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「課外」と「人事異動」をめぐる宮崎県教委の深謀遠慮

2012.04.13.18:20

 新学期が始まりました。どの学校も「ピカピカの一年生」が入って、緊張と恥じらい漂う四月らしい雰囲気になっているのではないかと思います。僕も今週は進級した生徒たちに会って、「担任の先生は誰になったの?」なんてことをあれこれ聞いています。

 しかし、めでたいとばかりは言えない。後で書きますが、この春、延岡高校では「仰天人事」があって、憤慨した保護者の中には「県教委に抗議の電話をかけてやりたい!」と言っている人もいるくらいだからです。

 こういう「超KY」と評したくなるような教員人事を県教委はなぜ行なったのか? 僕には深い謎です。延岡の人たちは皆平和的で優しいので、何があろうと苦笑してやりすごしてくれるだろうと高をくくっているのか、それともそこには一般人には窺い知れない県教委の深謀遠慮が隠されているのでしょうか?

 これは必ずしも皮肉ではありません。というのも、先頃僕はこのコーナーで「宮崎県立高等学校教育整備計画」なるものを取り上げ、県教委がこれに対する「県民の皆様のご意見を募集」中である旨、書き含めました。

 その後どうなったか? 更新されたホームページの記事によれば、「この結果、52名の皆様から104件の御意見をいただきました」とのことです。一つの学校だけならまだしも、宮崎県全体でこれ(各学校はプリントを配布してその意見募集を保護者に通知していた)では、お世辞にも反応がよかったとは言いかねますが、念のためにと思ってそれに目を通してみると、例の課外についての意見がありました。「補習授業などの課外授業を廃止してはどうか」(県教委の要約文そのまま)というのが、その中に含まれていたのです。

 おお! 感動の瞬間です。これに関しては、僕は「書いても『計画には無関係』として取り上げないだろう」と書いていた(だからこの「ご意見」の主は僕の知り合いではないし、このブログの読者でもなかったでしょう)ので、「そんなことはありません」というところを県教委はリッパに示したのです。しかし、それに対する県教委の返答たるや、次のような甚だ不可解なものなのです。

「課外授業等につきましては、各高等学校において、生徒の進路目標の実現に向けて、実施されていると考えております。生徒それぞれの進路実現に向け、教員の指導力向上や授業の改善等を行い、積極的に学力向上に取り組んでまいりたいと考えております」

 僕は小論文の指導をするとき、よく生徒に「設問をよく読んで、聞かれていることに対して答えろ。論点を外れた、無関係なことをいくら書いても、それでは点数はもらえない」と言うのですが、これを読んで、意味がわかったという方、おられますか? これが大学入試の答案なら、間違いなく不合格です。

 しかし、と僕は考えました。この「わからなさ」加減は実は考え抜かれたものなのではないのか、と。もしも周到な配慮に基づくものだとしたら…。それで、言葉を補って“解読”を試みることにました。それは次の両方の意味に取れるのです(カッコ内が僕の補足)。

A「課外授業等につきましては、各高等学校において、生徒の進路目標の実現に向けて、実施されていると考えております(だから、素人がゴチャゴチャ言うんじゃない。サービスでしてやってるのに、感謝するどころか「廃止しろ」とは何事か!)。生徒それぞれの進路実現に向け、教員の指導力向上や授業の改善等を行い、積極的に学力向上に取り組んでまいりたいと考えております(そりゃまあ、中にはわけのわからん授業をしている教師もいるが、大方はスバラシイ授業をしているのだ。こんなことを言って寄越すこと自体、論外である)

 もう一つは、こうです。

B「課外授業等につきましては、各高等学校において、生徒の進路目標の実現に向けて、実施されていると考えております(ほんとはあまり意味はないのだが、各学校はいいつもりで続けているので、私らとしては立場上「生徒を疲れさせるだけでロクな効果もないのに、いい加減にもうやめたら?」とは言いにくいのですよ)。生徒それぞれの進路実現に向け、教員の指導力向上や授業の改善等を行い、積極的に学力向上に取り組んでまいりたいと考えております(教師たちがもっと自己研鑽し、工夫もして平常授業の質を向上させれば、過度な課外、とくにあの朝課外なんかはなくせるので、こう書いておけば、学校側も少しは考え直すかと思うのですが…)

