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小林秀雄の「国語の試験問題」にまつわる文章

2013.02.08(05:01) 201

 センター試験の最終的な平均点集計が出ました(こちらの「実施結果の概要」のところをクリック。各予備校のサイトにも出ています)。

 英語については、前年比ぴったり5点マイナスの119.15で、「下がる!」という僕の当日夜の予想は当たりましたが、「110点台半ばで、リスニングの平均点が上がったとしても120点に届かない」という箇所は外れました。リスニングが31.45で、足して0.8倍すると、120.48点になるからです。まあ、よしとしてもらいましょう。少なくとも大手予備校は「前年並み」とその段階では揃って言っていたのですから。

 大きかったのはやはり国語の101.04(前年比マイナス17)と、数ⅠAの51.20(同マイナス19)で、数学の方は昨年が高すぎたこともあるのですが、この二つだけで36点のマイナス、文系と理系では若干異なりますが、数ⅡBの4点アップが英語のダウン分と相殺されるかたちになり、全体平均点も同じくらい下がったのです。

 センターの問題作成者は、「平均点6割」を意図しているから、英語や理科社会は大方そのセンで、「してやったり」というところでしょうが、上の二つは読み違いで、国語の現代文などは、論説・小説ともに「出題文が古すぎた」という批判があるようです。それが原因かどうかはともかく、この前も書いたとおり、実際に解いてみた僕に感じられたのは、古文漢文も含めて、「内容の読み取りがどうのこうの以前のヘンテコリンな問題」だということだったので、国語の問題というのは昔からこうだったのでしょうか? たぶん多かれ少なかれそうだったのでしょうね。僕も昔は本好きだったせいで何ら対策勉強などはしなくても国語の試験だけはいい点が取れたと記憶しているのですが、あれはやはりかなり特殊な世界で、当時は段落分けの問題と文学史が苦手だった他はほぼパーフェクトだと自惚れていたものの、大人になってあらためてやってみると???というところがたくさんあるのです。それとも読解力そのものが低下したのでしょうか?

 それでも、よくこういう話はよく読んだり聞いたりしたものです。作家が「著作の一部を入試問題に使わせていただきたい」旨、大学や高校から手紙をもらって、それは光栄なことだと承諾し、あとで送られてきたその問題を自分で解いてみたら、何だかよくわからなくて、「正解」と照らし合わせてみても、選択問題は間違ってばかりだし、記述式の答もずいぶん違っている。何でこれが正解なのか、書いた本人にもよくわからなくて呆然とした、というような話です。
 今年出題された小林秀雄も、こういう話をエッセイに書いていました。引用の正確さを期そうと、たぶんこの辺だろうと、自分が持っている古い全集の第九巻(私の人生観)をパラパラめくっていたら、やはりあった。『国語という大河』と題された文の冒頭箇所です(漢字仮名遣いは現代表記に改めました)。

「あるとき、娘が、国語の試験問題を見せて、何だかちっともわからない文章だという。読んでみると、なるほど悪文である。こんなもの、意味がどうもこうもあるもんか、わかりませんと書いておけばいいのだ、と答えたら、娘は笑い出した。だって、この問題は、お父さんの本からとったんだって先生がおっしゃった。へえ、そうかい、とあきれたが、ちかごろ、家で、われながら小言幸兵衛じみてきたと思っている矢先き、おやじの面目まるつぶれである。教育問題はむつかしい。
 実は、同じ経験を、その後、何度もしたのである。知人の子供から、同じことを聞いたこともあるし、またある日、地方の新聞社から電話がかかり、当地の学校の入試問題に、貴下の文章が出たが、意味あいまいで、PTAの問題になっている。作者の正確な答案を掲載したいからお答え願いたい、と昔書いた自分の文章を、長々と電話口で聞かされた。聞いているうちに、虫のいどころがだんだん悪くなってくる。『正確な意味はね』『ハイ、ハイ』『読んで字のごとしだ』ガチャリ。そんなこともあった。両方で不快になるだけである。」


