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女性の聖性と、橋下発言の本末転倒

2013.05.19.18:53

 ちょうど女性を女神のように讃美してやまなかったトルバドゥール(西洋中世の吟遊詩人)を扱った章のところをやっていたら、それと対極をなすかのような橋下大阪市長の「兵士の下半身処理」発言の問題が出てきたので、皆さんすでにウンザリでしょうが、それについて少し書かせてもらいます。

 彼は発言数自体が多く、どこから騒ぎが始まったのか正確なことは知りませんが、沖縄に行って米軍のお偉方(司令官?)に、「風俗(産業)を活用したらどうか」と言って不快な顔をされたとか、それが発端だったようです。それがいつのまにか「従軍慰安婦」論議に移っていて、「戦争では、他の国の軍隊もそういうものはもっていた。日本だけ槍玉に上げられて非難されるのはフェアではない」というふうに話が展開した、というか故意に論点がずらされていったように見えます。これはそこらのおっさんが言うようなこととしてはべつだん珍しい意見ではありませんが、一政党のリーダーとしては情けなくなるようなレベルのもので、維新関係者も困り果てているというのが実際のところでしょう。

 それにしても、彼はなぜ「風俗の活用」などというおかしな進言をしてしまったのか? たぶん彼のつもりとしては、「犯罪に問われずに兵士たちが性欲を満足させるには風俗業や公娼制度のようなものが必要で、でないと兵士たちがかわいそうではないか」と言いたかったのでしょう。沖縄の米軍兵士による無残なレイプ事件が跡を絶たないのも、“合法的な(又はそれに準じる)”性欲発散の場をアメリカ軍当局が兵士たちに用意してやらないからで、なぜそうしないのか、沖縄県民もその方が安心できるでしょう、と。
 要は親切心から出た進言だったのです。これは、しかし、時代錯誤な男尊女卑思想丸出しの「おっさん感覚」の産物なので、女性からすれば、「女性の人権を無視した、女性を性の道具扱いする発言で、断じて許しがたい!」ということになったのです。

 それで僕も、おやじの一人として、“低級”なところから議論を始めたいのですが、「風俗を活用」したからといって女性に対するレイプや暴行などの犯罪が減りますかね? 僕にはそれ自体が疑わしいのです。別に兵士にかぎらない、今の日本には非合法の売買春組織はあちこちにはびこっているわけですが、そういうのを利用することが多い男性の方が、性犯罪を犯すことは少ないと言えますか? むしろ逆かもしれないので、風俗などで女性をモノ扱いすることに慣れた男の目には、娼婦もふつうの民間人女性も同じに見え(じっさい、人としては同じなのです)、かえって抑制がなくなって無法なふるまいに及ぶことの方が多くなりそうに思われるのです。大体(下品な話ですみません)、性欲の“発散”なるものは一時的なもので、それは一日もたたないうちに元に戻ってしまうのです。月に二回、「排泄クーポン券」を配布すればそれですむというようなものではないでしょう。

 だからそれはホンネの議論としても空想的なものでしかないと僕には思えるのですが、過去においてどこの国も軍隊は従軍慰安婦的なものを抱えていたか、「現地調達」していたかのどちらかだ、といった議論にしても、そういうのはあったとしても昔の話で、今はそういうことは許されなくなっているのです。そしてそれは大きな進歩だと僕は思うのですが、橋下市長もそれは認めるでしょう。認めるなら、「風俗活用」進言など初めから出てくるはずがないので、そのあたり、彼は議論のすりかえをして逃れようとしているのだと批判されても仕方がないのです。日本だけ不当な非難をされているとか何とか、自分に向けられた批判を、日本への非難とかぶらせて、それで“仲間”を増やそうとはかっているだけの話なので、他の国は「わが国の軍隊はつねに清らかであった」なんて主張しているわけでは別にないのです(そんなアホな理屈、あの恥知らずのブッシュですらこね回すのは困難でしょう)。「清らかな軍隊」など存在しない。どこの国かにかかわらず、まともな人間は誰しもそれをよく認識している。日本の一部の“愛国右翼”だけが、先の戦争でも日本軍は例外的に終始お行儀よくふるまったなんて無理な理屈をこねているだけの話であって、他国が批判しているのは、まさに日本の一部に見られるそうした頑迷な自己正当化の態度のことなのです。

 だから、橋下徹はさっさと白旗を上げて謝罪すればよく、それしか方法はないのですが、性格からして彼にはそれができにくい。さっきもネットでニュースを見たら、こういう記事の一節がありました。

【一方で橋下氏は「世界各国の軍隊が女性の活用を必要としていた、ということを僕は言った」と強調。「日本語の『必要』(という言葉)までは変えない。(自分が必要だと思った、と受け取られたのであれば)それは日本人の読解力不足だ」と語った。】(朝日新聞)

 一体何が「日本人の読解力不足」なんだか…。当時の各国の軍隊が「必要と考えていた」のであって、それは自分がそう考えているという意味ではない、と言いたいようですが、上にも述べたように、ならばなぜ沖縄の米軍海兵隊に「風俗の活用」など勧めたのか、ということになるので、それはそのとき「自分が必要と考えていた」からに他なりません。それ以外にどういう解釈がありうるのか、説明してもらいたいものです。「風俗業活用発言に関しては、売買春と誤解されたとした上で『自分の国際感覚のなさが原因だ』と釈明」(産経)しているのだそうですが、「風俗業活用」と「売買春」はどう違うのですか? そのあたりよくわからない僕は「読解力不足」なのでしょうか?