 県教委の意図はさてどちらなのでしょう? こういうのを「玉虫色」の答弁といって、お役人が最も得意とするところですが、その技術があまりに“高度”すぎて、僕ら下々の者には何を言っているのか、皆目わからないのです。これを書いた人は政治家になると大成するかも知れません。昔、竹下登が総理だった頃、彼の答弁は「言語明瞭、意味不明」だと言われましたが、あれと全く同じだからです。

 こういうふうに考えてみると、「何をトンチンカンなこと言っているのだ!」とかんたんには決めつけられないことがおわかりになるでしょう。学校側はAだと解釈し、生徒と保護者の方はBだと解釈する。そうすればどちらも丸く収まるので、これは僕のようなしばしば「はっきりしすぎる」人間には真似のできない“言語芸術”なのです。

 さらに、県教委は僕がこんな文章を書くであろうこともお見通しなのです。何か知らんが、一人うるさい奴がいるので、この先はあいつに書かせてやろう。そう考えたのです。つまり、どちらにも解釈できる「名文」だということを、僕に説明させようと目論んだのです。ほとんど“神のごとき智謀”と言ってよい。

 僕はむろん、これはBの意味なのだと解釈します。県教委はほとんは課外なんて廃止した方がいいと考えているが、立場上、そうは言えないのです。そこがつらいところ。だから僕あたりにこういう文を書かせて、それとなく学校に再考を促そうと考えたのです。

 実に、心憎い演出ではありませんか? してみれば、冒頭触れた「延岡高校のびっくり仰天の人事異動」にも、深い仔細が隠されているに相違ないのです。

 そうは言っても、部外者にはこれだけでは何のことかおわかりにならないでしょう。
 だからまずそれをご説明しますが、僕はこの前ここに、「延岡高校には生徒を放射能呼ばわりして恥じない教師がいる」と書きました。その中年教師は昨年(むろん、福島第一原発事故後の話ですが)、一年生の学年集会だか何だかに二度出席し、二度とも同じ「放射能」発言を繰り返したのです。

 彼は何をもって「放射能」だと言ったのか? 生徒が無秩序に騒ぎ立て、乱暴狼藉に及ぶにいたってたまりかね、「おまえらみたいな放射能は…」とうっかり口をすべらせたのでしょうか?

 否。よい子の延高生がそんなことをするはずはないのです。僕は一年生(新二年)の何人かに確認を取りましたが、誰もそんなことはしていません。何でも一部に「だらけた」(その教師から見て)感じの生徒がいて、「こういう奴らが学校の雰囲気を乱すので、おまえらは放射能だ!」と叫び、「真面目な」(これも彼から見て)生徒に、「おまえたちがビフィズス菌になって、こういう放射能連中を退治しろ!」というようなことを言ったのです。あまりのことに、生徒たちがお口あんぐり状態になったことは言うまでもありません。「こいつはアホか」と思った生徒もたくさんいたのですが(僕が生徒でもそう思うにきまってます)、他にも彼は、「校外でいちゃつく」(要するにデートするという意味だと思うのですが)不埒な生徒がいると口汚く罵り、そういうのも「放射能」なのだと言ったらしいのです。

 このあたり、生徒によっていくらか違うのですが(あんまり話がヘンテコすぎて何を言いたいのかサッパリわからず、ほとんど憶えていないと言う生徒もいます)、最大公約数的なところを取ると、大体そんなことのようです。

