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“部活ママ”の問題?――桜宮高校事件の深層

2013.02.03.12:20

 このところ、暴力をめぐってはいくつも大きな報道がありました。オリンピックの女子柔道で監督が「パワハラ」「暴力」で告発を受けていたことが発覚し、大津市のいじめ自殺事件で第三者委員会の報告書が出た、などです。これに、大学女子柔道部の「指導」に名を借りてセクハラ(及びレイプ)行為をいくつも働いていた元金メダリストの内柴正人の「懲役五年の実刑判決」のニュースを加えてもいいかも知れません(もちろん「控訴」するそうですが、複数――判明している分だけでも3人――の女子部員に手を出していたとの証言からして「すべて合意の上」という主張には無理があるので、「執行猶予」をつけてもらいたいというのがホンネのところでしょう。「何でも自分に都合よく話を言いくるめようとする卑劣な奴」との心証を裁判官に与えてしまったので、実刑判決になったのだと思いますが)。

 大津の中学いじめ事件関係では、他の教員からの聞き取り調査で、問題の担任教師は、暴行を目撃した同僚から報告を受けても、「とうとうやりましたか」と他人事のように反応しただけだった、という記事も出ていました。この種の事件では毎度のことですが、ポイントの一つは、そういう事なかれ主義の、ハートのない人間を教師に雇うな、ということなので、教員採用の基準を見直す必要がありそうです。「安定した身分」目当ての悪しき「公務員教師」には門前払いを食わせるべきですが、採用する側も同類では、それは困難なことでしょう(「多忙」は理由にはなりません。文科省にも大いにその責任はあると思いますが、今の学校はいりもしない「仕事」を勝手に増やしてそうなっているのです)。

 オリンピックの女子柔道選手15人が連名で、園田隆二監督を告発する文書をJOC(日本オリンピック委員会)に提出した、という事件では、それは昨年12月のことだったというから、桜宮高校の例の事件に先立っていたわけです。ところが、それを今頃まで公表せず、しかもそれを受けた全柔連は監督の「戒告処分」だけでお茶を濁そうとしていた、というから驚きです。体質が、学校や教育委員会のそれと全く同じなのです。

 その後、園田監督は辞意を表明し、それは受理されたそうですが、これはあたりまえの話で、常識で考えても「続投」でうまくいくはずがない。女心がわかっていないというか、何と言うか、女性という生きものはとくに、「もう、この人イヤ!」というところまで行ってしまうと、終わりなのですよ(だから、「逃げた女房」をしつこく追いかけたりするのは愚かなことなのです)。全柔連はオヤジばかりの集団なのでそれがわからなかったのかも知れませんが、そこまで察しが悪くて女子選手の「指導」なんてできるはずもないので、「やれやれ…」としか言いようがありません。

 それにしても、オリンピックに出るほどの超一流選手の代表たちが、監督の「暴力指導」に正面からノーを突きつけたというのは、学校での部活指導からの体罰一掃には大きな追い風になるでしょう。「お家芸」のはずの柔道は男女共に、先のロンドンオリンピックではみじめな結果に終わりましたが、それは「愛のムチ」なるものが何の効果も発揮せず、むしろ逆にそうした誤った「指導」が大いに災いしていた可能性もあるからです。

 さて、ここで話はようやく本題に入ります。一昨日僕は書店で週刊誌を立ち読みしていて、「何?」という記事に出くわしました。それは週刊文春の「桜宮高 生徒・保護者が初告白 『バスケ部と家庭の真実』」と題された記事です。

 仮にこれが「真実」なら、事はそうかんたんな話ではない。僕はあの事件に関する最初のブログ記事に、「学校だけでなく、部活の父母たちもグルになっていたのではないかと、そんな疑いすらもってい」ると書きました。そして、「『あの先生のおかげで強くなっているのだから、そんな先生のことを悪く言うなんてとんでもない』みたいな暗黙の脅しが、部活生徒とその親たちにかかっていたのではありませんか?『悪いものは悪い』と、だからはっきり言えないのです。誰かが死んだり、大怪我したりするまでは」と続けたのですが、それに近いことは、どうやらあったようです。

