「こわれた社会」をどう修復するか

2013.06.11.17:38

 何度もスポット予告が流れていたので、この番組の放映を待ち構えていました。

NHKスペシャル 未解決事件 File.03 尼崎殺人死体遺棄事件

 中の再現ドラマの角田美代子役を演じているのが烏丸せつこだったとは、最後に出演者名が画面に流れるときまで気づかず、「何?」と驚きました。今の若い人は知らないでしょうが、彼女は僕と同世代のアイドルで、それはもう可愛かったものです。それが幾多の風雪を経て、あのような“貫禄の悪役”を演じるまでになったとは…。自分がおやじになったのも道理だと、妙なところで感慨にふけってしまいました。

 本題に入りましょう。僕は前にも一度、この事件について「どうしようもない人間への対処法~尼崎の怪事件に思う」と題して書いたことがあります(2012.10.31)。それで事件の入り組んだ構造についてはある程度予備知識はあったのですが、あまりにも被害者が多すぎるために、この番組は取材した情報のごく一部しか使えなかったのでしょう。そう感じられましたが、僕に「新情報」として意味があったのは、被害者や周辺の人たちからの警察への訴え・通報が実際は何度も行なわれていたということです。しかし、警察は動かなかった。民事不介入の原則だの、事件性に乏しいだの、大したことはなさそうだの、そういう言い訳をその都度並べて、門前払いを食らわすか、受け付けた場合でも踏み込んだ捜査らしきものは何もしなかったので、被害者たちを文字どおりの「生き地獄」から救い出すことができなかったのです。番組のサイトには「これほど多くの家族が巻き込まれながら、なぜ15年間もの間見逃されてきたのか――」とありますが、その最大の理由の一つは、疑いもなく警察のこの怠慢、事なかれ主義だったのです。

 こういうのは今の学校の悪質ないじめ事件に対する教師・学校側の対応などとそっくりです。誰かがいじめを通報して、いじめられているという子供に「いじめられてるんじゃないか?」と型のごとく聞いて、「違います」と言われると、「そうか」と言ってそれで終わりにしてしまう。「いじめはない」ことにしてしまうのです。この子はこう言っているが、どうも様子がおかしい、これは深刻だぞと、ふつうなら気づいていいはずが、気づかない。面倒なことはしたくないから、「気づかない」というよりは「気づきたくない」のです。

 これは何も警察や学校にかぎらない。今の日本社会の風土病みたいなものなので、こういう角田美代子みたいな化け物がどうして生まれるのかということ以前に、こちらの方が深刻な問題だろうな、と僕はあらためて思いました。こういう悪辣な奴の「心の闇」なるものの解明は、つかまえて刑務所にぶち込んでから行えばいい(このケースでは取調べ段階で自殺してしまったわけですが)。それ以前に、その被害に遭っている人たちを救出しなければならない。行くところまで行ってしまって、何人も殺され、命は残っているとはいえ家庭も人生も破壊されつくしたような状態になった人がたくさん出た後で、やっと警察がお出ましになるというのでは、一体何のためにあの巨大組織は存在して、それに莫大な税金をつぎ込んでいるのか、わからないではありませんか。

 法治国ではいくら悪党と戦うためでも、個人が暴力を行使することは禁止されています。緊急避難や正当防衛に該当する場合にだけ僅かに認められるだけです。また、ふつうの市民は暴力の専門家ではない。ヤクザやごろつきはこわいのです。だから警察に頼るしかないが、「助けて下さい」と言って、何もしてくれないのでは、ただただおかしな奴に出くわさないことを神に祈りながら生活する他はなく、遭遇したが最後、諦めるしかないということになってしまいます。それが何より恐ろしい。

 番組には警察関係者が何人か出て、皆似たような言い訳をしていて、今はもう少しマシな対応がとられるようになっているらしいとわかりましたが、警察も今はどうでもいいような書類仕事ばかりが増えて、サラリーマン化し、「市民に愛されるお巡りさん」みたいなポーズはやたらとっても、正義感の強い強力な猟犬タイプのプロ意識をもつ刑事さんなんかは減っているのでしょう。だから頼りないし、そこらの役所の戸籍係みたいな形式的な応対に終始して、相談しても埒が明かないことになる。

 もしもこの角田美代子みたいな奴の餌食に親戚や友人がなりかけていたら、自分ならどうしただろうと考えます。出向いて話をつけるか…。しかし、行ってみると一筋縄ではいきそうもない相手だとわかり、また、何を仕出かすかわからないような子分を何人も従えているらしいのを見れば、自分の身や家族に危険が及ぶこともありうると後難を恐れて引き気味になってしまうかも知れません。そうすると警察に相談に行くしかない。しかし、窓口で応対に出た係官はめんどくさげな顔で話を聞いているだけ。たぶん、そのとき一番効果的なのは、これを放置すればいずれ事は大事件に発展して、そのときはあなた方はその責任を問われることになるでしょうと、露骨な脅迫的言辞はうまく避けながらも、警察が動かざるを得ないように仕向けることでしょう。それが一番賢明なやり方のように思えます。

