FC2ブログ

タイトル画像

「金融」ビジネスの精神病理学~藤沢数希著『外資系金融の終わり』を読んで

2012.10.15(16:24) 172

 最近、このブログはにわかに「経済」づいているようですが、締め括りにこれを書いておこうと思います。

 それでなくともうまく行かなくなった世界経済の最大の攪乱要因の一つは、今の金融システム、ウォール・ストリート(米)、シティ(英)に代表される強欲かつモラル無用の金融機関だと思っている人は少なくなくて、僕もその一人ですが、その金融ビジネスの関係者には、この種の批判を、「社会主義」だの「サヨクのたわごと」だのと嗤って片付ける傾向があるようです。これはそれ自体ステレオタイプ化していて、もっとマシな反論の仕方を思いつけないのかと思いますが、ともかくそういうのは「稼げない頭の悪い奴らのひがみやねたみ」でしかないと彼らには見えるらしいのです。

 果たしてそうなのか? それについて検討する恰好の材料になりそうな本を、僕は先日書店で見つけました。藤沢数希著『外資系金融の終わり』(ダイヤモンド社)。著者は「まえがき」にこう書いています。

【じつは、いま、世界の資本主義経済が大きな岐路に立たされている。
 それはリーマン・ショック以降に左翼のおかしな連中が言い出した『強欲な市場主義原理が世界を滅ぼす』というような話とは違う。いや、まったく反対なのだ。このグローバル資本主義経済に欠かすことのできない金融システムを担う世界の金融機関が、市場原理が働かない組織に成り果てようとしているのだ。
 うまくいったときは自分のポケットに多額のボーナスを入れ、失敗したときは政府に救済される、というこの金融機関のビジネスモデルは、リスクとリターンが参加者の自由な競争のなかでバランスしていく市場原理とは似ても似つかないものだ。とんでもないモラルハザード(損失のリスクをどこかに押し付けることにより、自らはリスクを取れば取るほど儲かるようになることを表わす金融用語)なのである。】

 これはけしからんと、著者は言います。あたりまえの話ですが、ここからが「左翼のおかしな連中」とは言うことが違ってくるので、僕はそこに注目したのです。この本、サブタイトルは「年収5000万トレーダーの悩ましき日々」となっていて、帯には「本当のことを教えよう」と大書されています。生年は書かれていないので、年齢はよくわかりませんが、まだ若いようで、著者紹介には「欧米の研究機関にて、理論物理学の分野で博士号を取得。科学者として多数の学術論文を発表した」が、「その後、外資系投資銀行に転身し、マーケットの定量分析、トレーディングなどに従事」とあります。それで、「貧乏な研究者だった僕の給料が2年目で大学教授の給料を軽く超えた」というのですが、「じつは3年目で僕の給料は日本の多くの上場企業の社長の給料を超えていた」と“控えめに”告白してくれているので、若くして半端でないリッチ層の仲間入りを、彼は果たしたわけです。

 だから、下々の人間とはまるっきり感覚が違う。年収2千万などというのは同情に値する「薄給」なのです。「[証券会社の]僕の知人のセールスは、入社3年目ぐらいのときに、しょぼいボーナス(たぶん1500万とか)をもらって、威勢よく赤いフェラーリをローンで買っていた。ここまで来ると、もう哀れというか、同情を禁じえない。自分たちが貧乏なコンプレックスを、みんなが金持ちであると認めてくれるようなわかりやすいモノを買うことにより克服しようとしている。なんとも惨めな風景だ」というような言葉が出るのもむべなるかな。何せ、「1年間で1億円の手数料を払ってもらえるかどうか」なんてのは憐れむべき「しょぼいビジネス」なので、「僕」のようなトレーダーは、「25歳」にして「1日に1億円儲けたり損したりしている」のです。スケールが違うでしょ。ははは。

 むろん、この本は著者のそんなアホな空自慢(いくらか多すぎるとしても)で埋まっているわけではないので、僕らシロウトのために「こういうわけなんですよ」という説明を、「外資系投資銀行に勤めながらも、ジャーナリスト的な視点や経済学的な視点で、この激動の金融業界を内部から眺めることができる、という世界の中でも大変稀有なポジションに、いつのまにか僕は立っていた」と自画自賛しながら、して下さっているのです。

