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リベラルすぎて滅ぼされた異端宗教の話

2013.04.10(16:26) 209

 だいぶ前からまとまった時間ができたのを幸い、アーサー・ガーダム(英国の精神科医)が書いた『偉大なる異端(The Great Heresy)』という本の訳稿をいじり直しているのですが、これは12世紀末から14世紀にかけて、草の根分けてもとでもいった徹底的、かつ悪逆非道としか言いようがないローマ・カトリックによる大弾圧を受けて滅ぼされた西洋キリスト教異端カタリ派の歴史と教義(秘密教義も含む)を扱った本です。

 興味のある読者もいるかと思い、今回はちょっとその話をさせてもらいますが、これはむろん、カタリ派側が戦いを仕掛けた結果ではありません。地中海沿岸から「燎原の火のように」という形容ぴったりの猛烈な勢いで西洋世界に広がり、世俗の広い階層の支持を集めてカトリック教会の支配を深刻にゆるがせるにいたったので、危機感を募らせたバチカンは世俗権力を抱き込んで数次の大十字軍を組織して大量殺戮を行い、あわせて悪名高い異端審問によって近代のファシズム国家の秘密警察でもここまではしないだろうと思われるような悪辣執拗な弾圧を加えたのです(異端の疑いをかけられた者は、死者といえども無事ではすまず、墓を暴いて、遺骨を掘り出して砕いて野にさらされ、その縁者は遺産を没収された。異端と認定され、信仰の放棄を拒んだ者は、生者の場合、容赦なく焼き殺されたのです)。
 中には大量殺戮によって町そのものが“消滅”してしまったケースもあった。

「1209年7月22日の大虐殺に関してとくに目立つのは、そのぞっとするような規模と、見境のない(殺戮の)性質である。カトリックの騎士の一人が誰を殺せばいいのか知りたいと願ったとき、これはそれ自体興味深い質問であるが、シトー修道院代理の教会活動家は次のように答えたという記録がある。『皆殺しにせよ。神は自らの民を知り給う』」(第七章 アルビジョワ十字軍)

 当時カタリ派の拠点は、のちにフランスに併合されるラングドック(高度な文明と商業的繁栄を誇り、その民主的な社会運営で時代に三百年は先んじていた)にありましたが、これはその中のベジエという町の話で、数ははっきりとわからないのですが、一説には三万人とも言われる。騎士がそう質問したのは、異端者は殺してもいいが、カトリックの信者まで殺してしまっては具合が悪いだろうという「分別」に基づくものですが、教会側は「めんどくさいから、全部まとめて殺してしまえ」と言ったわけです。その結果、「避難所になっていた聖マドレーヌ教会では、六、七千人の人々が虐殺された。……彼らがカトリックの教会に逃げ込んでいたことから見て、カトリックの犠牲者はカタリ派のそれを上回っていただろう」(同)という大惨事になった。「神は自らの民を知り給う」わけだから、そこで殺されたカトリックの信者たちは、「真正の信者」ではないという解釈だったのでしょう。

 著者はこうコメントしています。

「ベジエ侵奪の効果には人を唖然たらしめるものがあった。それは第二次世界大戦における原爆投下の効果と何かしら似通っていた。それは中世の人々の記憶のどんなものをも超える恐怖の激震であった。相当数の小貴族たちが抵抗を放棄して侵略軍の軍門に下った」

 なるほど、それはひどいにしても、十字軍の兵士たちは少なくとも「カトリックの正義」はかたく信じていたからこそ、大軍隊の結集が可能だったのだと思う人がいるでしょう。が、この大殺戮団への参加に関しては、予めバチカンによる驚くべき「特典」が約束されていたのです。
 すでに引用した記述に先立って、著者は皮肉たっぷり、こう述べています。

