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出版業者・見城徹氏の「裏切り」と元少年A

2015.09.13(22:23) 345

 先日、延岡の書店で初めて『絶歌』という本を見かけました。言わずと知れた「元少年A」のあの本です。とっくに賞味期限切れになっていて、今頃こんなもの買う人いるのかなと不審に思いましたが、逆に言うと、売れ行きが落ちてからでないと田舎には回ってこないということなのでしょう。

 そしたら一昨日、仕事帰りにこれまた二、三日遅れで届く週刊誌の棚を見たら、文春が「元少年A」から届いたという長文の手紙(他にも同じものが複数の週刊誌や新聞に送り付けられた由)を「大公開」していて、これは長すぎるから買って読んだ方が早いなということで、購入。何ともはや…という内容でした。

 ネットで彼が自分のホームページを立ち上げているというニュース記事もちらっと見たことがありましたが、そんなものニセモノに決まっていると思っていたら、文春によればあれもホンモノなのです。「元少年Aのホームページ」で検索するとすぐ出てきますが、「ナメクジ」尽くしの相当に薄気味の悪いもので、それをモチーフにしたとおぼしき多数のイラストに写真、加えて自分のヌード写真まで入っているという、ヴィジュアル的には相当凝ったものです。

 文春の記事にはそのAからの長文の手紙の大半が引用されているという触れ込みですが、彼はかつてはあこがれ、崇拝した幻冬舎社長、見城徹氏の「裏切り」にひどく腹を立てていて、大部分はそれを「告発」する内容のものだったようです。文春はかつて6月27日号に見城徹氏の「独占インタビュー」なるものを掲載したのですが、そこで語られていることには「許しがたい嘘がある」というのです。

 これはたぶんAの言っていることの方が正しいのだろうという印象を僕は受けましたが、見城氏の記憶違いということもあるだろうし、政界にも顔を利かせている(安倍の大事な「お友達」の一人)という人なのだから、元々が申し分なく世俗的な人で、場面によって言うことが都合よく変わったりするのは、この手の人のつねです。

 しかし、妙な具合に潔癖なAにはその俗物ぶりが許せない。何でもAは「2010年1月に放映されたBSの番組で見城氏を初めて知」り、「その魅力にとりつかれた」のだそうで、「『もし死ぬまでに自分の本を出したいと思うことがあったら、頼めるのはこの人以外にはあり得ない』そう直感しました」ということで、見城氏に“熱烈なラブレター”にも似た手紙を書いたのです。そうして両者は対面したのですが、それは「2013年初頭」のことで、「Aが幻冬舎に赴くと、見城氏と編集者三名の『プロジェクトチーム』が待っていた」のです。そうして約1年後の、2013年末、Aが願望した原稿は完成し、その後見城氏や編集チームとの間で細かな修正のやりとりが重ねられて、2014年末、最終稿ができた。

 それは出版のめどが立たないままでしたが、今年1月、週刊新潮がAの手記出版計画があるのをすっぱ抜いたところから、事態は動き始めた。次はAの手紙からの引用。

 この記事を受け、僕自身、「本当にこの本を出すべきだろうか?」と自問自答するようになりました。いろいろ考えた末、手記の出版をきっぱり諦めようと思い、編集チームにその旨をメールで伝えました。

 これで終わっていたのなら、一連の手記出版騒動は起きなかったわけですが、その四日後に「編集チームのメンバーから電話があり」、

「見城は、うちから出すのはもう難しいけど、でもやっぱりこの本は世に問うべきだと思う、『このまま出版を断念すれば活字文化の衰退になる』とまで言っています。(中略)見城は太田出版の岡社長と親交があり、Aさんさえ良ければ、太田出版からこの本を出してもらえるよう、岡社長に話すつもりのようです。(後略)

 という展開になってゆくのです。見城氏は文春のインタビューで、「太田出版を含めた三社を彼に提案した」と言っているが、それは嘘で、Aによれば、「おそらく見城氏は、出版のために彼自らが積極的に動いた事実を隠すために、『三社を提案してAに任意で選ばせた』というイメージを世間に植えつけたかったのでしょう」という解釈になるのです。

