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「わかってない」のは橋下市長か生徒か?

2013.01.18(16:09) 192

 「寒いな…」
 これは気候のことでも、僕のおやじギャグのことでもありません。例の体罰自殺事件の続報を見ながら、僕はだんだん不気味になってきたのです。それで「死に損の時代」というタイトルを付けようかと思いましたが、ちょっと刺激が強すぎるかなと、こちらにした次第です。

 このブログの読者は僕が橋下徹に好意的でないことはご存じと思います。学校教師に日の丸君が代を強要し、それに「公務員として従うのは当然」なんて、僕には承服しがたい論理だし、他にも疑問はいくつかある。しかし、今回の彼の対応は僕には「よくわかる」気がするのですが、学校・教委はもとより、生徒や保護者たちからも「やりすぎ」の声が上がっているというのです(今見たら「夜回り先生」などの識者からも市長批判の声が上がっているとのこと)。

 かんたんにまとめると、橋下市長は学校の部活停止を、バスケ部だけでなく、全体に広げました。「仲間が死んだのだから、今何をすべきか考えてもらいたい。この状況で部活をやったら(今は)上手くなるかもしれないが、人間としてはダメだ。それを言うのが教育だ」と述べたとのこと。

 そして、市教委に、同校体育科の生徒募集を停止するよう要請し、併せて「教員の総入れ替え」も主張している。問題の顧問教師は十八年も同じ学校に勤務していて、学校の“主(ぬし)化”していたという話で、それは学校・教委の馴れ合いの産物に他なりませんが、総入れ替えの荒療治でもしないと、そんな学校のお粗末な体質は変わらない、と考えたのでしょう。

 生徒募集停止に関しては、市教委は「この時期では混乱が生じる」と難色を示し、生徒や保護者の側からは、部活停止と募集停止の両方に対して不満が噴出している、という話です。

 次は、僕がこれを書いている時点では最新の、「『橋下市長は分かっていない』募集停止に在校生から悲鳴」と題された産経新聞の記事(1.17)です。


【大阪市立桜宮高校バスケットボール部主将の男子生徒=当時(17)=が顧問(47)の体罰を受けて自殺した問題で、橋下徹大阪市長(43)は16日、体育系2科の募集を中止する意向をあらためて強調した。これに対して同校の生徒らからは「やりすぎ」「橋下市長は分かっていない」と反発の声が上がるなど、波紋が広がっている。
 「先生の体罰は問題だけど、生徒はみんな一生懸命だった。橋下市長は分かっていない」
 “橋下批判”を口にするのは同校普通科の女子生徒。この女子生徒は「体育科への進学を希望していた中学生がかわいそうだ」と後輩が“とばっちり”を受けることも指摘する。
 渦中の体育科の生徒からも批判的な意見が聞かれた。体育科1年で剣道部に所属する女子生徒(16)は「体育科は学校の特色で大事な存在。予定通り入試をしてほしい」と話す。
 続けて「部活動も活動停止になりみんな困っている。生徒は悪くないはずなのに」と戸惑った表情を浮かべた。
 体育科が同校の看板のひとつになっていることは生徒らも認識しているようで、別の普通科の女子生徒も「スポーツの評判が高かったのだから、体育科あっての桜宮高校だと思う。中止は考え直してほしい」と訴えた。
  さらに、市教育委員会には16日、同校に受験を予定している中学生の保護者や在校生、一般市民らから電話やメールが殺到した。
 「受験生は悪くないのに影響を受けるのはおかしい」「この時期の中止は受験生の混乱が大きい」「子供たちの夢をつぶすようなことはやめてほしい」
 50件以上の意見の大半は反対の声。そのほかに在校生の保護者からは同校の存続を心配する声もあったという。
 市教委は入試が中止となれば体育系学科の定員を普通科に振り替える方針だが、体育系学科と普通科では受験科目が異なり、受験生の混乱は必至だ。
 こうした状況に対して橋下氏は16日、「桜宮高を目指して頑張ってきた受験生、保護者の気持ちはよく分かるが」としながらも、「これまでの生徒、保護者の意識の積み重ねで桜宮高の体育系クラブの伝統が築かれてきた」と主張。
 「入試をやめて校風、体質をいったんゼロにしないと新しい生徒を迎えるわけにはいかない」と強調しており、あくまでも考えを変えない構えだ。】


