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センター試験必勝法!

2014.01.02.06:12

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 
 今年もセンター試験が指呼(しこ)の間に迫りましたが、今回はお正月特別企画として、読めば損する、ではなかった、読まないと損する重要アドバイスを受験生たちに贈りたいと思います(「指呼の間」なんて、きょうびの若い子は知らないでしょうが、これは「指さして呼べば答えるほどの近い距離」の意味で、それを時間の領域に転用したものです。滲み出る教養!)。

 センター試験といえばまっ先に思い出すのが、かれこれ十年も前の出来事です。センターが終わった後、一人の生徒が塾に報告に訪れ、ドアを開いて首をにゅうっと出すと、ニカーッと笑いました。僕はその笑みを見て、なぜだか悪い予感に襲われました。彼は言いました。
「よいしらせと悪いしらせがありますが、先生はどちらから聞きたいですか?」

 やっぱり…。しかしとにかく、報告を聞かないと始まらないので、「じゃあ、いい方から聞こうか」と言いました。

「英語が160点取れました」
「何? それはすごいじゃないか! 素晴らしい!」
 模試ではいつも偏差値50スレスレの低空飛行だったのに、画期的なことです。
「でしょう? もうこんな成績は一生取れないと、親とも喜び合ったところです」
 彼の顔には満面の笑みが浮かんでいました。

 しかし、そうなると気になるのは「悪いしらせ」の方です。一体それは何なのか?
「国語が70点でした」
「70点? 100点満点の?」
「いや、200点満点です。英数国は200点満点ですからね」

 そんなことは言われなくてもわかっているが、母国語の試験で一体そのような恐ろしい点数(100点満点に換算するとたったの35点!)がありうるのか? 僕は頭の中で忙しく計算しました。仮に英語の平均点が120点だったとして、そこで作った貯金の40点を国語の借金返済に回したとして、足しても110点。120点と110点だと、ひょっとして平均点を下回るということになってしまうのではないか!

「まあ、そういうことになりますね」
 動じたふうもなく、彼は淡々とした口調で答えました。
「他の科目はどうだったわけ? 君は理系だから、数学や理科はよかったとか…」
「あまりぱっとしませんでした。とくに数学は、そのときはできたと思ったんですが、後で見たら計算ミスをしていて、大量失点しました。あの計算ミスさえなければ…」

 もうそのあたりから、僕の記憶は飛んでしまいました。せめて国語を100点取っていてくれれば、英語の貯金も少しは残ったものの(その年はあいにくなことに、去年と違って国語の平均点はけっこう高かったのです)。

 傾斜配点で国語の配点が大幅縮減される場合は除き、英数と同じく他科目の倍あるのだから、理系文系問わず、国語は隠れた重要科目なのです。

 その翌年だったか、僕はまたしても「国語がまるで駄目」という生徒に遭遇しました。それがセンター直前にわかったので、二度と同じ過ちを繰り返してはならないと、急遽国語の特別授業を行なうことにしました。こちらは女子生徒でしたが、学校でセンター用の演習問題集をやらされているというので、それをもってこさせたのです。

「先生は国語も教えられるんですか?」
「何を言うか。君は知らないだろうが、僕はかつて『国語の天才』と呼ばれていた。現国、古文漢文何でもござれで、あまりにもできすぎるので、できない生徒がつまづくところがわからないという理由から、国語は教えていないだけなのだ」

 半信半疑の様子でしたが、とにかく生徒はその問題集をもってきたので、その問題集をひったくると、「いいかい」と前置きして、特別講義を始めました。とくに「論説文」が苦手だというので、そこを集中的に教えようとしたのです。「論説文」はかつて僕の最も得意とするところでした。

「こういうのはねえ」と、僕は自信に満ちた口調で言いました。「本文なんか何も読まなくったって、選択肢を一瞥しただけでもある程度の見当はつく。難しげな言葉が尤もらしく並んでいるだけの意味不明の選択肢を片っ端から消してゆけば、正解だけが残る。たとえば、この選択肢の③ね。これなんか、何言ってるんだか、まるっきり意味がわからないだろ? 精神病院を脱走してきた人だけが、こんなわけのわからない文を綴るのだ。それでこれをまっ先に消す。それから、他に消せるものは…あ、この①もそうだね。それから…あれ?」

