、今思い出してもあんな楽しいことはなかった。それで、わが子にもその楽しさを経験させてあげたいと思ったのです。

 高3で受験学年になった夏も、「行くか?」ときくと「うん」と言うから出かけていたので、母親は「受験生でそんなことしてる子が他にいる?」と不安げでしたが、週に一度、丸半日渓流で鮎とりに熱中するのは、そうすると自然がパワーを賦活してくれるし、気分転換としては最高なので、明らかにプラスになったのです。貴重な「技術伝承」(文明が崩壊して自然相手のサバイバルが必要になった時は役立つ?)もそうして行われるので、唯一残念だったことは、子供の頃、僕はウナギとりの名人だったのですが、今やニホンウナギはほぼ絶滅状態になっていて、昔は日本中の川にウジャウジャいたのが今は稀になってしまったので、そちらの技能(いくつもある)は教えられなかったことです。

 自然は外から眺めるものではなくて、その内側に入って、遊びながらそれとじかにつきあうことが大切です。それによって人は他では得られないことを学ぶ。むろん、今のような時代ではスマホやゲームから子供を切り離すのは難しいでしょう。わが子も小学生の頃、何かのゲームで遊んでいて、「全クリした!」と嬉しげに言うので、何のことかと聞いたら、何かのゲーム機でモンスターを全部倒すなどしてそれをクリアすると、バージョンアップして「ステージが上がる」仕組みになっているようでした。言い方が可笑しいと笑ったのですが、そういう方面のことを禁止したのでは、他の子供とつきあうのに支障が出るでしょう。しかし、そういうものしか知らないようでは困るので、昔の自然相手の遊びも、親は教えておきたいと思ったのです。実際にやってみれば、それがどんなに楽しいかがわかる。大人になってからの自然の見方にも、それは大きな影響を及ぼすはずです。

 親御さんたちは、だから、環境と事情が許すなら、夏休みは子供を自然の中で遊ばせることを考えた方がいいでしょう(それでうちの子はアトピーや喘息が治ってしまった)。但し、川でも海でも山でも、自然はそれ相応の危険性をもっています。僕も子供の頃、川で何度か死にそうになったり、一人で山の枯れ滝の高い岩壁をのぼっていて、途中でそれ以上のぼることも降りることもできない状態に陥って、叫んでも近くには誰もいないし、絶体絶命のピンチに陥ったことがありましたが、運よく助かりました(この岩登りの場合は、「もうアカンな」と思いながらふと見ると、さっきはなかった小さな切り株のようなものが見えて、手を伸ばしてそこにつかまって足の位置を変え、そうすると次の手が見つかって、何とか上まで登り切ることができたのです。危機を脱した時、あらためて恐怖がこみ上げてきて、しばらくは膝の震えが止まりませんでした)。

あれやこれや場数を踏んだおかげで、避けるべき危険や「こういう場合はこうする」ということを学習したのですが、度の過ぎた危険は子供に冒させないよう注意するとして、ある程度はヒヤリとすることも体験してこそ、自然に対するあなどりもなくなり、危険を回避する方法も学ぶものです(昔は泳いでいるとき足がつったら、いったんそのまま沈んで足をマッサージして直してからまた浮き上がれ、などと教えられたものです)。川でも海でも山でも、それぞれに個性がある。それを考えないから死人が出るような事故が今は多くなっているのではないかと思うので、その多くが自然とのつきあい方を知らないところから生じたものなのです(こんなことを書くと怒られますが、僕は小学生の息子と今は遊泳禁止になっている川のスポットで何度も泳いだことがあります。そこは流れが見た目より速く、川底がなだらかにではなく、急に深くなっているところが多いので、そういうことを計算に入れていないと予想外の事態に遭遇してパニックになり、溺れる原因になりやすいのでしょう。生きた川や海はプールとは違うのだということを、子供には教えておかねばなりません)。

 息子はすでに大学の三年ですが、今年も帰省したら一緒に恒例の鮎とりに行くつもりが、前に書いたマジカル・ヒーラーの治療に加えて、「遠隔ヒーリング」まで試みてくれた人もいて、あれやこれやのおかげでかなりよくなったとはいえ、まだ右足が元に戻らないので、難しいかなと思うのですが、川に行って遊んでいたら治ってしまうのではないかという気がしないでもありません。周りが「ちょっとよくなると、すぐ無茶をやるのがあんたの悪い癖だ!」と大反対するだろうから、希望がかなうかどうかはわかりませんが、子供がいる人もいない人も、お盆休みあたりはゆっくり自然の中で遊ばせてもらったらどうですかね。ポケモンGOなんてものより、そちらの方がずっと健全で、深みと安らぎのある体験になること請け合いです。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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