 どうして投資銀行などの金融機関は景気の下降局面でもボロ儲けできるのか、そのへんのからくりも噛んで含めるように説明して下さる。だから荒稼ぎしたいのなら、頭の悪いオレオレ詐欺なんかやってつかまるより、“合法的な”金融ビジネスの世界に入るべきなのだとナットクさせられるのです。そうすれば、億単位の年収も夢ではない。まあ、最低でも東大の優秀層レベル以上でないと雇ってくれないかもね…というようなニュアンスも端々に感じられますが(付言すると、「帰国子女で顔がいい女子大生」は「若くて可愛いけどおつむのちょっと弱い20代の素人ホステス」要員としてそういうところに雇ってもらえるそうです。女の子たち、行きますか?)。

 少し順を追って内容をご紹介しましょう。のっけから刺激的な話が出てきます。例のギリシャ危機ですが、あれは2009年の政権交代で、新首相が旧政権の財政赤字の隠蔽をバラしたことに始まるそうですが、この「粉飾」には有名なゴールドマン・サックスが関与していて、要はそれを彼らが指南していたという話です。そのごまかしのおかげでギリシャはユーロに加盟できた(国の債務残高がGDP比60%以内、財政赤字GDP比3%以下、という条件が付いていた)ので、ギリシャにとってゴールドマン・サックスは恩人、ゴールドマン・サックスの方もそれで数百億円儲けたのだそうです。この取引ではギリシャ政府がデフォルトすると、後者も困るのですが、「公的資金が注入され、金融システムの崩壊を何が何でも回避しようと世界中の政府が頑張ってくれたおかげで、ゴールドマン・サックスなど世界の投資銀行の利益も守られた」のだとのこと。めでたし、めでたし(ちなみにこの会社、アメリカのサブプライム住宅ローンが崩壊する直前の2007年には、「社員一人当たりの年収が7000万円を超えていた」のだそうです。700万円ではありませんよ。著者によれば、「残念ながら…2011年には3000万弱まで下がってしまった」そうで、「これでは巨人の一軍の野球選手よりは見劣りする」とのこと。可哀想ですねえ…)。

 ちなみに、サブプライムローン崩壊騒ぎでは、「世界最大の保険会社」AIGが救済されましたが、あれはアメリカのFRB(連邦準備銀行)が、「本来は銀行にしか融資できない」のに、かぎりなく“超法規的措置”に近い裏ワザで融資して、救済したのです。そんなの、ありかよ…。「あり」なのです。何せ、「AIGがつぶれれば、世界の金融システムが破滅することになる」のですから。その額「850億ドル(当時の為替レートで約9兆円)」だったとか。

 まだしかし、これでは足りない。アメリカ財務省は金融安定化法案を議会に提出、「金融機関への公的資金注入、不良債権の買取を実施しようとした」が、その額何と7000億ドル。これは「アメリカが、イラク、アフガニスタンの対テロ戦争で費やした総額と同程度の金額」だったとのこと。あの戦争も全くよけいだったが、よけいの2乗をやろうとしたのです。「もちろん、選挙を控えた議員の多くが、ウォール・ストリートの金持ちを税金で救済する法案に反対、…否決されてしまう」。よかった、と思うなかれ。その後株価が暴落して、「目を覚ましたアメリカの政治家は、法案をすぐに可決させた」のです。
 うじゃうじゃいる貧乏人のことはほっといて、何とも豪勢な話です。

 こういうのは「おかしな話」の一部でしかありませんが、「ウォールストリートを占拠せよ!」デモが起こるのは、無理からぬことです。おいしい嘘話で住宅ローンを組まされ、バブルがはじけると負債だけ背負わされて家を追い出された人がたくさんいて、若者も、多額の学資ローン(免除規定なし)を負って大学は出たものの、ロクな就職口はない、なんてことになってるのですから。しかし、この本の著者はそのあたり、えらくシビアなことを言うのです。ご高説を拝聴しましょう。

【金融機関は、アメリカの庶民に借金を背負わせ、不動産を買わせた。こうして不動産バブルが膨らみ、それがはじけると、今度は庶民のマイホームを差し押さえ、家から追い出した。巨大企業の経営者は莫大な報酬を受け取り、国民は搾取されている。そして、多くの国民は仕事を失った。こうして1%の心ない人間が富を独占しているが、政治は残りの99%のために行なわれなければならない――と彼らは主張している。
 こういった彼らの主張のいくつかは論理的に間違っており、悲しいことに代案が何もないという点で、日本の反原発運動のような一面もある。
 たとえば、富める1%側の金融機関が過剰に貸し出しを行いバブルを生成し、そして崩壊させたというが、それは裏返せば残りの99%の人間が分不相応な借り入れを行い身の丈以上の贅沢な暮らしをしていたということに他ならないし、多くのグローバル企業は、さまざまなモノやサービスを生み出しており、これらの企業がなくなれば市民の生活が不便になるのは間違いない。こうしたグローバリゼーションによって、たしかに途上国の人々の生活水準は押し上げられており、その裏の資金調達で、世界の金融機関の果たした役割は小さくない。
 このように、「ウォール・ストリートを占拠せよ」デモに反論するのは簡単だ。】

