FC2ブログ

サイコパスと宗教~オウム事件をめぐる中年オヤジの電話対談

2012.06.08.18:03

「菊地直子が逮捕されたそうだね」
「ああ。さっき僕もテレビのニュースで見たよ。ぽっちゃりしていたのがひどくやせて、痛ましい感じがした。まあ、愛する人ができて、それほど不幸せではなかったのだろうけど、入信したのがあんな殺人教団でなければ、おかしな犯罪の片棒を担がされることもなかったはずで、責任がないとは言わないけど、何かかわいそうな感じがしたよ」
「下っ端だったわけだから、そんなに詳しいことは知らなかったんだろうね」
「と思うね。何かよくないことの手伝いをやらされてるってことは薄々気づいていたろうけど、それが無差別殺人に使われたと知ったときは、ショックだったんじゃないかな」
「俺がこの前言った、NHKスペシャルの『オウム真理教』は見た?」
「再放送で全部見たよ。僕にはどうもあの『再現ドラマ』ってのはなじめなかったけど」
「ああいうのはどうしてもクサい芝居って感じは免れないからね。でも、深山織枝役の冨樫真って女優は美人じゃないか? 独特の存在感があるし」
「たしかに、あれは彼女のおかげで何とか見られるものになっていたけど、僕に一番面白かったのは、やっぱり第三部だな。宗教法人だというので遠慮があって、波野村の警察の捜索が遅れて、その間に情報がオウムの側に洩れて、事前にヤバいものは隠したから武器を発見し損ねたとか、一斉捜索の日時が、地下鉄サリン事件の二日後に設定されていて、ああなってしまったとか、あれは必ずしも警察擁護の言い訳とは思えないので、間が悪かったと言うしかないところがあったんだろうね」
「おまえはずっと前に、『麻原はサイコパス(精神病質人格)だ』って言ってたよな? そのあたりは考えが変わった?」
「変わらないよ。むしろ、あらためてその思いを強めた。あの番組の中で何度も麻原の肉声テープが出てきたろ? 彼の声には抑揚が乏しいというのか、深い感情というものが感じられないところがある。どこにも真情がないとでも言えばいいのか…。何で誰もヘンだと思わなかったのかな?」
「おまえは『人間は声を聞くだけでもかなりのことがわかるものだ』と言ってたからな。だけど、彼はなかなかいい声の持主じゃないか?」
「それは僕も認めるけど、深みや人間味というのはそういうのとはまた別だよ。正直な人の声にはそうした人柄が自然に出る。サイコパスの特徴の一つは浅い感情しかもてないことだけど、彼の声にはそれがよく表われていると思う。怒鳴り声ですら、何か異様に平板なんだよ。“悟った”人間は感情を超越しているので、ああいうふうになるんだと、信者たちは思ったのかな? あらためて考えてみると、カルト宗教とサイコパスの組み合わせは最悪だ。モラル無用のサイコパスの特徴を、“聖人”という180度違う文脈で解釈して、とことん誤解することになりかねないからね。麻原が最初の殺人指令を出して、その後幹部をうまく支配していったあたりも、絵に描いたようなサイコパスのやり口だと思う。オウムの特徴の一つは人もうらやむ高学歴の若者が多かったことだけど、彼らお坊ちゃまはワルの世界なんか知らないから、そういうのが全く見抜けなかったんだろうね」
「それはどういうこと?」
「要するに、あれはこういうことだったんだろ。最初に一人の信者の死亡事件が起きた。1988年の9月のことだ。それは偶発的なもので、何ら犯罪性はなかったが、麻原と幹部たちはそれを隠蔽することにした。教団の施設内で儀式を偽装してそれを焼いて、遺骨は近くの湖に流したんだな。ところが、その一部始終を目撃して、これに強く異を唱えた信者が一人いた。もう麻原もオウムも信じられないということで、彼は脱会すると言い張った。それで彼は独房に監禁されたが、麻原と主だった幹部たちは会議を開いて、説得に応じないなら殺すしかないといって、殺害を決めた。麻原の命令のもと、早川、村井、新実、岡崎、大内といった面々がその実行に当たった。思えば、一番感性のまともな信者が最初に殺されたんだな」
「それが最初の、田口修二さん殺害事件か。あれは翌年の話だっけ?」