「この戦争の主な特徴について触れる前に、従軍者に与えられた条件についてかんたんに触れておくことがたぶん有益だろう。ローマ教皇はそれに参加する者にあらゆる罪の赦免を、過去に犯した罪だけでなく、将来犯すかもしれないどんな罪についても完全な赦免を与えたのである。歴史上、そのような魅力的な条件を付与された兵役が他にあったかどうかは疑わしい。召集された軍隊が、それに付された莫大な配当に見合った働きをしたと主な年代記作者たちによって報告されているのは十分理解しうることである。他に、ユダヤ人の金貸しに対する一切の負債を免除するという特典などもあった」

 アメリカ軍は、先の対アフガン、イラク戦争(あらためて言っておきますが、あれはどちらも国際法上は明白な違法です)に際して、兵士を貧乏な若者たちからリクルートするのに、大学の奨学金が与えられる(それはめったに実現しなかったようですが)などという「特典」をチラつかせたそうですが、そんなセコいものとはスケールが全く違うものだったのです。

 著者も言うように、中世のカトリックと現代のカトリックは区別しなければなりませんが、バチカンのこうした過去の、どんな巨大マフィアも真っ青の悪逆非道ぶりは記憶に値するものでしょう。彼らは「神の代理人」として、人々に地獄落ちの恐怖を植えつけて脅しながら、絶対権力を保持していたのですが、事実としては「悪魔の代理人」と呼んだ方が適切なくらいだったのです。
 これは、権力にのぼせた上層部がおかしくなっていただけなのだろうと思う人もいるでしょうが、末端聖職者の腐敗ぶりもすさまじいものだったので、それはこの本の第一章末尾で、次のように描かれています。

「ミサが三十年間も行われていないカトリックの教会が存在した。カトリックの神父たちは、自らの義務の遂行をよそに、他の儲かる仕事をもち、なかには商売をやっている者さえいた。彼らは我欲丸出しの生活を送り、公然と女を囲っていた。ナルボンヌの大司教は、自分の管区に足を踏み入れることなく肥満して無気力をかこち、バチカンからの叱責を無視していた。これらはカタリ派側の宣伝によるものではなく、教皇が公に認めていたことであるのは強調されねばならない。聖ドミニコが異端審問の布告以前に布教に乗り出したとき、彼は目立たないようにこっそりと旅し、カタリ派聖職者の質素さを真似るよう気をつけた。人々はカトリックの聖職者たちが贅沢三昧に暮らし、旅するのと、その霊的な義務の怠慢にうんざりしていたからである」

 異端が人気を博したのにはそういう背景もあったわけですが、カタリ派はその教義の上でも「神の代理人としての教会の権威」をはっきり否定していました。西洋中世において、カトリック教会は「天国へのパスポート」の発行権限を独占していたのですが、それは嗤うべきナンセンスだとして、これを全面否定したのです。カトリック当局からすれば、これはレゾン・デートル(存在理由)そのものを否定されることで、許しがたい侮辱だったでしょう。
 そのあたり、著者はこう説明しています。少し長いし、ガーダムの文体には古いタイプのイギリス教養人らしい独特の回りくどさ、晦渋さがあるのですが、そこは我慢して読んでいただきましょう。