「○○君のお母さんはバスケ経験者で、K先生[例の顧問教師]の一種の信奉者でした。保護者の間で、K先生の指導法を一番と言ってよいほど容認していました。他のお母さんが『一発でも、手を出したら体罰じゃないの』とK先生に抗議しようとしたとき、『桜宮のバスケ部に入ってきた以上、覚悟があるはずでしょう』『厳しい指導は承知で入部してきたんじゃないの』などと先頭に立って諫めたこともあります」(バスケ部OBの言葉)

 こういう俗論は、部活指導のみならず、教育を歪めるものの最たるもの(前にここの「延岡の高校」コーナーにもその悪質な例を紹介しておきましたが、教科指導でもさしたる理由もなく怒鳴ったり、机を蹴飛ばしたりして生徒に恐怖心を植え付けて従わせる教師を「指導能力が高い」「その方が子供がよく勉強するからいい」などと安易に賞賛する困った親が一定数いるのです。そういう親も子供を「放射能」呼ばわりすることまでは肯定しないでしょうが)ですが、やはりそういう親はいたのです。

 しかし、僕が驚いたのは、それが他でもない、自殺した生徒の母親だったとされていることです(上で「○○君」としたのは記事では「A君」です)。親が顧問教師の「体罰」を知っていただけでなく、むしろ積極的に「容認」していたというのだから、「何!?」と驚いてしまったのです。

 この記事が事実無根なら、文春は親に訴えられるでしょう。わが子に死なれた上に、そんないわれのないことまで書かれたのではたまらないということになるからです。文春もそのあたりのことはよく考えた上でこの記事を載せたのだろうと思うので、その点、これは有名人相手のよくあるゴシップ記事とは違うはずです。

 自殺した生徒が推薦による大学進学を希望していて、それに有利だと思ったから、自ら主将に立候補し、顧問が主将交代をちらつかせたときも、そのことがあったので「やらせて下さい」と自ら申し出、「殴られてもええんやな」と言われた、というのはすでに報じられています。正直、僕はその報道に接したとき「その子の方もずいぶん考えがセコいな…」と思いましたが、そうした心理的な弱みに付け込んでそんな脅し文句を言うとは、その教師は暴力団以下だと断じたのです。
 しかし、そのあたりもこの記事ではだいぶニュアンスが違うので、生徒(部員)のこんな話が紹介されています。

「正直、レギュラーになるには苦しい実力だったけど、それでも『キャプテンやりたい』って言ったのは、お母さんの教育方針だったと思います。キャプテンになると進学に有利だってAは考えていたから。部員は『お母さんに言われたからか』って茶化したりしていたけど、キャプテンは怒られ役だったりして重荷でもあるので、『やってくれるんなら、じゃあ』って感じでAに決まった」

 何でそんなに推薦による進学にこだわったのか? 続けてこういう話が出てきます。

「A君には兄がいる。福岡のバスケ強豪校から早稲田大学に推薦で進学。A君は憧れの兄と同じく、『早稲田か同志社に推薦で行く』と周囲に語っていた」

 これは本人の意志というより、母親の意向を汲んでそうなった、という感じのものだったらしく、世間には割とよくある話です。

「お母さんはとても熱心な方で、毎試合必ずビデオで撮影し、家に帰ったA君と一緒に何度もそれを見て反省会をしていたそうです。息子を早稲田か同志社に行かせたい、とすごく期待もしていた。A君も期待に応えられるよう頑張っていましたが、『ビデオを正座で見させられるのが嫌で、家に帰りたくない』って部員に漏らしたこともあったそうです」

 そして、派手にビンタを食らったというあの練習試合の後、この記事ではそのビンタの回数も報道されているような「30~40発」ではなくて、「10発ぐらい」で、「それも痛めつけるようなビンタじゃない、A君は左の八重歯の上につけていた矯正器具で唇を少し切っただけ」だとされていますが、「ある保護者」によれば、「この練習試合の後にK顧問とA君の間で交わされた会話の詳細こそ事件の鍵」なのだといって、次のような「詳細」を文章化しています。少し長いが、その箇所を全文引用させてもらいます。

