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報ステ古賀「暴言」の教育的価値

2015.04.03.16:52

 一週間ほど私用で留守にしていて、戻ってきたらこの騒動が持ち上がっていました。出かける前に、「受験戦線終わる」と題して、わが零細塾のそれ(今年は最初期を除けば過去二番目の少なさで、受験生が6人しかいなかった)も含めた今年の延岡市の各高校(公私立)の大学受験の結果についての概観とコメントを書きかけていたのですが、もう四月の入学シーズンで、証文の出し遅れみたいになってしまったので、そちらはカット。いずれ折を見てそうしたことには触れる機会もあるでしょう。

 それでは本題に入りますが、前にも書いたとおり、当地では地上波民放は二つしか入らないので、テレ朝は見られないのですが、3月27日の「報道ステーション」で面白いハプニングが起きた、とのこと。そのやりとりの詳細はYoutubeでわかりますが(→こちら)、僕同様、その番組を見ていなかった方にはそれをまず見て(というより聴いて)いただくとして、記事によるまとめ(たくさんあるが、これはBusiness Journalのもの)も引用すると、

 27日放送の同番組に生出演した元経済産業省官僚の古賀茂明氏は、キャスターの古舘伊知郎から中東情勢に関しコメントを求められると、「ちょっとその話をする前に。テレビ朝日の早河(洋)会長と、(古舘の所属事務所)古舘プロジェクトの佐藤(孝)会長の意向で、今日が最後ということに」と発言。これを受け古舘は、「ちょっと待ってください。今の話は承伏できません」と反論したが、古賀氏は「古舘さんもその時におっしゃりました。『この件に関してはお役に立てなかった。本当に申し訳ない』と。全部録音させていただきましたので、そこまで言われるならすべて(音声を)出させていただきます」と語った。
 さらに古舘が「番組ではこれまで川内原発に対する指摘や、辺野古の問題についても取り上げてきたじゃないですか」と問い質すと、古賀氏は「それをつくってきたチーフプロデューサーが更迭されます」と抗戦。古舘は慌てて「更迭ではない」と否定する事態に発展した。
 ちなみにテレビ朝日広報部は日刊スポーツの取材に対し「そもそも古賀さんもその(=専門分野毎のコメンテーター)中の1人。降板ということではない」として、降板との見方を否定しているが、インターネット上などでは放送直後から大きな波紋を呼んでいる。


 これに対する反応としては「よくぞ言った!」という賛辞と、「私怨から出た暴言で、番組の私物化に等しい」といった批判と、大別して二つあるようです。

 僕の場合は前者で、さすが古賀さん、やるなあ、と思わずニンマリしてしまいましたが、この記事には出ていない、「菅官房長官をはじめとして官邸のみなさんからものすごいバッシングを受けてきましたけれども」という表現で名指しされた一人である菅官房長官は、記者会見で「事実無根!」と反論したという。実際は「事実有根」でも、テレ朝関係者がそれをバラす心配はまずないから、彼は安心してそう言えたのでしょう。「権力の嘘」はいつもそうやって覆い隠されるのです。関係者が死ぬ前にそのあたり正直に告白しておいてくれれば、いずれ真相は明らかになるわけですが。

 古賀氏のこの発言が「コメンテーターとしての領分を逸脱している」というのは、たしかにそのとおりです。それが自分の降格についてのものであるという意味で、「個人的」なものであるのもたしかです。頭のいい古賀氏がそれを承知していなかったはずはない。

