FC2ブログ

タイトル画像

名曲“Streets of London”の心

2012.07.16(17:59) 159

 ロンドン・オリンピックも間近ですが、僕はStreets of London という歌が好きです。訳せば「ロンドンの街角」みたいになって、おしゃれなイメージをもつ人がいるかも知れませんが、メロディも歌詞もシンプルなよい歌だとはいえ、そういうイメージからはほど遠い(後で歌詞とその私訳をご紹介します。URLもつけておくので、ゆっくりご鑑賞下さい)。

 この曲を僕が知ったのは、Mary Hopkinのカバーを通じてですが、元はシンガーソングライターのRalph Mctell(1944年生れの英国人)が作った。その後多くの有名なアーティストがカバーして、フォークソングの古典みたいになったのですが、最初発表されたのは1969年だったようです。それが74年にイギリス本国でシングルカットされて発売されると大ヒット、人々の心にいつまでも残る歌となったのです。

 思えばあの頃は和洋共に名曲がたくさん生れた時代でした。今、僕はMary Hopkinのカバーによってこの曲を知ったと書きましたが、彼女は1968年にThose Were the Daysで大ブレイクし、その可憐な容姿とも相まって「アップル(ビートルズのポール・マッカートニーが作った会社)の歌姫」と呼ばれた。そして、1970年の大阪万博に来日して、そこであの美しい歌声を響かせたのです。

 こういうのは、僕の場合、全部後で知ったことです。超がつくほどの山奥で育ち、山と川を駆けずり回るのみで、洋楽などというものは全く知らないまま育ったので、そういうものが入ってきたのは、高校になって寮に入ってからでした(自宅から通える範囲に高校が存在しなかったので、そうする他なかった)。当時の高校の寮には音楽があふれていました。それは70年のことですが、ショッキング・ブルー(「ヴィーナス」「悲しき鉄道員」)やアニマルズ(「朝日のあたる家」)、CCR(「雨を見たかい」)をはじめとして、洪水のように洋楽のヒット曲が耳に流れ込んできたのです。
 
 パソコンをいじるようになって、Youtubeで昔の曲をあれこれ聴くようになりましたが、当時は音楽に特別関心をもっていたような気はしなかったのに、キリがないほど懐かしい和洋の曲があるのに気づいて、今さらながら驚くのです。人間が時代の子だというのは本当で、僕みたいな音痴でも、とれほどたくさんの歌を聴いて、それに影響を受けていたかをずっと後になって知ったのです。

 むろん、「影響を受けた」といっても、外国の曲の場合、歌詞の内容などわかっていたわけではさらさらない。今はデカい面して大学受験生に英語なんか教えていますが、僕の高校入試時の英語の点数はかぎりなく零点に近かったと思われるので、中一の時点ですでに落ちこぼれていたのだから、それで英語の歌なんて、いくら聴いても聴き取れる道理はなかったのです(英語が零点でも合格するとは、さぞや他の科目はよくできたのだろうと思われるかも知れませんが、そちらも甚だよろしくなかったのです。落ちるのは本人も周囲も覚悟で受験した――その場合は二次募集でどんなガラの悪い学校でもいいから潜り込めばいいと考えていた――のですが、その年、僕が受けた高校だけ、奇蹟のように倍率が1.0倍になって、ビリで入学が認められたのです)。

 しかし、歌というものは、言語とは無関係に、それぞれが特有の情緒の流れのようなものをもっていて、それが人を感応させるのだろうと思います。

 60年代後半から70年代にかけての歌には、乱暴な言い方をすると、妙にうら哀しげなトーンがあった。和洋いずれの曲にもそれは当てはまると思われるので、あの哀切さ、郷愁のようなものは何だったんだろうと、僕は時々考えるのです。
 当時の洋楽にはどういうわけだか「悲しき――」とか「悲しみの――」とかいった邦訳タイトルがつけられていました。枕詞のようにそれをつけていたので、ローリングストーンズのアンジーなんかも「悲しみのアンジー」となっていました(昔の喫茶店にはジュークボックスがよく置かれていたものですが、東京・杉並区に住んでいた頃、行きつけの店で僕はよくこの曲をかけました)。そういうのをつけないと売れないとでも思っていたのか、とにかくやたらとそれが多かったのです。