 その程度の「嘘」なら目くじら立てるには及ばないと思いますが、

「百匹の羊の共同体の中で一匹の過剰な、異常な羊、その共同体から滑り落ちるたった一匹の羊の内面を照らし出すのが表現だ。そのために表現はある」
 そう言ってのける彼のことを最高にかっこいいと思っていました。自分のような異端者にとって、彼こそはメシアであり、家の創った幻冬舎は、呪われた異端者たちにとってのノアの箱舟である、と信じて疑いませんでした。


 …とまで思い込んでいた彼には幻滅以外の何ものでもなかったのです。さらに悪いことに、見城氏の「嘘」はなおも続き、文春のインタビューでは、最後の打ち合わせでAに「手記を出せないことを通告するつもりだった」と答えているのですが、幻冬舎から出せないことはAも先刻承知していて、

 何より僕自身、「手記の出版を諦める」という意向を伝えたまま、再び出版を決意したことを見城氏にもチームの誰にも話していませんでしたので、わざわざここで改めて僕に「手記を出せないことを通告する」必要がどこにあるのでしょうか。実際は、「太田出版から手記を出すように何とかAを説得するため」に設けられた打ち合わせだったのです。

 ということになるのです。実際は「諦めた」と言うAをそそのかして翻意させるようなことを言っていたのだから、見城氏のこの「嘘」は少々悪質ですが、Aが事件を起こした地域に里帰りした際に撮った多くの写真を、「少年Aと一緒に友が丘を歩くという臨場感を読者に味わってもらうために、この写真はすべてカラーで載せてほしい」と本人が要望した時も、これはそれ自体、「何を考えているのだ?」と言いたくなるようなノーテンキぶりですが、見城氏インタビューでは、「『これはやめた方がいいな』という写真だったから、案の定、『絶歌』でも載せていないね」となっているものの、実際には、「カラーで挿入するのは難しい」と言う編集チームのメンバーに対し、「文章と同時進行で掲載しないと効果が半減するだろう。写真を挿入するページだけ四色刷りにすればいい」などと大いに乗り気だったというのだから、何をか言わんやです(Aによれば、「これはやめた方がいい」とはっきり言ったのは太田出版の社長)。

 こういうのは全部、見城氏の保身心理から出た「嘘」で、世間的には「ありがちなこと」かもしれませんが、見城氏を英雄視し、崇拝していたAにはそれではすまなかったのです。元々Aはこの手記執筆の際、幻冬舎から生活費(四百万を超える?)の援助を受けていたのであり、見城氏側からすれば、それを「回収」する意味からも出版はしてもらわなければ困ることだったのだという見方も成り立ちますが、センセーショナルな出版で仕掛けがうまい(百田尚樹のあの『殉愛』なんかも、一方的なとんでもない嘘が満載されているというので話題になりましたが、おかげでたくさん売れたのです)見城氏の「異端」は、昔朝日新聞なんかは「商売としての反体制」と揶揄されたことがありましたが、元々が「商売としての異端」でしかなかったのです。だから、「見城さん、この僕の悔しさ、惨めさがあなたにわかりますか?」と言われても、「これは売れる」というのと、世間的な風当たりの性質・強さの両方を天秤にかけて、その独特の商売カンから、これはやめておいた方がいいという判断に傾いたのであろう見城氏にとっては、かなり迷惑な話でしょう(かつてのリンゼイさん殺害事件の犯人、市橋達也の手記で大抗議を受けたことも関係するのでしょうが)。

 それにしても、見城氏がAに送ったものだという、次のようなメールは、相当考えさせられるものです。

 君は現実の踏み絵を踏みぬいた。
 共同体的な善悪の判断は別にして、三島由紀夫も奥平剛士も踏み抜いた。
 僕は踏み抜けなかった。40年前のあの日、あの時、踏み抜くチャンスは幾らでもあったのに、踏み抜けなかった。
 君は踏み抜いたうえで生き残った。
 そこには彼我の差があります。
 僕はこの吐き気を催す現実世界と、いとも簡単に表面的なシェイクハンドができたのです。
 つまり、僕はたべて過酷にならない夢を今日まで生きてきたのです。


