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自殺は減らせるか?

2010.12.20.06:03

 昨年、わが国は「十二年連続年間自殺者三万人超」という不名誉な記録を打ち立てました。それまではピークのときでも二万五千人台(それが戦後二度あった)だったのが、平成十年に一気に三万人を突破し、そのまま十二年も高止まりが続いたというのだから、異様と言う他ありませんが、先月下旬に知人から、面識はないが名前は知っているある人の訃報を知らされました。僕とそれほど年が離れているわけではないので、不審に思ったら、事業の資金繰りに窮した末の自殺らしいという話で、やはり多いのだなと感じたのですが、今月に入ってから、警察の調べでは後一ヶ月を残して、すでに二万九千人を超えているという新聞報道があって、この分ではまた「十三年連続」というニュースが年明けに流れることになりそうだと、あらためて奇異の感を強くしました。警察庁作成のグラフを見てみると、それ以前は大体二万~二万五千台で推移していたのが、三万~三万五千台に変わり、ちょうど目盛が一万人分カサ上げされたのと同じになっているのです。
 僕が今住んでいる延岡市の人口は十三万弱です。合併などで面積は相当広くなっているはずですが、この自殺者数を当てはめると、僅か四年間で全市の人口に相当する人の命が自殺によって消えた計算になります。人口三万程度の市町村は田舎では珍しくないと思いますが、それが毎年一つずつ、消滅していると考えることもできます。全体に散らばっているから、それが目に見えにくいというだけの話で、生物学の「大量絶滅」という言葉さえ連想してしまうほどです。

 「三万」という数字にとくに意味はないと思われますが、社会に何か大きな異変が生じているのでなければ、ベースが一気に一万人も上昇して固定化するというようなことにはならないはずで、増え方がいくら何でも異常すぎます。いきなり五割増しになったと言ってよいからです。

 統計を見ると、目立って増えているのは男性の自殺者(二万~二万五千の間を推移するようになった)で、女性も増えてはいるが、それほど急激ではない(多いときでもまだ一万未満に収まっている)。少子高齢化の進展で、病気や老いを苦にしての高齢者の自殺が激増したというわけでもないので、どの年齢層でも増加傾向にあるとはいえ、群を抜いて増えたのは中高年(45~54,55~64歳の二つの年齢層)で、これにその次の世代(35~44歳)が急迫しているという構図です。要するに、“働き盛り”の自殺者が最も多い。“働くお父さんたちに優しくない”、これは社会なのです。

 倒産やリストラで失業し、養うべき家族を抱えたまま、新たな職もなく途方に暮れるお父さん、何とか会社には残ったものの、少ない人手で前と同じかそれ以上の仕事をこなさねばならなくなり、過労によるうつや病気にかかる比較的若い層のお父さん、うち続く不況が売り上げのジリ貧をもたらして、借金がかさみ、資金繰りに窮するようになった中小零細の自営業者、等々、これに二十代後半から、四十歳くらいまでにかけての、未来に絶望した非正規労働者や失業者が加わって、「一万人のカサ上げ」になったのかなと、これは大雑把すぎる要約かもしれませんが、僕は想像するのです。

 これは、よく言われるように背景に「経済のグローバリズム」があって、仕方のない側面もありますが、うまくいっていた時代のシステムは形骸化しつつあるとはいえまだ残っているので、その既得権益にしがみついていられる人たちと、そこからはじき出されて貧民化しつつある人たちとの間の格差が大きくなりすぎて、後者(今風に言うなら「負け組」)になると、昔の全体が貧しかった頃の日本社会とは違って、感じる惨めさがずっと大きなものになってしまうといった“比較による不幸感の増大”という要素もあるのでしょう。かてて加えて、アメリカ式のミーイズムがすっかり定着してしまった今は、個々人が孤立し、社会的弱者に対するいたわりは乏しく、それも「自己責任」だなどと言われてしまう。会社に残って、無理な残業を強制されている人たちも、それを見ているから、失業や解雇を恐れて何も言えなくなり、過度なガンバリズムに陥ってしまうのでしょう。「去るも地獄、残るも地獄」とは、まさにこのことです。

 どういう対策を打てば、この経済状況が変わるのか、僕は政治家でも経済の専門家でもないのでそれはわかりませんが、一つ「素朴な疑問」があるので、それを書いてみたいと思います。

