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「たね蒔きジャーナル」が存続の危機?

2012.08.15.18:46

 このところ、夏休みで毎日川ばかり行っていて、パソコンをいじっていなかったので、久しぶりに「小出裕章(京大助教)非公式まとめ」というサイトを見て、驚きました。そこに小出先生の「たね蒔きジャーナルへの感謝と存続の呼びかけ(8月13日)」という意外なビデオメッセージが載っていたからです。

 周知のとおり、昨年3月11日の福島原発事故以来、毎日放送(大阪)のこの「たね蒔きジャーナル」という番組は小出先生への電話インタビューをずっと流してきました(他にも色々な社会問題を鋭い切り口で取り上げている由)。そして僕は上記の「小出裕章(京大助教)非公式まとめ」という親切なサイトを通じて、それをずっとフォローしてきました。この番組は聴取率もいいという話ですが、直接ではなく、Youtubeやこうしたサイトを通じてそれを聴いてきた僕みたいなファンは膨大な数に上るでしょう。そんな貴重な番組が、「電波の無駄づかい」と評していいような内容空疎な番組ならわかるとして、何で「打ち切り検討」の対象になるのか、さっぱりわかりません。

 「人手と手間が必要なニュース番組は経費がかかる。中立性の観点からラジオショッピングが入れられないという決まりもあり、収支を考えると仕方のない面もある」という関係者のコメントが東京新聞の記事(8.4)には出ていて、なるほどそれも理由の一つなのでしょうが、ラジオでもテレビでも出版でも、トータルで採算が取れればいいのであり、今では「毎日放送にたね蒔きジャーナルあり」と評判になっているほどなのだから、そのあたり何とかならないものかと思います(小出先生は出演料の辞退を表明されています)。途中でコマーシャルが入れられないのなら、冒頭で、「この番組は○○と△△の提供でお送りします」という文句だけ流せばいい。しかし、カネは出しても内容には口を挟まないということで、そうすれば、企業は下らないCMを何度も流すより、ずっと社会的信用が上がって人々の好感度も上がるはずです(ちなみに、僕はテレビCMが大嫌いなので、民放はほとんどニュース番組しか見ませんが、CMが始まるとすぐチャンネルを変えて、終わった頃に戻ることにしています。わが国のそれはイメージを売り込むだけの宣伝で、それで製品のよしあしがわかるものではまるでないので何の参考にもならないと思うからですが、企業はどうしてあんなアホらしいCMの制作に大金をかけるのでしょう?)。

 あるいは、こういうことかも知れません。「たね蒔きジャーナル」は人気があって、影響力が大きいからこそなのだと。「原子力ムラ」はそれがお気に召さない。とりわけあの小出裕章が出てきて、的確な解説・コメントで好評を博すのが面白くないのです。だから、あんな目障り、いや耳障りな番組を擁しているような放送局のスポンサーにはなってやらないと、社に圧力をかけたのです。

「いやー、おたくのあのたまねぎジャーナルですか、あれが何というか、玉にキズといいますか、おたくの社内に巣食うガン細胞みたいなものではないかと、この前財界の集まりでもちょっと話題になりましてね。少しばかり偏りすぎてませんかね、と。それで私らも、この分ではスポンサー契約を再考しなければならんなと、そういう話も出たくらいでして…。ガッハッハ」

 てな調子で、それとなく経営陣に圧力をかけるのです。これは、必ずしもありえない話ではないでしょう。かつて同じ毎日放送は、テレビの方で小出先生もその一人である「熊取六人組」を扱ったドキュメンタリーを放映して、関西電力の憤激を買い、CMを引き上げられる憂き目に遭いました(脅しに屈しなかったのだから、エラかったわけですが)。
 電力会社だけではない、東電の肩ばかりもちたがる経済連の何とかという親玉のじさまをはじめ、財界の主流は原発維持派です。電力会社は言い値で資材やら何やらを買ってくれる気前のいい大旦那で、それはこれまで原発を推進してきたことの困った結果にすぎませんが、原発停止で万が一電力不足になれば(ほんとはならなくても、電力会社はそのフリを装う)、「生産にも支障が出る」からです。それで原子力ムラに連なる企業群は一丸となってこの“不快”な番組を潰すべく、「スポンサーをみんなして降りよう!」と裏で呼びかけあって、オリンピックでも示された“日本的団結”をいかんなく発揮して潰そうとはかっているのかも知れないわけです(僕がそうした「団結」を必ずしも美徳と見ないのは、わが国ではこういうことがしばしばあるからです。内輪の“絆”や仲間意識が社会の迷惑でしかないこともあるのです)。