 予期せぬことが起きました。どういうわけだか、選択肢が全部消えてしまったのです。
 しばしの沈黙。

「君、ひょっとして、この問題集には『正解なし』ってのも入ってるの?」
「いえ。ちゃんとひとつずつ正解があります」
「へえー。そうなの…。おかしいねえ…」
 さらに気まずい沈黙があった後、僕はやっとのことたずねました。
「それで、これの正解はどれになってるの? 全部違うとしか思えないんだけど…」
「それが…」と生徒はもじもじしながら、言いにくそうに言いました。
「先生が最初に『違う』とおっしゃった③が正解になっています」

 な、何ということだ…。しかし、インチキ霊能者と同じで、塾教師たるもの、この程度のことで心の動揺を外に表わすようであってはならないのです。

「あ、そうなの。なるほどねえ…。しかし、あれだね、こういうのは問題がそもそもよくないので、作成者の能力が低いと、誰にも正解がわからないということも珍しくない話なんでね、それに、考えてみれば、論説文を速成マスターするってのは少し無理があるから、もう時間もないことだし、思い切って論説は捨てることにしよう! 現国は小説文で勝負だ! なに、大したことはない。たったの50点で、まだ残りは150点もあるんだから!」

 これに懲りて、僕が国語を教えようなどという危険な野心はきっぱり捨てたことは言うまでもないことです。相変わらず国語が苦手という生徒は少なくないが、そういう生徒たちには「本を読め」ということと、昔僕は、選択肢の問題の場合には、自分がこうだろうと思っていることに内容的に一番近い選択肢をえらんで大体正解できていたので、そういうやり方をするようアドバイスするにとどめるようになったのです(古文漢文は、前にここに一度書いたように、問題文がよくわからなくても、部分的な理解だけで設問の選択肢から正解を見つけ出す方法がありますが)。
「ありえない」と自信たっぷり断定して、実はそれが正解だったなんてことが続出したのでは、塾教師としては面目丸潰れで、自殺行為というものです。

 しかし、何であんなわけのわからないのが「正解」なんでしょう? いまだに釈然としないので、昔、法学部の学生だった頃、刑法のテキストを読んでいて、その著者である教授が「刑法上の占有とは、私の定義によれば、支配意思が客観化した状態である」と書いているのを読んで、何を自慢げに「私の定義によれば」なんて勿体つけてわけのわからないこと(主観に属する「意思」が「客観化」なんかするわけあるか!)を言っているのだと腹を立てたことがありました。これは要するに、その人が支配の意思をもって何かを所持・占有しているらしいのが傍目(第三者)から見てわかる、そう解釈するのが妥当な状態、ということを言っているにすぎないのですが、かんたんにそう言えばいいものを、わざわざ意味不明の日本語を作って得意がっているというのは頭が悪い証拠です。入試問題の論説文にもこの類が少なくないので、入試問題作成者は、その必然性もないのに意味もなくわけのわからない表現(日本語になっていないだけ)をする著者のものは出さないことにすることです。でないと受験生の知性が深刻な害を受けてしまう。僕の文章なんて、実にわかりやすいでしょう? こういうのを入試に出せばいいのです。教育的配慮にも満ち満ちているし、実に賢明な選択ではありませんか?

 話を元に戻して、そういうわけで今の国語の試験は果たして本当に国語力を見る試験になっているのかどうか疑わしいところはあるのですが、センター対策としては、教材業者や予備校が作った想定問題集よりは、実際の過去問の方が選択肢に無理がないものが多い(ひとりよがりすぎるものを作るとすぐ激しい批判にさらされるので)ように思われるので、練習としてはそれをやるのが一番よいでしょう。あんまりヘンなものをやりすぎると、「正しさの基準」というのがわからなくなってしまって混乱するので、質の悪い問題集は避けたほうが賢明です。国語の問題は実際、一番作りにくいのです。とくに「支配意思が客観化した状態」なんて日本語表現を異常だと思わない人が作ると、目も当てられないものになってしまうでしょう。

 お次は英語に移るとして、こちらはどうすればいいのか? 量が多いセンターはスピード勝負というところがあるので、速く読む癖をつけろと言っていたら、速く読んだらわけがわからなくて、結局問題文を何回も読み返す羽目になって、かえって時間を食われている生徒がいるとわかったので、いつぞや、それなら少しスピードを遅くしてもいいから、何回も読み返さなくていいようにして、「一発で仕留めろ」というアドバイスをしたら、模試でそれをやったら、今度は時間が足りました、と言う生徒がいました。僕は満足して、「それで点数はどれくらい上がった?」と聞いたら、ほとんど上がっていないと言われてしまいました。

