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行き過ぎた部活の問題

2016.01.10(22:13) 366

「へえー、文科省からそんな通達が出ていたのか?」

 と、次の記事を見て驚きました。

「部活週2休」有名無実化 文科省の指針

 筆者は「金髪先生」こと、名古屋大学准教授の内田良氏です。僕はこの若い先生の書くものには注目していて、ネットで見かけるとたいていは読むのですが、運動会でのあの危険な組体操の問題など、テレビでもおなじみです。

 いつからそうなったのかは知りませんが、今の中高の部活には行き過ぎたものが多い。これはかなり前からなので、もう今から二十五年以上も前のことですが、関東のある塾で雇われ管理者をしていたとき、「授業中いつも寝てしまう」という講師の訴えで、中二の男の子と面談したことがあります。その子はサッカー部でしたが、部活の顧問がいわゆる「熱血教師」で、何と休みが年間でたったの三日しかないというのです! つまり362日、部活をやっている。おまけに朝練つき。小柄なその男の子はかわいそうに、育ち盛りが慢性的な過労に陥って、後で母親にも来てもらって話を聞いたのですが、学校の授業中も居眠りしてしまうことが多いという。当然ながら学業成績は低下の一途をたどっているのです。それで親にも学校の教師にも叱られるというのでは、その子が可哀想です。「部活の顧問の先生に、度の過ぎた部活を改めるよう申し出たらどうですか?」と僕は言いましたが、その教師は学校と保護者の間では一種のカリスマになっているらしく、童話のあの猫とネズミの話ではありませんが、誰もその猫に鈴をつけにいく勇気のある人はいないようでした。それでは部活をやめたらどうですかというと、それではその先生との関係が気まずくなるし、内申にも傷がつく、そしてその子も、サッカーそのものは好きだというのです。自分がその子の保護者なら、顧問教師に話し合いを申し入れ、それでも駄目なら子供に部活をやめさせると思いますが、塾教師としてはそこまではできかねる。しかし、それでは塾に通っても無意味なので、塾をやめさせた方がその子にとっては負担が減って楽になるのではないかと言いましたが、お母さんとしてはますます成績低下が加速するのではないかと、不安なのです。

 この場合、元凶はその「行き過ぎた部活」なのですが、そこまで異常なものではなくとも、バランスを失した部活は実にたくさんあります。「心身の健全な発達成長」をかえって阻害しているのですが、親も教師もそうしたことには概して鈍感なのです。

 この部活に関しては、「生徒がそれを望んでいるから」という言い訳がよくなされますが、中学生くらいだと、どこまでが適切で、どのレベルになると不適切なのかという判断は自分ではできません。昔、『熱中時代』というテレビ番組がありましたが、あの年頃は文字どおりの「熱中時代」で、オトナがコントロールしてやらないと、行き過ぎることがあるのです。

 たとえば、今日成人式だったわが息子は、子供の頃野球が好きで、小学生の頃よく父親と河川敷で二人野球をやっていたので、彼が通う小学校には保護者がボランティアで指導者を務める野球クラブがあって、親切から何度も加入を勧められましたが、両親はそれにはOKを出しませんでした。理由は、そうすると自由な遊び時間が減ってしまうからで、小学生ぐらいの頃は、川や海に行ったり、木登りをしたり、鬼ごっこをしたりといった、特定のスポーツ以外の雑多なこともした方がいいと思ったからです。父親としては、夏には頻繁に川に魚とりに連れて行きたいということもあった。

 それで中学になると部活に入る許可を出したので、彼は迷わず野球部に入ったのですが、野球部はそれでなくともハードなのに、根が熱中しやすい(学校の教科書勉強は除き)子供だったので、連日の練習に加えて、自分で自主練のメニューまで作って、完全な「熱血野球少年」になってしまいました(父親と鮎とりに行けるのも僅かなお盆休みだけになった)。母親は彼の考案による、新聞紙を丸めて、それをボール代わりにして投げるバッティング練習につきあわされて、腱鞘炎になってしまった。将来の夢は、ソフトバンク・ホークスに入って四番を打つことだと言う。親の方は、遺伝的に見てそんなことは不可能だろうとわかっていましたが、それは本人にもいずれわかることです。努力の甲斐あって、何とかレギュラーの一角に食い込めるまでにはなったものの、練習試合のスコア分析のノートなどは、精密的確そのもので、顧問の先生に絶賛されたようですが、選手としてのパフォーマンスでは今イチだということを、自分でもだんだん自覚するようになったようでした。それで、三年六月の大会での敗戦を機に引退となったのですが、同時に微熱がとれない症状が出て、医者に行って調べてもらうと、腰椎の疲労骨折を起こしていて、コルセット生活を命じられ、体育の授業まで禁止になった。トホホ…の結末です。

