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人間、この悩ましきもの

2013.07.07(20:37) 226

 a)神は存在する。
 b)人間は地上で最も醜悪な生物である。

 仮にこの二つのテーゼがどちらも正しいとすれば、それはどういう関係になるのだろう? 先日ふとそんな疑問が浮かんで、少し考えてみる気になりました。というのも、これは僕にはどちらも正しいように思えるからです。

 まずa)の「神は存在する」について。この神というのはむろん、マンガに出てくるあごひげをはやした神様ではなく、宇宙の森羅万象に浸透し、生命を生み出す力の源泉のようなもので、小は分子の構造から、大は個別の生命体の精緻な構造まで生み出す驚くべき知性を兼ね備えており、天体の運行を統(す)べている物理学法則の背後にあるのもこの同じ力です。人間が小なりといえども知性をもち、愛情をもちうるのは、そのおかげに他なりません。人間の意識に宿る光はそれによって灯されたものであり、神が存在しなければそれも存在しないのです(「神」という言葉は宗教くさくていやだという人は、それを「根源的なエネルギー」と呼んでもかまいません。ちなみに「神の存在証明」は科学的には不可能です。絶対無限定なものは証明しえないからで、人はそれを直観によって知りうるのみです)。

 ならばb)の、「人間は地上で最も醜悪な生物である」というのは、どこから出てくるのか? 幼児や小学生ぐらいの年頃の子供には、人間の感情や思惑はほとんど肉感的な、物質的な力として感じとられるので、目に見え、からだにぶつかってくるグロテスクで暴力的な力としてそれは感知されます。僕自身、物心ついた頃には「この世界は恐ろしいところで、人間はいやな生きものだ」という感覚をはっきりもっていました。そのため慢性的と言ってよい吐き気を覚えていて、人中にいるだけで大きなストレスと疲労を感じたものでした。それらは安物の香水や大人の口臭と同じくらい、心身に打撃を与えたのです(幸いなことに、成長するにつれて鈍感になったので、その吐き気は軽減されることになりました)。

 小5ぐらいの頃だったと思うのですが、僕は「この世界で一番えらいのは何か?」と考えました。人間は明らかに犬や猫に劣るものと思われましたが、動物よりも草木や樹木などの植物の方がすぐれていると思われ、さらに、植物よりも鉱物の方がもっとえらいように思えてきて、一時は石を尊敬するにいたったのです。いずれにせよ、この世で人間ほどいやなものはいないと、それだけはリアルに感じられたのです。

 別に家庭的に不幸だったわけではないので、むしろ恵まれた部類だったでしょう。とくに愛情面で恵まれていた。しかし、これはそういうこととはあまり関係がない。通常の愛着とは別に、とにかく人間から出ているものが全般にいやだったので、誰もいない谷の奥や山に一人で入って、そこで何時間も過ごし、疲れを癒したものです。もしもそれが可能でなかったら、病気になっていたことでしょう。今となっては笑い話ですが、からだはやせこけて、全体に発育も悪いので、心配した母親はあるとき息子を医者に連れて行き、三度三度ちゃんと食べさせているのに、こんなに小さくてビアフラの子供(当時ビアフラの飢餓がよくニュースになっていました)みたいにやせこけているのはなぜなんでしょうか、とたずねました。町医者ながら名医の誉れ高かったその医師は、一応「診察」した後、この子は神経が細かすぎて気疲れしてしまうからこうなってしまうので、そのうち神経も丈夫になってくるから、そうすれば人並の成長が見込めるようになるだろうと答えました(中学卒業の時点でも身長はわずか150㎝、体重は30㎏少ししかなかったので、その医師の言葉を借りればまだ「神経が丈夫になって」いなかったわけです)。

 何にせよ、子供の僕には人間は、粗暴で、繊細さに欠け、得体の知れないものを発しているぞっとするようなグロテスクな生きものと感じられたので、そうしたエネルギーにさらされること自体に恐怖を覚え、ひどく疲れてしまったのです。「万物の霊長」という言葉をどこかで習いましたが、どこが「霊長」なのか皆目わからず、そういうことを言い出すこと自体が恥知らずな人間の恐ろしさの一部であるように思われました。