「先生の言うとおり、『一発で仕留めた』んですが、答が合ってなかったんです」

 胸を張って、そうおっしゃる。それじゃちっとも「仕留めた」ことにはならないじゃないかと思いましたが、どうも設問の段階で、二つ残ったのをうまく絞り込めなかったり、想像力が豊かすぎるのか、時々集中力にエアポケットのようなものができてしまうのか、よくわからない理由によって、平気で全然違うのをえらんだりしているようなのです。

「あとで解説を読んだり、説明されたりすると、『ああ、そうだな』ってわかるんですよ。でもなぜだか本番では違うのをえらんでしまうんです。こういうのって、どうすればいいですか? 先生、早く次の手を考えて下さい」

 ひとごとみたいに言うなよ。その「なぜだか」がこちらにはわからないから苦労しているのだ。
 うーん。これはやっぱりメンタルかな。君ら、部活のとき、試合になると焦ったりヘンな具合に緊張したりして、全然練習のときみたいにからだが動いてくれなかったということはない?

「そうですよ! 先生、よくわかりますね。それでいつも負けてたんです!」

 図星だと喜んでいる場合ではない。実はそういうのが一番やっかいなのだ。神経質で緊張しやすいタイプなのに、不思議と勝負どころでは強いという子もいて、こういうのはたいてい入試なんかにも強い。反対に、落ち着き払っているように見えるが、からきし勝負度胸はないというのもいてややこしいのですが、僕の見るところ、この子たちの場合は性格的に善良すぎるというのか、温暖な延岡の気候の中で育ったものだから、寒風は苦手で、緊張した場面では雰囲気に呑まれてしまいやすいというところがあって、それでうまく行かないのかも知れない。基本的に競争とか戦いとかが苦手な心優しい平和人種なのです。

「長所が裏目に出るというか、そこらへんが難しいんだよね」
「ひとりで何ブツブツ言ってるんですか。私らにわかるように説明して下さい!」
「だから何というのか、君らは今緊張してないだろ?」
「してませんよ。なんで先生相手に私らが緊張しなきゃならないんですか?」
「僕としてはたまにもう少し緊張して授業を受けてくれないかなと思うことはあるんだけど、そこらへんの調整具合が下手なんだよね。リラックスしすぎていたり、緊張しすぎたりして、ほどよい緊張状態を維持することができない。リラックスしすぎてダレたり、緊張しすぎて疲れたりするから、どちらの場合も頭がよく働いてくれないんだよ。注意力や集中力も、それではうまく働かない」
「じゃあ、その『ほどよい緊張状態を維持する』にはどうすればいいんですか?」
「そうやって、君らはすぐ聞くだろ? 自分は何も考えないで。だから気づきというか、自覚が生まれにくいので、自分で工夫してあれこれやってみて、進歩成長するってことが期待できにくいんだよ」
「失礼な! それじゃ、まるっきり私らが馬鹿みたいじゃありませんか? もう老後の面倒は見てあげませんからね!」

 誰がそんなこと頼んだかって…。とにかくいつもそんな具合に、話がとんでもないところに行ってしまって、お笑いバラエティみたいなノリで終わってしまうから、シリアスな会話にならないのです。

「君らはこの前も言ってたじゃないか。予習でも前よりずっと辞書を引く回数が減って、英文の意味もよくわかるようになってきたって」
「そうですよ」
「そうすると、確実に力はついてきてるわけだよ。問題はどうしてそれが点数に反映されないかで、それは問題を解くときの詰めが甘いからだよ。つまり、細心さが足りない。それは試験特有の雰囲気に呑まれて意識が上ずって、あわてなくてもいいのにあわてたりして、落ち着きをなくしてるからじゃないのかね?」
「そうだと思います」
「だったら、落ち着けばいいわけだよ」
「どうすれば落ち着けるんですか?」
「かんたんに言えば、居直ることだよ。『結果が悪かったらどうしよう!』なんて心配をしてたら、落ち着けるわけがない。『人事を尽くして天命を待つ』って言うだろ? 結果は神様に任せて、とにかく落ち着いて全力を尽くす」
「ジンジって何ですか?」
「『人にできる事』要するに、『自分にできる範囲のこと』だよ。そりゃあ、あのときああしておけばよかった、こうしてよけばよかったってのは誰にでもあるだろうけど、曲がりなりにもせいいっぱい努力はしてきたわけで、本番ではその自分を信じるしかないわけだよ。自分のもてる力を尽くせばいいので、よけいな結果の心配なんかせずにそうやって全力を尽くすとき、一番いい結果が出るものなんだよ。雑念がなくなると集中力は最大限に高まって、人間は最高のパフォーマンスができるものだからね」
「そしたら、いつも模試で40点しかとれない化学で80点取れますか?」
「取れないよ、そんなもの。そういう点数ってのは、圧倒的に勉強量が足りていないからで、知識の絶対量が不足しているんだから。その場合は、まだ時間は残っているんだし、直前まで詰め込めばいいのさ。そしたらそれも夢じゃないかも知れない。僕が言っているのは、力はついてきてるのに、『駄目なんじゃないか』とよけいなことを考えすぎて点が取れない科目にあてはまるので、その場合には今言ったふうにすると得点が2割増ぐらいになることは請け合えるということ。気持ちで負けてたら、能力は出せなくなるんだよ。それを忘れるなということ」