「その日、A君は初めて先生に『もう無理です。キャプテンを辞めたい』という旨を伝えた。K先生はA君に『じゃあ、Bチーム行きやで』と、這い上がって来いという親心を込めて言ったんです。でも本人はBに落ちたらいやですよね。『じゃあ、やっぱりキャプテン続けます』って言った。先生が『おまえ、どうしてそこまでキャプテンにしがみつくねん?』って聞いたら、『大学進学のためです』と漏らした。先生が『そんなこと誰に言われたんや』って聞いたらA君は無言だったみたいなんですけど、先生が『お母さんに言われたんか?』って聞いたら『そうです』と。それで先生は『キャプテンをやったからといって、大学には行けない』という現実の話をして、A君はそれにショックを受けたようなんです。早稲田や同志社には、桜宮から指定校推薦の枠はない。でもA君はその時まで、バスケで進学できると信じて疑っていなかった。目標があったからこそ、嫌々ながらもキャプテンを必死にやっていたのに…」

 そしてその夜深夜、彼は自宅寝室で首を吊ったのです。

 この記事には、部員やOB、保護者の「K先生は悪くない」という擁護感情があちこちに顔を出していて、そこは割引いて読まねばならず、また、そうしたおかしな「体罰是認」の背景があったからこそ、この教師は反省なくビンタ指導を続けていたのだろうと思いますが、自殺した生徒の母親が今の時代には珍しくない“ステージ・ママ”ならぬ“部活ママ”で、その教師の熱心な支持者であり、また「キャプテンをやって推薦で大学進学」したいという願望が元はその母親から出たもので、だから本人は「降りる」こともできなくて、にもかかわらず、それが根拠のない幻想にすぎなかったことを知らされてショックを受けた、ということであれば、「学校と教師だけが悪い」という単純な図式では片付かなくなるのです。

 僕はかねて「親がかり」の「今どきの学校の部活」に疑問を抱いている人間の一人で、自分の息子が中学のとき野球部で土日休みも何もない生活をし、練習試合に親が手分けして車であちこち送迎して回るのを苦々しく眺めていました(休みに一緒に魚とりにも行けないではないか!)。僕にとっては具合の悪いことに、その指導の先生がまた「熱血教師」で、暴力沙汰などはありませんでしたが、何かやりすぎたらいつでも文句を言いに行こうとスタンバイしていましたが、熱血野球少年(親の目には才能がないのを自覚するのは時間の問題と見えましたが、「将来は城島監督のもと、ソフトバンクホークスで四番を打つ」なんて途方もない「夢」を当時はもっていたのです)の息子とその母親は、「あんたは出てこなくていい(何もかもぶちこわしにしてしまうから)」というのがありありで、幸い事件らしきものも起きなかったので、その場の雰囲気からすれば“とんでもなくKYな”抗議に出向いて「部活ママ・パパ」たちの“熱い思い”に水を差すようなことはせずにすみました。

 一体いつから部活にまで親が出張るようになったのかは知りませんが、「体育科」なんてものまである桜宮高校では、親たちの部活への熱烈なまなざしにはおそらくかなりすさまじいものがあるのでしょう。自殺した生徒の母親もそうした熱烈な「部活ママ」の一人だったわけです。

 してみれば、誰が悪かったのか? 記事の最後は、「現在謹慎中のK顧問は、近親者に『僕をかばわないでください。Aのお母さんを支えてあげてください』と語っているという」で締め括られています。

 「立派さ」が強調されたかっこうですが、問題は、「成果」が出ればその指導はよいのだということになって、体罰も含めてその教師のやることは全面的に肯定される、という風潮でしょう。それに異を唱えようとしても、冒頭引用したようなおかしな俗論を唱える親(この不幸な事件の場合には、自殺生徒の母親もその一人だったということになるわけですが)がいて、大方はそれに同調してしまうから、多勢に無勢でその人は黙らざるを得なくなるわけです。とくにこういう何でも親がかりの時代には。

