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いじめにおける「傍観者」の問題

2012.07.25(01:12) 162

【同じ問題ばかり扱って「くどい」と思われるかもしれませんが、一つ言い残したことがあるので、これだけ書いておきます。】

 大津市のいじめ自殺事件騒動の余波で、全国あちこちで起きている深刻ないじめ事件の報道が増えました(宮崎県でも少し前、高校生が仲間に川で溺れさせられる事件がありました)。これは要するに、マスコミ報道が行われなかっただけなので、いじめはふだんから実際にそれだけ多いということなのでしょう。いじめとは「認識」したくない学校側の隠蔽体質も関係するでしょうし、「加害者側の人権」(とりわけ彼らは未成年なので)に配慮するマスコミの姿勢も関係するのかも知れません。あるいは、単純にニュース・バリューがないと見られるからかも知れません。

 いじめの問題には当事者である子供(いじめる側といじめられる側)、学校や親の問題の他に、「傍観者」の問題があります。町なかでいじめが行われている場合は大人も含まれますが、学校内のそれなら他の子供たち、いわゆる「その他大勢」組の子供たちです。
 これは避けては通れない問題です。

 今からもう二十五年も前の話ですが、塾の高3の女子生徒から、弟の相談に乗ってあげてほしいと言われたことがあります。その弟は高1だが、学校をやめて別の高校を再受験したいと言っているというのです。それで彼と面談したのですが、やめたいという理由は「いじめ」だという話でした。僕はその子の姿をまじまじと見ました。からだが大きく、見るからに頑丈そうで、面構えもなかなかのものだったので、「悪いけど、君がいじめられているようには見えないんだけど…」と言いました。すると彼は「ボクじゃありません」と不機嫌に言って、クラスのある男の子が毎日3、4人の不良グループからいじめられ、カネも脅し取られているという話をしたのです。「それを毎日見ているのが苦痛だ」というのです。だから学校をやめて、一年遅れてもいいから、別の学校に行きたいと。

 「君がやめろと言っても、連中は聞かないわけ?」ときいたところ、彼は驚いたような顔をしました。それで、そんなことは一度もしたことがないのがわかったのですが、一人で言うのは勇気がいるのはわかるので、他のクラスメートと一緒に注意するとか、学校の先生に言って注意してもらうとか、色々やりようはあるだろうから、まずそれをやってみたらどうかと言いました。
 でないと、と僕は言いました。別の学校に行っても、そこでまたいじめがあったら、また転校しなければならなくなる。社会に出ても、会社にもいじめはあるから、今度は仕事をやめなければならなくなるし、君は一生逃げ回る羽目になりかねない。そんな人生、イヤなんじゃないの、と。
 僕は付け加えて、君がそれで「チクった」とか、「面白くない奴だ」というのでそのワルどもの新たなターゲットにされるようなら、そして先生も誰も助けてくれないようなら、僕が助けに行くよと言いました。だから、とりあえずやってみたら、と。

 彼は真剣な顔つきで話を聞いていました。その後、もう再受験の相談にやってこなかったことから、いずれかの方法で彼は動き、成功したのだろうと思います。

 悪質ないじめというのは、見ていて愉快なものではないので、周りの子供たちも強い不快を感じているはずです。だから、共同して止めに入るということは、やろうとすればできるはずなので、もう少しそういうことも考えたらどうかと思うのです。それでひどい仕返しをされるようなら、頼りになりそうな大人に相談すればいい(それが大津の事件の担任の体育教師や、校長のような人間では、いない方がマシなので、相談相手は選ばなければなりませんが)。

 ここで少し性質は違うかもしれませんが、僕自身の中3のときの体験をお話しておきましょう。当時、学校では「バズ学習」というのが行なわれていて、クラスを四つか五つの班に分け、班ごとに机を寄せ合って班単位で成果を競い合うようなことをしていました。僕はその一つの班の班長でしたが、同じ班のある男子が一人の女の子(勉強家で成績はトップ)に消しゴムか何かのことでしつこくいやがらせをしているのに気づいたので、「やめろ」と注意してやめさせました。ところが、これで僕は“報復”を受ける羽目になったのです。