「そう。真島さん死亡事件から四ヵ月後の89年2月のことだ。なぜそうまでして死亡事故を隠蔽しようとしたのか? オウムは東京都に宗教法人の認定申請をしていた。その認可が下りる妨げになるというのと、教勢拡大にもマイナスになると考えたんだろ。その程度のことで人を、しかも身内の信者を殺すかと思うけど、サイコパスにはそんなもの、大したことじゃないからね。むしろそういう“妨害”には我慢できないってのが、彼らのパーソナリティの特徴だ。麻原は『そうなると救済計画が遅れる』とか何とか尤もらしい屁理屈をつけて、何せ『最終解脱者』が言うことだからと、幹部たちはそれに従うことになった。幹部たちの中には権力の味を知って、それを手放したくないという心理から賛成した者もいたのだろうけど、多くは深刻な葛藤があったはずだよ」
「あの『再現ドラマ』によれば、殺害後、一番深刻な動揺を見せたのが新実智光だったようだね。彼はほとんどの殺人事件に関与して、例の独特の薄笑いとも相まって、凶悪な男のように思われたようだけど」
「じっさいは違うんだろうね。必死に自分を納得させようとして、麻原を神格化して盲従し、逆に殺人を重ねる羽目になった。僕がさっき言ったワルの話というのはね、これは詳しく調べてみるとそういうケースが少なくないのがわかると思うけど、ボスが典型的なサイコパスの場合、子分に命じて、殺人でなくても何か深刻な違法行為をさせる。すると当然罪悪感が生じるわけだけど、ボスにとってそれは都合のいいことだ。そういう疚しさ、心の負い目は彼らの弱みとなって、ボスに弱みを握られた気の弱い子分たちは、その後もボスの言うことを聞き続けるしかなくなる。犯罪組織やチンピラ集団には、ボスがサイコパスで、子分たちの多くは人一倍気の弱い連中だってことがかなりの率であるだろうと思う。前に久留米の看護師四人が、夫に保険をかけて次々殺していったという事件があったけど、主犯格のYというあの看護師は間違いなくサイコパスだよ。子分の看護師たちは自分の後ろめたさをいいように操られて保険金殺人に協力させられるようになった。サイコパスにとって気の弱い善人ぐらい利用しやすいものはない。いったん悪事に手を染めさせられたが最後、破滅するまでその言うことを聞かざるを得なくなる。ヘビににらまれたカエルみたいなもんだね」
「幹部たちが麻原の言うこと、彼の正当化のための妄説を、そのまま信じたということはないかな? おまえがさっき言った『救済計画に狂いが生じる』とか、ヴァジラヤーナがどうのといったことだよ」
「信じたというよりは、信じたかったということだろうね。最初の殺人後、それに加担した幹部たちには無意識には『もうこれで抜けられなくなってしまった』という犯罪の共犯者特有の感情が生れただろうと思う。取り返しのつかないことをしてしまったという後ろめたい思いがね。心得た麻原はそこでヴァジラヤーナだのポアだのの教えを説いた。人類救済という大善の前では、個々の殺人は正当化されることがあるというもので、陳腐な屁理屈だが、エサとして彼はそれを部下たちに投げ与えたわけだよ。同時に、殺人にも平然たる自分は通常の善悪を超越したところにいて、それは『最終解脱者』なればこそだと装った。彼のいる“絶対の境地”からすれば、真の善悪は違うところにあり、自分だけがその真相を知っているのだと、彼らに信じさせようとした。それを信じるのは彼らの利益にもなる。自分たちが犯した殺人も人類共済のプロセスの不可欠な一部ということになってしまうんだからね。そうすると、その後の殺人も同じ論理の延長線上にあるのだから、拒絶したり批判したりはできなくなる。うまく心理の罠にはまったんだよ」
「坂本弁護士一家の殺害事件も、たしか同じ年だったよな?」
「そう。あれは11月で、10月にサンデー毎日がオウム批判キャンペーンを始め、『オウム真理教被害者の会』が設立されて、世間が本格的に騒がしくなってきたところで、『被害者の会』の弁護士、坂本堤さんを邪魔だから消せ、ということになったんだろう。いかにもサイコパス的な安易さだけど、幹部たちもすでに一人殺した後だから、殺人の敷居が低くなっている。これには中川智正などの幹部も新たに加わり、麻原はさらに共犯者を増やしてゆく。これでもうどうしようもないところまで行ってしまった。夫妻のまだ一歳の長男、龍彦君の口をふさいで殺害したという医師の中川は、そのときどんな心境だったかと思うね。温厚誠実な人柄だったと言われているのに」