 以上で橋下発言批判はすんだとして、こういうのは結局、女性を性の道具扱いするのが許されるかどうかという問題で、タテマエはそうだが、ホンネでは仕方ないと考えている人が日本にはいまだにたくさんいるからこそなのでしょう。酒席などでのセクハラも、僕はトルバドゥール並の女性崇拝者なので、自分が同席している場でそのような女性への無礼を許したことは一度もありませんが、わが国ではいまだにかなり多いようです(そういうのを見て腹が立たないということの方が僕にはずっと不思議です。酒に酔っているから許されるというような性質のものでは、それはないのです。むしろ酒の力を借りてそのような痴漢行為に及ぶというその卑劣さが気に入らない)。

 こう言ったからといって、僕は別に女性に媚びているのではありません。僕は女性は気高く、美しくあってほしいと願うものなので、女性の凛としたたたずまいを見ることは、この世における数少ない喜びの一つなのです。だから、女性をレイプする奴などというのは断じて許しがたいので、その場で殴り殺してやってもいいと思っているくらいです。

 こういうのは必ずしも例外的な話ではありません。恋する若者が憧れの女性の前で口も聞けなくなって縮こまっているという図は、洋の東西を問わずいたるところで観察されてきたものです。彼にとっては目の前にいるその女性は女神か天使なのです。だからあるとき、彼女が背中に羽根をはやして現われたとしても、彼は少しも驚かず、「やっぱり思ったとおりだ…」と呟くのです。

 こういうのは男性の魂の奥底に「聖なる女性」の像が宿っているからです。それは天上的なもので、プラトンの「善のイデア」の一部と言ってよい。それが、現実の美しい女性の姿に接したとき、「想起」されるのです。
 それが最も強烈かつ純粋なかたちで生じるとき、下半身のことなどはすっかり忘れ去られる。その美しい「聖なる女性」がそこにいるということだけで心は完全に満たされ、他に求めるものは何もなくなって、文字どおり天にも昇る喜びを経験するのです。平塚雷鳥の本のタイトルか何かに、「むしろ女人の性を礼拝せよ」というのがあったと記憶していますが、言われなくても彼は「礼拝」するので、それは相手の女性が地上における神の似姿であるからなのです。

 そういう感性というか心性は、今の若者の間にも健在です。僕はこれまで塾でそういうのを繰り返し見てきました。前の授業と次の授業の入れ替え時、前のクラスにきれいな生徒がいた場合など、次のクラスの男の子たちの中にはその女子生徒を見て、「うわっ」という顔をして、固まってしまうのがいるからです。あわてて目をそらし、大きな図体がひどく小さくなっている。それを尻目に、女生徒の方は威風堂々立ち去るのですが、女神か女王に予期せず遭遇して、狼狽おくあたわざる状態になってしまったという図柄で、彼は緊張と恥ずかしさで縮こまっているのです。そうした純情は可笑しくもあれば微笑ましくもあるのですが、そういうタイプの男の子というのは、別に相手がとびきりの美人でなくても、女性に対してレイプのようなひどいふるまいはしない、というか、できないでしょう。彼の中にいる「聖なる女性」がそれを許さないからです。それは女性全般に対する態度にも影響を及ぼし、女性に対する自然な敬意のかたちをとってあらわれるのです。

 性欲というのはかなり個人差が大きいもののようですが、こういうのはそれの強弱とは無関係です。むしろそうした「想起」には大きなエネルギーが必要とされるので、性的エネルギーはそうした人の方が強いかも知れない。ただ、古臭い表現をするなら、人間は「霊と肉との複合体」なので、そういう人は前者の占める比重が高いのだとは言えるかも知れません。

 性の問題を下半身に局限して論じるのは、だから人間の「価値の切り下げ」に他なりません。そうすることによって、人の心に宿る美と崇高の感性、理念は切り捨てられてしまうので、だから間違いだと、僕は言いたいのです。現実的に考えるなら、そちらだけをとって「下半身」を切り捨てるのも同じく行き過ぎたことでしょうが(わかりきったことですが、僕は何らセックスそれ自体には反対していません)、今はそちらがあまりにもないがしろにされているように思われるので、あえて僕はそれを強調するのです。品性下劣な一部の例外は除き、女性に気高く、美しくあってほしいと思うのは、全男性の願望であり、それはその強度のレベルにおいて、あられもない下半身の欲求に優るとも劣るものではないのです。

 当然ながら、そうした心性は女性の「性の道具化」に強い抵抗を覚えます。こうした問題に関しても、鍵となるのはそういうメンタリティなのです。育成が可能なものであるのなら、それを育てなければならない。
 男性の心の中に眠るこの「聖なる女性」のイメージは太古の昔からあったものではないかと思いますが、西洋でその後生れた一神教は旧約聖書の神ヤーヴェに象徴されるように、野蛮な男性神としてイメージされ(そこから男尊女卑思想も胚胎した)、途中でその叡知は失われてしまったのです(それでもそれが完全に死に絶えることがなかったのは、あのマリア信仰の根強さを見てもよくわかります)。
 わが国の場合には、女王卑弥呼の昔から「女性上位」の国です。それは「正しい」ことだったのですが、西洋におけると同じく愚かな男性の自己陶酔的な見栄と権力衝動による蛮行によってそれが台無しにされてしまったのです。

 文豪ゲーテはそのライフワークとも呼べる『ファウスト』で、「永遠に女性的なるもの」による最終的な人間の救済を描き出しました。それが何を意味するかを、僕らはいまだによく理解していないのです。今回は時間的余裕がないのでいきなり結論だけ書かせてもらいますが、もしも僕らが「聖なる女性」のイメージを復興することができないなら、人類は遠くない将来、混乱と絶望の中で滅亡するしかなくなってしまうだろうと思います。

The treatment of women is a good yardstick to measure any civilisatin. ―Arthur Guirdham
(女性の扱いは文明のレベルを測るよき尺度である。―アーサー・ガーダム)
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