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少年法の対象年齢引き下げでは解決しない

2015.03.03.21:21

 またこの問題が浮上しているようです。

【この事件(=川崎市の中1殺害事件)に関連して自民党の稲田政調会長は先週、「犯罪予防の観点から今の少年法のあり方で良いのか課題になる」として、少年法のあり方を話し合う必要性を指摘。公明党の石井政調会長も、選挙権を持つ年齢を現在の「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる公職選挙法の改正案が今国会に提出される見通しであることに触れて、「成人年齢を下げるとの議論が出てくれば、少年法の対象年齢を合わせるべきだとの議論も当然起きるだろう」と発言しています。】

 これに対して、自民党の谷垣幹事長は、「直ちに刑事司法の年齢を一律に18歳に引き下げてしまうことが現実的かというと、私は、そうとは言えないんじゃないかと思います」と慎重な姿勢を示した、とのこと。(以上、TBSNewsより)

 谷垣幹事長の方が正しい、と思います。逮捕された18歳少年は犯行を認める供述を始めたようですが、総合的に考えて、この少年は並外れて幼稚で、心が育っていません。以前から弱い者いじめを繰り返すなど、腐りきったガキだったようですが、それが酒を飲んでは狂暴性を募らせるということになっていたらしく、今回のことがなくても、いずれつまらない動機から凶悪事件を起こして刑務所行きになっていたのは確実でしょう。それは、しかし、むしろ年齢相応の成長をしていなかったからなのです。

 問題は、なぜ周囲の大人が正面からコミットして、彼の乱脈な生活ぶりにストップをかけなかったのかということです。そんなことをやっていたのでは、いずれロクなことにはならない、もっと将来のことも考えてちゃんとしろと、誰も親身になって説諭するということはなかったのでしょう(こういうのはただ口先だけで言えばいいというものではありません)。暴走の前に立ち塞がって軌道修正を助けてくれる大人が一人でもいてくれれば、それは少年の転機、成長の機縁ともなりえたでしょう。

 最初にそれが期待されるのは彼の父親ですが、前の「息子は無関係」コメントから一転、「ショックを受けています」という新たな感想(?)を述べたそうです。その脳天気さに、僕はあらためて呆れました。これまでの数々の非行を、この父親はまるで知らなかったとでもいうのでしょうか? それを見て見ぬふりして放置しておいて、今さら「ショックを受けました」もないので、そういう反応の方がふつうの人にとってはよほど「ショック」です。

 周りの大人の誰かが代わって厳しく叱責し、その後で相談に乗ってやることもできた。むろん、これはこの種の妙に閉鎖的な「自分たちは悪くない」家庭の子供相手にはかなり難しいことです。手厳しく叱責すると、子供が家に帰って自分に好都合な嘘の報告をし、それで親がいきり立って抗議に来る、なんてのはまだいい方です。その場合は、「あなた方は日頃一体どういう子供の育て方をしているのですか?」と親に意見する貴重なチャンスが得られるからです。僕は塾商売をしていて、もちろんそれはこういう事件のそれと較べればずっと軽度のものですが、何度かその種の経験をしました。親が怒鳴り込んでくる、というようなケースではむしろその後がうまく行くのですが、大方はそれきりになってしまう。たんに“親子ともども気を悪くして”、翌日「家庭の事情で退塾します」というような電話が事務局に入っておしまいになるのです。一体、家に帰ってその子はどんな話を親にしたのだろうと思うのですが、それを知るすべはありません。

 ずっと前に一度書いたことがあると思うのですが、昔中学生相手の集団塾の校舎長をやっていたとき、図体の大きな(オトナの僕より身長も体重も上だった)中1の男子が、同じ学校の同級生のおチビさんに執拗ないやがらせ、というかいじめをしているのに気づいたことがあります。この種のことは休み時間の様子を見ていただけでもわかる(よくあるのはプロレスごっこと称して非力な子をいじめるものです)し、時には他の子供が教えてくれる場合もあるのですが、これは注意しないといけないなと思っていた矢先、授業中に、後ろの席からシャーペンの先で繰り返し背中を突いているらしく、おチビさんが「やめてよ」と小さな声で言っているのに気づいた。「やめな」と僕は言って、それでやめたようなので授業を続けていたのですが、しばらくしてまた性懲りもなく始めたのがわかったので、何たる頭の悪いクソガキかと腹を立ててしまい、「やめんかい!」と怒鳴って生徒たちの方を向いたまま、黒板を後ろ向き、こぶしで叩いたら、めりっ、というヘンな音がして、中指の付け根のでっぱりが黒板にめり込んでしまった。日頃、生徒たちに「備品をこわすな」と言っている手前、面目丸つぶれで「しまった!」と焦りましたが、そんなこと気にしている場合ではない。関西出身で言葉が悪いので、「何度言ったらわかるんだ! 叩っ殺されたいのか!」という言葉が口をついて出て、哀れないじめっ子は真っ青になって震え出しました。

 翌日、僕は塾に早めに行って、生徒の名簿を探していました。その子の親に電話をして、一度来てもらう必要があると考えたからです。こういう卑劣な悪さを放置しては、この先どういう人間になるかわからない。すると本部から電話があって、一件退塾の連絡が入っていますという。その子です。僕はその事務の女性に、「理由は何て言ってましたか?」とたずねました。「家庭の事情で」としか聞いていないという話で、苦笑すると、「何かあったんですか?」ときくので、事の顛末を手短に話したところ、その事務の女性はクスクス笑いました。大方、「ボクはちょっと遊んでいただけで、何も悪いことはしてないのに、あの先公ヤバい。このままでは殺される!」とでも言ったのでしょう。