「地下鉄サリン事件の実行犯の一人、林郁夫も医者だけど、人がよさそうだったな。テレビ局のカメラの前で刺殺された村井なんかも、とうてい悪人とは思えなかった。一連のオウム事件で気が滅入ることの一つは、多くが善良そうで、そういう連中がなぜあんなひどいことをしでかしたのだということだよ。麻原みたいな奴にひっかかったのが運の尽きということか?」
「きちがいに刃物というけど、サイコパスに宗教、みたいなもんだよ。サイコパスはとにかく人を操るのがうまい。人の弱みをつくことに関しては天性のものをもっているし、有力な人間にはうまく取り入る“人たらし”の才能も半端ではない。この前僕はネットであらためてオウムのことを調べていて、Youtubeに『麻原彰晃 ビートたけしの対談』(1991年12月)というのを見つけた。検索すればすぐ出てくるから一度見てみたらと思うけど、ビートたけしは虚栄心をくすぐられてメロメロだよ。よくもこれだけ歯の浮くようなお世辞が言えるものだなと感心したけど、それをサラリと言ってのけ、相手にそうと悟らせない演技力が彼にはあったということだよ。麻原は相手に応じ、逆に頭ごなし叱りつけたり、とにかく相手が求めるものを抜け目なく読み取る才能があったんだろ。このとき、彼はすでに田口さん殺害と、坂本弁護士一家殺害を命じ、四人を殺していたことになるので、大変な役者だけど、こういうところがサイコパスの恐ろしさなんだと思う」
「学者先生たちにも麻原にコロリと騙された人が何人もいるようだしな。しかし、そうなるとよけい憂鬱だな。どうすれば、彼みたいなのに騙されずにすむんだろう?」
「それは僕も知らないけどね。ただ、ふつうの判断尺度をもっていれば、おかしいというのには気づけたんじゃないの? あれは、他のことも思い合わせると89年のことだったと思うんだけど、僕は書店で馬鹿高い値段のついた麻原の著書を見かけた。帯には『最初にして最後の最終解脱者』と大書されていて、思わずふき出したよ。こういうのは『○○文学の金字塔! 空前絶後の世紀の超大傑作』なんていうのと同じだからね。扉の写真には例の『空中浮揚』(お尻ジャンプ)の写真が麗々しく掲げられ、拾い読みしたその中身も、過去の宗教・オカルト文献のお手軽なパッチワークにすぎないように思われた。それで、また新手の宗教ペテン師が現れたかと思ってね。というのも、当時はすでに、お釈迦様の生まれ変わりを自称する“霊言”教祖なんかもいたし、その後詐欺罪で逮捕された『天声』なるものを聞く教祖もいただろ?」
「思い出した。うしろの方は、『最高ですかあ!』って教祖だな。信者は『最高です!』と応じる。やっとられんアホらしさだけど、『足裏診断』とかでも有名になった。俺の左足にできたウオノメはどんなカルマによるのですかって聞くと、色々説明されて、浄霊にン百万払えば治るとか言われたのかもね。もうイボコロリで取ってしまったから、その必要はないけど」
「考えてみれば、あの頃は経済のバブルが宗教にも及んでいたんだよ。オウムの信者たちはその経済バブルを『愚かな物質至上主義』って見下していたかもしれないけど、悟りだの解脱だのをにわか修行で達成できると思うのが、バブル的心性なんだよ。麻原はいともお手軽に弟子たちにホーリーネームなるものを与えて、誰それは悟ったとかステージが上がったとか言った。そんなもの、インチキにきまってるじゃないか。大体、ほんとに悟った人間が『最初にして最後の最終解脱者』なんてつまらない空自慢を垂れるか? お釈迦様の生まれ変わりと称して、東京ドームを借り切って自分のお誕生会なんか恥ずかしげもなく開く教祖もそうだけど、いくら何でも程度が低すぎると、なぜ思わないんだろ?」
「そりゃあ、おまえみたいなヒネた人間はそうだけど、ふつうは、とくに若者はもっと素直だからな。それに、当時はノストラダムスの大予言なんてものもあって、終末感が色濃かった。そういうのも関係するんじゃないのかな。終末が迫っているから、そういう時代に生れた人間には特別な者がいて、そういう“選ばれた”人間たちはスピーディに“成就”できるんだって。自分はそれに該当すると思うんだよ。隠れたうぬぼれ心を刺激されて。例のマヤ予言なんかでも、2012年だから今年ってことになるが、“霊的なアセンション”が起こるっていうんだろ? 俺たちみたいなのはそういうのに見放されているから起きないとしても、信じる人間には起きるんだよ」