「生まれ変わりの信奉者として、カタリ派は恩寵の教義を拒否した。人は生まれ変わりのプロセスで自らを純化するのであって、それは人格化された神によって授けられる恩寵と呼ばれる神秘的なギフトのおかげでも、聖職者によって段階的に行なわれる赦免や悔い改めや、通常の教会献金を通じてのものでもなかった。カタリ派はカトリック教会によって認められていた秘蹟の効果を否認した。洗礼、結婚、聖体拝受はいずれも排除された。これはローマカトリックの権威と権力にとっては破壊的な打撃であった。それは聖職者が司る儀式によって幼児が救済にあずかる権利を獲得するという教義を否認していた。これはたんなる特権の剥奪というだけの問題ではない。たしかにこの特権の剥奪は、聖職者が代表する権威全体の崩壊につながりかねないものではあるが、何よりカトリックの聖職者たちにとって問題だったのは、洗礼などの秘蹟の効能の否認である。それは彼らの存在意義、そしてその神聖な役目そのものに疑いを差しはさむものだったからである。叙階によって、聖職者は救済へのパスポートを発行する権限と、不信仰者や異端に対してのみならず、洗礼を受けていない人々に対しても天国への門を閉ざす権限を与えられていた。この問題を、罪からの解放は不断のミサへの出席や、他の秘蹟の拝受や義務の細心な遵守なしでも果たされうると認める現代の自由主義的なカトリシズムの見地から考えることは無意味である。中世においては、そうした秘蹟や儀式は救済にとって最重要のもので、個人の生き方の純粋さや道徳的な罪のなさは、教会の支配への恭順と比較すれば、ほとんど何ものでもなかったのである。このことは、異端審問官たち自身が異端者の罪のない生活ぶりを賞賛するのがつねであったことにも明確に示されている。にもかかわらず彼らが告発されたのは、純潔な愛ある生活は、秘蹟によって恩寵を付与する教会の権利の否認(という重罪)の前では何の意味ももたなかったことを明白に示すものである。次のことははっきりと理解されねばならない。すなわち、異端者や反抗者と、その対極にあるいわゆる「社会のクズ」は例外として、中世の人々は地獄落ちの恐怖に支配されていた、ということである。それは、たいていの場合誠心誠意、自ら永劫の罰の教義を信じる聖職者たちによって強調されていた。この地獄への強烈な心のとらわれは、崇敬と恐怖の微妙な混合物である畏怖の雰囲気の中で執り行われる、恭しい儀式の訓示で取り扱われた。儀式的な遵守によって強迫的な心理が強められ、コントロールされたのは、歴史上これが初めてではない。それは病理学的に広く認められる現象である。
 カタリ派の聖体拝受に対する態度は、決定的な問題であった。それはたんに彼らがその重要性が誇張されていると主張したというだけの話ではなかった。ヴァルド派(注記:十二世紀にフランス人Peter Waldoが始めたキリスト教の一派)は、カタリ派と同時代の異端の実践者であったが、善き生とキリストの言葉の直接の実践は、秘蹟を受けることと同等か、それよりもすぐれたものだと主張していた。この点でヴァルド派は、様々な種類の改革派教会、とくにヴァルド教徒の先駆者であった。しかし、プロテスタント派と、とりわけ非国教徒派は、カトリックのミサと較べて聖体拝受の価値を引き下げ、それを祝う頻度を下げたとはいえ、それを今日まで聖なる重要な儀式として残している。一方カタリズムは、正統的なキリスト教の秘蹟の有用性を丸ごと否定した。それはさらに進んで、聖体はパガン[偶像崇拝]であり、ある種の堕落で、基本的に悪しきものだと述べるにいたった。彼らの驚くほど洗練された知性にとって、それは古い神話、王はその民のために、彼らが王の肉を食らい血をすすることから力を得るがために死なねばならないという神話に由来するものと見えた(注記:はりつけにされたイエスが人類全体の罪をその死によって贖ったのだとする異様な教義を指す)。キリストは実際にパンとワインに身を分かたれたのだとする化体の教義は、神の一人息子が受肉したのではないと主張するカタリズムにとっては全く理解しがたい観念であった。仮にそうであったとしても、キリストが本当に十字架上で絶命しながら、同時に、パンとワインの中に再び姿を現すというのは、信じがたいことであった」(第三章「カタリ派の教義と行為に関する誤解」)

 現代では、教会に足繁く通い、その権威を崇拝して、洗礼その他の「秘蹟」を片っ端から受け、教会への寄付を怠りさえしなければ、日常どんな卑劣強欲なふるまいをしていても天国行きは約束されたも同然だとは誰も思わないでしょうが、中世では事情は違っていたのです。
 しかし、結婚まで否定するのは少しばかりラディカルすぎるのではないかと思う人もいるかも知れません。これは当時もカタリ派攻撃の材料に使われたようですが、カタリ派は正規の結婚と事実婚とを差別しませんでしたが、これを今のたんなる習慣的儀式と化した教会での結婚式と同一視はできないので、意味するところは、その「秘蹟としての効能」を否定したということなのです。
 再び関連箇所を引用すると、

