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日本の「限界集落」化について~参院選を前に思うこと

2013.07.17.17:05

 まず、「限界集落」という言葉をご存じない方もおられるでしょうから、その定義をウィキペディアから引いておきましょう(…は中略)。

【限界集落とは、過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている集落を指す、日本における概念。
 …中山間地域や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきている。このような状態となった集落では集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きてゆくための「限界」として表現されている。「限界集落」にはもはや就学児童など未成年者の世代が存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く病身者も少なくないという。
 …限界集落に次ぐ状態を「準限界集落」と表現し、55歳以上の人口比率が50%を超えている場合とされる。また、限界集落を超えた集落は「超限界集落」から「消滅集落」へと向かう。】

 これは「社会学者の大野晃氏が、高知大学人文学部教授時代の1991年(平成3年)に最初に提唱した概念」だそうですが、和歌山県の奥まったところにある僕の郷里などはまさにこれで、「超限界集落」と呼んだ方がいいかも知れず、あと十年で「消滅集落」になってしまうのはほぼ確実です。

 しかし、それは辺鄙〔へんぴ〕な田舎の話だろ、と言う人がいるかも知れません。それが必ずしもそうとは言えないので、まさか「消滅」はしないでしょうが、今後は田舎より都会の方が事態はもっと深刻になりそうなのです。

 なぜか? 理由はかんたんで、高齢者の増加はこれからが“本番”だからです。地方の山漁村などの「限界集落」は、今いるお年寄りたちがいなくなれば「消滅」して、ある意味で問題はそれで終わってしまうが、高度経済成長の時代、地方から都市部に進学・就職で大挙して出てきて、そのままそこに住み着いた戦後のベビーブームの「団塊の世代」と呼ばれる最大人口を占める人たちは今、60代も半ばにさしかかっています。10年たてばその人たちは70代半ば、20年で80代半ばとなります。一方、少子化で若者世代の人口は減り続けているのだから、都会やその周辺部でも「人口の50%以上が65歳以上の高齢者」という地域や自治体は、いくらも出てくる、ということになりかねないのです。

 少子高齢化は、言わずと知れた国家的問題です。過疎化はまず地方の奥まったところから始まり、人体にたとえればまず手足など末端の細胞組織が壊死〔えし〕したような状態になって、機能不全はだんだん中心部へと及ぶのです。

 僕が今住んでいるのは宮崎県ですが、しばらく前に「子供の減り方はどうなっているのだろう?」と思って調べてみたことがあります。文科省が毎年「学校基本調査」というのをやっていて、これはそれに出ている数値ですが、子供の数の減り方はたしかにすさまじい。第一次ベビーブームのピーク、昭和34年(1959)の小学生の数は19万をゆうに超えていたのに、平成24年(2012)のそれは僅か6万3千人となり、実に3分の1以下に減っているのです(僕が小学校に入学した1962年でも、僕自身は宮崎県出身ではありませんが、16万人いた)。これには「昭和59年度(1984)以降29年連続減少し、今年度は過去最低」という県庁のコメントが付されています。
 この間、人口全体はピーク時の7割弱にまで減ってはいるものの、その減り方はゆるやかで、子供の数が3分の1以下になったことに較べれば、問題にならない。要は、その分急速に“老化”が進んだということなのです。

 先にも述べたように、国全体で子供の数が減り続けているのだから、これは時間のズレがあるだけで、いずれ大都市とその周辺でも起こる。

 僕は人口減少それ自体はとくに憂うべき現象だとは思っていません。むしろ、1億2千万というのが多すぎるので、8千万から6千万ぐらいに減ってもいいのではないかと思っているくらいです。問題はその“過渡期”に起きる「高齢者ばかり多くなって、それを支える生産年齢人口は少ない」事態をどう乗り切るか、ということです。

