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大学の学費値上げと、小中学校の問題

2015.11.04(16:51) 355

 まずは次の赤旗の記事を、クリックしてご覧ください。

国立大授業料 40万円値上げ 財務省方針 小中教職員3.7万人削減も

 財務省がこういうことを言うのは何の不思議もありません。1000兆を超える赤字国債を抱え、依然として借金頼みの「放漫経営」を続けるこの国は、家族ならとうの昔に一家心中、企業なら倒産しているはずなのですから。国の財布を預かる財務省としては、何とかして税収を増やし、出費を削るしかない。しかし、既得権益に守られている権力・富裕層からは取れないので、法人税は減税しても、消費税は上げ、国会議員の歳費は削れなくとも、教育費は削るのです。

 僕は前にここに、今の日本では子供一人育てるのにどんなに費用がかかるかを述べ、大学学費の派手すぎる高騰ぶりについても書きました。それをまた上げようというのです。こういう話を一方でぶち上げながら、安倍政権は他方で出生率を1.8に上げるというのだから、今の政治家というのは何ともお気楽な商売です。出鱈目を真顔で並べて、それでも支持率が取れるというのですから。

 昭和三十年代の進学率に戻すのなら、「大学に行くのは金持ちの子供だけなのだから、大学の学費なんか高くたって、それは応分の負担というものだ」とわれわれ庶民は言えるかも知れません。しかし、今の中卒にまともな安定した仕事がありますか? 高卒にもある? それを用意してから言ってもらわないと困るので、ないから、親は何とかしてわが子を大学、短大、専門学校にやろうと必死になり、子供の方もクソ面白くもない受験勉強を耐え忍んでいるのです。貧富の格差は拡大、というよりも、急激な勢いで貧乏人が増えているので、そういう国が繁栄するわけがあるはずはないのです。

 大体、科学技術立国なんて言うのなら、大学教育の充実をはかるしかない。それで文系を削るのは愚かだということは前にも書きました。科学技術を用いるのは人間であり、その用い方を決めるのはその人の人間としての中身です。すなわち、文系的な教養が不可欠になる。また、技術職でない人間も文化や社会運営上各方面できわめて重要な役割を果たすので、技術一辺倒ではこの世界は人間の世界ではなく、蟻塚に等しいものになってしまうでしょう。

 赤旗のこの記事は、財務省が「16年後の2031年度に国立大学の自己収入を7370億円(2013年度)から2437億円増やして9807億円にすることを要求。自己収入の内訳は、授業料、寄付金、産学連携の研究費収入など」であるとしているのを受けて、「地方大学や文系中心の大学は、産学連携による収入増を見込むことは難しいのが現実」なので、「仮に授業料値上げだけで自己収入増をはかろうとすると、授業料を毎年2万5000円程度値上げして、16年後に現在の約53万円から40万円増の93万円程度にしなければなりません。(学生数を現在の61万人と仮定)」というふうに読んでいるのです。べつだん政府攻撃のための誇張ではない。

 財務省の言い分では、今は「大学の経営努力が足りない」ということなのでしょうが、僕が学生の頃は「産学共同」というのは「学問の独立」を害する悪しきものとして糾弾されていたので、ずいぶんと様変わりしたものです。しかし、大学が企業の下部機関になり下がって、理系は企業のお気に召すものばかりを研究、文系は「サラリーマン心得」を叩き込むところになると、仮に「産学連携の研究費収入」や「寄付金」を多く獲得して、授業料の値上げ幅を小さくできたところで、それはもはや「大学」と呼べるようなものではなくなってしまうでしょう。海のものとも山のものとも知れない基礎研究などは自然になおざりにされるから、「日本人のノーベル賞受賞? ああ、そういうことも何十年前かまではあったようですね」ということになって、世界の三流国に落ちてしまう(あれは大体、研究から受賞までかなりのタイムラグがあるのがふつうなので、今のノーベル賞は70~80年代の業績のおかげなのです。今空に見える星が、実は昔のそれだというのに似ている)。

 私大の学費がそれに連動して上がるのは目に見えているので、今は5割を超えている四年制大学への進学率も、4割台、3割台へと徐々に下がる。それに応じて、「高卒の就職難」が深刻な社会問題になってくるでしょう。「心配はありません」とわれらが安倍総理は胸を張って答えて下さるかもしれません。「軍備増大のためにわが軍(現自衛隊)は人員を多く必要とするようになるので、左翼的な思想をもたない健康な若者には“皇軍兵士”となる明るい未来が開けています」と。今年は例の安保法案成立を受けて、自衛隊の入隊希望者が2割も減ったそうですが、そういうふうになれば入隊希望者には事欠かなくなるのです。授業料が要らないどころか、給料まで支給される防衛大学校なんかは、今はタダで受けられるというので、しばしば大学受験生の模試代わりに利用されていますが、貧困家庭の急増に伴って、気象大学校並の人気になり、偏差値も軽く70を超えるようになるかもしれません。