 高校入学時もまだコルセットを付けていて、体育は禁止されたまま(しばらくして許可が出た)でした。それで彼は運動部に入れなくなったのですが、これは父親にとっては運命の女神のはからいに他ならず、「しめしめ…」でした。延岡の県立高校には、僕がこのブログの「延岡の高校」コーナーに重ねて書いたようなよけいな「朝課外」(高3部活終了後はこれに夕課外が加わる)なるものがあって、それに土日休みまで潰されるハードな部活が加わったのでは、慢性疲労疑いなしで、ゆとりゼロになりかねない。将来の大学受験の観点からしてもこういうのは自殺行為で、息子は当初父親の母校に行くつもりでいたようですが、それは父から話を聞いて「単位の取得が楽で、雰囲気が自由そう」だと思ったのと、テキトーな父親でも入れたのだから、自分も当然入れるものと思ったからのようでした。しかし、遺憾ながら、学校のむやみと時間だけ長い、あのような的外れな学習指導ではその大学に合格する見込みはほとんどないということを、塾教師の父親の方は知っていたので、その点は言い含めました。勉強も自分で勝手にやらねばならず、そのためには「妨害」を減らしておかねばならないが、過度な部活もその妨害の一部になりうるのです(僕は世の教育パパたちとは違うので、小中学の間は、「落ちこぼれさえしなければいい」というスタンスで、勉強にコミットしたことはなく、高校に入ってから週一の割合で英語を教え始めただけです。それは学校の授業よりはずっと面白かったようで、高3になってからは回数を週二回に増やしたが、時間の半分は雑談をしていた。そこらへんは、小さい頃遊び相手をしていたときと同じだったのです)。

 話を戻して、わが子はそういうわけで高校入学後は「過度な部活の災い」を免れたおかげで大学受験もうまく乗り越えられた(父の母校は三年次の途中、第一志望から滑り止めに「格下げ」される憂き目に遭った)のですが、他の子はそうはいかず、中には部活の負担が大きすぎて、明らかに健康と学業に支障をきたしている生徒たちがいるのです。延岡高校の場合、僕がここに「教育という名の児童虐待」という一文を書いた頃と較べると、全体に事態は好転しました。それには現校長の力が大きかったので、課外と宿題の軽減、休日の増加などの措置が取られて、昔と違って今は課外を休んでも何も言われなくなったそうですが、部活に関しては、「過度に熱心な」顧問教師や学外コーチの問題がまだ残っていて、せっかくそちらの改革が進んでも、そのプラス分を食ってしまう懸念が残っているのです。生徒の中にはそのことに対する不満・不快をはっきり口にしている子たちもいて、前に僕は「そのことをいずれブログに書いてあげるよ」と約束したので、今これを書き、そしてこれを「延岡の高校」コーナーに分類して、関係者の目に触れやすくすることにしたのですが、「こんなに部活に時間とエネルギーを取られていたのでは、疲れるのは当たり前で、勉強どころではないな」と見られる生徒たちは実際に存在するのです。

 僕は部活そのものに反対する者ではありません。適正なレベルの部活なら問題はなく、げんにそういう部活もあるのですが、そうでない部活があって、たとえば自分は推薦で大学に入学したという体育教師が、生徒に過度の部活を強要して、学業に支障が出ることなんかはまるでおかまいなしというケースがあるのです。他のことは何も考えていない。それで本来なら大学に合格できる子が不合格になった場合、どう責任を取るつもりなのだと言いたくなりますが、今の時代、えらびさえしなければ入れる大学はいくらもあるので、行くところがないということはあまりないでしょう。しかし、本来なら国公立に入れる子が私大(それも名の売れたところは無理)や専門学校になった場合、親は出費の大幅な増大を強いられるのです(浪人を選択した場合には、年間二百万前後かかる)。もっと全体を見て物を考えろと、その種の先生たちには言いたいのです。

