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石破茂『日本人のための「集団的自衛権」入門』のまやかし

2014.04.04(16:49) 260

 僕には「かためて」やってしまう癖があるので、こういうのも読んでおいた方がいいだろうということで、買って読んでみました(新潮新書 2014年2月刊 税別680円)。
「まやかし」とあるので石破氏は怒り出すかも知れませんが、明白な嘘(僕のような国際政治の素人でもわかる)が事実いくつも含まれているので、やっぱりこういう政治家に任せておくのは危険だなと、あらためて感じた次第です。

 この本の中で唯一僕が共感できたのは、次の箇所です。

「そのような誤解(=日本が集団的自衛権の行使に名を借りて再度の侵略をするのではないかという)をされないために、集団的自衛権行使の議論をする際には、我々は二つのことをすべきである、と私はつねに言っています。それは『先の戦争の検証』と『中国や朝鮮半島のみならず、フィリピンやシンガポール、タイ、インドネシアといったアジアの国々へしてきたことの検証』です。前者は、なぜあの戦争を始め、なぜ負けたのかといったことについてのわが国自身による検証です。後者はアジア諸国に日本は何をしてきたのかについて検証をした上で、きちんとした認識を作ることです。」(p.104)

 その言やよし。むろんこれは、「西洋帝国主義列強のくびきからアジアを解放した」というような手前味噌に基づく「検証」のことではないでしょう。僕には今の政府がそれをやっているようには到底思えないのですが、やってますか? このへんだけは石破氏の割とまともなところで、安倍晋三よりはマシかと思われますが、誰に「つねに言っている」のか知りませんが、今の自民党にはそうした「過去の戦争」の真摯で謙虚な「検証」をやろうという空気が希薄すぎるように見えるからこそ、自国民にすら信用されないのです。右翼がこわくてそれをやらないのですか?

 さて、本書の「集団的自衛権」肯定論ですが、僕はそれには全く説得されませんでした。要するに、「今は必要でないかもしれないが、そのとき(いざ有事の際)にドタバタして間に合うものではないから、今のうちに憲法解釈を変えて、集団的自衛権行使が可能になるようしておかねばならない」の一点張りで、具体的にそれが必要な事態はどういうものであるか、わかるようにはなっていないのです。

 未来のことなのだから、そんなのわからないのは当然だ、と言われるかも知れませんが、いかにも軍事オタクの議論だなと、笑ってしまうものもある。

 その一例。「米国に飛んでいくミサイルについて、日本のミサイル防衛システムでは到底撃ち落とせない」という意見(p.128以下)があるのだそうで、石破氏はこれに、確かに現状ではそうだが、「それはあくまでも現時点での能力の問題に過ぎ」ないので、「いずれより装備の性能が向上した場合にはどうするのか。そうしたことは視野に入れるべき」だ、と反論するのです。

 つまり、今撃ち落とせないからといって、未来もそうだとはかぎらないというのですが、これがどう「集団的自衛権行使」と関係するかというと、「集団的自衛権」を認めると、同盟国への攻撃も守備範囲に入るから、「個別的自衛権」では対処できなかったアメリカへのミサイル攻撃の阻止も対象になるということなのです。今の自衛隊の能力ではそれは撃ち落とせないからナンセンスな議論だと言う人もいるが、日進月歩の軍事技術の観点からすれば、将来はそれが可能になるかも知れない。しかし、「集団的自衛権」が認められていなければ、そのミサイルを撃ち落とす権限はないわけです。この差は重要でしょ?