 財務省にそこまでの深謀遠慮があるのかどうかは知りませんが、たぶんそれはないので、要は「削りやすいところから削る」ということでやっているだけなのでしょう。グランド・ヴィジョンを立てて、「国家百年の計」の下、ここは無駄だからどんな反対があっても削る、ここは必要だから、どんな無理をしても維持する、なんてことではない。もしも今後の日本社会の発展を考えるなら、教育投資は最も重要なところで、それならこういうことを言い出したりはしないはずだからです。

 一緒に論じられている、小中学校の教職員数を減らすという件に関してはどうか? こちらは、少子化で子供の数が減っているので、それに応じて教職員数も減らす、ということなのですが、文科省とは対立している由。そのまま、その箇所を引用しましょう。

 小中学校の教職員については、10クラスあたりの先生の数を今と同じ18人にしても、少子化の影響で24年度(=2024年)の教職員は3万7000人減らせると指摘。文科省が、いじめや不登校問題などに対処するため教職員を増やし、全体で約5000人減にとどめる計画を示していることと対照的な内容となっています。財務省は「教員が増えても、いじめや不登校も解決せず、学力も向上せず、教員の多忙も解消されない」と少人数学級を全否定しています。

 この問題に関しては、財務省がそう主張する根拠は明確ではありませんが、文科省が言うように教員を実質増員しても、今の小中学の体質では、問題が解決するとはかぎらないのも事実でしょう。僕が前に塾生の親の小学校の先生から聞いた話では、今の学校の先生は管理されすぎていて、書類提出などのよけいな仕事が多すぎ、花壇の位置を十センチずらすのにさえ、書類を上げる必要があるというのです。その分、生徒たちと直接向き合う方はなおざりになる。加えて今はモンスター・ペアレントの理不尽な要求などにも、ていねいに応対しないと非難を浴びるので、それでノイローゼになってしまう先生も少なくないとか。親が親なら、お粗末教師の不祥事も跡を絶たず、それで管理が強化されるのでしょうが、まともな先生たちはそうしたあれやこれやでどんどん仕事がやりにくくなってしまうのです。

 中には車を二台も乗り回しながら、給食費も払わない親とか、貧困のためなのか、ネグレクトのせいなのか、「唯一のまともな食事が給食」なんてかわいそうな子供もいるという話です。様々な種類の問題家庭の子がクラスに二人、三人といれば、そちらへの対応だけでも先生は手いっぱいになってしまうでしょう。それにいりもしない煩雑な書類仕事やら、アホなパワハラ校長まで加わったのでは、「精神疾患理由の休職」に追い込まれるのは時間の問題、ということにもなりかねません。

 それでは教科の指導能力なんか上がるはずもないので、「勉強の方は塾で」ということになって、ある程度経済的余裕のある親は早くからわが子を塾通いさせるようになる。僕は以前関東で中学生対象の集団塾の校舎責任者もしていたことがあるのですが、かなりの生徒が学校では授業中寝ていたり、塾の宿題を平然とやったりしていたようで、先生もそれでは張り合いがないでしょう。しかし、「そんな大嘘を教えているのか?」と呆れるような低学力の教師がかなり多いのも事実で、二、三十年前、大阪の公立中学で苦情の絶えない中年の数学教師がいて、研修で教育委員会が公立高校の入試問題を解かせたら、何と3割の得点しかできなかったという話がニュースになったことがあります。そういうのが教師(臨時教員ではありませんよ)をやるというのは犯罪に等しいが、長く塾教師などやって、生徒たちの話を聞いていると、「たしかにそういうのはいるだろうな…」という気がするのです(塾にもむろん、お粗末教師はいるが、そういうのを雇っていると悪評が立って潰れてしまうので、かなり早い段階でクビになるのです)。