「彼ら(カタリ派)は、性的な接触が婚前に行なわれるのは罪であり、タブーであるが、結婚式後はその不義であり、浅ましいものであったものが聖別されたものになるとは信じていなかった。現代の最も献身的な英国国教徒ですら、結婚式で確信をもって述べられるそのような言明を本当に信じるだろうか? 結婚式は神によって授けられる秘蹟であり、それは若者が性交渉をもつためのライセンスであると、真面目にみなすだろうか? 若者が祭壇の前にバージンのまま現われ、しかるのちに、あわただしく執り行なわれる公式的な改心の儀式によって、彼らが首尾よく子づくりにふさわしく変えられるのだと。カタリ派は性的な衝動は基本的に結婚の前と後で同じであり、それは短いセレモニーの間に消毒され、穢れをはらわれるようなことはありえないと主張した」

 あたりまえの話だと思われますが、当時は「許しがたく不敬な」考えだとみなされたのです。
 こうした「秘蹟の否認」「生まれ変わり思想」などの他に、現代でも多くの人々には「不敬」とみなされかねないような思想が一つ、カタリ派にはありました。それは、「この世界は全知全能の善なる神が創ったものだ」という考えを否定し、「この物質世界は悪魔の所産に他ならない」と主張したことです。
 カタリ派は新約聖書のうち「ヨハネ福音書」をとくに好みましたが、旧約聖書は拒否した。旧約の神ヤーヴェ(エホバ)は悪魔に他ならないと、彼らは考えたのです。
 この点、カタリ派は古代グノーシス主義と思想的類縁関係をもつのですが、宇宙にはその初めから善悪二つの原理があり、人のプシュケ(心魂)は善に由来し、肉体とそれが置かれたこの物質世界は、サタン、ルシファー、悪魔(グノーシス主義ではデミウルゴス)に由来すると言うのです。
 だから、カトリックは「死後の地獄落ち」で人々を脅したのですが、カタリ派にとってはこの世界そのものが地獄の等価物に他ならなかったのです。

 そこからしてカタリ派には「人々を絶望へといざなう陰鬱な宗教」だという非難が投げかけられたのですが、事実として、一般信者にはそれはむしろ慰めになったのです。この世界が地獄なら、それは生きている間だけの辛抱で、死後魂は物質世界への幽閉から解放されて自由になれるのだということになるからです。ここに「生まれ変わりのプロセスを通じての魂の純化」という考えを重ね合わせると、善なる心の促しに従って、努めて明るく生きよう、人助けなど自分にできる建設的な行いをして魂の成長を心がけることにしよう、己の利得だけ考えてこの世界をいっそう地獄じみたところにすることだけは避けねばならない、ということに自然なるからです。ここは「地獄に似た所」ではあっても、輝く太陽が、肥沃な大地があり、たくさんの祝祭がある。ワインがあり、女性がいて、歌がある。そうした慰めも一方にあるのです。

 この世界を「地獄」とカタリ派が規定したことの背後には、「人間はこの世界では意識・感覚の最低レベルでしか機能できない」という洞察がありました。魂は羽根をもがれた鳥のようなみじめな状態に置かれているので、その意味でも地獄に等しいのです。
 話がややこしくなりすぎるので、それについてはかんたんに言及するにとどめますが、カタリ派でもごく一部の人にしか理解されていなかったその神学では、善悪二つの原理は究極的なものではありませんでした。それはエネルギーのプラスとマイナスの両極のようなもので、ある時点で、その分裂は生じたのです。かんたんに言えば、この物質宇宙の生成の始まり(それは時間の始まりも意味する)と共にその分裂は生じたので、それが生じたときも、それは善悪というより、陽と陰、二つの力の働きのようなものだった。善悪はその人間的な感じられ方、解釈の所産にすぎません(ガーダムのこの本の第二部第十八章「創造」はそのあたりのことを説明しています。相当に難解な議論ではあるのですが)。