 この問題に関して、今の日本社会が“最悪の対応”をしているということは論を俟〔ま〕たないことです。高齢者が増えれば当然、医療や介護福祉にかかる費用は増大します。今でもそれは大問題になっていますが、事態はもっと深刻化するのです。戦後のベビーブーマーたちの数は、その親の世代よりずっと多い(当時、子供の数が5、6人というのは珍しくなかった)のですから。
 ところがこれからそれを支える柱となってくれるはずの若者の雇用は悪化して、いわゆる非正規の不安定雇用が激増しているのです(これには自民党政権による「労働分野の規制緩和」も少なからず“貢献”した)。今月12日、総務省から発表された統計では、「全労働者に占める非正規社員の比率が過去最大の38.2%に達した」ことが判明しており、これは、賃金が「右肩下がり」で下がり続ける中、その減少分を補おうと、家庭の主婦がパートに出ることが多くなっていることなども関係するのでしょうが、それだけではないので、げんに、これを紹介した日経新聞の記事にはこうあります。

【正社員だった人が転職の時に非正規になる流れも強まっている。調査で過去5年の間に転職した人を見ると、転職前に正社員だった人のうち40.3%が非正規になった。2007年の前回調査と比べると3.7ポイント上がっている。逆に非正規社員が転職するケースでは、正社員になったのは4人に1人にあたる24.2%にとどまる。この比率も5年前より2.3ポイント下がった。仕事を変える時に、正社員を選ぶのは5年前よりも難しくなったといえる。】

 要は、全体に「正規から非正規へ」の流れはより鮮明になっているということで、ことに若者が一番そのとばっちりを受けている。総務省のその報告そのものを見てみると、親に生活をおんぶしたままのニート(15~34歳の無業者)も、五年前より数こそ減ったものの、61万7千人と依然60万人台をキープしており、同世代人口比ではむしろ0.2ポイント増加しているのです。

 要するに、若者たちはいよいよビンボーになりつつある。昔から若者はビンボーなのがふつう(昔の方がむしろビンボーだった)でしたが、昔の若者のビンボーと今の若者のビンボーの違いは、希望のあるビンボーと希望のないビンボーの違いです。高度経済成長期(1955~73年)とその後の安定成長期(1973からバブル崩壊の1991年まで続いたとされる)の時代の若者には、その気にさえなれば正社員になることも、それなりのお金を作ることもできるという希望が、それが現実に起きたかどうかはともかく、あったわけです。その後はそれが失われたわけで、だからシュウカツで失敗すると将来を悲観して自殺する、なんて若者も増えてしまうのでしょう(僕が学生の頃はまだ「社会の歯車」という言葉が残っていて、「就職して社会の歯車になるのは屈辱である」というようなぜいたくというか、生意気な感性が若者の一部にはあって、そういう若者はたいてい後でその自尊心のツケをしっかり払わされて困窮する羽目になったのですが、有名どころからお呼びがかかってもエラそうに断る、なんてことまであったのです)。

 他にも「年金の世代間不公平」の問題もあります。こんなことを言うとまた憎まれそうですが、団塊の世代の人たちはその“うまみ”を享受できて、食い逃げができる口ですが、今の若者たちは「支払った額よりもらえる額が確実に少なくなる」気の毒な世代なのです。少なくとも制度の抜本的改正が行なわれないかぎりは(これは「仕方なかった」ですむ話ではないので、「年金制度の崩壊」は、すでに1970年代末には予言されていたのです。僕は何かでそれを読んだ記憶があるので、これはたしかな話です。それから30年以上もあったのに、政治家もお役人たちも、その場しのぎの弥縫〔びほう〕策に終始して、ズルズルここまで来てしまったのです)。

 結局、こういうことです。現役世代が大きく減って、引退世代(とくに後期高齢者)が大きく増えるというとき、医療や福祉の費用の増大をどう賄うかが大きな問題になるのですが、その担い手となる現役世代は数が減るだけでなく、確実に貧困化しているのです。当然ながら、税負担能力は大幅に低下する(ニートの場合には、親が亡くなった後は、多額の遺産でも残してくれればともかく、生活保護の対象になって、税を負担するどころか逆になってしまうでしょう)。それでどうやって対応できるのか?