 うーむ。「簡単」なのは、利口ぶったおまえの脳味噌の中身の方ではないかと、皮肉の一つも言いたくなりますが、順番に疑義を呈しておきましょう。アメリカ人の浪費癖というのは有名なので、バブルに浮かれて「身の丈以上の贅沢な暮らしをしていた」人がかなりいたというのはほんとかも知れません(わが国でもバブルのときはそうなりました)。が、無理を承知でローンを組ませたり、詐欺同然の説明をしたりしていたというケースは、かなりの数に上ったはずで、そういうのは明らかに貸す方が悪いわけです。大体、「分不相応な借り入れを行い身の丈以上の贅沢な暮らしをしていた」というのは、“レバレッジ”なる手法で、手持ち資金の何十倍もの取引をして、利益を上げていた金融機関も同じ。「おいしい商売」を持続させようと、格付け会社まで抱き込んで、「ゴミくずのような住宅ローンをごっそりまとめた[CDOなる]金融商品」(著者自身の言葉)にトリプルAの格付けを与えて、世界を欺くことも平気だったのです。それで法外な報酬を得て、贅沢な暮らしをしていた。しかし、それは巨額の税金投入で救済されたので、それなら家を追い出された人も助けんかい、というのが「論理的」にも正しいでしょう。

 もう一つ、著者は何かカン違いしているか、意図的に論理のペテンをやっているかのどちらかですが、「市民の生活」を便利にした「グローバル企業」の資金調達は、今の金融機関のイカサマ抜きに可能なはずで、“まっとうな商売”をしていないからこそ、人々は怒っているわけです。大体、自分のようなハートのない、何も生み出さない、頭でっかちの博士崩れの若僧風情が、年収何千万も稼げるシステムそのものが異常ではないかと、いっぺんでも考えてみたことはないのか?
 僕は投資には何も反対しません。企業はそれで不特定多数の個人から金を集め、それを事業に投入して、利益を上げる。それに応じて出資した人が見返りを受ける、失敗した場合には株価が下がって投資家も損をする、というのなら、いたってまともな話です。仲介する証券会社はそれで手数料を得て、それが会社の利益になる。

 しかし、著者も認めるように、そんなことには全然なっていないわけです。「手数料」なんて「しょぼい」商売をやってられるかと公言しているので、その「しょぼくない」商売の悪どさに問題はあるのです。

 著者はこれに続けて、「じつは、このサブプライム住宅ローンとそれを証券化して世界中に売りさばくという金融ビジネスは、誰からも賞賛されたアメリカンドリームそのものだったのである」と世迷いごとを言っています。ウォール・ストリートの住人にとってはたしかにそうだったでしょう。彼らは「民間企業に勤めるサラリーマンであるにもかかわらず数千万、数億円の報酬を受け取」ることが可能になったのですから。そしてその結果、「富が一部のエリートや富裕層にますます集中していくようになった」。

 著者によれば、しかし、「これは、共産主義者のおかしな経済評論家がいうように、1%の富裕層が99%の人々を搾取していたわけではない」という。なぜか?

【実際に、99%の人たちもゆっくりではあるが、アメリカ経済、世界経済の成長と共にある程度は豊かになっていったことは間違いない。しかし、1%の富裕層が世界経済の成長により急速に富を増やしていく一方で、残りの人々が豊かになるスピードはとても遅いものだった。こうして、富める者とそうでない者との格差が広がっていった。全体の平均で見れば好調だったアメリカ経済のなかでも、人々の不満は溜まっていったのだ。幸せとは、絶対的な生活水準の向上ではなく、他人との比較のもとで感じられるものだからだ。】

 ははあ。「幸せとは、絶対的な生活水準の向上ではなく、他人との比較のもとで感じられるもの」であるとは、ご忠告痛み入ります。どこかで聞いたような陳腐なセリフですが、次にはもっと驚くべき“洞察”が示されるのです。