 先に触れたMary Hopkin(マリーでもメアリーでもなく、メリー・ホプキンと表記されていた)のThose Were the Daysも邦題は「悲しき天使」となっていて、これはタイトルからいっても、内容からしても、何でそんなタイトルになったのかよくわからないのですが、悲哀感を漂わせた曲であるのはたしかで(元はロシア民謡。ちなみに、加藤登紀子&長谷川きよしのヒット曲「灰色の瞳」もそうです)、忠実に訳せば、「そんな時代もあったわね」ぐらいになると思いますが、レコード会社には“悲しき”と入れないとナットクできないところがあったのでしょう。

 ずっと後になってから、僕はその歌詞の意味を知り、うらぶれた中年女性が若かりし頃の夢と力に満ちた仲間との輝かしい日々(まさに「古きよき時代good old days」)を回想したこんな哀愁感漂う歌を、まだはたちにもならない若い娘がどうしてこれほど情感たっぷりに歌うことができたのだろうとあらためて感嘆したのですが、高校生になったばかりの僕がこういう曲に(意味は知らなかったとはいえ)どうしてあれほど強い感銘を受けたのかも不思議です。とにかく、それは当時の僕にとって最も印象に残る曲となった。

 ラルフ・マクテルのこのStreets of Londonもそのような味わい深い名曲の一つです。どういう内容の歌か、最初に英語の歌詞を、その後に和訳をつけてみましょう。

Have you seen the old man
In the closed-down market
Kicking up the paper,with his worn out shoes?
In his eyes you see no pride
Hand held loosely at his side
Yesterday's paper telling yesterday's news

So how can you tell me you're lonely,
And say for you that the sun don't shine?
Let me take you by the hand and lead you through the streets of London
I'll show you something to make you change your mind

Have you seen the old girl
Who walks the streets of London
Dirt in her hair and her clothes in rags?
She's no time for talking,
She just keeps right on walking
Carrying her home in two carrier bags.

So how can you tell me you're lonely,
And say for you that the sun don't shine?
Let me take you by the hand and lead you through the streets of London
I'll show you something to make you change your mind

Chorus

In the all night cafe
At a quarter past eleven,
Same old man is sitting there on his own
Looking at the world
Over the rim of his tea-cup,
Each tea last an hour
Then he wanders home alone

So how can you tell me you're lonely
Don't say for you that the sun don't shine?
Let me take you by the hand and lead you through the streets of London
I'll show you something to make you change your mind

And have you seen the old man
Outside the seaman's mission
Memory fading withThe medal ribbons that he wears.
In our winter city,
The rain cries a little pity
For one more forgotten hero
And a world that doesn't care

So how can you tell me you're lonely,
And say for you that the sun don't shine?
Let me take you by the hand and lead you through the streets of London
I'll show you something to make you change your mind

 (私訳)
見たことがないだろうか
店じまいしたマーケットで
ボロ靴をはいた老人が
新聞を蹴り上げ
それを手に取ろうとするのを

目には矜持(きょうじ)のかけらもなく
手はだらりと下がっている
昨日の新聞は昨日のニュースを教えてくれるだけなのに
自分はひとりぼっちで
お日さまが自分を照らすことはないなんて
あなたはどうして言えるのか
ぼくにあなたの手を取らせておくれ
ロンドンの街を案内してあげたいんだ
あなたの気分を変えられるものを
見せてあげるよ

見たことがないだろうか
ロンドンの通りを歩く
髪は埃まみれの ボロをまとった
年老いた女性を
彼女は誰とも口を利かない
ただただ歩き続ける
二つのキャリーバッグが全財産

自分はひとりぼっちで
お日さまが自分を照らすことはないなんて
あなたはどうして言えるのか
ぼくにあなたの手を取らせておくれ
ロンドンの街を案内してあげよう
あなたの気分を変えられるものを
見せてあげるよ
 
   (間奏)

オールナイトのカフェで
11時15分
いつもの同じ老人が一人ぼっちで座っている
ティーカップの縁(ふち)越しに
世の中を眺める
毎度一杯のお茶で一時間ねばり
それからひとりとぼとぼと家路につく

自分はひとりぼっちだなんて
どうしてあなたは言えるのか
お日さまが自分を照らすことはないなんて
言わないでおくれ
ぼくにあなたの手を取らせてくれ
ロンドンの街を案内してあげよう
あなたの気分を変えられるものを
見せてあげるよ

見たことがあるだろうか
その老人を
元は水兵だった彼
身につけた勲章のリボンと共に
かつての記憶も今は色あせた

冬ざれたこの街で
雨は悲しげな叫びを洩らす
もう一人の忘れ去られた英雄と
それを気にもかけない世間のために

自分はひとりぼっちで
お日さまが自分を照らすことはないなんて
あなたはどうして言えるのか
ぼくにあなたの手を取らせておくれ
ロンドンの街を案内してあげよう
あなたの気分を変えられるものを
見せてあげるよ