 いつもの借金で…、というわけにはもはや行きません。国と自治体合わせた赤字公債の累積残高はGDPの2倍になっている、というのは有名な話です。これ、カン違いしている人もいるようですが、個人で言えば年収に当たる、年毎の税収額の2倍ではないのです。そちらに換算すると一体何倍になるのだろうと思ってネットで調べてみたら、ウィキペディアの「日本の財政問題」の項にちゃんと出ていました。「2012年度末時点の残高は税収17年分の709兆円になる見込みである」とのことで、「この額は、過去最高であり世界最大である」と付言されています。

 税収の17年分! 個人に見立てれば、これは年収300万の人が、5100万の借金を背負い、さらに毎年年収と同額の借金(目下、赤字国債で政府は歳出の半分を賄っている)を重ねて借財を増やしながら、「いいや、大丈夫だ。景気がよくなりさえすれば収入は倍になるから、十分返せる」と言っているのと同じです。年収が倍になるというその根拠はどこにもないし(アベノミクスを宣伝する自民党ですらそこまでの妄想はもっていないでしょう)、大体、仮にそうなったところで、これまでの借金はそのままで、利子だけでも払い続けられるかどうか疑わしいのです。

 全くもって恐ろしい話で、個人の場合なら、そんなノーテンキで無責任な人にお金を貸し続ける人は誰もいません。このまま行っても傍迷惑なだけだから、さっさと自己破産手続きを取れ、と言う他ないでしょう。個人ではなく国家だからその心配はないとは言えないので、いわゆるデフォルト、国家破産は現実に起きうるのです。それは「国債暴落」というかたちでやってきます。今の強引なだけで道理に乏しいアベノミクス(浜矩子氏はそれを「浦島太郎の経済学」と評しています)はその到来時期を早めることになるだろうという予測があって、僕もその可能性はかなり高いと思っていますが、仮に国債の暴落が起きなくても、十分に事態は深刻なのです(自民党はまさか、憲法を改正して、自衛隊を国軍に昇格させ、それで中韓をはじめとする近隣諸国との緊張・摩擦がさらに強まって、一触即発の“前戦争状態”になり、これは有事だからというので非常事態宣言を出し、そのドサクサにまぎれて赤字国債をチャラにする、というような深謀遠慮をめぐらせているのではないでしょうね? 安倍総理という人は、そこまで深くものを考えるタイプには見えませんが、先が見通せない単純な人も同じくらいコワいものです)。

 議論を整理して、結論へと向かうことにしましょう。そういうわけで、今の日本は「お先真っ暗」なので、まずそれは認識してかからねばなりません。

 今回の参院選でも「雇用」は焦点の一つになっていますが、ことに不安定で先に希望のもてない若者の雇用の問題が改善するよう、政治家先生たちには効果的な手立てを考えて、それを実行に移して下さるようお願いしたいと思います。国会議員には一人当たり、歳費(給料)はむろん含めてですが、年間一億以上の費用がかかっていて、それは大赤字を抱えた国家には見合わない高すぎる出費なので、ほんとに「国民に尽くす」つもりなら、彼らは国の財政状況もよく知っているはずだし、半額でいいと進んで言ってもよさそうなものですが、なぜかそういうことは言わないのです(みんなの党の公約にはそれらの削減が入っていますが。念のためにお断りしておくと、僕は別にあの党の支持者ではありません)。ちゃんとした仕事をするにはそれくらい必要だということなら、「税金泥棒」の汚名を晴らすためにも、それに見合った仕事をしていただかなければなりません。

 もう一つは、これから高齢者の仲間入りをする団塊の世代の人たちや、それに続く僕らの世代の問題です。国も自治体も財政は大赤字で、若者の置かれた環境はすでに見たような気の毒なものなのだから、できるだけ社会に負担をかけないよう、最大限の努力をしなければならない。「タダのサービスをもっと増やせ」などと、一方でしこたま溜め込んで、やれ株だ何とか信託だ外貨預金だのと、むやみと資産を「増やす」ことにばかりアクセクしているのに、数を頼んで政治や行政に圧力をかけ、国や自治体の財政事情をさらに悪化させるようなセコい真似はしてはならないのです。