 そもそもの話、これはスポーツでも勉強でも同じですが、むやみやたらと長時間やらせて、それで成果が出たと自慢するのは愚か者のやることです。何もしないよりはした方が結果がよくなるのはあたりまえです。しかし、その半分の時間で同じ結果が出せるとすれば、その指導には何か大きな欠陥があるということです。また結果云々以前に、「生活のバランス」というものを考えなければならない。僕は土日休みも大方は練習試合だの合宿だのに取られてしまうという部活を強いられている生徒たちに、「君らはオリンピックの強化選手なのかね?」と言うのですが、本来学校スポーツは職業でも苦行でもないのです。勉強だって、ある程度のゆとりをもって、自主的に、楽しんでする側面がなければ長続きはせず、それ自体が目的みたいになってしまって、それを無理にやり続けたとすれば、人格に悪影響が出て、知性の伸びそのものが深刻に阻害されます(これが精神的にゆとりのない、視野の狭いガリ勉がきまって途中でダメになる理由です)。同様に、部活でからだをこわしたり、深刻な障害を負うことになれば、本末転倒です。

 ところが、冒頭の記事によれば、そういう過度な部活は差し控えるようにという指示が、他でもない文科省からとうの昔に出ていたのです! 文科省の通達は、学校の先生たちには水戸黄門の印籠に等しく、僕のような塾教師があれこれ書いても、その持ち前の独善性で無視できるのですが、「お上からのお達し」であれば、「ははあーっ!」とひれ伏すしかなくなるのです。しかし、このことに関してはなぜか無視されたようで、その1997年に出されたという「報告書」によれば、

「これまでの運動部活動では、活動日数等が多ければ多いほど積極的に部活動が行われているとの考えも一部に見られた」ことが反省され、「スポーツ障害やバーンアウトの予防の観点、生徒のバランスのとれた生活と成長の確保の観点などを踏まえると、行き過ぎた活動は望ましくなく、適切な休養日等が確保される」べきと主張されている

 のです。ふーむ。文科省が珍しくそんな「まともな」ことを言っていたとは…(ちなみにここの「バーンアウトburnout」とは世に言う「燃え尽き症候群」のことです)。

・中学校は週に2日以上の休養日を
・高校は週に1日以上の休養日を
・長期休業中はまとまった休養日を
・平日は2~3時間まで、土日は3~4時間まで


 中学の部活、とくに運動部で、そんなのを守っているところがありますか? しかもこれはあくまで「最低ライン」で、中学で週二日、高校で週一日“以上”の休みが必要とされているのです。高校になると条件が緩和されているのは、それだけ体力がついているから、という理由によるのでしょうが、延岡の高校などでは夏休みなどの「長期休業」も課外で大幅に削られているのが実情であり、しかもその間の宿題がどっさりあると来ては、この条件を形式的に守ったとしても「過大」で、そうしたことを考え合わせると生徒の「休養日」などはないに等しいということになる。そもそも、その「最低ライン」すら守られているのか疑わしい部活があるのです。

 こうしたことは学校の職員会議で議題にして、一度きちんと話し合われるべきです。というのも、今の学校というところは、個々の部活がどういう状況になっているのか、把握していないことが少なくないからです。部活の中で、とくに運動能力が優れた生徒はお勉強の方はまるで駄目でも、スポーツ推薦で有名大学に行けるかも知れない。しかし、大部分の生徒はそんなイージーなことはできず、一般受験で大学に進学しなければならないのです。勉強そっちのけのスポーツ推薦組を基準に部活メニューを組まれたのでは、ふつうの生徒はたまったものではない。しかし、そういうことを何も考えていない顧問教師や部活の指導者が存在するのです。彼らはそれが無責任なことだという自覚さえない。

 一・二年のときは大丈夫だというのは、受験のことを何も知らない素人の言うことでしかありません。三年の五、六月の部活引退時点で本格的な受験勉強をスタートさせるとしても、それがうまくいくかどうかはその段階で基礎学力が身についているかどうかにかかっていて、それが欠けていると大方は間に合わないのです。受験科目の多い国立の場合はなおさらで、センター試験の比重が高い地方の駅弁大学なら何とかギリギリ間に合うことがあっても、そういう生徒は先に下地をつくっていれば、もっと上の大学に入れただろうし、本来なら駅弁国立は大丈夫だった生徒は、それが欠落しているから間に合わなくなる可能性が高くなるのです。平素から授業の質が低く、合理性に欠けた学習指導をしている学校ではなおさらのこと。