 …というような歌詞なのですが、いかがでしょう? 歌詞なので一応それらしく訳したつもりですが、多少の不細工は我慢して下さい(中に出てくるon his ownは「ひとりぼっちで」とか「独力で」という意味の、大学受験生には必須の熟語です)。
 それでも、いたわりに満ちた作者の優しいまなざしはよく伝わってくるでしょう。別に道徳的なお説教でも、社会改革を企てようという声高な呼びかけでもない。「上から目線」の憐れみでもありません。一般的に言えば社会を落伍した、孤独のあまり心もかたくなになってしまったホームレスや日陰者の老人を見る優しいまなざしがそこにあるのです。

こういうのを日本語では「情(じょう)」と言いますが、それがその後急速に失われてしまった。それはたぶん文明国共通の現象だったのでしょう。
 今ふと気になったので、あの電車やバスの「シルバーシート」なるものは一体いつできたのかとネットで調べてみました。すると、こうあります。

「1973年9月15日(敬老の日)、国鉄が首都圏の中央線快速電車にそのような座席を設置するにあたり、銀色の布地(新幹線普通車座席用の布地を転用したもの)を用いて座席を区別し、「シルバーシート」と名づけたことが始まりである。このことをきっかけに、「シルバー」という言葉で婉曲的に高齢者を指す用法が普及したともいわれる」(はてなキーワードより引用)

 そうすると、それ以前はそんなものは存在しなかったのです。別に老人に冷たい社会だったからではなくて、乗客の間でお年寄りや妊婦、からだの不自由な人たちには席を譲るということが自然に行なわれていたからでしょう。げんに僕は小さい頃、バスで父親が老人に席を譲るのを何度も見たことがあります。彼は無愛想で有名でしたが、そういう優しいところがあったので、自分で車を運転するようになってからは、老人や重い荷物をもった婦人が歩いていたりすると必ず車を止めて、どこに行くのかと聞いて、回り道でも家の前まで送り届けていました。父だけでなく、当時の大人にはそういう親切心があった。子供の僕は、短気でわが子にはしよっちゅうゲンコツを食らわすのに(元が近在に鳴り響いた悪童であった彼は、怒ると恐ろしい人間でした)、何で他人にはあんなに親切なんだろうと、それを不満に思ったことさえありました。
 これは田舎の話ですが、都会でもそう変わらなかったはずで、条件反射のようにそのような対応をする人は少なくなかったでしょう。そういう対応が板についたものとして自然にできる人々が減って、そんなわざとらしい座席を設けねばならなくなったのが、その頃だったのかも知れません。

 あの当時の郷愁に満ちた、どこがもの哀しげな多くの楽曲は、そうした失われかけた人間的な心への愛惜のような意味合いを、つくった人たちがそれと意識しているかどうかは別として、もっていたのかも知れません。己の利害得失以外には何の関心もなく、心の彩り(それは自然や季節とも深く結びついていた)というものが失われたのが、今という時代の特徴のように思われるからです。

 僕がやりきれないと思うのは、今は生活保護のような社会的弱者救済の制度まで、「もらえるものならもらわないと損だ」みたいに、不正に受給しようという人が急増しているらしいことです。それが人々の税金を原資としていることは忘れ去られる。役所を窓口にしているだけで、本来は国民同士の助け合いの制度なのです。金持ちは金持ちで、応分の社会貢献はしようとせず、さらに資産を増やそうと有利な投資先を求めて血眼になっている。そうして既得権益をもつ各種組織や団体は、社会的な是非善悪の考えはなしに、あらゆる改革に反対して、自分たちの権力と利益を守り抜こうとする。

 要するに、そこには利己的な自己関心のみあって、ああしろ、こうしろと政治や社会に要求だけして、そこから奪おうとするが、自分がそこにお返しすることは考えない、まことに身勝手な人たちがいるのです。そのような人たちの心の中には社会性を欠落させた損得勘定以外のものは何も存在しないでしょう。それは詩に詠むこともできなければ、歌にすることもできない。そういう人には抒情というものがないから、メロディは成立しないのです。上から下までそういう人間ばかりになれば、むろんこの社会は崩壊します。

