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言論の虚しさ

2015.09.07(15:23) 344

 言葉というのは人間に固有の道具で、それを使って僕らはものを考え、人と議論をしたり、説得したりするわけですが、それがほとんど何の役にも立たないということがしばしばあって、そういうことばかりだといい加減馬鹿らしくなってくるものです。「言うだけ無駄」だと思ってしまう。

 原発問題しかり、今の安保法案しかりで、“地域ネタ”ながら、この前久しぶりに書いた宮崎県の県立普通科高校の課外の問題などでも同じです。実際主義者の僕は、「そんな合理性のないもの、さっさとやめればいいだけの話ではないか?」と思いますが、それだけのかんたんなことですら、なぜか「難しい」らしいのです。

 問題なのは、いずれも道理に則った議論をして、その議論を踏まえて変えるべきものなら変える、変えていけないものなら変えない、という筋道だった展開にならないことで、原発問題なんて、地震の巣みたいな国でああいうシビア・アクシデント(専門家によれば、まだ「あの程度」で済んだのは運がよかったからだという)が起きて、原発の不合理性(経済的合理性も含む)が誰の目にも明白になったのに、どうしてまた再稼働なんてことになるのか、大方の国民には「理解に苦しむ」話です。「再稼働しなければならない」積極的、必然的な理由などどこにもなく(立地自治体の経済がそれがないと立ち行かない、なんてのは枝葉の議論です)、「再稼働すべきではない」理由の方に圧倒的に分があるのに、そういう道理とは無関係に事は進んでゆく。そうすると、福島原発事故以後のあの膨大な議論など、何の意味もなかったに等しいということになるでしょう。

 安保法案にしても、あれが「違憲」だということは明白であるとして、問題はそれだけでなく、そもそもあんな余計なものが今どうして必要なのかというより根本的な疑問があって、「それは国際情勢の変化」などというありきたりの説明では合理化できないものですが、そのあたりに関しても説得力のある説明は何もなくて、ある事例がナンセンスだと論破されると次にまた別のこじつけを出してくるということの繰り返しで、むしろ説得力は低下する一方です。自公が最大議席をもっているから、法案が通ってしまう(安保法案の公約で自公は多数票を獲得したわけでは全くないのですが)というだけの話。こういうのは「反知性主義」がどうのという話ではなくて、ただの理不尽ではありませんか。イラク戦争がブッシュ政権の出鱈目で始まったのに劣らないおかしさです。

 論争で負けた方が勝った方に従うというのなら、たとえその「勝った方」の考えが後で間違っているとわかったとしても、その時点でまた修正が利き、筋道の通った展開になるのですが、こういうのではどこへどう転ぶのか、全くわからないわけです。

 精神衛生上もよろしくない。一生懸命考えて、ああだ、こうだと言っても、そういうことが現実に何も反映されないのですから。やっていることがどんなにおかしくとも、とにかく権力を握っている側の、あるいは既成事実側に立つ側の勝ちなのです。

 こういうふうに道理が通らないと、しまいには論理の形成や話し合いに時間とエネルギーを割くのは無駄だということになって、残された道は二つになります。「長い物には巻かれろ」で、諦めて無気力にそれに従うか、こうなったら暴力で対抗するしかない、ということで、力づくの権力転覆行動に走るか、です。

 どちらも望ましくない結果になるのは自明の理ですが、そういうふうに仕向けてしまう社会のあり方は病的で、「万機公論に決すべし」という「五箇条の御誓文」にもあったという民主主義の原理は完全に崩壊しているということです。

 こういうのは一般に「権力の傲りと腐敗」によって生じるわけですが、安倍政権の場合だと、彼らはおかしな勘違いをしていて、「政治向けのことは民衆やそこらの学者にはわからない」と勝手に決め込んで、支持率の低下は大いに気にするが、それは「民意の尊重」に発するものではなく、選挙の趨勢に影響するからで、「愚かな民衆が一部の左翼学者やマスコミに煽られて反対するのは困ったものだ」という思い上がりは変わらないのです。

 とくに安倍晋三の場合には、祖父の岸信介の姿がつねに脳裏にあって、「あの安保改定は世論の猛反発を受けたが、おじいさまのやったことは正しかった。自分の場合も同じだ」と勝手に思い込んでいるのだから、始末に負えないのです。だから、支持率が低下しても「祖父の時と同じ」だと思うだけで、自分が時代錯誤かつ国際政治音痴の、宗教狂信者にも似たパワー・ポリティクスの崇拝者にすぎず、国家の未来を危うくする愚か者なのではないかという反省につながることはない。

 官僚・政治エリートや、財界人の「劣化」もすさまじい。後者の場合、アベノミクスは大企業経営者や投資家たちには好都合な政策だから支持するのはわかるが、それでも昔の財界人はそこまで「利己的」ではなく、もっと総合的な視点から物事を考えて、時の政権に物申すということもしたはずが、そういうことが一切ない。今回の安保法制も、軍需産業にとっては儲け話を多く含んでいて、だからこれはいいわいということで、国の将来を憂えて反対するというようなところは全くないのです。

 官僚・政治エリートの場合には、安倍のような幼児人格は自分におもねる奴とそうでない人間を処遇においても露骨に差別するからなおさらですが、恥も外聞もないゴマスリ合戦になっていて、そういう手合いばかりが「出世」するという図式になっています。それを見て僕が思い出すのはオウム真理教の教祖・麻原と、その幹部たちの「忠勤競争」の絵柄です。レベルも同じなら、その忠勤競争が己自身の「信念」によると錯誤しているあたりも同じで、おそらく行き着くところも似たようなものなのですが、見ていて全くウンザリさせられる光景です(安倍が失脚して、全く違う考えの人間が総理になったら、彼らはどうするのでしょう? 都合よくまた「政治信条」もスライドさせる?)。