 ここでもう一つ、「困った親」についても言及しておくと、勉強でも部活でも、長時間生徒を拘束して「しごく」先生は熱心でよい先生だと思い込んでいる保護者がいます。些細なことで怒鳴ったり暴力を振るったりすることも、「厳しさ」のうちなのだと、かえってそれを有難がる馬鹿な親(失礼!)までいるほどですが、物事は道理に基づき、現実的、合理的に考えなければならないのです。勉強でも、部活でも、オトナの仕事でも、有益なやるに値する無理というものと、そうでない無理というものがあって、その質の違いを弁別する能力ぐらいはもたないといけません。やらされていること自体が意味に乏しく、その上事あるごとに怒鳴りつけられたりするというのでは、成果が上がらないうえに、自尊心の低下まで招くことになるので、全く余計なお世話なのです。その上、「ありがとうございました!」と、毎回感謝を表明しなければならないというのでは、時代錯誤もいいところで、ここは北朝鮮かと言いたくなります。とても民主主義国家のことだとは思えない。

 僕の見るところ、学校というのは一番封建的、全体主義的な残滓が色濃く残っているところで、僕自身、小学校に入学した時、その妙な「軍隊式規律」にショックを受け、以来それにはずっとなじめないままでしたが、その当時と比べて社会は激変したのに、学校のそうした部分はあまり変わっていないように思われます。むしろ管理は強化された。部活も、昔は完全に自由だった(僕が中学の時、部活をしている生徒は半数もいませんでした。残りは放課後勝手に遊んでいたのです)のに、いつのまにか半強制のシステムに変わったのです。

 その分、学校の先生たちも多忙になったわけで、内田准教授は別の記事で、「部活指導が負担になっている」という先生たちの悲鳴に近い声を紹介していましたが、誰も得をしない「行き過ぎた部活」をなぜするのか、僕のような現実主義者には理解しがたいことです(宮崎県の県立高校の課外の場合には、自校の生徒をそのまま顧客にした、手間いらずのかなりおいしいアルバイトになっているらしく、「先生たちがやめたがらないホントの理由はそれかな?」と最近僕は疑うようになったのですが、部活指導の場合には、雀の涙ほどの謝礼しか出ていないとのこと)。

 しかし、そうした部活には、他でもない文科省から実は「待った!」がかけられていたということで、空文化したその「お達し」を、もう一度生き返らせ、現実化する必要があるでしょう。延岡の県立高校の場合、課外の他にこちらの問題もあるのだということを、付け加えておきたいと思います。何事も「ほど」を弁えなければならず、しかもその「ほど」は一部の教師が主観に基づいて勝手に決めるべきものではないのです。


※ 尚、このコーナーのコメント欄、賑わうのは結構ですが、見当外れの議論をここでするのはやめていただきたいと思います。たとえば最近、昔学校の先生をしていたと自称する人の「昔は高校の先生は神様だった」とする自慢話とも何ともつかぬ奇怪な文が二度続けて投稿されましたが、この人は何用あってこんなことを書いているのか、意図不明です。昭和四十年代は先生が神様扱いされていたなんて話、聞いたこともありません。一体どこの地方の話ですか? げんに僕は四十年代に高校生でしたが、学校の先生を神様だと思ったなんてことは一度もないので、もしもそうだったのなら、彼らを議論でコテンパンにしたことのある高校生の僕は「神以上」だったということになります。それで僕も八十前後になったら、「超神」として教育問題を扱ったどこかのブログに“降臨”して、つまらない与太話をして迷惑がられることになるのです。仮に神様扱いされたような人格見識優れた人物なら、こんな品性も何もない駄文を書くはずがないので、察するに、誰かが騙(かた)っておかしなことを書いているだけなのでしょう。いずれ削除しますが、これだけでは読者には僕が何を言っているかわからないでしょうから、それと照合できるようにとの意図だけから、しばらくそのままにしておきます。以後反省して慎まれることです。
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