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Gone with the Nuke

2012.06.20.17:21

 これはむろん、有名なGone with the Wind(「風と共に去りぬ」)のもじりです。「原発と共に去りぬ」ということにならないかどうか、僕はそれを心配する者の一人です。

 何が「去る」のか? それは日本民族であり、悪くすれば人類全体です。それは去って、二度と帰ってこない。そのような最悪のシナリオもありうるのだと心配している人は、国内よりもむしろ海外に多いのかも知れません。

 先日、延岡で開かれた小出裕章先生の講演会でも、最後の質問の時間に、福島第一原発4号機の使用済核燃料プールが倒壊したらどうなるんですか、と質問した人がいました。先生の答は、あそこにある放射性物質はセシウム137にして、広島原発5,000発分に相当する、というものでした。仮にそれが全部“放出”されたとすれば、汚染地域は本州の全面積にほぼ等しい範囲になる…。

 もちろんそれは必ずそうなるという意味ではないでしょう。しかし、4号機の燃料プールだけでそれほどの“潜在的破壊力”を秘めているというのは、驚くべきことです。福島第一原発にある放射性物質を全部合わせたら、どういうことになるか? さらに、他の原発もそれに加わったら…。日本消滅どころの話ではないので、世界が終わってしまいかねません。

 こういうことを言うと、「そのような荒唐無稽な仮想話をあたかも現実的な可能性をもつ話であるかのように吹聴するのはけしからん!」と叱られてしまうでしょう。たしかに、日本全体を巨大地震が襲って、一度に全原発が事故を起して爆発するなどということはまずないでしょう。しかし、東電は「補強工事をしているから、あの4号機燃料プールは安心」などと言っても、十分な科学的根拠があるわけでは毛頭なさそうなので(これまでもつねにそうでした)、誰も信用はしないのです。あそこにある燃料棒を安全に取り出すことさえ至難の業だという。「大丈夫です。心配しないように」と言われても、誰が「大丈夫」だなんて思えますか?

 この前も金冠日食に事寄せてちょっと書きましたが、正確な予測はできないまでも、東南海地震は遠くない将来にいずれ必ず来るそうです。ペキペキと割れたプレート境界のそのひび割れは、日向灘にまで達する可能性が高いのだという(そういう巨大地震が300年前後の周期で過去に起きていて、前回からすでに305年が経過し、かつ明らかに地震の活動期に入っている)。それだけでも大惨事ですが、各地にある原発がそのとき無事にすむとは思えないわけで、少なくともそのうちの二つ、三つはやられてしまうだろうと、僕は予想します。そうなれば、ほぼ間違いなくわが国はジ・エンドになってしまうでしょう。累は当然、世界中に及びます。

 そういうことを考えると、原発の再稼動がどうのと大平楽なことを言っている場合ではないので、原発は全部停止したとしても、それだけで安全になるわけではないのは福島第一の4号機の例を見てもわかることなので、止めた上で、安全対策をさらに講じる必要があるのは明白です(原発の稼動によってこれまで大量に蓄積された高レベル核廃棄物の処理については白紙のままですが、それはひとまず措くとして)。

 この前の福島原発の事故は、大地動乱の時代が始まることに対する“最後の警告”だと、僕らは受け取らなければならないのではないでしょうか。あんなアホな装置(どういうふうに“アホ”なのかということに関しては、もはや説明は不要でしょう)をたくさん作ってしまったことは、今となっては仕方がない。それは仕方ないとして、全部止めた上で安全策をさらに講じ、電力供給の方は原発に頼らずにすむように手当てをして、乗り切るしかないのです。それを行なう能力は、日本人はもっているだろうと僕は思います。

 政府の試算によれば、関西地区のこの夏の電力は15%不足する。だから大飯原発を再稼動せざるを得ないのだということでそれが“決定”されたわけですが、何で原発抜きで何とかする、という方向に行かないのでしょうか? 病院が停電すれば、患者さんの命に関わる? だったら、病院は停電しないように、健康な人間がクーラーを我慢するとか、すればいいのではありませんか? 企業の生産活動に支障が出ると言ったって、命あってのものだねでしょう?