 金持ちであろうと貧乏人であろうと、利己的な自己関心に凝り固まった人ぐらい不幸なものはありません。閉ざされた心は我欲と自己憐憫に塗り込められていて、そこに光は届かないからです。悲しみも喜びも、それは他者への開かれた心が、同情、共感がなければ生れません。自分のことしか考えられないのは、人間がかかりうる最悪の病気です。
 その人がどんな社会的地位、職業についていようと、ハートがなければ人は何一つよいことはできません。逆に言えば、ハートさえあれば、そのとき自分が何をすればいいか、それが教えてくれるのです。

 前回書いた例の大津の公立中学のいじめ自殺事件にしても、ああいう悲惨な事件が起こるのは、そこにハートが欠落しているからです。とりわけ関係した教師たちといじめっ子の親たちのハートの欠如ぶりには驚かされます。彼らは子供の教育を、子育てをネグレクトしているも同然なのです。何が悪いといって、「感じる心」なしに子供と接することぐらい悪いものはありません。できそこないのロボットみたいな人間に、人は育てられないのです。

 昔もいじめはありましたが、それにはおのずと限度があったし、弱い子をいたわる優しい心は、悪ガキたちの間にさえあった。僕には分校(小3まで通った)の頃から、中学卒業までずっと一緒だった知恵遅れの同級生が一人いました。当時の田舎には特別学級なんてものは存在しなかったから、彼は皆と同じ教室で授業を受けていたのですが、誰も彼をいじめる子なんかいませんでした。のけものにすることもなかった。だから彼は、学校の勉強は早い段階でわからなくなり、“お客さん”状態で授業を受けることになったのですが、喜んで学校に通っていたので、同じ地域の子供たちは、遊びに行くとき、彼が危ないことをして怪我をしたりすることがないよう、いつもそれとなく注意を払っていたのです。彼をいじめる子が出たときなどは、喧嘩の強い子がそいつに一発食らわして、一件落着したのです。

 中にはこういう変わったこともあった。中学に入学したとき、休み時間に三年の喧嘩自慢の悪ガキたちが数人ドカドカと教室にやってきて、「おまえら、副担の○○先生にナメた真似をしたら、オレたちがただではおかんからな!」と脅したのです。

 その○○先生は理科の担当でしたが、前年か前々年の夏だかに日本脳炎にかかって、それまでは頭のいい、活発な、生徒たちから人気のある先生だったのが、深刻な後遺症が残って、言葉にも支障が出るようなおかしな状態になってしまったのです。元は気の強い人で、自分はそんなものにはかからないと、予防注射を怠ったのが原因だったようですが、僕らが初めて会ったその先生は、冴えたどころの話ではありませんでした。

 それで悪ガキたちは、僕ら一年坊主がその先生に失礼な真似をしかねないと、事前に警告を発しに現れたのです。彼らには子供らしい正義感があり、また、その先生の元気な頃のことをよく知っているだけに、強い同情を感じていたのでしょう。

 僕は個人的にその先生と親しく接し(担任の先生も一緒に、川でエビを取りたいというので、友達とそのとり方を実地に“指導”したことなどもいい思い出です)、教員宿舎を訪ねたこともあったので、今でもその先生のことはよく憶えているのですが、その先生がうまくろれつが回らない舌で一生懸命話す傍らで穏やかに微笑している奥さんの表情の奥には、悲しみの色が見えました。善良この上ない、優しい先生でしたが、悲劇の影がそこには漂っていたので、それが今も記憶に残っているのです。

 教育というのは、そういうことも含めての教育なのであって、今の学校というのは一体どういうことになっているのだと思うのです。親たちにしても、仮に僕があのいじめ事件のようなことをしたとしたら、両親にこっぴどく叱られるだけではすまず、父親に殴り殺されていたのではないかと思います。いじめを受けている子が自殺するずっと以前に事情を察してそうなっていたはずで、そういう予想がつく子供は、あれこれ悪戯はしたとしても、あそこまでひどいことはしないはずなので、ああした不幸な事件は起きようもないのです。

 よけいな能書きが長くなってしまいましたが、僕が言いたいのは、人間はハートを失ったらもう終わりだということで、ああいう事件の背後には、ハートのない大人たちの姿がつねにあって、かんじんなことを教えない、教える能力がない今どきのオトナのお粗末が大きく関係しているのではないかということです。真に憂うべきはそのことです。

 それでは、Streets of Londonをお楽しみ下さい。僕の好きなホプキンのカバーも一緒にご紹介しておきます(広告はスキップして下さい)。

Ralph Mctell Streets of London
Mary Hopkin Streets of London

スポンサーサイト





祝子川通信 Hourigawa Tsushin


塾通信 トラックバック(-) | コメント(-) | [EDIT]