 子供の頃と今との違いは、鈍感になったことの他に、当時は自分のそうした感性に自信などというものはもてるはずもなかったのが、今は自分の感受性を正面から肯定できるということだけです。人間はロクでもない生きものだと、今はこだわりなく言える。むろんそれには、自分自身の「ロクでもなさ」についての自覚も含まれているので、でなければただの馬鹿です。

 しかし、少なくとも生物学的に見て、人間が地上の生物進化の先頭に立っているのはたしかでしょう。そして意識に「神」の光の一片を宿し、弱肉強食の動物界の掟を超える「愛」をもちえるのなら、なぜ「地上最悪の生物」になってしまうのか?

 それはたぶん、人間の「中途半端さ」に関係があるのでしょう。他の動物の設計は基本的に「種の保存」本能の明確な枠組みに基づいています。人間はそれをはみ出て、「自由な意識」を獲得したが、これが本当の意味で「自由」ではなく、動物の自己防衛本能の名残ゆえにそうなるのか、悪魔の策略によるのかはともかく、個我意識の罠にはまって、そこから他の動物にはない様々な悪徳と混乱が派生するのです。その余計なものによって、他の動物よりはるかに愚かにもなった。人間的な「自」意識が、意識それ自体の自在かつ柔軟な働きを妨げ、他の動物ならもちえるような直観の光さえ受け取れなくなるからです。人間は自分がこね回す不毛な理屈の袋小路に落ち込んで行動能力を失う地上で唯一の動物です。

 「知性」と「知能」という言葉を分けて使うなら、他の動物にはない人間の高度な知能は、本来普遍的な知性(それは根本的に一つのものだと僕は確信しています)の働きをキャッチし、それを取り込むための道具として機能するはずでした(少なくとも「神」のつもりとしては)。しかしそれは個我意識と個我感情を防衛し、それに奉仕する機能に堕してしまい、平板でメカニックな働きしかしなくなってしまったのです。それは嘘をつくための道具であり、人間はそれを使って他者に対してのみならず、たえず自分にも嘘をつく(大方の人はそう思っていないようですが、明らかに後者の方が多い)のです。このような不健康な、気持ちの悪いことを他の動物たちはしません。「嘘つきは泥棒の始まり」と言いますが、正しくは「嘘つきは人間の始まり」なのです。

 むろん、物質的な世界を相手にする科学では嘘はつけません。それはつねに事実に即した検証を求められ、虚偽の理論は事実によって反証されるからです。
 しかし、科学研究の産物やテクノロジーを用いる段階ではそうは行きません。その利用は人間的な混乱と悪徳が取り囲む環境でなされるのであり、それは危険なものにならざるを得ない。技術が進歩すればするほどそれが破壊的なものになるのも、当然の話です。

 自然的・物理的なりゆきによって地球が人の居住に適しない惑星になる以前に、人類は自滅するだろうと僕自身は考えていますが、それは上に見た意識と知能の誤用が直接・間接の原因になってでしょう。人間に本来備わった高度な意識と知能は、その「誤用」によって人をかえって利己的で愚かな動物にしてきたのです。それが人を邪悪で醜悪な生き物にしたのであり、最後にはそれが人類の命取りになる。幼い子供にはそれが感覚的にわかるが、その後の「教育」よろしきを得て、大人になったときは自分も同じような存在に成り果てているのです。

 ミもフタもない話だと言われるかも知れませんが、むしろ憂うべきなのは、そのミもフタもない現実を決して直視しようとせず、表面的な性善説を振り回して、それを「前向き」だの「ポジティブ」だのと称している人が少なくないことでしょう。だから危機感がなく、起きてしかるべき変化が起きない。前に虚栄心のかたまりのような女性で、人を利用することに何のためらいも感じていないらしい人が、「世の中の人って、エゴで悩んでいる可哀そうな人が多いんですってね。私にはそんなものないから、よくわからないわ」と言って周囲の人たちを唖然とさせたという話を聞いて笑ったことがありますが、ご本人が「美しい心」の持ち主だと思っていることと、客観的な事実は別の問題であって、ある意味でそういうお幸せな人ほど恐ろしいものはないのです。

 話にオチがついたところで、この議論はおしまい。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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