 原発の危険性に目覚めた多くの人が恐れているのは、今回の大飯原発の再稼動をきっかけに、一つまた一つと、停止中の原発が再稼動され、「やはり原発は必要だ」という声と、「気をつければ事故なんか起きないのだ」という声が再び支配的になってしまうことでしょう。
 「必要悪」という言葉は、広辞苑の定義によれば、「悪ではあるが、社会の現状からいって、それが(やむを得ず)必要とされるような事柄」のことなのだそうですが、原発はまさにそれなのだということにされてしまうのです。

 しかしその「社会の現状」なるものは、政府(長く続きすぎた自民党政府!)と電力会社(そして“洗脳”された僕ら国民)によって作り出されたもので、それがまことによろしくないものであるということが、今や誰の目にも明らかになったのです。それはべつだん変えられない人間性のようなものではなく、人為的なシステム、しかも社会全体からすればごく一部のシステムにすぎないのです。それが明白に不都合なものであるとわかったなら、そのシステムを変えるのがまずやるべきことでしょう。

 原発に依存しすぎた原発立地自治体の問題も、そのシステムの、「社会の現状」の一部ですが、それもまた改められなければならない。昨年の福島原発事故の例を見てもわかるように、いったん事故が起こると、それで他の産業も壊滅的な打撃を受けてしまうのです。それ以前に、生活の場が、健康そのものが奪われてしまう。過疎対策、地域経済振興政策として原発をもってきたことは、それ自体が間違いだったのです。今はまだ事故が起きていないからいいのだと言うのは、投げやりすぎる態度でしょう。

 原発がないと立ち行かないような自治体を作ってしまったのは政府と電力会社の罪です。しかし、原発自治体が「背に腹は代えられない」とその現状によりかかろうとするのは、控えめに言っても賢明なことではないでしょう。政府と電力会社は責任があるので、そうした自治体が原発抜きでやってゆけるように、しばらく経済援助をするのは義務だと僕は思います。むろん、それが生活保護に安住して、自立をはかる努力をしない人たちのようになってしまってはよろしくないと思いますが(ついでに申し添えれば、僕は生活保護自体が悪いなどと言っているのではありません)。

 要するに、あんな大地震や津波はめったにあるものではない、だから深刻な原発事故も起きないだろうから大丈夫だろう、というのが実際のところなのでしょう。早く稼動させないと地域の雇用や経済に深刻な影響が出てしまう。交付金等の問題もある。しかし、万が一事故が起きると、責任を問われる。事故が起きないまでも、反原発の世論の中では原発を再稼動させるだけで悪者にされてしまう。だから自治体の長としては、自分たちが決めたのではなく、政府の決定に従ったのだということにしたい。責任は第一義的に政府にある。そういうところで駆け引きがあって、政府の要請に基づいて、ということになったのだろうと思います。

 僕はそのこと自体をとやかく言う気はありません。しかし、いずれにせよそういうところで責任問題を云々すること自体が無責任です。なぜかといえば、事故が起きたときの責任が誰にあるかを明確にしておいたところで責任は取りようがないので(首相が謝ればすむというものではない)、危険があるのはわかっているのだから、その危険を回避するのが真の責任というものだからです。原発事故の危険は他の事故のそれとは性質も規模も違うのです。そのことを昨年の福島原発の事故で僕らは「学習」したのではないのですか?

 結局のところ、昨年のあの巨大地震は稀なもので、当分そんなものは起きない、だから大丈夫だろうから、電力不足の“現状”に鑑みて、原発を再稼動させましょう――そういう希望的観測に基づく対応でしかないのです(「安全対策」がさかんにアピールされていますが、机上でシュミレーションして、震度6、7でも大丈夫、津波対策もオッケー、などと言っても、災害の方がそれに合わせてくれるとはかぎらないので、「見落とし」がつねにあるのが災害というものなのです)。

 「日本人は困ったものですな。たった一度の事故でこんなに大騒ぎになって、センチメンタル、ヒステリックになってしまう。冷静な現実的判断力を失ってしまうんですから…」

 したり顔にそんなことを言う人(オトナの現実主義者を自認しているつもり?)がいますが、彼らは放射能で深刻に汚染された地域の人たちがどんな目に遭っているかは考えていないし、福島第一原発の廃炉作業がどれほど困難を極めるものであるかも都合よく忘れているのです(二、三十年ではとうてい足りない、それが専門家たちのほぼ共通した見解です)。まともな感性の持主なら、そういう事故は絶対に二度と起こしてはならない、可能性が僅かでもあれば、それは避けるべきだ、と思うでしょう。もう一箇所、別のところで類似の事故が起きたらどうなるか? 完全にアウトです。「経済活動を維持するためには“現状”では原発は必要だ」と言っている人たちは、なぜその可能性を真剣に考慮しないのでしょう? そうなったら、そのお大事な「経済」も根本から崩壊してしまうのです。