 「たね蒔きジャーナル」は聴取率が悪くないだけでなく、じっくり聴かせる内容をもつ、質の高い番組です。そういう番組をもつことこそ放送局本来の使命であり、心臓であるはずなので、あってもなくてもいいような(あるいはない方がマシな)番組は残して、そちらを削ってしまうというのは本末転倒もいいとこではありませんか。

 この問題を最初に報じたマスコミは朝日新聞だったようですが、各メディアが小出先生にコメントを仰ぎ、著書がたくさん出るようになったのも、元はこの「たね蒔きジャーナル」への連日の電話出演と、そこでの先生のいい加減なところが少しもない、明快な解説が元になっていると言っても過言ではないはずで、この問題は同じメディアとして座視できるものではないはずです。
 だから、舞台裏も取材した詳しい続報が待たれるところですが、仮にこの件がさしたるニュースにもならず、そのまま番組が打ち切られてしまうことになったとすれば、わが国のマスコミは、自分たちが十分な報道をしなかったことから来るおかしなやっかみの類もあって報道を避けたのだろうと勘繰られても仕方がないでしょう。

 原子力ムラは目下、反原発感情が下火になるのを待っています。原発事故現場は今も大変な状況にあるようですが(被曝量が上限に達する作業員が増え続ける中で、どうやって人手を確保するかだけでも大問題です)、それについての報道は激減しています。「熱しやすく冷めやすい」日本人の国民性からして、もう少し時間がたてば、国民の関心はなきがごときものになって、コトを進めやすくなると見ているのでしょう。それが、邪魔な小出にいつまでも問題点を指摘されたり、危険だと言われたりしたのでは、言ってることが正しいだけになおさら大きな妨げになる。番組の改編期であり、ラジオでもあるので、目立たずに出番を消せると、そう原子力ムラは算段したのかも知れません。

 以上は僕の推測にすぎませんが、情報隠蔽をはじめとするこの種の姑息なやり方は日本の権力集団が最も得意とするところなので、大いにありそうなことに思われるのです。

 こういうこと対しては、僕ら一般庶民にあまりできることはありません。スポンサーにはなれないし、せいぜい自分のブログにこんな記事を書くぐらいのものですが、影響は高が知れたものでしょう。
 しかし、放送局は直接のリスナーでない人もあの番組には大きな関心と愛着をもっていて、それはものすごい数に達するのだということを忘れないでいてもらいたいのです。あれで毎日放送の知名度と社会的評価も格段に上がったはずです。

 「反原発に偏りすぎている」という一部の意見に関しては(局の幹部にもそういう人がいるという話です)、小出先生は筋金入りの「反原発」だということは百も承知で、リスナーは聴いているわけです。問題はそのこと自体より、そこで語られていることが真実かどうかということで、放射能の影響などに関しては、まだ科学的に十分解明されていない部分が少なくないので、誰にも断定的なことは言えませんが、原発事故が起きるとどういう経過を辿るかとか、原発のそもそもの仕組み、周囲への影響の破壊性などについて、小出先生の説明は非常に明快です。こんな無責任で物騒な技術を実用化するという根本的な部分に間違いがあったのだと、僕はあらためて思い知らされました。多くの人がそうだったでしょう。「初めに原発推進ありき」の御用学者たちの混乱した説明とは、そこがまるで違うわけです(あらためて言うまでもなく、小出先生は原発が未来のエネルギー源になるだろう、だからその研究に携わって社会貢献の一翼を担いたい、という動機で大学の原子力工学科に入学された方です。「反原発」はその後の勉強の結果、原発の深刻な危険性を認識したことから導かれた結論でしかありません)。

 原発に反対すれば「中立的」でないとか、そういうのは政治的な議論にすぎません。とりわけわが国におけるいわゆる「中立」とは中途半端の別名でしかない。「原発はたしかに少し危険だから、今後は少し減らし気味にしよう」なんてのはこの上なくいい加減な話でしかありませんが、そういうのが「中立的」だと、頭で考えればおかしな話がまかり通ってしまうというのが、この「不思議の国ニッポン」なのです。