 部活停止に対する生徒側の反応に関しては、先にこんな記事も出ていました。やはり産経です。


 【野球部の男子部員は自宅周辺での筋力トレーニング、走り込みをして活動再開を待つ。「仕方ないとは思うが、本当は早く部活をやりたい」と漏らした。
 また運動系の部に所属する女子部員の保護者によると、女子部員は「これだけの事態になってるのは分かっているけど、問題が起きたわけではないのに…」と落ち込んだ様子で話していたという。
 こうした状況にバスケ部の男子部員は「この問題はバスケ部の問題で、他のクラブには関係ない。自分たちが練習したくてもできない状況はしかたないが、どうして、他のクラブにまで影響するようなやり方をするのか。僕たちの思いや言い分も聞いてほしい」と訴えていた。】(1.16)


 要するに、生徒側は「自分たちは悪くないのになぜ?」と考えているということです。そして保護者にもそれに同調する意見が多い。この二番目の記事のバスケ部男子部員の「この問題はバスケ部の問題で、他のクラブには関係ない。自分たちが練習したくてもできない状況はしかたないが、どうして、他のクラブにまで影響するようなやり方をするのか。僕たちの思いや言い分も聞いてほしい」という言葉など、いかにも今の高校生らしい“モラル”だなと感じられるので、彼は「自分の部の問題で、他の部にまで“迷惑”がかかって活動停止にされるのは申し訳ないし、納得できない。処分は自分の部だけに限定して、他の部の活動停止は解除してほしい」と言っているのです。

 「寒いな…」と僕が冒頭書いたのは、こういう“感性”なのですが、保護者たちも多くが「罪もない子供たちがどうして飛ばっちりを受けるのか」と考えているようなので、説明しないと今の時代では通じないでしょう。それがまた、僕には「寒い」のですが、とにかくそれを説明させてもらいます。

 一つは、今回の事件はよくある飲酒や集団万引きなどで部活が停止に追い込まれたというのとは性質が全く違うという点です。人一人が死んでいる。それも事故や病気によるものではなくて、常習的な顧問教師の体罰が原因で、です。別の報道によれば、自殺した生徒は推薦で大学進学を希望しており、それに有利になるように主将にも自ら立候補してなったが、顧問は「主将交代」を考えていて、そうしたことも悲観要因の一つであったとされますが、それは度重なる顧問教師の暴力の免罪にはならない。「まだ主将を続けると言うのなら、今後も殴られてええんやな」といったことを顧問は言ったという話で、こういうのは人の弱みに付け込んで脅す暴力団やゴロツキと全く同じです。最低最悪の教師と断じて差し支えなく、そんな教師を庇おうとした学校も同断です。

 今の時代の価値観からすれば、その生徒が自死に追い込まれたのは一人の顧問教師のせいで、「生徒たちは悪くない」のだから、教師と学校の管理体制の問題で、生徒までとばっちりを受けて部活停止を強いられたり、受験予定の中3生たちまで迷惑をこうむるのは筋違いだということになるのでしょう。

 それはたしかに一応の道理です。しかし、何かえらく冷たいというか、クールすぎやしませんか? 橋下市長の言葉を借りれば、学校のせいで「仲間が死んだ」のです。それは十代の子供にとってはどえらいショックで、昔なら周りのオトナがとやかく言う以前に、生徒たちが怒り狂い、全校集会など開いて、ただちに授業ボイコットを決議し、部活がどうのこうの以前に、授業自体が成立不能になり、先生たちは連日生徒の吊るし上げを食らうような事態に発展していたでしょう。

 こういうことを言うと、「あんたも相当古い時代の人間だな…」といやな顔をされるかも知れませんが、僕の高校時代(70年代前半)なら、まず間違いなくそうなっていただろうと思われるのです。前にも書いたことがありますが、これよりずっと深刻でない事件で大騒ぎになり、授業どころではなくなった経験があるので、比較参考のために、もう一度それを書いておきましょう。

 それは僕の3年時、10月頭の文化の日の出来事でした。学校では文化祭をやっていて、片田舎の県立高校なのに、うちのクラスのやんちゃ坊主たちの発案で、二人組の女性フォークシンガーを呼ぶことにして、それが実現し(「前例がない」と言う学校側を丸め込むことから、事務所へのコンタクト、宿や送迎のタクシーの手配まで、クラスの連中が手分けして全部こなした)、大いに盛り上がったのですが、上機嫌で帰宅したら、とんでもない事件が持ち上がっていたのです。“職務熱心”な中年の二人の風紀係(今の「生活指導」担)の先生が「不良下宿生」の不在を狙って違法な「家宅捜索」を行なっていたのです。