 しかし、一体どこの国がアメリカにミサイルをぶち込むのでしょう? 自暴自棄になった北朝鮮あたりでしょうか? ノドンだかテポドンだか知りませんが、以前アメリカ本土もその射程圏内に入ったと聞きました。核兵器を開発した暁には、それをミサイルに載せてアメリカに飛ばすのです。で、発射を事前に察知したわが国の自衛隊改め国防軍の精鋭技術がめでたくそれを撃ち落として、アメリカさんに恩を売る。核弾頭に命中して爆発させてしまって、「死の灰」が大量に降らなければ幸いですが(超上空だから大丈夫?)。

 すみません。おちょくるようなことを書いてしまって。しかし、「未来の危険要因」として石破氏がゐの一番に考えているのは、シリアや北朝鮮のような「無法国家」、「自国民を大量に殺害し、他国への侵略を虎視眈々と狙っている独裁者がいる国」のようです(目下のところ、両国とも自国民は大量に殺しているが、「他国への侵略を虎視眈々と狙っている」かどうかは知りません。しかし、そういう文脈でこの二国は出てくるのです)。

 このうち北朝鮮は隣国なので、わが国への直接脅威になりうるわけですが、その北朝鮮を牽制する上でも、わが国の「集団的自衛権容認」は重要だという。なぜか?「日本が集団的自衛権を行使できないということが、北朝鮮が韓国を攻めるかどうか考える際に、彼らにとって、『やってみよう』と決断する材料の一つになりえるのは間違いありません」(p.165)というのです。

 「なるのは間違いありません」ではなく、「なりえるのは間違いありません」と書くところに、石破氏の苦心の跡が見受けられるところです。

 これ、はっきり言いますが、あんまり関係ありませんよ。なぜかといえば、日本が出てこなくても、アメリカは出てくる(喜んで、ではなくても)からです。米韓では不足で、日米韓にならないと牽制にならないということはない。「現状では足りない」という話にしたいがためにこういう強弁をしているので、そういうのを論理のペテンと言うのです(大体、北朝鮮がそんなことをすれば、それは明白な「侵略」なのだから、世界を敵に回すことになる。中国も手を焼いていて、拒否権を発動してまであの国を守ろうとはもはやしないだろうから、いっぺんにジ・エンドになってしまうのがわかっているから、あの国は「恫喝」を繰り返すにとどめているのです)。

 オバマのアメリカがシリア攻撃を断念したことに関しても、「シリアの現状を見て、北朝鮮は確信を深めたはずです。なるほど、やはり核兵器や化学兵器、ミサイルや潜水艦をもっていれば独裁体制は維持できるのだな、と」と書いていますが、これも立派なペテンです。これではまるでアメリカがシリアの報復を恐れて攻撃できなかったみたいですが、話が全然違うのは石破氏もよく承知しているはずです。ここのところ、面倒だから端折りますが、前後の文脈が滅茶苦茶で、強引に話をそちらにもっていっているのです。

 オバマはシリア政府の化学兵器使用の報に憤り、いったんは攻撃を決意しました。それを翻したのは、彼が前任者のブッシュがしでかしたアフガン、イラクの泥沼戦争の後遺症で、厭戦気分が強くなっている国内世論をおもんぱかったためです。彼は大統領権限でただちに軍に攻撃を命令することができた。議会からは事後承認を得ればよく、それが慣例だったのに、彼は事前に議会に同意を求めるという「前代未聞」のことをしたのです(これについては日高義樹著『アメリカはいつまで日本を守るのか』に詳しい。この本も、けっこう記述がいい加減だな、という感じはあるのですが)。

 そして、シリアの後ろ盾がロシアだということも、石破氏は当然承知しているでしょう。それはともかく、シリアの核兵器、化学兵器や、ミサイル、潜水艦を恐れてアメリカが手出ししなかったというような話では全くない。ところが、そんなふうに書いておいて、お次は、北朝鮮の「明らかな停戦合意違反」の軍事的挑発行為にもかかわらず、韓国軍や米軍が北朝鮮を軍事的に攻撃しないでいるのも北朝鮮の「核」のせいだみたいなことを言って(「北朝鮮側は『やっぱり俺たちが核を持っているからだ』と解釈しているでしょうし」)、「実際にそういう面は強いはずです」なんて大真面目に述べているのです。議論のポイントが大幅にずれているので、そんな単純な話か、と大方の人は呆れるでしょう。これが「国防の専門家」をもって任じる男の「認識」なのです。危なくてしょうがない、と言われても文句は言えないでしょう。