 今の日本は人件費が高すぎる。それで企業は新興国に競争で太刀打ちできないので工場を海外に移転していわゆる「産業空洞化」に陥り、国内でも正社員をギリギリまで減らして、アルバイト、パートなどの非正規雇用を増やす。財政赤字の地方自治体などでも、「実働部隊」は安価なパートに依存することが多くなり、公立学校などでも、予算は増やせないので、正規の教諭とは別に劣悪な待遇の臨時教員を増やしてしのいでいるという話です。

 それで「労働対価の不平等」という問題が出てきて、同じような仕事をしていても、身分によってかなり極端な給料の差ができてしまう。大企業と下請けにも同じような問題は存在して、大手ゼネコンはかんじんな「施工」の部分は下請けに安く丸投げして、上前をはね、テレビ局は馬鹿高い自社の社員の給料はそのままに、プロダクションに不当なまでに安く仕事をさせる。自動車メーカーなども、部品メーカーに無理な値下げ要請(実際は“脅迫”)をして、痛みは下に負わせるわけです。

 それで、大学を出た若者は皆、大企業の正社員に、役所の正規職員に、学校の正教諭になりたがるわけですが、これは要するに、「うまい汁を吸える側になりたい」ということでしかありません。問題はもう一つあって、年功序列賃金体系はまだ残っているので、若い層は大企業の正社員でも給料はそんなに高くない。高いのは中高年正社員で、これが人件費の大半を食っているわけです。それが有能ならまだしも、使い物にならないのが結構たくさんいる。これは役所や学校でも全く同じです。僕は塾の生徒たちから話を聞いていて、今の公立学校は無能教師にとっては天国みたいなものだなと、嘆息させられることがあるのです。民間の塾や予備校なら即刻クビを言い渡されそうな、月給泥棒と言われても仕方のなさような教師が、ことに中年世代に目立つのです。当然、給料は高いわけで、罪悪感を感じないのかなと、不思議でなりません。僕は前ここに延岡の二つの県立普通科高校について批判を書きましたが、それぞれの高校には、箸にも棒にもかからない50代の英語教師が一人ずついます。その無能さ、いい加減さには驚くべきものがあって、生徒たちは皆迷惑しているので、名指しで書いてやりたいぐらいですが、いくらかでも良心が残っているのなら、定年まで待たずに早期退職すべきです。退職金はそれでもたくさんもらえるし、蓄えも相応にあるだろうから、生活に困ることは全くないはずだからです。そうすれば欠員が出るから、採用試験の合格者もその分増やせる。現実を直視して、自分たちに教わる生徒の迷惑を少しは考えてみるがいいのです。公務員(彼らは地方公務員です)が公害源になったのでは、洒落にもなりません。

 しかし、そういうのにかぎって既得権益にしがみつく。会社などでも早期に辞めて独立の危険をおかすのは、有能な人たちばかりです。

 話を戻して、企業の場合は収益が、役人や公立学校の教師の場合は予算があって、その中でやりくりしなければならないのはあたりまえなのだから、問題はそれをどう配分するかで、もっと“公平の原則”に則ったやり方をすべきなのは明らかなのではないでしょうか。一番いいのは正社員の給与レベルを下げて、年功序列の昇給ラインをなだらかなものにして上限も下げ、浮いた分でパート・アルバイトは減らして、正社員の数を増やすのです。そしたら、失業者や不安定な非正規の身分の人は減り、人手不足から社員が過労に陥るということもなくなるでしょう。要するに、皆が一様に“貧乏”になればいいのです。昔はそうだったのだから。

 別に全部平等にしろ、というのではありません。生活できるだけの最低ベースは働く人皆に保障されるようにして、その上で働きに見合った凸凹をつければいいのです(子育ての関係もあるから、年齢による加算も自然な程度で残していい)。それなら多くの人が納得するでしょう。一方に働きに全く見合わない高賃金・好待遇を与えられた人がいて、他方にそれとは逆の、いつ飢え死にに追い込まれるかわからない低賃金と身分保障の全くない人がいるというのは、どう見ても異常な光景です。

 わが国はすでに“経済大国”ではなくなったのだから、それに見合ったようにシステムを変えていかねばなりません。それを立場の弱い人だけにシワ寄せしてしのごうとするから、こういうおかしなことになってしまうわけです。最低生活すらままならないような人がこんなに増えたのでは当然消費は収縮し、景気は悪くなるばかりです。それで企業がさらに人減らしをすると、職にあぶれた人がまた増え、よけい景気は落ち込むという悪循環の中にはまり込んでしまいます。また、無理な人減らしのせいで職場の労働環境は悪化するので、正社員の中にも心身を病む人が増えるのは道理なのです。