 見え透いたおべっかも、編集者のスキルの一つなのかも知れませんが、市橋達也なんかもこの手で口説いたのでしょうか? 中学生だったAは幼い子供たちを残酷に殺害し、一人の子の頭部を切断して校門にさらすということまでやったのですが、それが「現実の踏み絵を踏みぬいた」ということなのか? 卑劣な変態殺人も、独裁や強権政治に対する市民のレジスタンスも、「共同体的な善悪の判断」から自由な見地からすれば大した違いはないということになるのでしょうか? 僕にはそのあたり、理解不能です。

 文春の記事はいたって見城徹氏には同情的で、Aの異常性を強調する内容になっているのですが、この件を受けての見城氏の「今日は凹んでいます。国語力は人間力だと思ってますが、僕の言葉が不完全だったせいか、手痛い裏切りに遭いました」(トークフアプリ755)という弁明は、どう見ても説得力のあるものだとは思われません。何でも商売ネタにしてしまう「言葉の商人」が墓穴を掘ったという程度のことでしかないと感じられるのです。

 Aが暴露している「見城氏の嘘」はこれだけではなく、Aを大田出版社長に引き合わせた後、「それ以降、Aとは連絡を取っていない」というのも真っ赤な嘘なら、新潮記事が出てAが出版を諦めかけた頃、「なんだよ? そんなものなの? ここまで身を削るようにして書いておきながら、“その程度のこと”で諦めちゃうの? 君の想いなんてそんなものだったの?って」思ったのだと、A相手に煽りの熱弁をふるったことは知らんぷりで隠すという「語らぬことによってついた嘘」などもあったようですが、こういったことが全部事実だったとして、たぶんそうなのだろうと僕は推察しますが、ずいぶんとこの人は「罪つくり」なことをしているのです。「手伝ってやったのだから、少々の嘘で文句は言うなよ。こっちだって自分の身を守らなきゃならない事情はあるんだ」というのが見城氏のホンネなのでしょうが、「自分だけ正義漢ぶって、よくここまで掌を返せるものです」とAは憤るのです。

 出版社と著者の間のいさかいそれ自体は珍しいことではないでしょう。個人的なことながら、僕も何年か前、「とてもこういう人とは仕事はしかねるな」と思って、何年か続けて翻訳の仕事をさせてもらっていた零細出版社に、「増刷の際の訳文の手直しは別として、これで貴社との仕事は最後にさせていただきます」と告げたことがあります。おかしなことが一つや二つではなく、相手の人間性そのものを疑うまでになっていたので、堪忍袋の緒が切れてしまったのですが、その後僕がその中のお粗末のいくつか(全部ではない)を暴露したことから、相手は憎悪を募らせたらしく、「性格に問題があったから、こちらから縁を切った」などと大嘘をついているらしく、おまけに、僕は経営が大変なことを知っていたから、そのうち三冊の本に関してだけ今後は増刷の際印税をもらい受ける(他はいらない)旨申し出て、相手も了承したのですが、該当訳書にその後増刷されたものがあったにもかかわらず、一銭も支払いを受けていないのです(直しが多くなってカネがかかると文句を言うので、こちらがその費用を負担した本まであったほどですが、おかげでそれすら回収できていない始末です)。こういうのは民事犯罪で、訴訟でも起こせば一発で決着がつくのですが、その後売れそうな本も出しておらず、既刊書の比較的売れ行きのいいものだけにすがって自転車操業しているのだろうと同情して、黙っているだけの話なのです(読者はだから、そこから出ている僕の訳書を買ってくれても、僕には何の恩恵もないのだということをご承知おきいただきたいと思います)。