 意外に思ったのは、江川紹子氏まで、「公共の電波で自分の見解を伝えるという貴重な機会を、個人的な恨みの吐露に使っている人を見ると、なんとももったいないことをするのか…と思う」と、古賀氏を批判したという話です。えらく分別ありげな物言いですが、こういうのを事実の矮小化と呼ぶので、古賀氏がこうした行動に出たのは、それが今のマスコミのあり方に直接関わる重大問題だと思ったからで、「個人的な恨みの吐露」で片づけられてしまっては、上のYoutubeの録音の後の方には、ガンジーの言葉を引用した問題提起が出てきますが、泣けてくるというものでしょう。自分の不始末が元で懲戒免職になったサラリーマンが、自己正当化のための虚偽の理由をでっち上げて会社を告発する、というような場合には「個人的な恨み」以外の何物でもないでしょうが、会社を法的には何ら問題のない組合活動などで不当解雇された会社員が会社を訴えたりするのは、ふつう正当なこととみなされるでしょう。社内の深刻な不正を見て、それを内部告発する場合も、そのことにその人が不満や怒りを覚えているのはたしかなので、「個人的な恨み」と言えなくもないが、それは義憤によるものなので、これら後者の場合は「正義の行い」であると僕は解します。それは個人の利害を超えた大きな社会的意味合いをもつからです。そのあたりの区別もつけずに、「番組を降ろされるのを恨みに思って」そうしたのだと受け止めることしかできないというのでは、自分が関わることに関しては「私怨」と解されて何も発言できないことになって、個人の委縮を招きます。ジャーナリズム関係者としては驚くべき言葉で、そこらへん、どう考えてものを言っているのか、江川氏から明確な釈明を聞きたいものです。それこそ、古賀氏に対して何か「個人的な恨み」でもあるのでしょうか?

 今のテレビの報道番組なんてものはたんなる「やらせ」で、あれは一種のショーにすぎないのだから、そういうところで正義派ぶって番組の流れをぶちこわすようなことをするのはマナー違反だといううがった見方もあります。今のマスコミは戦前戦中の大政翼賛体制に近いものになりつつあるのだから、それを承知してコメンテーターも引き受けろ、という論理で、これで行くと、古賀氏のような人がテレビに出ていたのはそもそもの間違いだったということになって、「降格も当然」ということになるでしょう。

 しかし、古賀氏が「反逆」しているのは、まさにその点に対してなのです。氏は僕と同じ1955年の生まれで、今年で還暦のはずですが、なかなかに“青い”ので、僕個人はそのあたりを大いに買っています。生放送だからカットできないというところを狙ったのも、ゲリラ戦法としてはうまいので、拍手を送りたいと思います。喧嘩の仕方を心得ている。

 もしも報道番組が皆、権力やスポンサーの意向に沿った、あるいはその「不都合な真実」にはタブーとして一切触れようとしないものなら、そんなもの、紛らわしいだけで、ない方が百はマシです。消毒の利きすぎたNHKより民放によい部分があるとすれば、民放の方が自由な斬り込みが多少なりとも見られる(見られた?)点で、それをしないのなら「これはニュースを素材とする娯楽番組で、権力やスポンサー、一般視聴者の不快感をひき起こすおそれのあるものはすべて注意深く排除されており、事件の真相・真実などの追求を目的とするものでは全くないことをあらかじめご承知おき下さい」というテロップでも五分おきに流せばよいでしょう。

 NHKの場合には、例の籾井会長の就任以来、ドキュメンタリーまで面白くなくなった印象で、人畜無害娯楽番組(ニュース番組まで娯楽化している)ばかり目立つようで、全(まつた)き「安倍様のNHK」になったと僕は認識しており、そんなものに強制的に視聴料を払わされているのは不快この上ないので、最近NHKの電波だけ入らない受信機ができたそうだから、そちらに変えて、支払いを拒否する(自動引き落としになっているので、手続きがめんどくさいが)ことも考えているのですが、民放は下らないCMさえ我慢すれば、せめてニュースぐらいは面白いものを見られるかと思いきや、こちらも揃って「安倍様の民放」では、テレビなんてものは何の役にも立たないものになってしまうでしょう(僕は元々テレビは、スポーツ中継を除けば、ニュース類しか見ないのですが)。

 古賀氏は、要はそのことを問題にしているのです。唯々諾々と「やらせ」に協力して出演料を受け取っている「コメンテーター」という名の文化・知識人諸氏には、それは間接的批判のように感じられて不快だから、「個人的な恨みの吐露」ということにしたいのはわかりますが、それは「テレビの自殺」で、それでも上記のような「お断りテロップ」は流さないわけだから、大政翼賛テレビ報道を見て、それを真に受け、いいように動かされて、大政翼賛的な投票行動を行い、時の権力の意のままになる大衆が出来上がるというのでは、この国はお先真っ暗でしょう。

 別に政府寄りのメディアはあってもよい。たとえばナベツネの読売は「日本版人民日報」だという評価をすでに不動のものにしているし、ネトウヨ好みの中韓の悪口を読みたいのなら産経を開けばいい、という具合で、それが好きな人もいるのだから勝手にすればいいが、そういうのばかりになっては困るので、幼稚な安倍政権の特殊さは、全部がそうならないと気に食わず、陰に日に圧力をかけ続けるというその不寛容さ・執拗さにあります。