 そういうことが「自殺者の高止まり」の背景にはあるのだろうと思いますが、「赤信号、みんなで渡れば…」ではないが、皆で貧乏になってしまえば、別に「こわくない」わけでしょう。要はその「貧乏」が貧困ラインを下回ることがなければいいわけで、それは落ち目とはいえ、わが国の経済力から考えて、何も難しいことではないはずです。

 問題は上に見た「既得権益の壁」ですが、高度経済成長、バブル経済をへて、日本人は自分さえよければの利己主義が強くなりすぎたので、同じ職場で、同じような仕事をしながら待遇が全く違う人がいるのを見ても、そういうことが気にならなくなってしまったのかも知れません。自分のボーナスが減ったことには大きなショックを受けても、同じ職場の非正規社員の悲惨な待遇には心が痛まないのです。だから、彼らを助けるために立ち上がることはしない。正社員の身分を失って、自分があんなふうになったら大変だと、思うだけなのです。シンパシーがなさすぎるというか、人間が腐っているとしか言いようがない。雇用を増大させるために企業や役所の正社員が当局に自分たちの“賃下げ”を申し出、その代わり人を増やしてくれと要求したというような話は聞いたことがありません。同様に、大企業の労組が、非人道的な“下請けいじめ”を阻止すべく行動を起こしたというようなことも、聞いたことがないのです。

 中小零細企業の社員は、すでにして給料は下がるだけ下がっているので、そんな余力はないでしょうが、大企業の社員や役人たちにはそれができるはずです。ことに給料が高すぎる中高年世代には。だから、それをやったらどうかと言いたいのです。

 あんたは自営だから、そんな勝手なことが言えるのだと言われるかも知れません。しかし、僕の商売は学習塾ですが、親の負担が大きくなりすぎないように、月謝はできるだけ低く抑えているのです。地方の親は大変です。子供を都会の大学にやるには大変な費用がかかるからです。それを思えば、高くなんかできるわけがない。この世の中は助け合いです。僕が広告費に一銭もかけないですむのは、口コミで紹介してくれる人たちがいてくれるおかげなので、そのあたりは持ちつ持たれつなのです。事業を拡大して、同業者たちを圧迫するようなこともしたくない。“共生”できれば、それが一番いいのです。仮に自分が不当な迫害を受ければ、僕は戦います。そのときは相手を叩きのめすまでやるでしょうが、そのようなことが起きないかぎり、僕は平和な“草食動物”なのです。

 巷にはいわゆる「成功本」の類が氾濫していますが、あのようなものは益よりも害の方が大きいのではないかと思われます。「ネガティブな感情はすべて捨て去って、明るい感情とプラス思考だけになれば、金運も成功も向こうからやってくる」とか、「宇宙の法則に波長を合わせて正しい心の持主になれば成功は思いのまま」とか、「貧乏や病気は心が原因」とか、中には「トイレ掃除がツキを呼び込む」などというものまであるそうで、よくもまあ、そんな無責任な出鱈目を…と驚いてしまうのです。

 言うまでもないことですが、この文明社会の組織やシステムは、人間が人工的に作って運営しているものです。そして人間は利己的で、混乱しています。また、たやすく迷信に翻弄されるほど、愚かでもあります(げんにそのような本が売れるのですから)。そこには人間の数々の悪徳がいかんなく浸透しているので、「宇宙の法則」だの「見えざる神」だのがそれを支配しているのでないことは、小学生にでもわかる理屈です。不正と醜悪さにまみれた欠陥だらけのもの―それが、僕らが暮らしているこの社会のシステムです。神だの仏だのとは何の関係もない。

 現実には、先に見たような事情があるわけです。それは全体の経済情勢やシステムの問題であって、それをそのままに、念力もどきや“心がけ”だけで問題が解決するわけがないのは、わかりきったことです。大体、資本主義社会というのは少数の金持ちと多数の貧乏人で構成されているもので、資本の論理だけを貫徹すればそうならざるを得ないのです。貧乏な人が成功本を読んで皆成功すればめでたい話ですが、そうはならないのです。成功者が“心正しき者”で、彼らが「神・宇宙霊その他の支援を受けて」成功したというのが、そもそも嘘っぱちです。悪魔に魂を売り渡せば、どんな非道・無責任なことでも可能になって、金持ちにもなれるというのは、ありそうな話ですが。どうも、「プラス思考(英語ではpositive thinking)」というやつは、自分に不都合なことは見ないようにする(見ると自分に批判的にならざるを得ないので)というところを含んでいるようなので、それと同じような結果になりやすいようですが。