【こうした人々の不満を抑えるためにアメリカの政治家がやったことは、貧乏人にマイホームを与えることだった。国民全員にマイホームを、というスローガンを掲げ、当時のアメリカのジョージ・ブッシュ大統領は、その名もズバリ「アメリカンドリーム・ダウンペイメント・イニシアティブ」という法律に、2003年12月、調印したのである。】

 何だって! あのブッシュ様はそれほどまでに「貧乏人」のことを気遣って下さったのか! 感激至極。

 しかしねえ、あのアホなイラク戦争でもわかるけど、政府発表のとってつけた屁理屈を、どこの馬鹿が信じるというわけ? 要するに、新たな投資先を考えあぐねて、これはもう、貧乏人を食い物にするのが一番手っ取り早いと、もちろん金融機関の熱烈な支持と共に、そんなもの打ち出したにすぎないわけでしょう。むしろ、金融機関が入れ知恵したのです。トレーダーともあろう者が、何で額面どおりそんなものを受け取るわけ?

 話をまとめましょう。アメリカ国民が「ある程度豊かになっていった」というのがほんとかどうか自体が疑わしい。前回取り上げた『世界の99%を貧困にする経済』にはこう書かれていました――「新しい世紀に入って最初の景気回復期(2002~2007年)では、国民所得の増加分の65%が、上位1%のふところに転がり込んでいた。対照的に、ほとんどのアメリカ人の暮らし向きは、右肩下がりで悪化していった」と。

 が、仮に著者の言い分が正しかったとした場合でも、大多数がコツコツ働いてやっと一年で給料が5千円増えるといった状況の一方で、それと地続きの同じ経済社会で、バクチ同然のやり方で週に百万も稼ぎを増やす奴が一部にいれば、これはどこかおかしいのではないかと思う方がふつうでしょう。

 当然疑惑と不満は募る。そこでお次はその「1%」の連中が、手詰まりでうまい儲け口はないか考えあぐねていたところ、貧しい国民の切ないマイホーム願望に目をつけて、それで一儲けしようと企んで、新たなバクチに出た(著者自身の説明によれば、「ダウンペイメントというのは住宅ローンの頭金のことで、貧乏人が頭金がなくても家をじゃんじゃん買えるようにした」のだそうですが、そうすれば借金額も増えるから貸し手は儲かる代わりに、リスクが高くなるのはわかりきったことです)。それでバブルになって、それがはじけ飛んだら、貧乏人は負債を抱えたまま家を追い出され、バクチで大儲けした連中は国民の税金で救済されたのです。これのどこが「搾取」ではないのか、お教えいただきたい。何? ブッシュとその取り巻きの「1%」は“善意”だったのが、運悪く失敗しただけだって? トレーダーって、日頃えげつない商売をやってる割には純情なんですねえ。戦争でもビジネスチャンスだと小躍りする連中なのに、ですよ(大体、貧乏な人たちにマイホームを持たせてあげたいという善意から出たものなら、ローン利息は安く設定するでしょうに、あれは通常の住宅ローンより割高だったのです)。

 しかし、一方で「貧乏人」相手の「ゴミくずのような住宅ローン」と侮蔑も露わに言いながら、著者はなおもこう主張するのです。

【強いリーダーシップを発揮し、アメリカ国民にマイホームを持たせようと社会政策を推し進める政治家。そして、それを実現するために、アメリカの金融機関は金融工学を駆使して次々にイノベーションを生み出していった。こういった金融革新技術は、アメリカの卓越したアカデミズムと、企業家精神に溢れる金融産業に従事する実務家との共同作業で行なわれた。社会政策と技術革新が見事に融合し、複雑な金融商品を通して世界中からうなるような金を集め、それがアメリカの庶民に貸し出され、人々は次々とマイホームを手にしたのだ。こうした複雑な金融商品を開発していたクオンツたちは、自分たちが開発した最先端の金融技術が恵まれない貧しい人々を助けているのだ、と誇りに思っていた。まさにアメリカンドリームの理念を体現していたのだ。】

 こう書いた後、どういう必然性でそうなるのか、自分がどんな経緯でヘッドハンティングされてますますリッチになっていったかという自慢話(皆さん知りたいでしょう?)に移ってしまうのですが、さらに先を読み進むと、「金融工学の技術革新はまやかしだった」とか、アメリカの雇用は回復せず、「今後もほんの一握りのスターが大きな富を作り出すが、ほとんどのアメリカ人はマクドナルドやウォルマートで最低賃金で働くことになるだろう」といった悲観的な見通しが語られるのです(つまり、彼の言う「左翼のおかしな連中」「共産主義者のおかしな経済評論家」と言うことが同じになってしまう)。