 彼らはひそかにブラックリストを作成していて、それに基づいて「問題生徒」の家宅捜索を行い、「非行」を示す証拠を没収して、「これは何だ!」と恐れ入らせる計画を立てたのです。
 当時の下宿には、大方カギなんてかかっていなかったので、下宿のおばさんの制止を振り切れば、家宅捜索は可能だったのです。まさか学校の教師ともあろうものが、生徒に無断で部屋に侵入し、そのような捜索を行うなど、誰も思いつきません。思いつくのはその二人の教師ぐらいで、昔もアホはいたということですが、とにかくそれで翌日の学校は蜂の巣をつっついたような騒ぎになってしまったのです。

 ターゲットにされたのは全員3年で、七、八人ぐらいだったでしょうか。その先生たちから見ると「問題児の巣窟」だった僕のクラス(「恐怖の3D」の異名を取っていたが、多士済々でものすごく仲が良かった)がその半ばを占めていて、僕もその一人に含まれるという光栄に浴したのですが、僕は下宿のおばさんからは絶大な信用を得ていたので、おばさんは必死に抵抗してくれたのです。しかし、二人の教師はそれを無視して部屋に入り、机の中から押入れまで、警察もどきの「捜索」を行なったのです。

 しかし、これは明らかに「違法な人権侵害」です。生徒会はすでに二年生に移行していましたが、ただちに全校集会となり、授業ボイコットが決議されて、新聞も最初は小さな三面記事だったものが、騒ぎが長引くにつれてついには一面を飾るまでになったのです(他のことならともかく、これは学校にとっては不名誉きわまりないことで、翌年ヘンサチはガタ落ちしたとのこと)。

 これは、一つには、二年生たちが「管理教育反対」「学校の予備校化阻止」の政治運動にすり変えてしまった(僕ら三年の多くはそれには反対でした。そんな「事実」はなかったからです)こともありますが、結局卒業まで、満足に授業は行なわれなくなってしまったのです。悪ガキたちは喜びました。「3分の1は休む権利がある」と勝手に時間割を作って好きに登校していた僕も当然それは歓迎しましたが、校長や教頭は二人のお馬鹿教師のせいで、頭を抱える羽目になったのです(僕らの卒業後まで騒ぎはずれ込み、結果として、二人の“行き過ぎ”教員だけでなく、校長・教頭のクビも飛んだようです。その校長はいい先生だったように記憶しているのですが…)。 

 こういうの、今なら「悪いのはその二人の教師だし、やられた生徒もブラックリストに載せられるような問題のある生徒たちなのだから、他の真面目な生徒は関係ない」という話になって、そんな騒ぎには発展しない可能性大です。当時は今ほど大学進学率は高くなかったが、受験生はかなりの数いたのだし、秋の大事な時期から授業がろくすっぽできなくなるなんて、由々しき事態です。保護者も、学校と県教委に「一日も早い授業の正常化」を働きかけるでしょう。

 しかし、当時の生徒たちの感覚では、「自分たちの人権とプライバシーが学校によって踏みにじられた。皆で戦わねばならない」ということになったので、そんなことはどうでもよく、「不良のあんたにも問題がある」などとも言われなくてすんだのです(僕自身は「大学並登校」と、何度か問題教師と喧嘩したことを除けば、いたって「品行方正」のつもりでいたのですが)。

 今思えば、これは「その程度のこと」でしかありませんが、その程度のことでもそんな騒ぎになったのです。今回の事件の場合は、生徒が死んでいる。「仲間が殺された」と他の生徒たちは怒り狂って当然と思われるのですが、全然怒り狂わないのです。
 このクールさというか、妙な分別、個人主義、内向きさ加減が、僕には不気味なのです。

 たしかに、市長が「上から」そのような措置を命じるのはおかしいかも知れません。しかし、それはバスケ部の、一顧問教師の起こした問題なのだから、関係ないので早く部活を再開したいというのは、一体その生徒の死をどう受け止めているのだ、という点で、僕には何か釈然としないのです。その割り切り方が気に食わない。橋下市長の「仲間が死んだのだから」という言葉に、僕は類似の思いを読み取るのです。

 結局のところこれは、今の子供たちにはそのような「仲間」感情はない、ということなのかも知れません。彼らにとってはそれは自分の問題ではなくて、「間違ったオトナの問題」なのかも知れません。だから「何も悪いことはしていない」自分たちにとばっちりが来るのは勘弁してもらいたいと。