 日本人に「主体性」が乏しいのは何も今に始まったことではありませんが、おかしな奴が権力の座に就いたり、おかしな既成事実がつくられたりすると、それでもう終わりで、どこに、誰に責任があるのか不明確なまま、行き着くところまで行き着いて、その破綻によって変更を余儀なくされるしかないというのは、日本社会の宿痾(しゅくあ)というものなのでしょうか。そのあたり、戦前戦中から全く進歩がないように見えるのは驚くべきことです。

 と、一人でブツクサ言ってるのも無駄ということになるわけですが、僕が今ここに書いていることは、かなりの程度「国民のイライラ」の代弁にはなっているだろうと思います。昨夜見たニュースでは、これは「NNNが4日~6日に行った世論調査」の結果だそうですが、「審議が大詰めを迎えている安全保障関連法案について今の国会で成立させることを『よいと思わない』が前月より7.8ポイント増え65.6%となった」とのこと。

 世論調査では、安保関連法案を今月27日に会期末を迎える今の国会で成立させることについて、「よいと思う」は24.5%(前月比-5.0P)で、「よいと思わない」が65.6%(前月比+7.8P)に上った。また、46.6%の人が、法案に反対するデモが国民の意識を「代表していると思う」と答え、36.9%の人が「代表していると思わない」と答えた。
 一方、安倍内閣の支持率は、「支持する」が39.0%(前月比+1.2P)で7か月ぶりに上昇に転じた。「支持しない」は43.0%(前月比-3.7P)だった。また、安倍首相がいつまで政権を担当することがよいかについては、「衆議院の任期が来る3年後あまりまで」が24.3%、続いて「すぐに辞めてほしい」の20.9%、「今年いっぱいまで」は17.3%だった。
 維新の党を離党した橋下大阪市長が立ち上げを表明した新党について、「期待する」は30.0%にとどまり、「期待しない」は58.9%だった。


 何だかよくわからない調査結果で、「安保法案の今国会での成立に65.6%(前月比+7.8P)が反対」しているのに、政権支持率はまだ4割近くもあるというのは、僕には不可解そのものですが、これは「代わりがいない」今の政治家の人材不足の賜物だと解釈する他はありません。「アベノミクスがコケてとんでもないことになっては困る」という心情も、そこにはからんでいるのでしょう。

 いずれにせよ、国民の4分の1に満たない「24.5%(前月比-5.0P)」の賛成しかない法案が、もうすぐ成立してしまうわけですが、「自民党の高村副総裁は6日、安全保障関連法案について、『一刻も早く抑止力を作っておく必要がある』と述べ、国民の理解が十分に得られていなくても、今の国会で法案を成立させる必要性を強調した」(FNN)とのこと。

 そうして、「国民の理解が得られなければ、次の選挙で政権を失う。これが民主的統制だ」と啖呵を切って見せたそうで、これはどういう意味かというと、「既成事実を作ってしまえば、国民は諦めて自民にまた信任を与える」ということだとしか解釈できません。願わくば、また北朝鮮や中国が「不穏な動き」を見せてくれれば、ということなのでしょう。そこで国民の恐怖心を煽れば、「やっぱりこの法案は必要だった」と信じ込ませることができると。

 国民もなめられたものですが、こうした「理不尽」に有権者は怒って、次の選挙で自民に大敗の屈辱を舐めさせることができるのか? 橋下新党を仲間に取り込んで、というのがさかんに橋下徹(引退したはずじゃなかったのか?)をおだてて見せる安倍と菅の魂胆のようですが、上記の記事にも、その新党、「『期待する』は30.0%にとどまり、『期待しない』は58.9%だった」とあるので、「そうは問屋が卸さないよ」というのが今の民意だということでしょう(橋下の言うことは「三百代言」そのもので、次は何を言い出すやらと、苦笑するほかありません。その時々の狭い範囲でだけ「理路整然」としているのです)。

 しかし、安倍自民を倒したとして、その「受け皿」はどこにあるのか、という不安が有権者にはあって、自民に「支持率が下がるのは覚悟で、責任政党としてわれわれは安保法案を成立させた。また、道半ばのアベノミクスをここでやめて、景気を悪化させてもいいんですか?」なんてことを言われると、それは間接的な脅迫ですが、にわかに腰がふらついて、「消極的動機」から自民に投票という人もかなり出てくるでしょう。出鱈目な政治が続くと、頭が混乱してくるだけでなく、無気力な追随心裡も増幅されて、諦めムードの中、是非善悪はどこへやら、少しでも無難で「安定した」側に肩入れするということになって、「リスキー」な野党に投票することはためらうようになるのです。安倍自民はその心理を突いて、自信たっぷり大風呂敷を広げ、他方で「前回の民主政権はどうでしたか?」なんて皮肉もまじえて、さも責任感に満ちた政権与党みたいなフリをするでしょう。

 デマゴーグというやつはいつも自信たっぷりで雄弁ですが、それは彼らに責任感や良心が欠落しているからに他なりません。普通人にはある人間的なためらいや葛藤がないから、彼らは強い。それはサイコパスの特性でもありますが、彼らは結局は自他を破滅に追い込むので、政治の世界におけるサイコパス=デマゴーグは、それがもたらす惨害も深刻なものとならざるを得ないのです。

 僕が望むのは、“まともな”論理と感情、コミュニケーション能力をもつ、正常な手順で物事を決め、進められる政治家たちですが、有権者はここらへんでその「基本」に戻って、おかしな妄言には惑わされず、選挙の候補者選びをしたらどうかと思います。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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