 これは体罰とは関係しませんが、前に塾の生徒のことで、母親に「この地域の学校にはそれでなくても朝課外なんてよけいなものがあって疲れるのに、この子たちの部活はたまの休みもほとんど練習試合で潰されてしまっているようだから、おかげで疲れ果ててしまって、自分の勉強どころではなくなっているのではありませんか?」と言ったことがあります。先生が熱心なのは結構だが、バランスを失している。それで落ちこぼれてしまっても、責任は取ってくれないのだから、後で泣くのは本人とその親だけですよ、と言ったのです。お母さんは「私もこれでは困るなと思っているので、今度部活の保護者の集まりで言ってみます」ということだったのですが、行ってみると、“熱烈保護者”ばかりで、「とてもそんなことが言える雰囲気ではありませんでした」ということで、不発に終わりました。いかにもそれは今の時代にはありそうなことで、僕は苦笑するほかなかったのですが、こういう場合、生徒たちに聞いても、「先生はいい人だし、部活は楽しい」と口を揃えて言うのです。そういう問題ではないのですが、「そういう問題ではない」ということがわからないのです。これは「部活パパ・ママ」も同じで、宗教団体に似たところがある。全員がすっぽりその中にはまり込んで、教祖である顧問教師をほめそやし、何かと言うと「先生のおかげで…」ということになりやすいのです。そうなると、言葉は悪いが、ミソとクソの区別もつかなくなるのです。

 この文春の記事によれば、“信者”の一人であった自殺生徒は、「キャプテンをやっていれば推薦で大学進学できる」という“明白な迷信”まで信じ込んでいたわけです。それが嘘だとわかり、かつ大した実力もないということになると、そのシビアな現実と親の期待のはざまで絶望感にとらわれたということは、子供ならありうることです。

 教師の方も、生徒と保護者が作り出す、妙な熱気を帯びた雰囲気に呑まれて、自分を顧み、過ちをただす機会を失ってしまう。げんにどう擁護しようと、その教師の日常的な暴力は正当化し得ないのに、またそれが生徒の自殺の一要因になったことはたしかだったと思われるのに、いまだに「先生は何も悪くない」と言い張る生徒や親がいるのです。おそらく、この「K顧問」には今はそれがわかっている。だからこそ、別に立派ぶるつもりでではなく、「僕をかばわないでください」と言っているのでしょう。

 文春のこの記事が間違いでないという保証はありませんが、これは別の視点からもう一度事件を考え直してみるという点では貴重なものです。教師自身はもとより、学校の管理体制には大いに問題があった。それだけでなく、部活を取り巻く保護者たちのあり方にもにも問題はあって、一種の“三すくみ”状態の中でこの不幸な事件は起きたのかも知れないということです。

 部活であれ、お勉強であれ、親が“前のめり”になりすぎることは子供にとってはたいてい不幸なことなので、この際それをあらためて反省してみたらどうでしょう。学校の部活というのは本来「子供の健康な心身の育成」を助ける一手段としてあるものにすぎないでしょう。受験勉強と同じで、それがおかしな具合に「自己目的化」するのは異常でもあれば病的でもあると、僕には思えるのですが…。

【追記】
 最後にもう一つ付け加えておくと、休日も返上の部活の“熱血指導”は先生たちの大きな負担にもなっているはずです。僕は息子の部活のとき、その熱血顧問の先生の「家庭生活の崩壊」を心配したほどで、奥さんもいれば子供もいるのだから、よくもそれで無事にすむなと不思議でした。家族がお気の毒です。部員のお父さんたちにも休日には欠かさず手伝いに来る人がいたようで、何でたかが子供の部活にそこまでするのか、理解できませんでした。こう言えば「たかが部活」というその考え方がけしからんと叱られるかも知れませんが、大人は大人で自分の生活と人生があるわけなので、教師も保護者も子供の部活への“献身”を競うようなことをなぜしたがるのでしょう? 全体、今どきの学校の部活というのは常軌を逸したところがあるように感じられるので、教師や親がそうやっておかしな具合に熱心になりすぎるから、子供たちも“頑張り”すぎてかえってからだをこわしたり、心に変調をきたしてしまったりすることになるわけで、大人が子供たちのためにしなければならないことは、別のところにあるのではないかと思うのです。
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