 こういうのは元から学力が低かったうえに、多忙からか怠惰からか、自己研鑽を怠ってそういうふうになってしまったのだろうと思われますが、これは今の日本での学校教師の社会的地位の低さも関係するので、国立私立を問わず、おしなべて教育学部の偏差値は他学部と較べて低いのです。初めから学力優秀な学生が少ない。学校の先生はお勉強ができればいいというものではないが、ある程度はできてもらわないと、勉強を教えるのが本来の仕事なのだから、困るわけです。ところが、学力は二番手三番手で、べつだん教育への情熱があるわけでもなく、「公務員だから安定している」とか、「子供が相手だから威張れる」みたいな低級な動機で教員志望になる者が多いものだから、教員の質は改善しないのです。

 そういう、学力もなければ人間的な魅力もない教師に多く接して、優秀な生徒が教員志望になるはずはない。加えて、むやみやたらと雑用ばかり多くて忙しそうだとなれば、なおさらのことです。中にはそういう教育を経験してきて、「自分は今の学校を変えたい」と言って教育学部に行く生徒もいますが、そういうのは稀なケースで、そういう若者も十年もたてば「デモシカ教師」の一人になってしまうのです。あるいは在学中に「学校の裏事情」をあれこれ聞き、教育実習を経験して、すっかりその気はなくなったと、民間に就職したりする。

 要するに、今の学校教師は「魅力のある職業」ではないのです。だから人材が集まらず、それに加えて親の質も劣化を続けていて、そういうトンデモ親への対応にも心労しなければならないし、書類仕事の類もやたら増えているということになると、いくら公務員で身分が安定していると言っても、マイナスの方が大きいと判断されるので、「民間では通用しない」類の人間しか志望しなくなって、事態は悪化しこそすれ、改善は見込めなくなるのです(それでも採用試験の倍率が高いのは、教育学部が多すぎるのと、教職課程を取ればどの学部でも教員免許が取れるからなのでしょう。いくら倍率が高くても、似たようなレベルの人間が集まっているだけなら、質は向上しないのです)。

 一つの解決策としては、財務省は大反対するでしょうが、昔の高等師範学校を真似て、全国に東と西、二つ程度の教員養成専門の大学を作り、授業料をタダにすることです。そうすると、貧しい家庭の優秀な若者がそこには多く集まり、入試倍率も高くなって、東大京大、少なくとも旧帝大に準じる程度の偏差値にはなる。「教育エリート」をそこで養成し、それを各地の公立小中学校に送り込むのです。そうなれば、先生を見る世間の目も違ってくるでしょう。彼らに学校教育の中核を担ってもらうようにすれば、改革も進む。中には例外もいるとしても、全体として見た場合、今のわが国の学校の先生の質は低すぎるのです。「いじめ隠し専門」の無能な事なかれ主義者の集団と見られるから、先生への敬意もへったくれもなくなって、先生たちも仕事がやりにくくなるのです。

 そうして、下らない雑用は極力減らし、教育に専念できるような環境を作る。何か不祥事が起きるたびに文科省や教育委員会が通達を出し、それでよけいな報告書の類が増えたということもあるでしょう。いりもしない職員会議を頻回に開くなんてのも、やめるのです。僕は昔、塾の幹部会議をサボるために、塾長をこう言って脅迫したことがあります。「潰れる会社の特徴をご存じですか? 現場をお座なりにして、やたらと会議ばかりやっていることです」と。そしたら、出席を免除してもらえて、本部に寄らずに直接現場に行けばよくなったから、三時間近い時間の節約になりました。そういう会議では、皆何か言わなければならないと思うから、つまらない「企画提案」がなされることが多く、僕はその都度反対してそれを潰していましたが、よけいな手間が省けてよかったのです。ファックスで教室に届く通知も、意味のあるものだけ採って、あとは全部無視していました。だからうまく行ったのだと、今でも思っています(ちなみに、お役所の「省」というのは、本来「無駄なものを省く」という趣旨から付けられた名前です。「無駄を省いて民の暮らしを安らかならしめる」、そのための「省」なのです。現実には「役人は際限もなく無用な仕事を作り出す」というパーキンソンの法則通りになって、反対になっているようですが)。

 以上のような改革を行うなら、過度にではなく、生徒数の減少分だけ教員数が自然減しても、今よりはずっとマシになるでしょう。家庭に深刻な問題を抱えた子供が増えたことに関しては、それ専門の人員を各学校に配置するなどのことはやるべきだと思いますが(むろんそれと並行して、格差拡大を食い止める政策は不可欠です)。

 にしても、塾の教師が何でこんな世話まで焼かねばならないのでしょう? 安くない給料をもらっているのだから、皆さんもっとしっかりして下さいと言いたくなります。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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