 言論の自由を守るためには、「メディアの独立性」が担保されねばなりません。なるほど、今ではこういう個人のブログもあって、そちらに書けばいいのだと言う人もいます。しかし、それはたとえ有名人のそれであっても、「たかが個人のブログ」なので、テレビでの爆弾発言とはインパクトが大きく異なる。局側も、「あの人には全く困ったもので…」などと、余裕たっぷり、自分の側の問題は何もなかったかのごとくそれを古賀氏の“個人的性癖”のせいにして無視することができ、せいぜいのところネット民と週刊誌の「面白ネタ」で終わるだけです。氏は、だから、どう言われようともあの場でやっておこうと考えたのでしょう。それは「覚悟の自爆テロ(そういうことをすれば危険人物視されて他の局からもお座敷がかからなくなるだろうから)」なのです。

 むろん、古賀氏のあの「自爆テロ」で、テレ朝と報ステの威信は大いに傷ついたでしょう。しかし、お寒い楽屋裏を暴露されて傷つくのは、その看板にふさわしい中身が存在しなかったからで、自業自得と言われても仕方のない話です。とりわけ権力の圧力に屈したとか、権力に迎合して“進んで自粛”するとかは報道番組にとっては致命的で、視聴者は今後、「裏の圧力」も考慮しながら、そのニュース解説を見ることになるでしょう。それはそれでテレビの面白い楽しみ方と言えるかもしれないが、要するに、まともには相手にされなくなってしまうということです。こうしたていたらくを見れば、新入社員にも骨のある人間は入ってこなくなる。放送局は給料がいいから、なんてさもしい動機の連中ばかりが入社してくるようになって、レベルはさらに低下するのです。

 識別能力(いわゆるリテラシー)さえあれば、今は大手マスコミより玉石混交のネット情報の方が真実に肉薄しているという説もあって、こういうことが続けば、マスコミはほんとに“ご臨終”になってしまうでしょう。

 しかし、たまたまその渦中にいて情報を得るのに苦労しなかったという場合は除き、ふつうの個人が自由にあちこちを取材するということは難しい。マスコミは入手しうる情報量において、一般個人よりはるかに優位に立つのです。塾の教え子に、今年新聞社(三大紙の一つだが、幸いにナベツネのところではなかった)に記者として入社した若者がいて、赴任先に行く前にわざわざ会いに来てくれたので、あれこれ話したのですが、僕が要望したことの一つは、記者の肩書があれば怪しまれずにあれこれ取材できるので、その特権をうまく活かして、手抜き取材をせず、いい記事の書ける記者になってくれ、ということでした。提灯記事、広報記事、自分の思い込みに基づく決めつけ記事は誰にでも書けるが、そういうのはジャーナリストではない。そしてヤバいことも、臆せず重要なことは一般人の僕らに知らせてくれないと困るので、今はやりの“自粛病”にかからないよう、記者としての社会的使命を忘れないようにしてくれと。

 彼は「この社会で自分に何ができるか?」ということを大学時代も悩みながらずっと考えてきた青年なので、いい記者になってくれるだろうと僕は期待しているのですが、そういう若者は今も少なくないはずで、今回のこの事件も、注視していたはずです。そしておそらく、そういう若者たちは古賀氏の態度に否定的な感想はもたなかったことでしょう。「やっぱり、報道にかかわる人間は、あれぐらいの覚悟はもたないと駄目だな」と思っただろうと想像されるのです。江川紹子(彼女も、今は何をしているのか知りませんが、ジャーナリストだったはずです)流に「個人的な恨みの吐露」などと矮小化した見解はもたなかったはずで、少なくとも僕の知るその青年は間違いなくそうです。

 その意味で、古賀氏の今回の事件は「番組を壊した」だけではない、鮮烈なメッセージを発して、そうした真摯な若者たちに自覚を喚起するという教育的役割を果たした。僕にはそう思われるのです。干されようとあらぬ中傷にさらされようと、踏ん張るところでは踏ん張らねばならないと。古賀氏が援用したガンジーの言葉(「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」)も、インパクトをもって受け止められたでしょう。勝とうが負けようが、人は戦うべきときは戦わねばならないのです。それはたんなる性格や「個人の嗜好」の問題ではないので、ジャーナリズムに関わる人はとくに肝に銘ずべきことでしょう。