 しかしそれは教師(学校)と、自分もその一人である生徒との間で起きたことなのです。昔の高校生にとっては、教師に限らず、オトナの横暴に屈するのは屈辱でした。他の生徒の問題も、それが正義にもとることなら座視はできなかったので、まだスネかじりでも、そのあたりいっぱしのオトナのつもりでいたのです。だからおかしなことを言ったりしたりする教師とは正面から喧嘩をしたし、誰かがそうしても、その生徒が孤立してしまうことはありませんでした。僕は教師とやりあったとき、クラスメートの暗黙の支持を背中にはっきり感じました。二階に上げられて、ハシゴを外されてしまう不安など、いっぺんも感じたことはなかったのです。別に相談の上でそうしたわけでも、加勢を当て込んでそうしたわけでもなかったとしても、です。だからかつては教師の理不尽に生徒は対抗でき、教師もそうそう勝手な真似はできなかったと言えるのです。やりこめられた教師が職員室に帰って、「何だ、あの生意気な生徒は!」と担任に八つ当たりしても、そんなことはこっちの知ったことかと言えたのです。

 今の高校生は「保護を求める子供」です。問題が起きたら、オトナが介入してそれを解決してくれる、それは当然のことだと思うのです。その際、自分たちの扱いには細心の注意が払われるべきで、ゆめ不公平なことがあってはならないのです。

 今回の事件でも、悪いのはその顧問教師と、学校・教委の管理体制で、生徒たちにそれをどうすることもできないのは当然なのだから、オトナがちゃんとそれを是正すべきで、その際、「罪もない」自分たちにとばっちりが来るようなやり方をしてもらっては困る。要はそう言っているのです。

 そこには当事者意識というものがない。十代後半にもなってそれがないというのは、僕には「寒い」ことなのです。

 中学生のいじめの問題などでも、今の子供たちの「自己解決能力」のなさには驚くべきものがあります。「これ以上やったら相手が死んでしまうかも…」と考える想像力のないいじめっ子に、傍観者の「その他大勢」組の子供たち。そのはざまで、いじめられている子は恐ろしい孤立を体験させられるのです。それはいじめそのものと同じくらい恐ろしいことでしょう。

 今の子供たちは、むろん高校生も含めてですが、表面上はともかく、「仲間」と呼べるような関係を知らないのではないでしょうか。孤立した一人一人が、表面でつながっているだけなのです。だからいいときにはワイワイやってても、シビアな局面になると「とばっちり」を恐れて潮が引くようにさっと引いてしまう。そういうとき、自分のために犠牲を払ったり、危険を冒してでも戦ってくれるような友は誰もいないのです。
 たまにそういうのが見られるとすると、それは暴走族の類で、しかしそれは、社会に対する開かれた意識はまるごと欠落していて、独善的閉鎖的、排他的なものでしかないのです。おかしな権力的上下関係もあったりする。

 これはむろん、ひとり子供の世界だけの話ではなくて、「他者の運命には恐ろしく冷淡な」今の大人社会の反映です。しかしともかく、「今どきの学校の問題」には、もう一つ根っこにそういう問題があるということだけはたしかでしょう。

 今回の事件であぶり出されたことの一つは、今の高校生は全くの子供で、生徒による学校自治の気概など、かけらも見当たらないということです。今は生徒会も、内申をよくして推薦入試などで有利になるよう立候補するのがふつうと聞いています。昔は、生徒会長などは、「こいつは学校相手に正面から喧嘩ができる奴か?」という基準で生徒たちはえらんでいたような気がするので、生徒会は学校側にとって好都合な「よい子の集まり」「御用組合」みたいなものでは全くなかったのです。

 もしもそうした生徒会が存在したなら、生徒間に真の「仲間」感情があったなら、もっと早い段階でその顧問教師糾弾の声が生徒側から上がり、今回のような残念な事件は起きなかったかも知れません。

 高校生たち、もっといい意味での大人になれ、そして当事者意識をもてと、言いたい気持ちになります。保護者たちも、もっと高校生を大人扱いしたらどうでしょうかね。入試中止については、生徒があんな死に方をしたのだから、それくらいの混乱が起きて何の不思議があるか、むしろそれほどの大事(おおごと)なのだと、受け取った方がいいのではありませんか。でないとあの生徒も浮かばれないでしょう。「分別」も時と場合によりけりで、それがハートを殺してしまうこともあるのです。
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