 「トイレのないマンション(核廃棄物の始末のことはomitしたままだから、そう呼ばれる)」原発は、元々目先のことしか考えない刹那主義的な思考の産物だったと言えるでしょう。赤字国債や年金の問題でも同じでした。未来の世代のことは考えず、目先の利害と安楽だけを追求する。個人に置き換えるなら、それは見境のない放蕩生活を送ってきた人間と同じです。それはいずれ破綻に追い込まれる。そのとき、この人が立ち直ることができるのは、その生活をきっぱり改めることによってのみです。それは楽なことではない。払いきれない借財は残っているし、信用も失われている。それでもその気になって一心に努めれば、返済の道も開けてくるし、失われた信用もいずれ回復されるでしょう。「仕方なかったのだ」と言い訳して、中途半端なまま自己正当化の手立てをあれこれ考えるような人に未来はありません。今の日本もそれと同じではないでしょうか。正直に自分の愚行と現実の深刻さを認めて、“体質”を根本から改めるしか出直しの道はないのです。

 今回の台風4号でも、僕がひそかに心配したのはあれが勢力を保ったまま福島を直撃することでした。風速30mもの突風があの崩れかけた原子炉建屋に吹きつけたら何が起こるか知れたものではない…そう案じられたのですが、ニュースを見ていても、原発周辺からのリポートはまるでない。意図的にそれを外しているのではないかと思ったほどですが、幸い、台風は手前で急に進路を変え、太平洋側に向かいました。それは何らかの見えない力が働いたかのようでした。

 運頼みで安全を期するようなことは、しかし、今後あってはなりません。大飯原発の再稼動で「再稼動の連鎖」が始まるようなことは許すべきではありません。「原子力村」がひそかにそれを画策しているようなら、マスコミはその動きを暴かねばなりません。それが彼らの仕事です。

 そして秋になったら大飯原発は再び停止して、政府と電力会社は代替電力の確保に全力をあげるべきでしょう。小出先生の延岡の講演でも、「原発は“海あたため装置”である」というおなじみの話が出ていました。要するに、そこから生み出される熱の僅か三分の一しか発電には使われておらず、残り三分の二は海に捨てられて海温を上昇させ、深刻な生態系の破壊を惹き起しているということですが、原発はエネルギー効率の観点からも劣悪な発電システムなので、他の発電装置の方がずっとよい。火力発電などは、最近では非常にエネルギー効率のよいものがすでにできているという話を、以前広瀬隆さんの文章で読みました。他にも地熱、潮力、風力などで、技術的に大きな可能性があるものはいくらもあるでしょう。核燃料サイクルなどという馬鹿げたものに莫大な資金を投じるなら、なぜそちらにお金を使わないのか、そう思っている人たちはたくさんいるでしょう(それが新技術、新規雇用を生み出すのは確実です)。

 僕は消費税を上げることには反対しません。上げてもいいが、その税金をいいことに、実質的に意味のあることに使ってもらいたいと思うのです。それなら払い甲斐があるというもので、下らないことに使われるから腹が立つのです(原発の場合も、停止後の保守管理の万全を期すことにお金――電気料金には税金が上乗せされている――が使われることには反対しない。それは放蕩の後始末が避けられないのと同じです)。

 新しい原子力規制庁がどうのこうのという話も、今後も原発を使い続けることを前提にした話であるなら、それで「安全」が担保されるということにはなりえないと、僕は思います。原発はもうやめるべきです。「続ける」というのなら、どうしてそうしなければならないのか、政府と電力会社はその理由を列挙した文書を国民に示すべきでしょう。そうすれば、国民自らがその可否を判断することができる。それをやらないのは、その理由が十分なものではないからなのでしょう。姑息なことをいつまで続けるつもりなのですか?

 なし崩しに再稼動を認め、見せかけだけの「改革」をやるだけでは何も変わらない。そしてまたいつか(遠くない将来)悲惨な原発事故は起こるでしょう。
 そうして、“Gone with the Nuke”ということになる。それは火を見るより明らかです。

 わが国は目下、年間自殺者3万人超という不名誉な記録を14年も更新中ですが、最後に“集団自殺”がやってくるわけです。それほど愚かな国民だとは、僕は思いたくありません。これを読まれた皆さんも同様でしょう。
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