 当時その中学には一大勢力をなす不良グループがいて、彼はその一員でした(バスで隣の市の百貨店に行き、集団万引きするなどという事件も起こしていて、わが学年は「最悪」と言われていました)。果たして、というべきか、彼は後で「おまえはオレたちから嫌われて、目をつけられてるのがわかってるんだろうな」と脅しました。それで「放課後、顔を貸せ」と言われたのです。ちょうどその日は生徒会の役員会があって、僕はそちらのメンバーでもあったので、「それが終わってからにしてくれ」と言い、彼はそれを待ち受けました。

 この後、どうなったか? 僕が相手をコテンパンにしたということなら大変カッコいいのですが、逆に僕の方がボコボコにされたのです。僕は“人間サンドバック”状態で、ほとんど無抵抗に殴られ続けました。顔が腫れ上がって、それが引くまで丸一月かかったほどです。その夜、風呂上りの僕の顔を見て、母親は「おまえ、太ったか?」と間抜けなことを言いました。翌日になってあざが出てきて、殴られたのがわかったのです。色白だったのでとくに目立ちました。

 これを言うと、「嘘でしょ?」とよく笑われるのですが、子供の頃、僕はたいそう学校受け・教師受けのいい「よい子」でした。その割に勉強はしなかったのですが、ど田舎の中学で、まだ高校進学者より中卒で就職する子の方が多く、勉強する子の方が少なかったので、相対的には成績も上位で、先生たちは僕が家でまるっきり勉強しない子だとは知らず、品行方正の鑑(かがみ)みたいに思われていたのです。家庭内ではそうではなかったとしても、僕は「決して悪いことはしない子」として有名でした。

 それで、ガンジーみたいな非暴力主義者でもあった、というか、僕は人を傷つけるのを極度に恐れていて、感情的に傷つけることさえ恐れたので、人にきついことを言うこともめったにありませんでした(僕の観察によれば、こうした強い“傷つけ恐怖”をもつ子供は一定数、つねに存在します)。できるだけ人とは仲良くするように努め、いじめなど論外だったので、僕に嫌なことをされたなんて記憶をもつ子供は、後輩にすら一人もいなかったはずです。恐ろしくて人を叩いたりなんかできるはずもなかったので、唯一の例外は、小学生のとき、弟が泣かされているところを見て、われを忘れて一目散に駆けつけて、相手の子を殴ってしまったときだけでした。その子が「ワーン!」と泣き出す声を聞いて、はっと我に返り、恐ろしいことをしてしまったと罪悪感に襲われました(そのときの情景と自分の狼狽を、僕は今でもはっきり思い起こすことができます)。

 しかし、この場合には、僕はいい顔をするわけにはいかなかったので、強く「やめろ」と言いました。それは班長としての責務だからです。僕は相手が不良グループの一員だということも、「よい子」の自分が彼らから敵意をもたれていることも、ともによく承知していました。彼は僕が殴り合いの喧嘩なんかできない子供であることはよく知った上で呼び出しをかけてきたのです。わざわざ彼らに「目をつけられてる」ことを告げた上で。

 学校側はこれをたんなる個人的な喧嘩として処理しました。母親はさすがにショックを隠せませんでしたが、当時は「子供の喧嘩に親が出る」ことはご法度だったので、動くことができませんでした。僕は翌日、そのきっかけとなった女の子に「どうしたの、その顔?」と聞かれたときも、理由をひとことも言いませんでした(男の子はそういうもので、そもそも僕は誰にも詳しい話はしませんでした)。僕にとって何より苦痛だったのは、それから一ヶ月、「その顔、どうした?」といたるところで聞かれたことです。大人の男性なら、「喧嘩して、やられたんか?」と言って笑います。僕はそれでも一日も学校は休まなかったのですが、その年頃の男の子にとって、それがどれほど屈辱的なことであるかはおわかりになるでしょう。