 冒頭、僕はこの本には「明白な嘘」が書かれていると書きました。ついでだからその一つをここで引用しておきましょう。

「また、よく誤解されていますが、イラク攻撃はアメリカの自衛権の行使ではありません(引用者註:一体どこの馬鹿がそんな「誤解」をしているというのだ?)。あれは、国連安保理の決議に基づいて多国籍軍が動いたのです。つまり、集団的自衛権ではなく、集団安全保障の論理に基づく行動です。その違いについては第一章で述べましたが、イラクの大量破壊兵器が、世界の平和と安全を脅かす可能性がある、という安保理の決議があり、それに基づいて軍事行動を取ったわけです。アメリカが自衛権を行使したわけではありませんから、日本が集団的自衛権を行使できようができまいが、関係ありません」(p.146)

 イラク攻撃と言っても、ブッシュ親子がそれぞれやっているから、どっちのことなのかと思いますが、これは新しい方、ジュニアがやらかしたとんでもないやつ(第一次の方でもアメリカは虚偽の証人を立てて国連と自国議会を騙していたことがあとで発覚したのですが)の方を指しているのでしょう。しかし、あれは多くの国が反対して、常任理事国の拒否権発動を待つまでもなく多数の賛同が得られないことが明白になり、アメリカは苦しまぎれの「有志連合」なるものを結成して、イラク攻撃に踏み切ったのです。しかし、この引用文をそのまま読むと、あたかもその攻撃に対する国連の賛成決議があったかのようです。ありませんよ、そんなものは。

 こう言えば、石破氏は次のように反論するかもしれません。いや、無知なあんたは知らないのだろうが、その前にいくつも「決議」が国連で採択されていたのだと。しかし、それは、イラク攻撃を是とする決議ではなかったので、「有志連合」も「多国籍軍」ではあるでしょうが、それは国連の決議と承認によるものでは全然なかったのです(詳しくはウィキペディアの「イラク戦争」の項でも見て下さい)。

 こういういい加減な嘘をまことしやかに平気で書く男なのですが、「武器輸出」に関しても、腹が立つのを通り越して笑うしかないような珍説を披露してくれています。

 「武器輸出、もしくは他国との武器の共同開発というとアレルギー反応を示す人もい」るが、「歴史や現状を冷静に見ると、そう単純な話ではないことがわかるはず」だと言って、次のようなことを書いているのです。

 何でも彼は、「日本が太平洋戦争の開戦を決意するに至った要因の一つとして、軍艦や戦闘機などのすべてを自国で賄えるようになったことが挙げられるのではないかと考えてい」るのだそうです。軍事オタクらしくしばらく武器に関するウンチクと当時の国産兵器に対する賞讃が続き、「明治維新からわずか七〇年余りでこのような技術を持つにいたった日本人の姿は実に感動的です」とネトウヨたちを喜ばせるようなことを書くのですが、「しかし、自前で高性能の飛行機や戦艦を作る能力がなかったとすれば、あの戦争を始める決断はなされなかったのかもしれません」とのたまうのです。

 何?「自前で高性能の飛行機や戦艦を作る能力」があったから、あの戦争は始められたのか? 少なくともそれが重要な「要因の一つ」だったのだと? しかし「こういうのがあるからアメリカと戦争しても勝てる!」と軍の指導部と政治家がもしも本気で考えていたのだとしたら、それは彼らがみんな石破氏と同じ国際政治音痴の幼稚な「軍事(兵器)オタク」だったということになり、それならどのみち彼らにまともな政治判断ができないことは明白だった、ということになるでしょう。

 まあいい。気を取り直して(!)、先を読みましょう。実は彼のこの「洞察」(あまりにも鋭すぎる!)は、次のような主張の伏線となっているのです。

「紛争を助長させない、との厳格な基準の下に、日本が武器を輸出したとして、その輸入国がもしさまざまな事情によって国際秩序を乱すような行動に出ようとした時、日本が輸出を止めると意思表示することは、その国の行動を思いとどまらせることになるでしょう」(p.114)

 わかりましたか? つまり、武器を輸出し、その技術に相手国を“依存”させることによって、その相手国の行動を(武器禁輸措置などによって)コントロールすることができるのです。わっはっは(「武器輸出をすることで、結果としてその軍事力の強さをアピールでき」るというメリットもあるのだとのこと)。