 しかし、こういうのはいくらか微妙すぎる話なので、話を現実世界に戻すとして、常識的に考えても、「この世界を神が創った」とするカトリックの教義には無理がありすぎるでしょう。いくらかでも歴史を学んだことのある人なら誰でも、また、自分の目の前の現実を人間らしい感受性をもって偏見なく眺める能力をもった人なら誰でも、この世界が相当に悲惨なところで、天国の等価物であるより、地獄のそれに近いものだということは認めざるを得ないでしょう。カトリックには今でもエクソシズム、悪魔祓いの儀式があって、よくオカルトホラー映画などに出てきますが、あの程度のものしか「悪魔」と認識できないというのは、想像力の貧困以外の何ものでもありません(大体、「全知全能の善なる神」が創った世界に、何でそんなものがいるのか?)。
 カトリックはカタリ派を「悪魔」に等しいものと見て、上に見た大量殺戮に乗り出したのですが、その行為それ自体が「悪魔の所業」としか思えないもので、「自分の中の悪魔」に無自覚、盲目であること、これにまさるものはないでしょう。そうした野蛮無慈悲な行為を「神」が命じたと称するなら、その神とは悪魔に他ならず、ここでもカタリ派は正しかったと言いうるのです。

 これは歴史全般に言えることですが、歴史はしばしば勝者に都合よく書かれます。カタリ派が後世に歪めて伝えられたことにはいくつか理由があって、その一つはカタリ派文献がカタリ派の提示するものとしてはほとんど残っておらず、それは全面的に異端審問の資料に依拠することです。これをガーダムは、「それはナチスのゲシュタポをユダヤ教の信仰と性質についての最高権威とみなすのと同じだ」と皮肉を言っていますが、それに公正さを期待するには初めから無理がある。カトリックの暴虐についても、カトリックはその後も存続して、今にいたるもバチカンは強大な権力を誇っている(聖職者による信者の子弟への性的虐待スキャンダルの隠蔽や、不正な資金の流れなどで大揺れのようですが)ので、カトリックやそれに関係する人たちはそれを過小評価したり、虚偽も厭わず無理にでも正当化したがるのです。

 もう一つは、僕はこの訳書に「アウグスティヌス批判」を附録としてつけるつもりなのですが、彼は同じ二元論宗教のマニ教からの転向者で、自分の狭い見聞に基づいてとても公正とは思われない一面的な二元論批判を行い、彼はキリスト教世界の大権威とみなされているので、それが後世のカタリ派解釈にも深甚な影響を及ぼしたことです。彼は「この世界を神が創ったのなら、悪はなぜ存在するのか?」と苦悩し、かなり無理な理屈をこねたことでも有名ですが、そんな下手なことをするより、カタリ派的な説明の方がよっぽど明快でわかりやすいのです。

 他にもカタリ派の目立った特徴はあって、それは女性に対する尊重です。カタリ派はパルフェと呼ばれるエリート聖職者を選抜していましたが、それには女性が多く含まれ、ことに子育てを終えた貴族女性たちが多かったのです(カタリ派はふつうの世俗生活を体験した、人生経験豊富な熟年の男女からそれをえらぶことが多かった)。今貴族と書きましたが、カタリ派は事実上身分差別を撤廃していて、出自によって差別されることもありませんでした。だから賎民階級出身のパルフェもいたのです(ちなみに当時のラングドックでは、既婚女性にも財産権が認められていました。これはヨーロッパの他の地域にはなかったことで、ヨーロッパでも当時、女性の権利はなきに等しかったのです)。