 仮にそれでも動いてくれなければ、コワいお兄さんたちと一戦交える覚悟もして、弁護士と用心棒でも同道して、再度相手と対峙するしかありませんが、そんなことは誰にでもできる芸当ではありません。よほど勇気と胆力がないと無理で、ふつうの人なら弁護士はともかく、用心棒が務まるような知り合いもいない。それで暴力団関係者に相談したりすると、借りを作ってしまうことになり、そのようなことは断じてしてはならないと、それは他でもない「暴力団排除」に熱心な警察がつねひごろお説教していることなのです。なのに、いざ相談に来られると何もしない、「うちは死人が出るまでは動かない組織なんで」なんて言われると、繰り返しますが、これは一体何のために存在する組織なんだ、と言わざるを得なくなるのです。たしかに、スピード違反、車上狙いの警戒なんかはかなり熱心にやっているように見受けられますが(僕もしばらく前に仕事帰りにパトカーに呼び止められ、不審尋問を受けたことがあります。身分証明書の提示まで求められた。仕事の関係上、いつも帰りは遅いのですが、こんな夜中に住宅街で自転車をこいでいるような奴は怪しい奴にちがいないと、頭ごなし決めつけているのです。僕は自分で安全と判断した場合、信号無視の類は平気でやりますが、空き巣だの車上狙いだの、そんなセコいことするはずがない。顔を見ただけでその程度のことはすぐわかりそうなものを、そこらへん勘もヘチマもないわけで、こういう間抜けばかりなら事件解決能力に乏しいのも道理だなと思わざるを得ませんでした)。

 もう一つ僕にあらためて不可解に感じられたのは、角田美代子がいくら札付きのワルだったとはいえ、こういう手合いにかんたんに追い込まれてしまう被害家族の人たちの精神的な脆さです。大の男が何人もいてこうなるというのは、ワルに免疫がなさすぎるというのか、扱いを知らなさすぎるからでもあるでしょう。
 僕も60年近い人生の中では何度か脅迫まがいのことは経験したことがありますが、幸いややこしいことになったケースはないので、全部自分でケリがつけられました。中でも最悪と感じられたのは、自分で問題の種を蒔いておいて、こちらはそいつのせいで困ったことになっているから何とかしてほしいと人に泣きつかれて余分な仕事までしたのですが、念の入ったことにそこにまで妨害の手を伸ばし、それがうまくいかなくなるよう仕向けた上で、今度は正義の味方を気取って、「このおとしまえ、どうつけるつもりだ!」とわざわざ連絡先まで調べ上げて、暴力団顔負けの口調で脅迫電話をかけて寄越したケースです。僕はそいつの妨害行為はすでに知悉していて、しかし、失敗した今、何とかしなければならないと苦慮して奔走している最中だったので、しんから呆れました。稀とはいえ、この世の中にはほんとにそういう下劣・悪辣な奴もいるのです。

 この程度のことだけでは警察に訴えても無理でしょう。しかし、こういうことをする人間が異常だということには疑いの余地がないし、恐れてへどもどすると、脅しはエスカレートしながら執拗に続く可能性があるのです。僕のこのケースでは、あまりのことに怒髪天を衝いてしまった僕が、こんな社会の害虫みたいな奴をのさばらせておくわけにはいかないと思い、翌日直接出向いて話をつけてやるから、今のうちに病院に電話をして自分が入る病室の予約をしておけと言ったところから、攻守が逆転し、後はかんたんに片付いたのですが、こういう対応は僕が「善良な市民」ではない(その辺相手は何も調べていなかったらしく、「気弱なインテリ」の類だろうと甘く見ていたようでした)からできたことで、とても人様にはお勧めできないことです。

 しかし、いずれにせよ、そういう異常者には「相手を間違えた」と早い段階でわからせるのが一番かんじんだということになるので、一人で対応は困難だと思ったら早めに信頼できる人に相談することです。そのあたりの見極めがつかない人が今は少なくないようだし、「何事も穏便に」という事なかれ的な人たちは逆にその心理に付け込まれやすいのです。また、相手が背後に暴力団がいるようなことを匂わせると、それだけでびびってしまう人が多い。「出るところに出て決着をつけましょう」と恐れずに言ってやれば、怪しげな連中は何も手は出せなくなってしまうのですが、それがわからないのです。