「起きないよ、そんなもの(笑)。居眠り運転してて、交通事故であえなく昇天(アセンション)なんてことはあるかも知れないが、年が変わっても精神の“低いステージ”はそのままだよ。高いステージに上昇したと、勝手に思い込むことはできるけどね」
「そういうミもフタもない、夢をぶちこわすようなことばかり言うから、おまえは嫌われるんだよ(笑)。話を戻して、とにかくおまえは麻原みたいなサイコパスに引っかかったのが間違いの元で、それを見分けることは可能だと言うんだな」
「見分けてもらわないと困るからね。オウムがあんな大所帯にならなければ、麻原もあれほどの重大犯罪を引き起こすことはできなかった。人が人を見誤るのはきまって幻想があるときだよ。僕自身は割と人の運はいい方で、とびきり善良な人とか、世間的には無名だけどほんとに立派な人とかに、ふつうより多く巡りあっていると思うけど、それでもこれは見誤ったなって苦い思いをさせられたことは二、三度あるからね。それはむろん、サイコパスほど悪質なものではなかったけど、人格高潔な立派な人なんだろうと思って接していると、自分のその思いに合わせてその人の言動を解釈してしまうんだな。少しぐらい不審に感じることがあっても、その人物像に適合しないから、そのままやり過ごしてしまう。それがあるとき、『これはいくら何でもおかしいぞ』と思う。そう思ってそれまでのことを見直すと、全然別の解釈が可能だということに気づいて、愕然とするんだな。別の意味で“ご立派”だったりして…(笑)。麻原の場合も、悟った聖人の言うことだから理解不能だと思っていたことが、超ジコチューの狂人の言うことかも知れないと思って、そちらの文脈で解釈し直すと、何のことはない、そっちの方がずっとよくわかるということになって、後で愕然としたって信者はたくさんいるんじゃないのかな」
「おまえに一つ聞いておきたいんだが、麻原に“超能力”があったって話はどうなの? 空中に浮かんだのかどうかはともかく、いっときは来る者来る者の隠れた問題をバシバシ言い当てたとか、そんな話を聞いたことがあるんだけど」
「それは誇張じゃないの? ある程度はそんなこともあったのかも知れないが、昔から天魔悪霊の類にもその種の力はあると言われているので、あったとしても彼が悟った人間だという証拠にはならない。キリスト教のカトリックの悪魔祓いなんかでも、悪霊にとりつかれた人間は、神父の隠された心の秘密なんかを指摘して、動揺させるわけだよ。そうやって相手をひるませ、混乱させる」
「ほんとにそんなことがあるのかな?」
「あるんじゃないの。少なくともいくらかは。僕も一度、人間の姿はしてるけど、とうてい人間とは思えないようなものに出くわしたことはあるから。そいつは僕に近づいて、耳元で何事かを囁くと、凍りついた僕を見てニヤリと笑って、そのまま雑踏の中に姿を消した。彼は僕を二十四時間監視してても、家族から聞き取り調査をしていても、知りえないような秘密を知っていたんだよ。全く見ず知らずの男で、あのときぐらい恐ろしいと思ったことはない。ゆすりたかりの類が目的でそんなことを言うってのとは全然違うわけだからね。大体、それは調べてわかるというようなものじゃないんだから」
「そんな妙な話、それだけで信じろと言うのは無理だぜ」
「それはわかってるけど、この件に関しては、僕は詳しい話はしないことにしている。ただ、もう一つ、その日の出来事にはこういう有難くない“おまけ”もついていたんだよ。ショックを受けたまま僕はアパートに帰り着いた。すると留守電のランプが点滅している。それで再生してみると、いきなり、『あにきぃー、どうすんだよーっ!』って悲鳴に近い叫び声が響き渡った。何でも、その電話の主は、『あにき』の仕出かした不始末のせいで破滅の瀬戸際に立たされている。むろん、『あにき』の方もこの上なくヤバい状況にある」