 前にある編集者と話をしていて、そこは意見の一致を見たのですが、成功本で成功するのはその著者と、それを出している出版社だけなのです。ことに不景気なご時勢には、藁にもすがる思いでそのような本を買ってしまう人が増えるので、儲けが大きくなる。

 前に塾の生徒が、「ウチのお母さんが、『“ありがとう”を一万回言え、そうすれば合格する』ってヘンなことを言って困るんです。私が言っても聞かないので、先生、一度言ってやって下さい」と訴えてきたことがありました。僕は大笑いしましたが、そのお母さんは善良な明るい人で、別に精神的な病気ではありませんでした。ただ、やたらと『○○の成功法則』といった本が好きで、そのときはその「ありがとう」本にかぶれていたのです。しかし、娘の方はいたって正気でそんなたわごとは受け付けなかったので、そのような愚劣なことはせず、真面目に勉強して合格しました。「ありがとう」を百万回唱えても、合格できる学力がなければ合格しないのは明らかです。

 こういうのは笑い話ですみますが、窮迫した人がそんな本を読んで、見当はずれなことに熱中し、借金をしてまでそのようなたわごとを並べる教祖の高額セミナーに出席するなどということになっては、全く罪つくりな話だと言わねばならないでしょう。

 だから、困った人はそのようなものに頼るべきではありません。成功本が罪つくりなのは、もう一つ、「成功できないのは自分の心がけが悪いからだ」と思い込ませることです。経済的な窮迫に加え、道徳的な自己非難まで重なるのでは、いいことは一つもありません。よけいなものを持ち込まず、現実的に、冷静に考えるしかないのです。

 システムが早急に変わることは期待できないとして、では、職にあぶれた人や事業に失敗した人たちには、どんな手があるでしょう。

 時間がたちすぎて、借金が増えすぎていると、自己破産の類しか方法はないこともあります。何年か前に、僕のところにも妙な電話がかかってきたことがあります。いきなり「オレだよ、オレ」と言うので、これがかの有名な“オレオレ詐欺”なのかと思ったのですが、それは四十年近くも会っていない子供時代の同級生で、同窓生名簿を見て電話を寄越したのだという話でした。元々がそう親しかった友人でもないので、不要領なまま、四方山話をして電話を切りましたが、翌朝まだ寝ているときに再び電話があって、「一口十万の投資話に乗らないか」と言う。その話というのが、失敗を確約されているような杜撰なもので、こいつは相当ヤキが回っているなと呆れ、正直なところはどうなんだと聞くと、すでに何度か失敗して、とうの昔に妻は子供を連れて去り、銀行は相手にしてくれず、サラ金の類からも限度額いっぱいの借金があり、親兄弟や親しい人にももはや無心は不可能な窮状に陥っていたのです。僕も苦境は何度か経験したことがあるので同情しましたが、生活にゆとりがあるわけではないので、助けられないと前置きして、当座の生活費だけは振り込んでおくから、その間に自己破産の手続きを取れと助言しました。今は役所にも相談窓口があるので、そこに行けばやり方を教えてもらえるはずです。

 僕が心配したのは、やはり自殺のことでした。やるなよと言うと、「とてもそんな勇気はない」という力ない返事が返ってきましたが、かつては何人か人を使っていたこともあるようで、そうしたプライドと、自分になじみのある業種へのこだわりが、かえって彼を泥沼に陥れていたのです。自己破産で借金をチャラにして、宅急便のドライバーでも始めて、時間はかかるだろうがまず生活を立て直し、昔の仕事にはこだわらずに、再起をはかればいい。僕に助言できるのはそれだけでしたが、その後何も連絡はなかったものの(こういう場合、それがふつうです)、別のルートからその手続きを取ったらしいという話を聞きました。彼は僕だけでなく、その名簿を見て片っ端から電話をかけていたようで、誰も応じてくれず、すぐに電話を切られてしまうと言っていましたが、たぶん何人かは僕程度の対応はしてくれ、やはり同じことを言われたのだろうと思います。しかし、何にせよ詐欺話で再起をはかることはできないのです。つらくても現実を直視し、社会的体面は捨て去って、僥倖を頼む甘さもきっぱり捨て、ゼロから再出発する覚悟を固めるしかない。そうすれば、堂々巡りの窮状からはきっと脱け出せるでしょう。