 高齢者が増えるということは介護サービスなど福祉関係の仕事の需要が増えるということなので、その点は「雇用の創出」につながってプラスになるはずなのですが、今のそれは税金と介護保険料などの公的資金だけで賄われているために、そこで働く人たちの賃金が安すぎるのです。だから、大学でも福祉関係の学部は恐ろしく不人気です。それでは食べていけないと子供たちも親も思っているからで、需要はあるのに人が集まらない。これは率直に言えば、資産のある老人たちも貧しい老人たちと同じように無料でサービスを受けるシステムになっているからでしょう。億単位の資産をもつ老人が、フルで働いても手取りが月給10万ちょっとしかない若者から当然のような顔をして無料の介護サービス(それはしばしば骨の折れる仕事です)を受けているなどというのは、これは現実にあることだろうと思いますが、その人の社会性の欠如を露骨に表わす現象でしかないので、そういう場合に応分の負担をしてもらえば、その若者の給料も上げられるのです。僕は貧しいお年寄りへの無料サービスは絶対に維持しなければならないと考えていますが、金持ち老人からはきっちり費用を頂戴すべきなのです。別にそれは残酷なことでも何でもない。低賃金で働いている若者への仕打ちの方がよっぽど残酷なのです。そこらへん、もっと柔軟なサービスシステムを作るようにすべきです。

 そして元気なうちは、旅行、買い物、習い事その他で、楽しくお金を使っていただく。そうすれば景気にも貢献します。おかしなカルト宗教にのめり込んで、詐欺師と統合失調症が合体したようなイカレポンチの教祖に大金をお布施したりなどするより、その方がずっと世の中のためにもなるのです。

 僕のようなビンボーな人間はどうすればいいかというと、それはできるだけ長く働き続けることです。少なくとも、自分の食い扶持だけは自分で稼ぐ。僕個人の理想は、長寿願望などというのは昔からゼロなので、70歳くらいまでそれで行って、ぽっくり死ぬことですが、そういうことを言っている人間にかぎってなかなか死ななかったりするので、それが悩ましいところです。長生きしないよう、タバコを吸ったり、「健康によくない」ことはたくさんしているので、何とか…と思うのですが、何しろ四人の祖父母含めて80以前に死んだ者は誰もいない(先頃亡くなった伯母などは100歳目前だった)という長寿の家系なので、一抹の不安はあるのです。

 とにかく、そういうふうにして、高齢者が社会にかける負担を減らすように努めれば、人口構成から言って、アンバランスに老人が多いという時期は過ぎ去るので、「超高齢社会」の危機は乗り切れるでしょう。冒頭の「限界集落」との違いは、都会やある程度の規模を持つ市部では、子供は減りはしても、ゼロにはならないことです。

 ただ、今のような状態を放置していると、結婚できない若者がますます増え、結婚してもこういう状態では子育てどころではないと、子づくりを断念する夫婦が増えたりして、少子化の度合いは一段と加速してしまう。東北大学の「子ども人口時計」によれば、今のペースで子供が減り続けると、1000年もたたない3011年5月にわが国の子供は1人になり、日本人は「絶滅」してしまうことになるそうですが、そのスピードはこの分ではさらに速まってしまうでしょう。その場合、日本全体が「限界集落」から「消滅集落」へと移行したことになるのです。今は地方の僻地の運命でしかないものが、やがては国全体の運命になってしまう。

 数日後は参院選で、また「自民圧勝」が予想されていますが、野党も含めて、今の政治家たちは事の深刻さをどの程度わかっているのでしょうか? 僕は各政党の選挙公約を一とおり読んでみましたが、いつもながらの香具師〔やし〕の口上じみた、わかったようなわからないような美辞麗句のオンパレードにいささか辟易〔へきえき〕したので、「これで一人につき年間一億か…」と、思わずため息が出てしまいました。

 自分の既得権益はそのままに、おいしいことばかり並べ立てていないで、全体を見据えて、ちっとは真剣にものを考えなさいよ。
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