「一体、おまえは何をやらかしたんだ?」
「わからないか? それは間違い電話だったんだよ。しかし、後にも先にもそんな不吉な間違い電話はそのとき一度だけで、偶然にしては出来すぎだから、これはさっきのあのぞっとする化けものと関係がある、そうとしか思えなかった。僕はその頃、衰弱の極にあったので、この際だから一気に潰してやろうと何者かが仕組んだにちがいないと、心底ぞっとさせられた。当時は他にも理解しがたいおかしな現象がよく起きていたしね。こういうのは、オウム信者並の被害妄想だとわらわれてしまうだろうけど」
「何だか、オカルトホラー映画みたいだな(笑)」
「事実はスティーブン・キングや泉鏡花よりも奇なり(笑)。今はもちろん、そんな妙なことは起きてないけどね。話を戻して、だから、秘密を言い当てるとか、ふつうではありえないような現象の類は、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類もまたこれをよくなし得る、ってことだよ。彼らも一種の“神通力”をもっている。まあ、僕の存在をこころよく思っていない人たちは、僕を破滅させようとしたその力は“正しい”力で、神にちがいないって思うかも知れないけど(笑)」
「そう言えば、オウムの連中が坂本弁護士の自宅を襲ったとき、なぜか鍵がかかっていなかったというだろ? あれなんかも偶然といえばそれまでだけど、都会の住宅地なんだし、あまりありそうなことじゃないので、げんに襲った幹部連中の中には、それを麻原の霊力によるものだと思った者もいたらしいね」
「悪霊の導きだとは思わなかったわけだ。何事も“前向き”に解釈する(笑)。ついでに思い出したので言うけど、オウムの信者はよく『すべてはマハームドラーです』なんて言って物事を合理化したがるっていうだろ?」
「マハームドラー?」
「平たく言えば、“試練”みたいな意味らしいけど、要するに神が人間を試すわけだよ。オウムは自分から馬鹿なことを重ねて仕出かして、それでいよいよ窮地に陥ると、それをマハームドラーってやつでその都度正当化しようとした。しかしね、仮にマハームドラーというものがあったとすれば、それは最初の真島さん死亡事件のときだったのだろうと思うよ。麻原とオウム教団はそこで良心を問われる試練に直面した。不都合でも真実を公表する正直さと勇気を示すことができるかどうか、彼らの霊格が試されたわけ。しかし、彼らはそれをいとも安易に世俗的な思惑と欲望によって隠蔽しようとした。その時点で早々と“落第”してしまったわけだよ。仮に麻原とオウムに懸かった霊団というものがあったとすれば、そこで高級なものは去り、低級なものだけが残ることになったはずだ。よいものがそんな不正を行なう連中に味方するわけはないじゃないか? 続く殺人でそれは決定的なものになった」
「ちょっと待ってくれ。それじゃ、原因は悪霊にあるということか?」
「そうじゃない。サイコパスとそれに従う連中の中味に見合ったものがそこに宿ったということだよ。だから彼らにその責任はある。仮にそんなものがあるとしたらだよ」
「何だか話がだんだんオカルト的になってきたな」
「超能力がどうのなんて、ヘンな話を持ち出すからだよ(笑)」
「おまえのこれまでの話では、サイコパスの麻原に信者たちはいいように操られたって印象だけど、幹部が忠勤合戦に励んで、麻原は妄想を煽り立てられるような情報ばかりに接して、それでいよいよおかしくなったという説もある。そのあたりはどう考えるわけ?」
「カルト的な組織や団体が集団妄想を募らせるというのは、むしろふつうのことだよ。昔の中核派と革マル派の対立なんかでも、こっちは政治だけど、何でそんなことで殺し合わないといけないんだというような傍目には不可解なことで、“殲滅!”とか言って殺し合ってたんだから。考えが狭く、一方に偏り、そして過激になる。オウムの場合は社会から隔離された閉鎖空間で、集団でヨガだの五体投地だの瞑想だののワークに励んで、LSDまで使っていたというんだから、そういうことばかりしてて正気を維持できると思う方がむしろどうかしている。村井の発明だというあのヘットギアだの、ニュー・ナルコだの、最悪だよ(笑)。