 最近は若者のホームレスも増えているという話ですが、人間関係が希薄になった今は、気軽に居候させてもらえる知人・友人もおらず、収入が途絶えて家賃が払えなくなり、アパートを追い出されるとか、部屋つきの派遣の仕事が終われば、そこを追い出されてそれっきりになってしまうことが多いのでしょう。流砂に呑み込まれたみたいに、踏ん張る足場がどこにもなくて、そのままズルズルいってしまうのです。

 僕は二十代の後半、新聞の臨時配達員というのをやっていたことがあります。浪人時代新聞配達をしていたので、その経験を活かした、というか、完全にスッカラカンになってしまったので仕方なくそうしたのですが、ああいうのはガラが悪いので有名な拡張団が副業でやっていて、そこに行くと、どこそこの店に行けと指示されるわけです。それでちょうど今くらいの寒い十二月、かなり遠くの栃木県小山市に送り込まれました。大雪の日があったりしてバイクでの配達は大変だったのですが、最初の給料日になっても指定の銀行口座に振込みがない。こちらはカネがないからやっているので、困るのですが、電話をすると、「忘れていた」という話です。態度も悪い。そのうち振り込んどいてやるから、ギャアギャア言うなといった口調です。これは僕を激怒させたので、それならこっちの仕事は放り出してすぐ出向いてやるから覚悟しろと脅しました。僕はふだんおとなしい人間ですが、そういうふざけた奴を半殺しにするぐらいは朝飯前の若者だったので、これは本気でした。相手はすぐに振り込むから待ってくれとあわてて言いましたが、怒りは収まらず、それに気づいた店主が理由を聞きました。それでわかったことは、販売店側は派遣元に一日あたり一万払っているが、その半分をピンハネしているということでした。朝夕二度の食事は無料で、住居もタダだから、今どきの派遣労働者よりはマシだった(朝刊だけの日祭日も同じ額が支払われる)わけですが、半分もピンハネしておいて、それすらきちんと支払わないとは許しがたい話です。店主は僕に、直接契約でやってくれないかと言いました。彼は四十過ぎのやり手の経営者で、店を四つか五つ持っていました。従業員に休みを与えるのに、専属で順に店を回ってくれると助かると言うのです。もはや派遣元に義理立てする必要は何もなくなったので、そちらには打ち切りの電話を入れることにして、僕はその話に乗りました。日当七千五百円なら、僕も店もトクをする、それでどうですかと言うと、店主は喜び、集金などの付帯業務については別途支払うから、それでやってくれということになりました。めでたく契約成立で、僕はそれから数ヶ月、いくつかの店を回って働き、相応の現金ができたので、礼を言ってそこをやめました。その間、もちろん自分のアパートはキープしていた。でないと、住むところがなくなってしまうからです。

 今はインターネットの普及を受けて、新聞業界も大不況で、販売店にも昔日の面影はないでしょう。だからそんな仕事は今はないかも知れないが、3Kをいとわなければ全く仕事がないわけではないだろうから、それに類した仕事を何か見つけて、それでしばらく働いて当座の蓄えをつくるぐらいのことはできるのではないかと思います。今の僕の話のように、相手の立場の弱さにつけ込んで、約束も守らないところもあるでしょうが、今は個人のパート・アルバイトが加入できる労働組合も存在します。力づくの自力救済に訴えられる血の気の多い若者でなくても、助けてくれる人たちはいるのです。

 今は湯浅誠さんみたいな親切な人もいてくれて、相談すれば、力になってくれる組織や団体がある。対策室を設けている自治体もあると聞きます。だから、困ったときは相談してみることです。そしたら今現在ホームレス状態に陥っていても、何とか打開の方策は見つかるでしょう。大事なのは、希望を失わないことです。そうして、「こんなおかしな時代に潰されてたまるか」という静かな闘志をもつことです。ほんとにこれはおかしな、病的な社会なのですから。生きていれば、いつか自分がこの社会を変えたり、人を助ける側に回ることもできるでしょう。人生にはどんなときもあるのだから、助けが必要なときは、人に助けてもらっていいのです。僕なども、困ったときに助けてくれる人がいなかったら、今ここにこうしていることはなかったのです。

 以上、あまり参考になりそうではないが、僕にかける範囲のことだけ、書いてみました。
 苦境にある人は、元気を出して、この年末を乗り切って下さい。「明けない夜はない」のですから。
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