 しかし、その国は“依存”しっぱなしではなくて、やがてその技術に学んで自前の兵器開発に進むようになるのではないか(かつてのわが国がそうであったように)と思いますが、そこらへんのことをどうお考えになっているのかは、この本ではわかりません(長くなるので書きませんが、こういう理屈それ自体が「空想的」なものであることは、少し考えてみれば誰にでもわかるでしょう)。

 代わりに出てくるのは、まことに軍事オタクらしい、次のような議論です。

「現状、世界の潮流は『武器の共同研究、共同開発、共同生産、相互連携運用』という方向に向かっており、その傾向は冷戦後とくに顕著になりつつあります。
 画期的な新兵器の開発には膨大な予算を必要としますし、開発にも大きなリスクが伴います。各国の財政難もあり、できるだけこれをシェアし、多く生産することには大きなメリットがあります。また、国連の要請などによる国際的な連携の下に多くの国が参加するオペレーションを展開するには、できるだけ武器やシステムが共通であることが望ましいことも当然です。故障が発生したり、一時的に不足が生じたようなときに、簡単に修理できたり、部品を融通しあうことのメリットは計り知れません(これをインターオペラビリティと言います)。このような国際的な流れの中、武器輸出についての考え方を徐々に見直すことが必要となります」(p.114~5)

 おもちゃのガンダムの話でもしているのではないかと思うほど、嬉しげな口調です。インターオペラビリティなる言葉を使用するときに得意の鼻が思わずうごめいてしまうのも、手に取るようにわかる。今は無人殺人兵器が国際的な問題になっていて、自分は身を危険にさらすことなく、ゲーム感覚で実際の生きた人間を殺せるようになってしまったことの深刻さが人々にショックを与えていますが、今のコンピューター技術からすれば、人間の操作に頼らず、自ら判断して人を殺す機械というのも十分技術的には可能なようです。映画『ターミネーター』が現実のものとなりかけているのです。

 しかし、この本にはむろん、そうしたことについての危機感とか、兵器が基本的に人の殺傷に向けられたものであることについての屈折した感情などというものはない。出てくるのは、「そもそも日本が武器輸出をしていないことが、『日本は世界の平和に貢献している』といった国際世論につながっているわけでは」ないとか、『日本は武器を輸出していないんだってさ。立派だね』などとは誰も言ってくれ」ないとか、武器輸出に反対する人たちへの愚にもつかない幼稚な反論だけなのです。

 この本の後半は「想定問答集」みたいになっていて、今引用した部分もそこからなのですが、大体どの程度の本なのか、これでおわかりになったでしょう。どうでもいいことには妙に細かかったりする(論理の訓練というものを受けていない人は意味もわからずその屁理屈を「凄い!」と思ったりもするのかもしれません)のですが、論理展開は杜撰そのものだし、どこにも問題への本質的な考察というものがない。これが「次期総理」と目される政治家の知性のレベルなのです。

 昔、自民党の法務大臣に「この程度の国民ならこの程度の政治家」と言って物議をかもした人がいましたが、今の僕ら日本人というのはネトウヨ総理と兵器オタク幹事長に見合ったもので、この先「一蓮托生」(先の引用文のあとに「多くの国が同じタイプの武器を使用することは『一蓮托生』の関係になることであり、決して安全保障上悪いことではありません」という言葉が出てくるのですが)で、破滅への坂道を転げ落ちていくことになるのでしょうか? 僕のような中高年オヤジは先が短いからいいとして、子供たちや若者がその結果どういう目に遭わされるのかと考えると、暗い気分になってしまいます。

 尚、これを読んで僕が意地の悪い揚げ足取りだけやっていると思う人がいるかも知れませんが、本気で順番に批判していったら膨大な量になってしまう(手間ひまも大変になる)から、この程度にとどめたのだということはお忘れなく。それほど「突っ込みどころ満載」の、これは本なのですよ。いくらでも叩きようはあるのに、野党やマスコミは一体何をやってるんでしょうかね。 
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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