 支離滅裂なので、一体そのオツムの構造はどうなっているのか? 一度精神科医に診てもらった方がいいと思いますが、病識(病気の自覚)が全くない人間の治療ほど難しいものはないので、医者も苦労させられるでしょう。
 長くなったのであと二つほど書いておしまいにします。

 一つは、今の金融ビジネスの反社会性、反道徳性を最も顕著に物語るCDSというデリバティブ商品の話です。この本にも説明されているように、それは「債券のデフォルトをヘッジするための金融商品」です。
 デフォルトだのヘッジだのわかりにくいが、要するに、「トヨタ自動車の社債を保有している人がいるとしよう。トヨタ自動車が倒産したら、この社債のかなりの部分が吹き飛んでしまう。たとえば額面100円の社債がデフォルトして30円しか返ってこなかったとする。ここでこの社債のCDSを買っておけば、それを売った人から損失分の70円をもらえる」、そういう「保険」なのです。

 問題なのは、これが独立した金融商品として売買されていたことです。社債を持たない人でもそれが買える。「この場合、毎年1億円払えば、トヨタ自動車が倒産したら最大で100億円儲かることがわかる。…つまり、CDSを買えば、たった一年間1億円を賭けるだけで、もし“予想どおりに会社が潰れてくれれば”、100億円儲かるチャンスに張ることができる。他人の家に火災保険を掛けて、他人の家が燃えるのを今か今かと祈るような賭けだと思っていただければ理解できるだろう」。

 この「他人の家に火災保険を掛けて、家が燃えるのを待つ」というたとえはよく使われるものですが、先のアメリカの住宅バブル崩壊でもこれが大がかりに行なわれていて、「その崩壊を予測して、めちゃくちゃ儲けたヘッジファンドや外資系投資銀行のトレーダーたちがいた」のです。「人類史上最大のボロ儲けである」と著者は嬉しげに述べています。

 要するに、潰せば儲かる。だから「これはもうもたない」と見たとき、進んで市場が崩壊する方向にそれらの機関・会社のトレーダーたちは“努力”した(「住宅ローン担保証券やCDOを空売りした」というのはそういう意味でしょう)のですが、そうなるとCDSの売り手である保険会社がその支払いをしなければならなくなるわけで、そうした保険会社の最大手が先のAIGだったわけです。これ、ふつうなら支払い請求が殺到して即潰れてしまいます。潰れてしまえば、CDSの支払いも行なわれなくなってしまうが、それを世界中の金融機関が買っていれば金融恐慌になってしまうので、政府はあわてて救済に動いた。「アメリカやドイツ、イギリス、そして日本などの世界中のなにも知らない納税者が間接、直接的にAIGやシティ・グループのような、本来はつぶれるはずだった金融機関を税金で救済した」のです。こうしてヘッジファンドや投資銀行はまんまと大金をせしめることに成功した。

 他人の家に勝手に火災保険を掛けて、さらにそれに放火するような真似をすれば悪質きわまりない犯罪として処罰されますが、それを“合法的に”可能にするような「商品」を「金融工学」なるものは発明した、ということです。こういうの、「世界経済の発展に貢献」するものでしょうかね? ノーベル賞、あげたい?(余談ながら、実際、ノーベル経済学賞が金融工学の考案者に与えられたことはあります。1997年のアメリカのショールズとマートン教授です。この話にはオチがあって、翌年には彼らが共同経営者として名を連ねていたヘッジファンドが破綻、ロクでもない「理論」であることが証明されて、世界の失笑を買ったのです)。

 1997年ついでに言うと、あの年は「アジア通貨危機」で有名になった年です。ヘッジファンドがタイのバーツを手始めとして猛烈な通貨の空売り攻勢を仕掛け(安くなったところで買い戻せば儲かるという理屈)、悪名を馳せたのです。それでハゲタカファンドの類がやり損なって潰れても自業自得というものですが、結果として東南アジア諸国は経済的大打撃を受け、無数の人々がコツコツと積み上げてきた蓄えと仕事をまたたく間に失ったのです。しかし、今から思えばこういうのはまだ素朴というか、わかりやすいものだった。手口はいっそう“洗練”されて巧みなものになってきているということです。

 最後は、この本の著者、藤沢数希氏の「(都合が悪くなると国家の税金による救済に頼る)既存の巨大な金融機関に比べて、インセンティブ構造がはるかに健全」だというヘッジファンド賛美についての疑問です。