ましてや指導者としてその中心にいる教祖がサイコパスときては、目も当てられないことになる。それで殺人を重ねて、社会から疑惑の目が向けられると、米軍に監視されているとか毒ガス攻撃を受けているとかいう誇大な被害妄想にとりつかれる。殺人に加担している幹部たちには真の理由から信者の目をそらすために好都合だから、彼らがそれを進んで吹聴するのはわかるけど、一般信者たちまでなぜそんな話を安易に信じたのか? それはたぶん、『自分たちは何も悪いことをしていないのに、なぜこんなに敵視されるのか? きっと自分たちが“悟る”のを喜ばない悪の勢力がそう仕向けているに違いない』みたいな思いがあったからだろう。麻原はかねて『十万人の成就者が出ればこの世界は救済される』と言っていた。むろん、それはいかにも彼らしい口から出まかせにすぎなかったわけだが、そういうことをオカルト好きの彼らは信じてしまう。それで、オウムの勢力が拡大して、“成就者”が増えるにつれ、“救済”を喜ばない悪の勢力が最後の力をふりしぼってハルマゲドンを仕掛けてくる、そんなふうな解釈になっていったんだろうね。独善的な閉鎖空間の中で“成就者”とやらがいくら増えたところで、この世界は何も変わらない。大体が何を“成就”したんだかわからないんだけど、そういうインスタントな“解決”にすがりたいんだよ。この世界は変わりうるが、それは地道な活動によってそうする他はないので、そんな空想的なことは何の役にも立たないのだということがわからない。そういう危なっかしい人たちはどんなふうにでも操れるわけで、そういう信者集団の中心に麻原みたいな奴がいたんだから、まずいことになるのは必定なんだよ」
「しかし、よく『社会の閉塞感』というけど、ゴチャゴチャしたものから解放されて、完全な自由、完全な心のやすらぎを得たいって気持ちそれ自体は、わからないでもないな。それが『世界を救う』なんて大それた話にまで飛躍するのはともかく」
「良心を捨てれば、それは誰にでもある程度は可能だよ(笑)。サイコパスには良心がないから、深刻な苦悩もない。人に対するシンパシーがないから、他者の感情を顧慮することなく、勝手なこともできる。“自由”なわけだ。彼にとっては道徳や法律も他者を操り、権力を強化するための方便でしかない。信者はそういうサイコパス的特性を『解脱者の悟り』と誤認してそれに憧れた。麻原も、しかし、“オウム包囲網”が狭まるにつれて焦り出した。しかしそれは、精神的な苦悩と呼べるようなものではなく、『これはヤバいことになった。どうやって切り抜けるか』という程度のものでしかなかっただろう。都合が悪くなったら、それを逃れるためには何でもやる、嘘をつくのは元々平気だし、殺人も厭わない。犯罪を避けるとすれば、それは刑務所に入りたくないからだ(笑)。道徳的な罪悪感からそれをしない、できないというのとは違う。信者たちは麻原は悟って“善悪の彼岸”に出たのだと思ったのだろうけど、彼の場合は初めから“善悪の彼岸”にいたんだよ。それが彼のいわゆる『修行』でより完全なものになったとは言えるかもしれないけどね(笑)。ともかく、そういう人間もこの世界にはいるのだということを僕らは知らねばならない。そしてもう一つ、これはある意味でもっと恐ろしいことだが、ふつうの人間でも行為においてサイコパスに近いことをしていると、内面もサイコパスに近くなる。人間は殺人にすら慣れることができる。慣れると感覚が麻痺してくるからね。道徳感情も同じだ。非道身勝手なことを続けていれば、自己保存の心理機制から道徳感情はマヒしてしまう。オウムの幹部たちの中にはそういう者もいただろう。村井なんか、そうだったんじゃないかと僕は疑ってるけど」
「子供のときは嘘をつくときは緊張してドキドキするので、すぐにバレてしまうが、大人になると平気で嘘がつける、ってのと同じか(笑)」
「そうだよ。『嘘つきは泥棒の始まり』って子供の頃言われたけど、それは殺人の始まりになることもありうるので、嘘も節度を守って、ほどほどにしなきゃならない(笑)。そうでないと嘘に対する罪悪感もなくなってしまうからね。世の中には卑劣きわまりない人間もいて、中にはサイコパスも混じっているだろうけど、大半はそういう行為に慣れて悪いと思わなくなってしまった連中だよ。実質、サイコパスと変わらない」