 もう一つ、パルフェは多くの場合、医学と薬学の知識を身につけていました。魂の医者だけでなく、肉体の医師も兼ねていたのです。そしてまた、通常の医学(当時のそれはアラビア医学由来のものでした)とは別に、「按手」と呼ばれる特殊なヒーリング能力をもつ者もいた。彼らの多くは今で言うヒーラーだったのです(女性が多く含まれていたことにはそれも関係する。女性の方がその種の能力に恵まれることが多いからです)。それは人格的な高潔さだけでなく、特異な心霊治療能力をもっていたことを意味しています(これは異端審問の見地からすれば「魔女の証拠」ということになるわけですが)。
 これと並んで、注意深く選ばれた一握りのパルフェは瞑想と哲学(それはたんなる知性レベルのものではなかった)の高度なトレーニングを受けていた。先に短く触れた世界創造理論などは、そうした人たちによってもたらされたもので、あの時代にはそぐわないレベルのものだったのです。

 彼らはまた、手工業の基礎を築いて、人々の生活を助けた。自らワークショップを主宰して、人々に様々な技術を教えていたのです。ガーダムは彼らは聖職者としての勤めを果たす一方、「猛烈な働き手」でもあったのだと付言しています。

 彼らにはこの他に、菜食主義者(魚は食べた)であったこと、殺人に対する絶対的反対者であったこと(一般信者や擁護者の貴族たちは十字軍と必死に戦いましたが、パルフェは理由のいかんを問わず、殺人を禁じられていました)などが特徴として挙げられますが、そういう人々相手に、カトリックは最後の一人まで逃すまいと、徹底的な掃討を行い、信仰の放棄を拒んだパルフェたちは、無抵抗で百人、ニ百人の単位で生きたまま焼き殺され、従容として死んでいったのです。

 カタリ派とほぼ同時期に抹殺された有名な存在として、テンプル騎士団があります。カタリ派掃討の十字軍に、勇猛果敢で名高いテンプル騎士団はなぜか加わらなかった。テンプル騎士団は特権的な地位を得ていて教皇直属だったのに、これは不可解なことですが、実際にカタリ派とテンプル騎士団には思想的にも人的交流の面でもつながりがあって、テンプル騎士団のメンバーにはカタリ派からの流入者が複数いたとガーダムは述べています。
 テンプル騎士団掃討の理由は今にいたるもはっきりしませんが、たんなる財産目当てのもの(フィリップ4世が資産狙いで濡れ衣を着せて壊滅させたという説が有力)だったというより、それ以外にも教権にとっても脅威となる何らかの思想的な危険な性質がテンプル騎士団にはあると疑われたからかも知れません(カタリ派と関係があったのなら、それはなおさらのことです)。

 長くなったのでこれくらいにしますが、もしもカタリ派やテンプル騎士団が滅ぼされなかったら、その後どうなっていたか? おそらく西洋史は変わっていたでしょう。それも民主的なよい方向に変わっていただろうと僕は考える者ですが、過去の事実は変えられないので、残念ながらそれは詮ない仮定という他ありません。

 最後にもう一つだけ、「キリスト教に生まれ変わり?」と不審に思う人がいるでしょうが、生まれ変わりの思想は東洋人の専売特許ではありません。ピュタゴラスの昔から、それは西洋にもあったのです。原始キリスト教も、おそらくはそれを否定していなかったでしょう。それはのちの宗教会議で公に否定されたのです(キリスト教は国家公認の宗教になるのと前後して、大きく変質しました。それはイエスが説いた「愛の宗教」「癒しの宗教」とは似ても似つかないものになったと言ってよいので、かつてのチベットのような幸福な例外はありますが、宗教は世俗権力と結びつくとロクなことにはならないのです)。

