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嘘つきは教員の始まり

2013.01.11(16:04) 190

 昔の子供たちは嘘をつくと「嘘つきは泥棒の始まり」だと叱られたものですが、この分では「嘘つきは教員の始まり」という“新ことわざ”が生れるかも知れません。

 たとえば、小学生の男の子がたいやきのアンコを口の周りにいっぱいつけて「ただいま!」と元気に帰宅したところを母親に見咎められます。

 「あんた、あれほど言っておいたのに、また学校の帰りに買い食いしたでしょ!」
 「し、してないもん。ボクはまっすぐ帰ってきたんだから」
 「じゃあ、鏡で自分の顔を見てごらんなさい。そんなに口の周りに証拠をいっぱいくっつけて、してないも何もないでしょ? そのアンコは山田屋のね」
 「ちがう。相模屋のだよ。あそこは安くておいしいから」
 「ほうら、引っかかった。とにかく、あんた、そんなに嘘つきだと、将来は学校の先生にしかなれなくなって、嘘がバレてペコペコ謝ったり、刑務所に入れられてしまったりすることになるからね!」
 「えーっ、ヤダよおー。もう嘘はつかないよー!」

 …てなことになって、効果抜群、めでたく買い食いや嘘もやむことになるのです。
 これぞ文字どおりの「反面教師」、学校の先生たちは、「してはならないこと」を身をもって実行し、子供たちに教え諭(さと)してくれる貴重な存在なのです(教諭という字は「教え諭す」と書きます)。

 皮肉がきつすぎるって? すみません、性格なもので。
 しかし、先の事件の続報である、次の記事をお読み下さい。産経新聞電子版(1.10 08:14)の「調査1日で『体罰ない』 前校長が顧問の言葉鵜呑み」と題された記事です。

【「体罰はしていない」という男性顧問(47)の言葉をうのみにし、聞き取りは1日で終わった―。
 大阪市の公益通報に寄せられた体罰の情報は、教員側のみの聞き取りにしかつながらず、結果的に生徒の自殺を防げなかった。当時の校長(61)や市教委は「生徒に話を聞いた方がよかった」などと今になって調査の不十分さを認めたが、生徒に聞き取りしなかった理由について納得のいく説明はなく、市教委や学校への批判が強まるばかりだ。
 「バスケット部では体格の良い男性教師が子供たちに体罰を加えている」。平成23年9月7日、同市の公益通報制度の窓口に電話で通報が入った。
 「体罰を見ている子供たちまでもがおびえている」「教員に逆らうと退部させられてしまうと、泣き寝入りしているようだ」―。
 内容は激しかったが、通報を受理した同市の公正職務審査委員会は「具体性に欠ける」などと判断。専門的に調査する「監察部」ではなく市教委に調査を依頼。市教委は、前校長に顧問への聞き取りを指示した。
 10月11日の前校長との面談で、顧問は「体罰はしていません。保護者会を開き、理解を得ながら(部活動を)やっており、問題はない」と即答。ほかの教員からも体罰は確認されず、前校長は翌12日に「体罰はなかった」と市教委に伝えた。審査委員会は「違法又は不適正な事実は確認できない」と結論づけた。】

 この記事、事実だとすれば(それを疑う理由はありませんが)、深刻な問題点が二つあります。一つは、「これが私の指導方針なんです」と言い張るならまだ正直と言えるが、あからさまな体罰(自殺した前日、生徒は母親に「30~40発叩かれた」と話していたというから、それも半端な体罰ではありません)を日常的に加えながら、「体罰はしていない」とその教師が明白な嘘をついたということです(そういうのも今はスポーツマンシップの一部なのでしょうか?)。

 もう一つは、その体罰の話を聞いて憤り、子供たちを守ろうと通報した大人(親)がいたが、大阪市の「公正職務審査委員会」なるものと、市教委、学校はそれを握り潰した、ということです。

 嘘をついたということは、この教師は自分がやっていることが犯罪に当たるという自覚をもっていたということになります。少なくとも教育基本法・学校教育法で明確に禁止されていることはよく承知していたのです。

 学校や教委も、むろんそれが犯罪に等しいことは承知していた。別の報道によれば、その顧問の教え子である副顧問の教師も、暴行を目撃しながら「恩師に逆らえず」黙っていたという話ですが、本人にだけ聞いて、「体罰なんかしてません」と言われて調査を終了したというのは、警察が泥棒やレイプ犯に、「おまえ、やってないよな?」とたずね、「やってません」と相手が答えたから「無実」を信じた、というのと同じレベルの話でしょう。

 「内容は激しかったが、通報を受理した同市の公正職務審査委員会は『具体性に欠ける』などと判断。専門的に調査する『監察部』ではなく市教委に調査を依頼」したというのも、事なかれ主義の公務員気質丸出しの対応と言えるので、事を荒立てたくなかったのです。

 これ、要は派手に教師に殴られている子供たちのことは誰も真面目に心配しなかったということでしょう? 関係者全員、クビにしたらどうなんですか?