「ちなみに、サイコパスってのは生まれつきか?」
「研究者にはそう見る人が多いようだね。遺伝というより、突然変異みたいなものと解釈されているみたいだけど。生育環境はもちろん影響を与えるだろうが、どう見ても親や環境のせいにはできそうもないケースが多いらしい。この問題を正面から扱った本の代表はロバート・D・ヘアの『診断名サイコパス』(小林宏明訳 早川書房 1995)だと思うけど、その本には、親が子供に高等教育を受けさせることができるかどうか、それともスラムで育つかどうかによって、サイコパスの子供が将来専門職に就いたりギャングになったりという違いは出てくるだろうが、『どのケースにおいても、環境的要因や親の育て方は,この障害の行動面での発現のしかたを形づくるのにひと役買っているが、じつは共感を感じたり良心を発達させたりする能力に影響を与えることはすくない』と書かれている。親が豊かな感情の持ち主でも、そういう人間にはいわばセンサーが欠落しているわけだから、他の子供のようにはそうした働きかけがうまくいかない、少なくとも非常に困難である、ってことだろ。安易に特定の子供をそう決めつけるのは厳に戒めるべきだとしても、ごく少数ながら、そういうケースはあるんじゃないかと僕は思っている」
「しかし、そういうのにはいわゆるヒューマニスティックな心理学者や教育関係者は反発するだろうね」
「当然、そうだろうね。僕は以前、ユング派の精神科医A・グッゲンビュール-クレイグの『魂の荒野』(長井真理訳 創元社 1989)も読んだことがあるけど、その解説に、山中康裕教授が精神病質者(サイコパス)が『生来性』、つまり生まれつきだとする著者の『考え方にどうしても筆者は与しえない気持ちがある』と書いている。これはだから、そのあたりの通常人との差異を、大きな違いはあるが地続きだと見るのと、隔絶に近いと見るのとの差だと思うけど、他にもかなり読まれたらしいM・スコット・ペックの『平気で嘘をつく人たち』(森英明訳 草思社 1996)なんかにも、どうにも恐ろしいとしか言いようのない“邪悪な”人間が出てくる。この人はそれを精神病質人格とは別のものとして捉えているけど、要するに、合理的な説明がどうにもつけられないような“心なし”がこの世には少数ながらいるということだよ。見た目に凶暴そのものに見えるとか、そういうのではないので、一見するとかえって人当たりがよくて、魅力的に見えたりするから困るんだけど」
「どうも、そういう話はいたずらに人々の疑心暗鬼を強めてしまいそうなところもあるな。俺なんかも相応には『人当たりがよくて、魅力的』だぜ。それが実は戦慄すべき悪魔のような人間だった、とか(笑)」
「悪魔は奥さんの尻に敷かれたり、娘に鼻であしらわれたりはしないよ(笑)。とにかく、そういう人間はすぐには見分けがつかなくても、しばらくつきあってみればわかるだろ。いくらうまく立ち回っていても、いくら言葉を飾ってみても、こいつは結局人の心を操るべきもの、利用すべきものとしか思っておらず、“超”がつくほど利己的かつ悪質で、ふつうならうちひしがれるような醜悪な行為の指摘に対しても、逆ギレしてみせたり、薄笑いを浮かべたりして、応えたふうがないとか、自分のやってることはきれいに棚上げして、被害者ぶってみたり、正義を気取ってみたり、実際にやってることと照らし合わせてみるとその異常さははっきりわかるが、不都合なことには完全頬かむりを決め込んで尤もらしいことばかり並べ立てるから、そっちのことは知らずにポーズと言葉だけ見る人は騙されるだろうね。ふつうの人は、まさか平気でそんな恥知らずなことができる人間が存在するとは思わないから。それに、さっきもちょっと言ったけど、強い心理的投影を通して人を見る人は、自分の幻想を守るために現実を歪曲してしまう。それもサイコパスには好都合なので、彼らはそういう人間を目ざとく見つけて、これを餌食にするんだよ。宗教だのスピリチュアリズムだのにはまりやすい人は、この幻想の強い人が多いから、恰好のカモになる。サイコパスの特徴に他ならないものを、悟った人のそれだと思い込んでしまう。気づいたら人殺しに加担させられていたというのが、オウムの信者たちだったんじゃないのかな。おかしな幻想抜きに彼を見ていれば、『こいつは病的で悪質なペテン師じゃないのか?』ってもっと早く気づいたはずだよ。ぜんたい、カルトの教祖からサイコパスと統合失調症の患者と、詐欺師を取り除いたら、残っているのは何人いるのかなと、僕なんかは思うけど、信者にはそうは思えないらしいので、ある意味で僕にはそういう信者の人たちの方がこわいぐらいだよ。この人たちは一体人間のどこを見てるんだろうって。彼らの大方は善人なんだけどね」