 そうなって僕が心配したのは、いじめられていたおチビさんのことです。中学が同じなので、学校で同じようなことがあっても、こちらにはわからない。それで次の授業日にその子を別室に呼んで、学校で何かあったら必ず隠さずに言うんだよ、と言いました。そのときは絶対に助けるから、でも言ってくれないとわからないからね、と。おチビさんはこっくり頷きました。それからずっと様子を見ていたが、表情は前よりずっと明るくなって、それが曇る様子はなかったので、たぶん何事もなかったのです。

 よく「いじめや悪さをする側の子供にもそれ相応の理由がある(家庭の問題など)」という意見を聞きます。それはそうでしょうが、だからといって「悪いものは悪い」のです。そのけじめははっきりさせておかねばならない。でないと被害者がたまったものではないだけでなく、その子自身が人間として成長できません。

 これも昔の話で、もう二十年以上たちますが、副業で東京の専門学校で非常勤講師をしていたときのことです。僕の担当は一般教養社会学で、試験代わりにレポートを書かせていたのですが、その中に驚くべきものがあった。中学時代、半端でないワルで、何人もの生徒を不登校や転校に追い込んだという内容のレポートを書いた学生がいたのです。それは女子学生で、彼女は元「泣く子も黙る」不良女子グループのボスだったのです。相手をとっかえひっかえ、彼女はいじめ続けた。そのすさまじいいじめの詳細が綴られていたのですが、お咎めは何もなし。学校の担任教師などは恐れをなして、逆におもねるような態度をとり、いじめられている子の方に「いじめられるおまえにも問題がある」と説教する始末だったそうです。いじめの張本人の彼女によれば、「そんなものは嘘で、いじめる理由をこじつけていただけだ」というのですが。

 生活は全体にかなり荒れたものになっていたようですが、その頃の彼女の内面はどんなものだったのか? 誰でもいいからこの暴走を止めてくれ、と叫び出したいような心境だったというのです。コントロール不能に陥っていた。しかし、学校の教師も、親も、周囲の大人も、誰一人として自分の前に立ち塞がってくれる人はいなかった、と。触らぬ神に祟りなしで、皆引いてしまったのです。

 僕がそのレポートを読んで驚いたのは、内容がかなりすさまじいものだったという理由だけによるのではありません。彼女は僕のお気に入りの学生の一人で、授業態度は真剣そのもの、気品のある、凛々しいと言ってよいほどの雰囲気をもつ若い女性だったからです。それがこんな「過去」をもっていたのかと、読んで驚いたのです。

「私は腐ったガキだった」という言葉で始まるそのレポート(短文を畳みかけるように重ねて行くその文章力には見るべきものがあって、自分の言葉をもつ根が頭のいい子であることが示されていた)には、その後彼女がどういう経過を辿って「更生」したのかは書かれていませんでした。おそらく芯の強い子で、どこかで転機を見つけることができたのでしょう。

 そういう強い子なら、自力で軌道修正のきっかけをつかむことができるわけですが、こういう子供にしてなお、「誰か止めてくれ!」という悲痛な心の叫びがあったのです。自分の機嫌をとるのではなく、真正面から手を広げてストップをかけてくれる大人にめぐり合いたかったと言っているのです。それはむろん、彼女がずっと後になってから、自己分析して当時の自分の無意識の感情について述べたことなのですが、それは多かれ少なかれ、暴走する子供や若者には共通した心理なのではないかと思われるのです。

「悪いものは悪い」とはっきり言い切ってくれる大人、ほったらかしにするのではなく、暴走の前に確たる存在感をもって立ち塞がってくれる大人、そういう大人が今は少なすぎるのです。よく今の子供には反抗期がないと言われますが、こういう子供や若者の場合にはそれがあるわけです。そのとき衝突できる相手がいてくれて初めて、そこに成長の機縁が生じる。責任の観念や、人への思いやりも、それをきっかけにもてるようになるのです。

 それをしないのは広義の育児放棄、ネグレクトで、今は地域社会が子供への教育力を失っているから、親に教育力がない場合には、それがそのままこの種の若者の野放しにつながって、果ては今回のような殺人事件に結びつくのです。

 だからそれは、少年法の対象年齢の引き下げなんかで片付く問題ではない。この種の事件を引き起こすのは、きまって年齢相応の精神的な成長が妨げられている若者なのです。不足しているのはその方面のケアをどうするかであって、法律の厳罰化ではない。それで社会の復讐感情は満たされるかもしれないが、かんじんの抑止効果は疑わしいのです。

 問題は、そういう事態に立ち至る前の防止策です。具体的にはどうするか? 前回書いたように自然な「社会の生態系」がすでに崩壊している以上、行政が相談窓口でも設けるしかない。但し、その相談員を、今は社会人として立派に生活している元ヤンキーや、暴走族、足を洗ったヤクザなんかにするのです。そういう人たちに登録しておいてもらって、その都度謝礼は少し出すとして、呼べば来てもらえるようにしておけば、非行青少年やその家族のよき相談相手になってもらえるでしょう。型にはまり過ぎた元学校教師なんかよりずっと適任です。相手も話しやすい。「こういう相談窓口がある」ということがわかれば、近所の人がそういう子の家庭に教えてあげることもできるでしょう。

 そういうことに予算を出したらどうかと思うのですが、いかがでしょう?
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