 一風変わっていたのは、父親の反応です。彼はある晩、こっそり僕を庭に呼びました。「おまえは馬鹿か」と彼は言って、棒みたいにぼんやり突っ立ってるからそんなにやられてしまうので、喧嘩のときのガードの仕方も知らんのかと、構え方をコーチし始めました。元がガキ大将だった彼には、昔やりすぎたという罪悪感があったのか、母がそういうことを嫌っていたためか知りませんが、それまで一度も息子の僕に喧嘩の仕方など教えたことはありませんでしたが、男の子にあるまじき息子の腑甲斐なさをまのあたりにして、防御の仕方ぐらいは教えておかないと駄目だと、そのとき思ったのでしょう。それから彼はパンチの出し方や、人間の急所はどこにあるかという話、大柄な奴に組みつかれたときはどうすればいいかという説明までしました。彼の教え方はいつも具体的・実際的で明確でしたが、そのときもそうでした。

 その他に憶えていることは、何でそうなったのかという理由はさっぱりわからないのですが、その不良グループのボスが、急に僕に親切になり出したことです。彼は親しげに僕に接近してきて、「おまえはいいなあ、笑いたいときは笑って、泣きたいときは泣く」と不可解なことを言い、皮肉を言っているのかと思いきや、全然そうではなく、それ以後親切そのものになりました。受験予定の高校の入試倍率が1.0倍になったとき、僕が気づくよりも先にその情報を得て、「おめでとう」とわざわざ言いにきてくれたのも彼でした(ちなみにそのボスは別の高校に行きましたが、勉強はよくできる方でした)。彼はにわかに“善良”になったのです(よく「いじめを止めたりすると、今度は自分がターゲットにされる」と言いますが、この場合は反対だったわけです。尤も、殴られたうえにさらにいじめを加えられたのでは、たまったものではありませんが)。

 話を戻して、今は当時の僕と同じような、「恐ろしくて喧嘩なんかできない」という子供は、男の子でも例外ではなくて「ふつう」になっているようです。だからなおさら止めるのが困難になっているのだと思いますが、共同して当たれば、それは不可能なことではないでしょう。自分だけひどい目に遭うこともなくてすむはずです。

 ちなみに、こんなことを言うと教育関係者には叱られるかも知れませんが、僕はそのとき、「男はやっぱり喧嘩が強くないと駄目だな」と痛切に思いました。つまらないことで喧嘩をするのはただの馬鹿ですが、ここぞというときはちゃんと戦って、しかも勝たねばならない、と。でなければいわれない恥辱を受けることになるのです。

 僕は中学当時、身長は学年で前から二、三番目、体重ときた日にはたぶん一番軽かったので、喧嘩しても勝つのは難しかったでしょうが、「こんなことではいけない」とそれまでのガンジー主義は放棄して、「正義は力をもたねばならない」というパスカル主義に宗旨変えしたのです。幸い、高校になると身長が急に伸び出して、隣家の伯母が「世の中の荒波をあれで渡っていけるのだろうか?」と真顔で心配してくれた「優しすぎる性格」(今なら「どこが?」と笑われること疑いなしですが)にも変化が生じたので、そんな目に遭うことは以後一度もなくてすみましたが、その心構えはずっと持続していたので、最悪の場合は“決闘”も辞せずということになり(マンガみたいですが、その対戦相手には、空手二段柔道初段合わせて三段と称する、「このオレ様に勝てると思っているのか、わっはっは」なんて豪語する大男も含まれていました)、そういうのを練習台に“修行”を積むことになったのです(二十代半ばで一応“卒業”しましたが)。