【追記】毎日新聞4.6の電子版に「テレ朝:古賀氏降板問題 「圧力」か「暴走」か」と題したよい記事が出ているので、以下にその全文を引用します。

 放送現場で報道の自由は守られていたのか。コメンテーターの暴走だったのか−−。テレビ朝日の「報道ステーション」で、元経済産業官僚の古賀茂明氏が生放送中に突然、自身の降板をめぐる政権からの圧力を訴え、物議をかもしている。古賀氏、テレビ朝日、首相官邸それぞれの言い分は真っ向から対立している。【青島顕】
 ◇古賀氏「官邸から批判」
 3月27日の番組に出演した古賀氏は、古舘伊知郎キャスターから中東情勢へのコメントを求められた際に、テレビ朝日の早河洋会長らの意向で降板に至ったと発言し、「菅(義偉)官房長官をはじめ官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきた」と語った。古賀氏は1月23日の番組では、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)の日本人人質事件の政権の対応を批判し、「I am not ABE」と述べていた。
 古賀氏は4月1日、毎日新聞の取材に約10分間応じた。「圧力」の内容について、菅官房長官が報道機関の記者らを相手に古賀氏らの番組での言動を批判していた、と主張したうえで「官邸の秘書官からテレビ朝日の幹部にメールが来たことがある」と語った。
 また、昨年末の衆院選前、自民党が在京テレビ局各社に「公平中立」を求めた文書を配布したことについて「(テレビ朝日は)『圧力を受けていない』と言うけれど、局内にメールで回し周知徹底させていた」と批判した。
 古賀氏はテレビ朝日が3月末に番組担当のチーフプロデューサーとコメンテーターの恵村(えむら)順一郎・朝日新聞論説委員を交代させたことにも言及した。「月に1度の(ペースで出演していた)ぼくの降板はたいしたことがないが、屋台骨を替えた。プロデューサーを狙い撃ちにし、恵村さんを更迭した」と語った。
 一連の人事をめぐる古舘キャスターの対応については「前の回(3月6日)の出演前に、菓子折りを持ってきて平謝りだった」と述べた。
 生放送中に、持論を展開した行動に批判が出ていることについては「ニュース番組でコメンテーターが何を言うかはある意味、自由だ。テレビ朝日の立場では『降板』ではないので、あいさつの時間も与えられなかった。だからどこかで言わなければならなかった。権力の圧力と懐柔が続き、報道各社のトップが政権にすり寄ると、現場は自粛せざるを得なくなる。それが続くと、重大な問題があるのにそれを認識する能力すら失ってしまう。『あなたたち変わっちゃったじゃないですか』というのが一番言いたかった」と語った。
 古賀氏は1日、市民団体のインターネット配信番組に出演し、「安倍政権のやり方は上からマスコミを押さえ込むこと。情報公開を徹底的に進め、報道の自由を回復することが必要だ」と述べた。報道ステーションでの発言に対する反応についても触れ「多くの方から大丈夫かと聞かれるが、批判は予想より少ない」と語った。
 ◇テレ朝と政権「事実無根」
 テレビ朝日広報部は、古賀氏の言う「圧力」について「ご指摘のような事実はない」と否定した。同社の早河会長も3月31日の記者会見で「圧力めいたものは一切なかった」と話した。
 広報部は毎日新聞の取材に対し、恵村氏の交代については「春の編成期に伴う定期的なものだ」と説明した。さらに、プロデューサーを「狙い撃ち」にしたとの主張についても「ご指摘は当たらないと考える」とした。
 その一方で、衆院選前の自民党の文書については「報道局の関係者に周知した」と認め、「日ごろから公平・公正な報道に努めており、特定の個人や団体からのご意見に番組内容が左右されることはない」と回答した。
 菅官房長官は3月30日の記者会見で古賀氏の発言について「事実無根。事実にまったく反するコメントを公共の電波を使った報道をして、極めて不適切だ。放送法という法律があるので、テレビ局がどのような対応をされるか、しばらく見守っていきたい」と全面的に否定した。放送法4条は「報道は事実をまげないですること」と規定している。

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