 僕自身は、「原発は必要である」という議論にも、それが道理にかなったものなら耳を傾ける用意はあります。これまでもそうしてきたつもりですが、大方はおかしな具合に政治的、感情的で、説得力が乏しく感じられました。そこにあるのは、「いったん出来上がったシステムを変えるのは難しい。そうするとこれこれこういう多くの支障が出る」という話に集約される議論が大部分で、中には「反原発は反国家主義的心情の表われだ」というような、うがったつもりのおよそナンセンスなこじつけまであります(そうすると、福島原発の事故を受けて逸早く脱原発に舵を切ったドイツなどは「反国家主義者」の集まりでしかないということになるでしょう)。要するに、大方の原発擁護派は、「事故が起きたらエラいことになるが、それはめったに起こらないだろうし、起きてもその周辺の住民に『お国のための犠牲』と泣いてもらうしかないのだ」という安易さを隠し持っているのです。ご本人が自覚しているかどうかは別として。

 それは無責任な人間心理の表われとしては普遍的なものなので、僕はそれをことさら咎め立てしているのではありません。これを書いている今も世界のどこかで飢え死にしている人はいるだろうし、銃弾を浴びて殺されている人もいるだろうに、僕は平気で「今日の晩飯は何にしよう?」などとノー天気なことを考えているのです。他人の不幸は僕の不幸ではなく、僕にとっては僕自身と家族、親しい友人の不幸だけが“実質的”な不幸なのです。国内でも毎年三万人以上もの人が自殺し、それは十四年も続いているのに、僕は一向平気なのです。

 だからといって、激しい自責の念に駆られているわけでもない。人間というのは浅ましく、いやな生きものだなと、心の中でちよっぴり顔をしかめるだけです。ただ、「人間はいやな生きものだな」という、その苦い感覚だけは失いたくない。だから、「原発事故が仮にまたどこかで起きても、その周辺の人が塗炭の苦しみをなめるだけで、自分はその中には入らずにすむだろう」というような身勝手な思考を自分に許す気にはなれないのです。それを許せば、僕はもはや人間ではなくなってしまう。ときおり感じるこの「いやな感じ」は、自分の利己性と良心が接触する際、生じます。だからその感覚を僕は大事にしたいので、「ネガティブ恐怖症」の人たちはそういうことには耐えられないのかも知れませんが、この種の「いやな感じ」こそわが灯台であり、師匠なのです(自分がつねにその師匠の忠実な弟子であるとは、僕は言いません。それは嘘だからです)。

 脱線したので、話を戻します。要するに、何が「偏向」なのか、それはどういう基準・尺度で判断するかにもよる、ということです。僕の見るところ、小出先生は正直な、真実を愛する方です。党派根性からものを言う人でもない。そして今どきのインテリには珍しい、自分の言動に責任をもとうとする方です。きょうび、こんなに美徳を備えている人は一万人に一人ぐらいしかいないでしょう。テレビ文化人や肩書だけご立派な学者先生には絶無と言っていいかも知れません(いつもひとこと多くてごめんなさいね)。

 もう一つ、きちんとした情報を提供するのがメディアの仕事です。最終判断は視聴者、読者自身がそれぞれやればいい。その点でもあの番組のあのコーナーは欠けるところがない。「たね蒔きジャーナル」はその都度その都度得られた新情報(それは一般のリスナーには未知のものであることが多い)を小出先生に直接ぶつけ、それに先生がよく考えながらコメントなり解説なりを加えるという、聴いていて非常に勉強になるものだからです。その語り口は冷静で、やりとりを聴いているうちに、自然に問題への理解が広まり、深まってゆくという性質のものです。こんな番組、今どきめったにありません。

 ついでに、よけいなことも書かせてもらうと、僕はお茶目な水野さんのファンでもあります。たぶんあれは京都弁だろうと思うのですが、耳に心地よいあの丸みのあるきれいな声で、「ちゃいますの?」なんて独特のイントネーションで言われると、思わずにっこりしてしまうのです。“東京の近藤さん”のだみ声もすっかりおなじみになりました。自分の声と言葉をもつ三人の個性的で正直な人たち(ときどき水野さんの代わりを控えめな口調の男性が務めますが)が交わす会話としても、あのパートは出色のものです。

 だから、あの素晴らしい番組は残してほしい。やりくりが厳しいのなら、企業の中にも、ああいうよい番組は是非残すべきだと思う人はおられるでしょう。ソフトバンクとかユニクロとか、楽天なんかどうですか? 他に脱原発後の新技術を開発している会社なんかも、あれを残すために一肌ぬいでもらえませんかね? むろん、おかしなひも付きスポンサーとしてではなく、あくまで「企業の社会貢献」の一環としてです。

 最後に、この問題に関してはすでに多くのブログで取り上げられていますが(マスコミ報道はごく僅か)、その中から経緯をわかりやすくまとめてくれているものを一つ、ご紹介しておきます。

 ・「薔薇、または陽だまりの猫」


※追記 存続を求める署名運動が始まったようです。こちらです。ご協力下さい。
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