 この「気持ちで負けない」というのは「勝ち気にはやる」というのとは違うことなので、そのへんまで説明するとややこしくなるのですが、とにかく「結果を焦る」という姿勢にならないことです。それは失敗を恐れる心理の裏返しなのですから。もてる全力を尽くすという心構えで、静かな闘志を燃やしつつ本番に臨む。そして予期せぬ難問にぶつかってもうろたえない。そこは最少失点で切り抜けて、取れるところでしっかり取ればいいので、落ち着いていれば、そのへんの気持ちの切り替えもできるのです(センターといえども、数学なんかではときに数学を得意とする生徒でも焦ってしまうような難問が出ることがあります。そこで「失敗した」という気持ちを引きずると他でもミスを重ねてしまう)。

 もう一つ、直前のこの時期に注意しなければならないのは、苦手科目克服に多忙なあまり、得意科目をほったらかしにして、一週間も全くそれに触れないまま、本番に突入してしまい、ふだんはよくできるその得意科目のカンが戻らず、大失敗してしまったりすることがあることです。これは痛すぎる。
 だから、長時間それをやらなくてもいいから、試験カンが鈍らないよう、毎日少しはそれに触れて下さい。バランスも考えながら、多くの科目に触れるのです。

 先にも言ったように、基本知識の絶対量が足りていない場合には直前まで詰め込めばいいが、そうでない科目は、英語などとくに、復習を中心にやって今まで仕入れた知識の記憶と理解を正確なものにしておくことです。そういう復習・確認作業は、心を落ち着けるのにも役立つ。つまり、直前まで新しい知識を仕入れるものと、これまでの“在庫”整理を中心にするものと、科目によって対応を分けるのです。

 あとは、疲労困憊した状態で本番に臨む羽目にならないようにすること。前日眠りが浅くなったぐらいは平気ですが、慢性的な睡眠不足で疲労が蓄積していたりすると、頭が冴えず、思考の柔軟性が損なわれ、閃きも出てきません。そういうふうにならないよう、うまくコンディションをもってゆくのです。

 まだ書けばいくらでもありますが、これぐらいにしておきましょう。
 最後に、本番で上がり性の人は、試験開始前に何回か腹式で深呼吸するといいでしょう。おなかに力を入れて、二、三回ゆっくり息を吸ったり吐いたりして、肩の力を抜く。手の指を交互に重ね合わせて、それを天井に向けて思いっきり伸ばす、なんてのも脳に刺激を与えていいかも知れません。そうやって、からだのこわばりを解きほぐすのです。

 こういうのも、しかし、あんまりやりすぎるとよくないので、僕はかつて、深呼吸から本格的な瞑想状態に入ってしまい、時間を超越してしまって、試験終了のチャイムではっと現実に呼び戻されたということがありました。目の前に白紙の答案が残っている。それであわてて、受験番号と名前だけ書きました。こうしておけば、ヒマラヤの聖者か何かが奇蹟をあらわして白紙の答案を埋め、合格させてくれるのではないかと思ったからですが、まな弟子に対する“愛のムチ”と見るべきか、そのようなことは起きませんでした。大学側もその白紙の答案が「高度な霊性」の産物だということは理解できなかったようで、その大学は気の毒なことに、とびきり優秀な若者の確保に失敗したのです。
 遺憾ながら今でもそのようなことを理解する大学は存在しないと思われるので、かつての僕のような高度な資質をもつ受験生は、そうした才能を試験場で発揮することは差し控えるようにした方がよいと思われます。

 受験生諸君の健闘を祈っています。Trust Yourself!
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