 いつぞや芥川賞作家の柳美里氏が「貧困」に陥っていて、雑誌「創」の原稿料も未払いになっていて、督促を続けているという話を読みましたが、こういうのは「自分に大恥をかかせたあいつなんかに払ってやるか」という心理も重なっているので、それならさっさと僕の訳書を絶版にすればいいのではないか(どのみち一銭も入らないのだから、こちらとしては痛くもかゆくもないのです)と思いますが、売り上げが減って損なのでそれはしないというのがいかにもその人らしいセコさ(それでいて「エゴの消滅」を人にお説教なんかしたりするからスゴい)なのです。

 話を戻して、Aと見城氏の場合も、互いに互いのやったことを「裏切り」だと思っているので、それでこういうことになるわけですが、ふつうに考えるなら、Aは「残忍な人殺し」以外の何ものでもないので、それが見城氏を道徳的に非難するのは、感覚的に大いにズレていることは否めないところです。彼のHPを見ると。まるで前衛芸術家のそれみたいで、彼は「異端」を自任するアウトロー作家のようですが、見城氏が「君は現実の踏み絵を踏みぬいた」なんておかしな具合におだてるから、彼のカン違いにはなおさら拍車がかかってしまったのかもしれないのです。そこには「『絶歌』出版に寄せて」と題された彼の自画自賛の広告文もあって、

 2015年6月11日、少年A初の自叙伝 『絶歌』(太田出版・刊)を上梓しました。
 少年A事件に関する書籍はこれまでにも数多く出版され、ほとんど出尽くしている感がありますが、少年A本人が自分の言葉で語ったものは、この『絶歌』が最初で最後です。
 事件、被害者、家族、社会復帰後の生活について、これまで誰にも明かせなかった胸の内を、包み隠さず、丹念に、精魂込めて赤裸々に書き綴りました。
 事件から18年。『冷酷非情なモンスター』の仮面の下に隠された“少年Aの素顔”が、この本の中で浮き彫りになっています。
 「少年Aについて知りたければ、この一冊を読めば事足りる」
 そう言っても差支えないほどの、究極の「少年A本」です。
 一人でも多くの方に手に取っていただければ幸いです。


 …と書かれているのです。その上には略歴も記されていて、

  1982年 神戸市生まれ。
  1997年 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)を起こし、医療少年院に収容される。
  2004年 6年5ヶ月の収容生活を終え社会復帰。


 …とあって、まるで学歴や社会的功績を誇るかのように、児童連続殺傷事件の過去が紹介されている。身長、体重、視力、血液型に加えて、「大動脈心臓部に雑音あり」なんてことまで書かれているので、そのナルシシズムは半端なものではないのです。

 今後、彼は何をするつもりなのか? とやかく見城氏を非難してみても、そのおかげで彼は手記を世に出すことができ、3千万という印税を手にしたので、今までのように3Kバイトで疲労困憊しなければならない心配もなくなったのです。成人なら最低でも無期懲役は免れない犯罪を起こした男が、少年法ゆえにそれを免れ、大金を手にして、実名や現在の容貌は隠したままなので、事実上どこにでも出入りできる(文春記事によれば、今は「都内に居住していると見られる」そうですが)。

 これはおそらく「モラル・ハザード」の最たるものでしょう。彼の異常かつ病的な「感性」が「治った」とはHPを見た限りではとうてい思えず、

 かつて己の全存在を賭して
 幼い牙で必死に咬みついたこの世界に
 ものの見事に懐柔され
 ズルズルと生きながらえてきた自分を本当は恥じているのだろう?
 有無を言わさず権力によって抹殺される程の教委になれなかった自分を
 心のどこかで恥じているのだろう?(手紙の一節)


 などと書いている男が、事件の被害者や遺族に「贖罪の念」をもっているとは想像しにくい。かつてのマスコミ宛の声明文に見られたのと同じナルシシズムと自己顕示欲が、むしろ今回の手記出版で増幅されたようなかたちで表われているのです。

「手痛い裏切りに遭」ったと嘆く見城徹氏がほんとに後悔の臍(ほぞ)をかまなければならなくなるのは、次にAが恐ろしい犯罪を再び犯した、そのときかも知れません。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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