 こういう文章なら、今の高校生たちも読む気がするのではありませんか? 面白いことに、これは今年出題された『鐔(つば)』と同じ巻に入っているのです。出題者はブラックユーモアを解する人で、僕みたいな閑人がそれに気づいてこんな駄文を書くだろうと見越していたのかも知れませんが、だとしたら「やるなあ」と感心させられるのです。

 このエッセイにはこの後、「名文という言葉が、過去の遺物化した今日、文章の体をなしているか、いないかを、何によって見分けるか、という難問題が、たちまち頭をもたげそうだが、今日のように、そこら中が至るところ問題だらけということでは、私は問題というものに対しても用心深くなる。文章の善し悪しを見分けるには頭脳だけでは足りまい。その足りない頭脳が要もない難問題を発明する」とか、「文章の魅力を合点するには、だれでも、いわば内部にある或る感覚のごときものに頼るほかはない、この感受力には、文体の在りかを感じとる緩慢だが着実な知恵が宿っている。緩慢な知恵だから、日ごとに変る意見や見解には応じられぬが、ゆっくり途切れることなく変って行く文章の姿にはよく応和して歩くのである。国語という大河は、他の河床を選んで流れることはできない。そういう感受力を育てるのが、国語教育の前提であろう」とかいった、意味深長な言葉が出てくるのです。
 そして、終わり近く、「自己教育が教育の前提である」という言葉も顔を出す。

 それにしても、僕は実にここ十何年、小林秀雄の文章をほとんど読んでいなかったのですが、彼の文章は本当に独特で、誰もこんな癖の強い文章は書けないという意味で、「悪文」であることはたしかです。今読み返してみると、「意味あいまい」なところも、たくさんある(その理由の一つは、あることを論じていても、議論がすんなり直線的に流れず、文の含みが多すぎるというところにもあるのだろうと思いますが)。

 しかし、不思議な魔力があって、僕は十代の末に『ゴッホの手紙』や『ドストエフスキイの生活』は、最低でも五回以上は読んだはずです。その後、全集を買って、隅から隅まで読んだ。ポール・ヴァレリーの熱烈なファンになったのも、小林秀雄の影響です。僕だけでなく、昔はそんな彼の愛読者がたくさんいたのです(げんに仲間内では、小林秀雄を読んでいることは暗黙の前提みたいになっていた)。今の若者にも、彼のそんな“熱烈読者”はいるのでしょうか? 僕は『本居宣長』がやっと単行本になって出たとき、書店でその本を見てからだの震えが止まりませんでした。「小林秀雄が死んでしまった!」とカン違いしてしまったからで、実際は彼が亡くなったのはその数年後でしたが、えんえんと『新潮』に連載されていたその文章が本になるのは、彼が死んだときで、未完のまま終わるだろうと勝手に思い込んでいたからです。それほどまでに、小林秀雄の存在は、僕にとっては大きかった。今の僕にはそんな人は存在しないので、今から思うと、あれは何だったのだろうと不思議な感じがするのですが。

 小林秀雄は、ご本人がこう書いているにもかかわらず、昔は大学入試評論文の代表格みたいなものでしたが、今はそれも少なくなったので、受験生たちは不意をつかれたかっこうだったのかも知れません。

 何にせよ、小林秀雄は試験問題には不向きな著者であることはたしかだと、僕も思います。その鋭い舌鋒ゆえに恐れられ、重きをなしたが、彼は孤独な異端の思想家であり、文学者でした。その意味でも特殊で、後にも先にも似た人はいない。一個の彗星みたいなもので、若い頃、それが尾を引いて通過する場面に居合わせた僕らは幸せだった気がします。

 小林秀雄について書こうとしたから「意味不明」な文になってしまったという責任転嫁をして、今回の文はおしまい。
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