 大学生になっていたある年の夏、帰省した僕は偶然、かつて僕をボコボコにした級友と会ったことがあります。その頃は体格も同じぐらいで、並んで立ちながら、「今ならこいつをぶちのめせる」という思いが頭をよぎりましたが、昔のことは忘れて、邪気のない笑顔で挨拶している相手を、これはあのときのお返しだとぶん殴るなんてのは男らしいことではないと思いとどまりました(相手がそのときのことを持ち出して侮辱するなどすれば話は全く別だったでしょうが)。当時僕はたいそうお勉強のよくできる若者に変身していましたが、喧嘩のヘンサチの方も高くなっているのだということに彼が気づいたかどうか、それは知りません。

 僕は明確な戦争反対論者ですが、個人レベルで人にいわれなく暴力をふるう奴や卑劣な真似をする奴を、口で言ってもわからなければ、大怪我はしない程度に痛めつける、というのは許されることだと考えています(これは「道徳的に」なので、うまくやらないと刑法上はこちらが傷害罪に問われてしまいます)。大体、徒党を組んで悪さをするような奴(一人でやる場合にも、つねにグループの威勢をかっている)に、ほんとに喧嘩の強い奴なんていません。大方は人には残酷なことを平気でするくせに、自分が顔面に一発食らって鼻血を出せば、それだけで青くなってしまうような情けない連中です。殴らないまでも胸倉をつかんで壁に叩きつけ、「殺されたいのか?」と言えば、それだけで歯をガチガチいわせて命乞いする奴らなのです(これはむろん、迫力の如何にもよりますが、アワワ状態で震える奴を僕は何度もこの目で見たことがあります。そういうのがオヤブン面して傍若無人のふるまいをしているのだから、呆れた話です)。

 いっぺんそういう痛い目に遭わせてやればいじめもやむでしょうが、問題は、そんな荒っぽいことは今どきのふつうの真面目な子供にはできないということです。中学当時の僕にもそんなことはとうていできませんでした。だから教師がしっかりしていてくれればいいが、ごつい体格の体育教師(大津事件の担任)ですらあのフヌケぶりなのです。超事なかれ主義のあの校長も同じ。だから止められないのです。

 子供たちのなかにも正義感の強い子はいるでしょう。げんにあの事件の後のアンケートで、「止めればよかった」と何もせずにいた自分への反省を綴った生徒もいたという話です。

 だからそういうときは“共同戦線を張る”ことを僕は勧めます。それは生きた民主主義の勉強にもなります。勝手なことをする奴が出て共同体が破壊されそうになったときは、見て見ぬふりをするのではなく、自分たちの問題として、みずから進んでコミットして、解決に当たるのです。うっとうしいとか関係ないとか言って逃げない。権力には協力して当たらねば対抗できないのと同じで、一人でではなく、団結して対抗するのです。皆に「もうおまえらとは口も利いてやらない」と言われれば、悪ガキどもも応えるでしょう。それなら物理的暴力に訴えることもしなくてすむ。あの事件ではグループは僅か三人でした。対抗するのはかなりかんたんです。そういう対応を取れば、いじめられている子がどんなに救われた気持ちになるか、その子がワルどもに対抗できないのは、孤立無援の心細さも手伝っているのだから、事態は全然違ってくるはずなのです(教室で話し合いの場を設けて、そこで「恥を知れ!」と皆で罵倒してやってもいい。そしたらいじめられている子の気持ちも少しはわかるはずです。それで馬鹿な親が「ウチの子が傷ついた!」なんて怒鳴り込んできたときには、人を傷つけるのは平気でわが子だけ傷つくのは不都合だというのは一体どういう理屈なんだと、ついでにとことんやり込めてやればいいのです。そしたら親の方も少しはまともになるので、こちらは大人が引き受けるべき仕事です)。

 そういうふうに、周りの大人(それについては前々回書きました)も子供も、協力して事に当たれば、いじめを受けている子が自殺に追い込まれるような不幸な事態はきっと防げるでしょう。そう思いませんか? そういうことができてこそ、この社会は人間の社会と呼べるのだと、僕は思うのですが。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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