 子供のことを心配して通報しても、梨の礫(つぶて)で、握り潰されておしまいというのでは、親も、市民も、どうしようもないではありませんか。生徒の自殺には、おそらくこうしたことも関係したでしょう。「誰か大人が通報してくれた。だから改善が見られるだろう」と期待したのに、あっさり体罰の事実が否定されて終わり、というのでは、絶望的な気分にもなろうというものです。

 僕には通報者や、生徒たちの無力感はよくわかります。僕自身ここに「教育という名の児童虐待」という記事をはじめ、延岡の県立普通科高校の異常なあり方について何度か問題提起したのに、また、一度などは県教委に電話したり、メールを送ったりしたのに、きれいさっぱり無視されたままだからです。ここの「延岡の高校」コーナーに載せた記事には、生徒からのアクセスは非常に多く、親御さんたちも相当の数の人が読んでくれたにもかかわらず、です。

 県教委や学校関係者が読んでいないというのではない。読んでいるのに、知らぬ半兵衛を決め込んでいるのです。僕はちゃんと、論争にはいつでも応じる旨、明記しています。皮肉を言わせてもらうと、僕は「民間人」なので、学校の先生たちみたいな世間知らずではなく、自分の思い込みや決めつけを絶対視するような病的な気質はもっていません。なのに論戦にも応じようとせず、ひたすら黙殺戦術あるのみ。

 多少は気にしてマシになったところはあるようですが、根本的なところは変わっていない。生徒たちの方は、「やっばり学校というのは何を言っても変わらないんだな」という諦めをもたされたことでしょう。彼らに対して僕は申し訳なく思っています。

 体罰教師の話に戻りましょう。ふつうの、合法的手段に訴えるのでは効果は何も見込めないというのでは、夜中に覆面でもして、金属バットか何か持参で帰宅途中のこの教師を襲って、部活指導に出てこられないようにボコボコにしてやるとでもいったアンタッチャブルな手段しか、もう残っていないということになるではありませんか? バットマンのコスチュームに身を固めて襲撃するとか…。

 無茶苦茶言うとるな、と笑う人がいるかも知れませんが、笑いごとではないのです。追いつめられた子供が自殺してしまうより、自己保身のための嘘は平気でつく暴力教師を適度に痛めつけて、「これ以上こういうことをやっていたらヤバい」と思い知らせてやった方がずっとマシで、社会正義にもかなったことでしょう。僕自身の経験でも、この手の人間にはふつうの穏かな言い方では通じないことが多いので、暴力には至らないまでも、脅し上げるか何かするしか手がないことが少なくないのです。

 じっさい、横暴ぶりが目に余るというので、やむなくきつい対応を取ったら、それまでの態度がガラリと変わって、「よい人」になったというので被害を受けていた周りの人たちに感謝されたことが僕は若い頃複数回あるので、それは本心からのものか、後難を恐れてのものかは知りませんが、横暴な奴ほど、自分がやられる側になると弱いのです。

 暴力を助長するようなことを言うな、と叱られるかも知れませんが、これはむろん冗談です。体罰教師を夜道で金属バットで襲う事件が続発しても、それを僕のせいにされたのでは困ります(大津市の教育長はカナヅチで襲われたそうですが…)。

 しかし、通報したり相談したりしても、その機関が何ら実効性のある対応は取らず、何も変わらないというのでは、一体どうすればいいのですか? 合法的に処罰できる権力をもっているのは彼らだけなのです。それがない個人としては、しまいには捨て身の暴力的解決(当然、刑法はそれを禁止していますが)に訴えるしかなくなってしまうわけで、それはよくないから、被害を受けている側は黙って泣き寝入りしろというのでは、マフィアに支配された社会と同じではありませんか。