「でも、まあ、幻想抜きに人を見るってのは難しいもんだよな。結婚なんて、大方は幻想でしてしまうようなもんだから。後で現実とはずいぶん落差があったのに気づく(笑)」
「その場合は、お互いさまだろ(笑)。サイコパスに引っかかってしまったというのとは深刻さのレベルが違う。性質が全く違うんだ。サイコパスは偽装がうまくて人前では如才なく立ち回るので、結婚の場合でも、本当の事情を知らない友人たちやカウンセラーは、おかしいのはサイコパスの夫や妻ではなく、それに苦しめられている妻や夫の方だと思ってしまうことが少なくないらしい。そうなると、その人は二重の苦痛と恐怖を味合わされてしまうわけだ」
「そんな場合はどうすればいいんだろ?」
「縁を切る、しかないだろうね。断固として。そういう強さをもたねばならない。それが宗教団体でも、結婚相手でもね。そうするとサイコパスはまた獲物を探すだろうが、そういうのに引っかかる人が減れば、彼らはそんなに悪さを続けることはできないわけだよ。その方がサイコパスのためにもなる。非道なこと(ついでに言うと、法律の網の目には引っかからずに悪事を続けるサイコパスもいる)や犯罪をいつまでも重ねることはできなくなって、そうでない場合よりも害悪の度合いは減るわけだからね。サイコパスが抱える底なしの『精神の空洞』のようなもの、それはやはり人格の病と言っていいので、治療の方法を今後医学や心理学は発見するかも知れないし、それが望ましいが、さしあたって社会は自らをサイコパスから防衛しなければならない。そうしないと、また別のオウム事件のようなものが起きる可能性はあるからね」
「しかし、麻原がサイコパスだというおまえの主張は、こう言っては悪いが、必ずしも正しいとはかぎらないわけだろ?」
「それは、もちろん、僕がそう見ているというだけだよ。だから、さっき挙げた本なんかも折があったら読んで、事件にもよく照らし合わせて、自分で考えてもらうといい。サイコパスなんてレッテルは乱用してはならないので、僕もそれは心得ているつもりだけど、そういう人間が現実に存在するということを知っておくのは大事なことだと思う。そして、あの一連のオウム事件は、時代状況や、信者たちの軽信も手伝ったことはたしかだが、中心に精神病質者の問題があった。年齢と共に精神の荒廃の度を深めてゆくサイコパスの存在がその中心にあった。少なくとも僕にはそう思えるし、そう考えないと理解できない。『二度とあのような事件が起きてはならない』なんて言っても、もしそうなら、どうやってそれを防ぐのか、ふつうの心理学や社会学のレベルだけで考えても、有効な対策は取れないことになるだろう。何度も言うようだが、宗教だのスピリチュアリズムだのはサイコパスにとって恰好の隠れ蓑を提供する場になりやすい。それに対する警戒心だけはもっておいてもらいたいと、僕は思うんだよ。おまえの言うとおり、僕の見立ては間違っているのかも知れないけどね」

※関連URL
NHKスペシャル「オウム真理教」
麻原彰晃 ビートたけしの対談

 ※言及図書(うち二冊は文庫化されているようなのでそちらを提示)
・『診断名サイコパス』(ロバート・D・ヘア著 小林宏明訳 ハヤカワ文庫 ¥840)
・『魂の荒野』(A・グッゲンビュール-クレイグ著 長井真理訳 創元社 ¥1600)
・『平気で嘘をつく人たち』(M・スコット・ペック著 森英明訳 草思社文庫 ¥998)
スポンサーサイト



プロフィール

大野龍一

Author:大野龍一

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR