「永劫の、哀悼の誠」?~安倍七十年談話のお粗末

2015.08.16.06:06

 政治というのは何でも利用しようとするものです。僕も六十年生きてきて、そのことはよく承知しているつもりでしたが、安倍晋三の「戦後七十年談話」なるものを一読したときは、これだけハートのない駄文をよく書けたものだなと、あらためて感心しました。感動? そんなものはゼロで、何とも言いようのない不快感だけが残ったのです。

 彼はこの中で、責任ある為政者の立場を引き継ぐ者としてでなく、学校教科書か二流の評論家のような他人事じみた口調で「過去を回顧」しています。次の箇所などにはそれにネトウヨ的な“味付け”が施されているわけですが。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 はいはい、わかりましたよ、という感じです。「未来永劫、(侵略戦争の)謝罪を続けなければならないのか?」なんて文句を言うくせに、それより前のことは自慢したがるのです。要は、都合の悪いことには触れたくないが、自慢だけはしたいということです。

 僕は前に塾の高校生たちにこういう話をしたことがあります。ご先祖様に立派な人がいたからといって、それは君たちの自慢には少しもならない。先祖がどんなに立派でも、君自身のやっていることが卑劣漢のそれなら、君は疑いもなく下らない人間だからだ。逆に先祖に人殺しや薄汚い人間がいたからといって、別に自分を卑下する必要はない。君と先祖は別人格だからだ。ただ、過去の歴史については最低限のことは知っておくべきだ。そうすれば、人間は時代や状況によっては何をしでかすかわからない生きものだということを知って、そういう状況を作り出さないようにする責任が自分たちにあることを自覚するようになるだろう。また、自分の父祖たちの蛮行や卑劣な行為によって苦しめられた人たちがいたことを知れば、自分に直接の責任はなくとも、それに対してすまないという思いを自然にもつようになるだろう。それが人間というものだからだ。

 自分の個人的なコンプレックスを過去の民族の「栄光」によって補償しようとしてはならない。自己肯定感に乏しい人間は民族であれ、自分が所属する集団であれ、それを美化した上でそれに自己同一化し、それを貧弱な自己のつっかえ棒にしようとする傾向がある。そうした愚かなオトナを見習ってはならない。個人の心理的問題は、個人のレベルで解決するのが正しいし、それ以外に有効な手立てはない。よく親がわが子に自分の果たせなかった夢の実現を託そうとして、子供に無理強いし、こどもの人格を歪めてしまうことがある。自分の人生は自分で完結させるべきだと考えている親は子供を一人の人格として尊重し、そんなことはしないが、どちらが子供にとって幸福かは君たちにはわかるだろう。精神的な自立度の高い親はむしろ子供に思想や信条で過度の影響を及ぼさないように気をつけるものだ。そういう親はわが子が自分のエピゴーネンになることを嫌うのだ。

 愛国心を押しつけようとする教師や政治家がいるものだが、君たちはそういう幼稚で病的なオトナの言うことを真に受けてはならない。愛国心なるものは戦争の主要な原因の一つである。何国人、何民族ということで憎んだり敵視したりする人間は、相手を一人の人間として、個人として見ることができなくなる。大体、愛国心や愛郷心というものは生活の中で自然に育つもので、それでは足りないと考えている人間は何かよからぬことを考えている手合いか精神を病む人間だと思った方がいい。愛国心には警戒せよ。

 話を安倍の腐れ談話に戻しましょう。型通りの「歴史回顧」をして見せた後、彼はこう言うのです。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。
 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。


 いかにも、といった大仰な言葉の羅列です。安倍は中韓の反応をおもんぱかって、これ以上外交問題がこじれては危険水域に達している支持率はどこまで低下するかわからないと、それを恐れて今回はさすがに避けたようですが、彼の靖国参拝時の「エイレイノミタマ」云々も、たんなる「戦死者の政治利用」にすぎないと、僕は苦々しく眺めてきました。お座なりのこういう空疎な美辞麗句に誰が心打たれるのでしょう?
 同じような仰々しいだけの虚ろな演説は続きます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。


 非常に、薄気味の悪い文章です。「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」とあるのは、例の「従軍慰安婦」を念頭に置いて言ったものかと解されるのですが、当事者意識はゼロで、「おまえら、忘れるなよな」とお説教して下さるのです。「何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。」へえー、そういうものなんですか、とつい突っ込みを入れたくなります。自分の言葉に酔っているだけで、「今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得」ないのだと言うが、「嘘つけ!」と言いたくなるのは僕だけではないでしょう。
 さらにこう続きます。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。


 うーん。最後の「私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります」というあたりとくに、「こんなことを言うボクちゃんって素敵!」という自己陶酔がにじみ出ているようで、お友達人事の乱用で権力を私物化し、マスコミを恫喝し、解釈改憲を平気でやってのけるおまえに「自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持して」きたなんて言われたくないなと思うのです。
 さらに続きを見てみましょう。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。


 なかなか殊勝に見えますが、そこから「あらためてお詫びの言葉を…」となるのかと思ったら、さにあらず、次のような展開になるのだから驚きです。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。
 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。


 要するに、こういうことなのです。「戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき」「中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた」のは、海外の国々の人々のおかげであり、「それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか」、それを日本人は思いみるべきだというのです。

 ふつう、自然な心情の流れとしては決してこうはなりません。悪い頭をひねって、無理やりおかしな理屈をこねて、強引にそういうところに話をつなげてしまうのです。

 これは、「米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている」というあたりからもわかるように、「そういうふうに寛大な人たちもいる」ということで、それに「感謝」を示すことによって、しつこく日本非難を続ける中韓を「しつこいし、狭量すぎるよ」と暗に皮肉っているのです。

 素直に謝罪するのはイヤなので、何とか代わりの理屈はないものかと考えたら、結果としてそういう当てこすりめいたことを言う羽目になった。ボクちゃんはもうこだわってないのに、あんたたちは何でしつこくそんなにこだわるの? 安倍が一番言いたいことは要するにそういうことなのですが、そのホンネに近いものがここには出ているのです。

 こういうのも、しかし、強い違和感を感じさせるので、そこから分析してみるとどうもそうらしいなとやっとわかるという性質のもので、僕は最初読んだとき「何?!」と思ってしまって、さっぱり意味が分かりませんでした。こういう「頭の先で作った」文章には人を感動させる力は全くないので、実際「感動した」という人はいないでしょう。

 そうやって海外の人々の「寛容の心」に「感謝の気持ちを表したい」とした後、次のような言葉が出てきます。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。


 これ、読んで意味が分かったと言う人はおられますか? 安倍晋三特有の「没論理の論理」と言ってしまえばそれまでですが、安倍の特徴はとにかく「謝罪」したくないことで、そのために「過去の歴史に真正面から向き合わ」ないところが、アジアだけでなく、欧米諸国からも一番危険視されているのですが、そう見られているご本人がこういうことを言うのは笑えないジョークみたいなものです。

 それにしても、安倍は守るべき憲法は守ろうとしないくせに、何の法律的・道義的義務もないこういうよけいな「談話」はどうして出したのでしょう? そこには個人的な功名心、虚栄心以外の何ものもないと思われるので、全くご苦労さんと言う他はありません。

 彼の空疎な「談話」はなおも長々と続くのですが、見るべきものは何もないので、これでもう十分でしょう。一刻も早いご退陣を、心より祈念いたします。安倍晋三様。
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