 「僕も現在、ヘッジファンドの設立に向けて準備を進めているところだ」とありますが、勝手にそれはやってもらえばいいとして、この本のどこにも「ヘッジファンドの健全さ」を感じさせるようなものはありません。「宝くじは美味しいビジネスだが、これから説明する金融業も本質的にすごく美味しいビジネスなのだ」とあって、たしかにここに書かれたそれは「美味しそう」ですが、“本質的に”まともでないから「美味しい」だけなのです。

 金融業の本来の楽しみというのは、人や会社を育てる手助けができるところにあるのだろうと、僕は思います。投資家だって本当はそうなはずで、見込んで投資した相手が成長し、成功してくれれば嬉しい。それで見返りが得られる場合、それはいわゆるウィン・ウィンの関係です。今の投資銀行やヘッジファンドなどはそこから隔たること数千里、悪徳高利貸しですら為しえないことを平気でやって、それがふつうの人々の生活を脅かし、破壊するまでになっているのです。カジノでギャンブルをやるのならいいが、彼らは堅気の人たちの生活の場を否応なく鉄火場に変えてしまうのです。社会のモラル喪失への悪影響もはかり知れない。

 これは、バクチに失敗しても、国民の税金で補填してもらいさえしなければいい、というような単純な話ではありません。先のCDSの例に見るように、モラルハザードはそれ以前の段階ですでに起きているからです。彼らの金儲けは、企業や個人が客に喜ばれるような商品やサービスを開発して、それで大きな利益を上げるというものとは本質的に異なっている。それは何も生み出さず、ゼロサムゲームの中で、むしろ社会の公平な所得分配を妨げ、富の偏在を加速化させ、のみならず経済のファンダメンタルをも深刻に害するのです(どうしてそれがそれほどの破壊力をもつかという理由の一つは、実際の経済の中を流れているお金が数パーセントにすぎないのに対し、金融市場でやりとりされるマネーが90数パーセントを占めているからです)。

 著者の言う「しょぼい」手数料や金利収入で経営を成り立たせるのが、金融の“本道”であろうと僕は思います。それを忘れて、マネーそれ自体が手段でなく目的になったとき、人間は必ずおかしくなる。この本の著者は何でも損得勘定らしいので、自分は「好きな女のために1万円のディナーを大盤振る舞い」するくらい「非常に気前がいい」(どこが?)のだという話が出てきますが、それは自分の分と含めて2万使って、「その後にセックスできる確率がグーンと上がるなら」トクだからなのです。そうして、「最初のデートでセックスができなかったら、二度と自分からはデートに誘わない」という「厳しいロスカットの基準を自分に課して」いるそうで、何のためにそんな話をしているのかと思ったら、トレーダーというのがどんなにケチな人種なのかということを自慢するためなのです(年収5千万の彼の知人は女性との会食では断じて割り勘にするのだとのこと)。やれやれ。こういうセコい馬鹿に引っかかる女の子が果たしているのかどうか、それは大いに疑問ですが。

 僕がこの本を読んでいて自然に思い出したのはあのセショウのことです。村上ファンドの村上世彰のこと。インサイダー取引の疑いで逮捕されそうになったとき、「この国はチャレンジャーに優しいですか!?」なんて意味不明の金切り声を上げていましたが、精神構造が彼とよく似ているような気がするので、「藤沢ファンド」は成功するかも知れません(世の中に少なからぬ害毒を垂れ流しながらも)。仮にやりそこなってセショウみたいに有罪判決を受けても、そのときは罰金・追徴金ぐらいではびくともしない資産をすでに蓄えているから、リッチな余生が送れるでしょう。

 結論。濡れ手で粟の狂った世界に飛び込んで、分不相応な荒稼ぎをすれば金持ちにはなれるが、その代償に魂もハートも失って、頭も商売のばくちトレード以外では働かなくなり、支離滅裂なたわごとしか言えなくなるという、見本のようなこれは本です。昔はこういうのを「玩物喪志(がんぶつそうし)」と呼びましたが、そうなりたくなければ、幸いなことに生産的な堅気の仕事はまだちゃんと残っているので、若者たちは社会に出るに際して、そのあたりよく考えることです。何にせよ、精神病理学の症例研究の対象としては、この著者のような人物は興味深いものなので、その意味では一読の価値はあるでしょう。

藤沢数希著『外資系金融の終わり』(ダイヤモンド社)
スポンサーサイト





祝子川通信 Hourigawa Tsushin


書評 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]