 美代子の餌食にされた家族の場合、そのうち犯罪にまで加担させられるようになって、今度はそれを「決定的な弱み」として握られる羽目になったようですが、こういうのも邪悪な人間の常套手段なので、決して珍しくはないことです。相手の些細な落ち度をついてカサにかかってくる悪質なクレイマーも同じですが、彼らは何より人の「良心の呵責」を利用するのです。自分の側の「重大な道徳的違背」には平然と頬かむりを決め込んで。邪悪な人間をもっともよく特徴づけるのはこの特性です。彼らはしばしば理屈は達者です。自分にそれを当てはめて考えることが決してないので、自由自在、際限もなくご立派な道徳的能書きが垂れられるのです。しかし、彼らの論理は実際は破綻だらけなので、よく見ていれば嘘はかんたんに見抜ける。一々そんなことを指摘しても、彼らはそれには答えず、また別のことを言い出すので埒は明かず、だからまともに相手にするとキリがなくて、言い争ううちにこちらがうっかり失言すると、今度はそこを執拗に衝かれて良心的な人は参ってしまう、ということにもなりかねないのです。ふつうの人には「良心」というハンデがある。相手にはそれがないので、だから彼らを相手にするときはそこを忘れないようにしなければならないのです。

 そういうことは知っておいた方がいいことです。よく「この世には完全な善人も完全な悪人もいない」と言い、たしかにそれは真実ですが、それは極論であって、ふつうの意味では善良な人と邪悪な人間の違いは歴然としてあるのです。そして「邪悪な人間」とは一言でいえば「心がない人間」なのです。角田美代子は養子縁組などで擬似家族を形成し、自分の気に入った、自分に従順な「家族」にだけは優しかった、とくに自分の息子は溺愛していたという話ですが、だから彼女にも優しい人間らしい心があったとは言えないので、逆にそういう「擬似愛情」ででも自分の周りを飾り立てなければ、その恐ろしい心の空洞に耐えられなかったのでしょう。

 NHKのあの番組には印象深いシーンがありました。留置場で美代子と一緒だったという一人の女性が、彼女は自分の「擬似家族」が自供を始めて、次々自分の悪事が語られることにショックを受けていたようだと語っていたことです。自分が「愛情」を注いでいた「家族」に裏切られた、それが何より一番応えて、それが自殺につながったのではないかというのです。僕はそれは正しいのではないかと思います。彼女のような「心なし」にも愛情幻想は必要だった。それが崩壊したとき、残ったのは虚無しかなかったのです。彼女には事件への反省、自分の餌食にされて悲惨な死に方をした人たちへの懺悔の感情などは何もなかったでしょう。そんなものがかんたんに出てくるくらいなら、初めからあんなひどいことはしないし、できないだろうからです。そういう人間らしい心が何もない虚無の深淵が、擬似家族による擬似愛情の幻想が取り払われたとき、彼女の眼前にもはっきり現れたのです。それが何より耐えがたかったというところに、彼女の「人間性」がかろうじて残っていたというのはまことに皮肉なことです。

 しかし、僕らは誰でも「心なし」になる危険性を内包しています。美代子のように積極的な悪には走らないまでも、先に見た警察や学校関係者の呆れるほど鈍感な対応は人の痛みに対するシンパシーが欠落しているという点で、やはり「心なし」なのです。「さわらぬ神に祟りなし」と、美代子とその一党の日常に異常なものを感じながら、知らぬふりを装ってそれを遠巻きに見ていた周りの人たちも同様でしょう。「事なかれ主義」と「他者の運命への無関心」が今の文明社会(日本だけの話ではないでしょう)共通の病理です。その結果、「困った状況になっても誰も体を張って助けてくれる人はいない」ということになって、その恐怖からいよいよ利己的・自己防衛的になり、さらに相互孤立は深まって、事態は悪化するのです。

 こういう社会はワルにとっては最適の培地です。そのおかげで長く悪事が露見せずにすむのですから。また、だからこそ角田美代子みたいな異常者も出てきやすくなるのでしょう。最近はDVやストーカー犯罪なども増えているようですが、そういうのも「心なし」社会の中で、「心の栄養」が希薄になり、おかしくなって狂い出す人間が増えているからではありませんか。病気は弱いところから出ます。悪質ないじめを行なう子供たちも同じですが、彼ら加害者は実際には精神的虚弱者で、病変した細胞が次々周囲の健康な細胞を侵食していくのと同じで、社会を蝕んでいくのです。

 だとすれば、必要なのは法整備や防犯・通報体制の強化だけでなく、社会のこの病んだメンタリティ(心性)の問い直し、「心の再建」そのものだということになるでしょう。それ抜きでは何も解決しない。但し、それは保守派の政治家たちが言う陳腐で押しつけがましい「道徳教育」によって果たされるのではない。必要なのは何より、狭い自己の枠に囚われずに働く、深く力強い生きた感情です。心や愛情はそこに宿り、それこそが思考や行動を正しく導いてくれるのですから。

 この前代未聞の陰惨な事件の最大の教訓は、おそらくそのことにあるのでしょう。
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