 嘘の話に戻りますが、嘘にも色々あって、この顧問教師の嘘は文字どおりの嘘、その言葉を信じたふりをして「体罰はなかった」と教委に報告する学校管理職の嘘と、「それでは体罰はなかったんだな」と信じる市教委(これも大方は学校教師)の嘘は、より隠微な嘘です。いずれも自己保身と庇い合い(それなら教師仲間より生徒を庇えよ!)のための嘘である点は同じですが、「嘘の色々」を彼らは学校で生徒たちにせっせと「実物教育」して下さっているのです。

 「いじめはなかった」と言いながら、実はありましたと後で認める従来のパターンも、これと全く同じですが、嘘の多さでは今の学校は明らかに泥棒より上だと思われるので、「嘘つきは教員の始まり」という言葉は正しいのです(この「教員」には例の原子力村の学者先生たちも加えてよいかも知れませんが)。

 問題は、だから、学校のこの「嘘つき体質」をどうやって改めるかですが、僕は現段階ではこれに対してかなり悲観的です。というのも、そういう教師たちは必ずしもごく一部の例外ではなく、今はそこらじゅうにいて、たいていの子供は教師の嘘と不誠実に憤った体験をもっているからです(僕がこれまで耳にしたかなり悪質な例だけでも本が一冊書けてしまうぐらいありますよ)。まともな子供は、それで、「学校の教師にだけはなるまい」と思ってしまうことになり、思わないのは保身のための嘘や見て見ぬふりは当然で、許されると思っている子供だけで、そういうのが「安定した身分」目当てに教育学部に進学して、教師になろうとするのです。

 そうすると、初めから教師になる若者にはロクなのがいないことになって、げんに慢性化した不況のせいで「安定職業」志向が高まっているのに、教育学部の偏差値はおしなべて低いままなのです。塾の生徒を見ていても、優秀な生徒や個性豊かな生徒は、ほとんどと言っていいほど教育学部は選択しない。学力的に二番手、三番手の、性格的にも妙に型にはまった「長いものには進んで巻かれる」タイプ(もうひとつ「権威好き」というのも加えてよいかも知れません)のごく一部の生徒しか、教育学部には行かないのです。
 たまに、「これはいい先生になりそうだな」と思う子がいても、教育実習を終えて「ボクには向いてません」と、あっさり民間に就職してしまったりする。
 これは「差別的発言だ」と叱られるかもしれませんが、それが四半世紀、この業界に身を置いてきた者の正直な実感なのです。

 どうしてこうなるのか? それに今の学校の「反面教師」的な姿が大きな影響を及ぼしていることは間違いありません。マスコミの学校バッシングのせいだけではないので、子供が実際に接触する先生に魅力のある人がそれだけ少なくなっているのです。だから、不良教員の拡大再生産みたいなことになってしまうわけで、入口の段階ですでに優秀な人材が減っているのです。だから悪循環になってしまう。

 教育という仕事の重要性に鑑みれば、これは由々しき事態と言わねばなりません。しかしそれは、なかば以上、今の学校の先生たちが惹き起していることなのです。僕の見るところ、子供たちはけっこう公平に先生たちを見ています。そしてできれば先生を信頼し、尊敬したいと思っている。しかし、それを裏切る教師が多すぎるのです。

 「学校の教師にだけはなりたくない」と言う子供が今はどんなに多いことか。それを知れば、学校の先生たちはショックを受けるでしょう。素直にショックを受けた方がいいだろうと、僕は思っています。そうすれば、もっと子供の顔をよく見た、思いやりのある教育への取り組み方ができるようになるだろうからです。そしたらそれに反応して、質のいい教員志望者も増える。「嘘つきは教員の始まり」などと、僕みたいな不良中年オヤジに揶揄されずにもすむようになるのです(あの悪名高い「勤務評定」だの、宮崎県にある「何を基準に?」と言いたくなるお手盛りの「スーパーティチャー制度」などは、教員の質向上には害にこそなれ、益はなさそうに見えるということも付け加えておきたいと思います。そういうのはどれも自閉的な「学校ムラ」内部で行なわれていることだからで、問題は今の学校のそうした閉ざされた体質そのものなのです)。

 ※【追記】これは非常によい記事で、桑田真澄氏を大いに見直しました。
   皆さんもぜひお読み下さい。
   「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ(朝日新聞1.11.20時51分)
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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