 ガーダムは元々、『カタリ派と生まれ変わり』という本で有名になった人です。それは懐疑と合理主義精神で武装した近代医学者の見本のような彼が、不可解な成り行きで生まれ変わりの実例としか思えない人たちに遭遇し、自らも複数の過去生を知らされる、という奇怪な体験へと導かれたことによります。
 僕自身、彼の自伝『二つの世界を生きて』を翻訳出版した後、奇妙な例に遭遇しました。一人の読者がわざわざ懇切な手紙を下さって、その人と文通したり電話で話したりするうち、この人が不思議な記憶をもっていることを知らされたのです。最初に電話で話したとき、彼女は親しげな口調で奇妙なことを言いました。
 「サソリの穴がたくさんありましたでしょう?」
 「サソリ…ですか?」
 僕は返答に窮しました。当時の僕の理解ではサソリは熱帯や亜熱帯、砂漠地帯に生息するもので、その人は懐かしげにあたりの風景も描写しましたが、南フランスにそんなものがいるとは到底思えなかった。しかし、その人は生れてこの方の記憶ではありえないものをもっているのはたしかだと思われたので、僕は図書館で調べた後、カタリ派はイスラムのスーフィズム(イスラム神秘主義)などとも関係があったという説があるので、そちらの方の、つまり中東地域の記憶かも知れないと手紙に書きました。そうかも知れないと、その人もそのときは思ったようでした。
 その人はしばらくしてから、元生物の高校教師だという知り合いのおじいさんに、「フランスにはサソリなんていませんよね?」とさりげなく聞いてみたそうです。するとそのおじいさんは「いるよ」と即答した。
 「いるって…フランスのどこにいるんですか?」
 「フランスにはラングドックというところがあってね。そこにラングドックサソリという可愛いやつがいる」
 何? これには僕もびっくりしました。ラングドックはすでに書いたように、カタリ派の拠点でした。そうするとその人の記憶は、ラングドックの記憶であった可能性が高い(その人は図鑑でそのラングドックサソリを調べたそうですが、それは記憶にあるものと一致したとのこと)。その人はピレネー山脈と思われる山並も鮮やかに記憶していました。この人は当時男性で、組織に内通者がいて、背後から襲われて喉笛を搔き切られ、暗殺されたのですが、当時は殺人用の特殊な鎌のようなものがあって、その凶器についてもあるとき描写してくれました(完全犯罪を企てようとする人はよく覚えておいた方がいいですが、死んだ後、誰に殺されたかははっきりわかるそうです)。
 むろん、ガーダムの本にサソリの話なんかは全く出てきません。僕は人と話をすれば、声や口調から相手のパーソナリティのかなりの部分がわかると思っている者ですが、その人には神経症的なところやヒステリーじみたところは全くありませんでした。明るい、調和に満ちた声でした。医者一族の家に生れた、大学を二つも出たという才媛で、地方の名士のような人だったのです。
 その後、直接お会いする機会がありましたが、その人はそのときは黙っていたものの、僕が何者であったかも認知したようでした。僕はあるとき、それは旅の途中のことだったのでしょうが、病気で道端に倒れていて、通りかかったこの人の荷馬車のようなもので運ばれ、助けられたことがあったのです(今回も僕はこの人に大いに助けられたのですが)。僕はその種のことに過度に関心をもつ人間ではないので、それ以上詳しいことは何も聞きませんでしたが、別のときに「あなたは昔も一匹狼みたいな人でしたよ」と笑いながら言っていたことからして、単独行動を好むカタリ派のゲリラの類だったのかも知れません。迫害する側でなかったらしいのは幸いでした。

 この人はもっと新しい別の時代の記憶(この種の記憶は一つながりのものではなく、断片的な記憶の集積のようなもののようです)をもう一つもっていて、それが何であったかもその後大体突き止めたようでしたが、その話は割愛します(ちなみに今生では彼女はプロテスタント派の教会に属しています)。

 こういう話を、人はどう受け取るか知りませんが、僕は単純に不思議な話だと思うばかりです。その人は「家族にも話したことがなかった」と言っていたので、ふつうは頭がおかしいと思われるだけなので、そういう話はその人自身の胸にしまわれたままになることが多いでしょう。こうした「生まれ変わり」記憶に関しては、他に説明がつくという人もいて、ガーダムに劣らず疑り深い性質の僕はむろん、その種の理論は承知していますが、やはり一番シンプルで無理の少ないのが、「肉体を超えての記憶の相続」、つまり「生まれ変わり」だということになるでしょう。
 今の僕は魂を実体的なものとは見ず、通常のパーソナリテイよりは長持ちのする思念・感覚の集合体、あるいは一種の「意識の流れ」(ガーダムはときにそれに「バイブレーション(振動)」という表現を与えます)のようなものだと理解していますが、それはたしかなものとして目の前に見え、触れられる机が、原子レベルでは一個の運動であるというのと似たような話で、僕らのこの世界での感性レベルでは一個の実体として観念されるのがふつうなので、それが死後も何らかのかたちで存続するというのは、別にさほど奇怪なこととは思われないのです。

 今は心理学者でも人の心を「タブラ・ラサ(何も書かれていない白板)」だとみなす人はほとんどなく、もって生れた明確な個性があると認められていますが、それがどこからやってきたのかは謎で、過去生での体験がそれには関係しているのかも知れません。
 だからといって、自然なその種の記憶が残存している場合は別として、自己理解のために「前世探究」に乗り出す必要はない、と僕は考えています。個性を理解することと、その由来を知ることとは別の問題で、後者は前者を保証しないし、前者は後者抜きでも可能なことだからです(これは仏教の有名な「毒矢のたとえ」と同じです)。

 ただ、そういうこともありうるのだと考えれば、自分の性格的欠点などを、今の自分のせいのように考えて自己非難に明け暮れるなどの不毛なことは避けられるでしょう。それは過去生のトラウマ的体験の産物かも知れず、今はしかし、別の環境と時代に生れているので、それに引きずられることなく、それを矯正・消去することが可能になったのだと考えられるからです。そうした努力は、カタリ派的に言えば「魂の成長」につながる。

 そういう意味で、こうした考えは建設的な意味をもつと言えるのではないでしょうか。

 尚、この訳書、いつ出るのだと言う人がいるでしょうが、出版の予定は今のところありません。僕は「カタリ派の残党」の一人として、これの翻訳は自分のミッションのようなものだと考えているのでその作業はきっちり終えるつもりですが、出版は別の人のミッションで、ちゃんとしたものを作っておけば、いつか誰かがそれを出してくれるだろうと思っているのです。ガーダムがこの本を出したのは1977年のことですが、彼には「再び暗黒時代が到来しようとしている」というかなり強い危機感があったようです。それに警告を発する意図もあって、彼はこれを書いたのです。またも、その暗黒に対抗する価値ある異端が滅ぼされるようなことがあってはならないと(原発問題を例に取るなら、原子力ムラの面々が当時のカトリック権力、小出先生たち「熊取六人組」のような人たちが異端カタリ派に当たる、といったたとえが成り立つでしょうか)。
 しかし、ガーダム先生の困るところは、歴史も哲学も、心理学もオカルトも、平気でごちゃまぜに書いてしまうところで、しかも論述レベルは相当高いので、オカルトアレルギーの歴史学・宗教学関係の“正統派”学者にはそっぽを向かれる(何せ、第二部は「肉体をもたない霊」からの直接情報だと公言しているのです)だろうし、オカルト好きの一般読者には少しばかり難解すぎる記述が多い、というわけで、訳書出版への障壁を著者自らが作り出しているようなものなので、そのあたりまことに厄介なのです。

 読みたいという方は、ですから、あまり期待せずにお待ち下さい。

※尚、カタリ派の哲学的側面について知りたいという方は、ルネ・ネッリ著『異端カタリ派の哲学』(柴田和雄訳 法政大学出版局)をお読みになるといいと思います。著者はガーダムの友人でもありましたが、これは名著で、訳も読みやすいのでお薦めです。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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