 「何であんな奴にそんなこと言われなきゃならないんだ!」と、カンカンに怒っている生徒(及び保護者)もいましたが、僕はその話を聞いて、自分の高校時代のことを思い出しました。天使のような彼女(隣町の高校に通う同級生)をデートの後、バイクの後ろにのっけて家まで送り届けたり、卒業のしばらく前には二人で日帰りの観光旅行に出かけ、当時から僕は女性には優しかったので、滝が見渡せる坂をのぼるとき、そんな靴では危ないよと、彼女をおぶったりしたからです。それらは僕にとっては皆、幸福この上ない思い出なのですが、この教師の見地からすれば、そういう高校生はプルトニウム並の“猛毒放射能”に該当するのだろうと、可笑しかったのです。

 しかし、僕の場合は他にもっとひどい“悪事”も働いていた。高3になるとかねて計画していたことを実行に移し、「出席日数の三分の一は休めるから休む」と、自分で独自に時間割を作って好きに登校したりしていたからで、これなんか、この教師の見地からすれば「ダラケの極致」で、死刑に値する凶悪犯罪に見えるでしょう。けれども、僕は教師の誰にも注意されたことはありませんでした。担任も含めて、先生たちに一定の信用があったのと、もう一つは、二年のときにおかしな教師をやりこめたことが二度ほどあって(いずれも完勝で、クラスメートからは拍手喝采)、けっこう手ごわい相手だと思われていたようだからです。

 この教師は「生活指導」の主任か何かだった(というのは、後で触れるように今回の人事異動で変わったからです)ようですが、もう少し道草を食わせてもらうと、当時の僕の学校にも“職務熱心”な風紀係(これが今の「生活指導」に当たるのでしょう)の先生が二人いました。彼らにとってはそんな僕は許しがたい不良の一人と見えたようで、あるとき他の不良ともども思い知らせてやろうと陰謀を企み、とんでもないことをしでかして、学校全体が一月以上も授業不能に陥るという深刻な事態になりました。卑劣にも、彼らは文化祭当日の生徒の不在を狙って、「問題生徒」の下宿(その学校には下宿生がかなりの数いました)を無断で家宅捜索するという暴挙に出たからです。それで「非行の物証」を押収して恐れ入らせ、停学処分か何かにして、全校生徒への見せしめにし、「乱れた風紀」(別に乱れているようには思えなかったのですが…)を引き締めようとはかったらしいのですが、あにはからんや、「違法な人権侵害だ、許せん!」と生徒たちは激怒して、ただちに全校集会が開かれ、全会一致で授業ボイコットが決議されてそのまま「闘争」に突入、新聞沙汰に発展し(長引いたので、最初は小さな三面記事だったのが、とうとう一面に“昇格”してしまった)、結局教師の側が“処分”される羽目になったのです(僕らが卒業した後も、それはそのアホな二人の教師たちの暴走に過ぎなかったと思われるのに、後輩たちが政治闘争にすり替えて騒ぎ続けたために、校長と教頭も気の毒に左遷されてしまったようです)。

 この文化祭当日の出来事を、僕は今でもよく憶えています。ごきげんで下宿に帰ったら、おばさんが「大野さん、大変!」と飛び出してきて、「私は必死に止めたんだけど、先生たちが強引に…」と言うのです。おばさんがそうやって飛び出してくるのは二度目で、一度目は三島由紀夫の「自決」事件が起きたときでした。文学少年の僕にはそれは大事(おおごと)だろうと、おばさんは思ったのです。
 しかし、今回は意味が全くわからない。僕は下宿のおばさんには絶大な信用を得ていました。そこには当時一年から三年まで合わせて八人ぐらいの高校生がいたのですが、皆仲がよくて、そのまとめ役みたいなものだったからです。おばさんは僕のために、悪いことをするような子ではないと抗弁してくれたようでしたが、「ええい、うるさいわ! この生徒がどんな悪辣な不良か、調べはついている!」とばかり、二人の教師は聞き入れず、当時の下宿の部屋には鍵なんかついていなかったので、勝手に侵入して、机から押入れまで、にわか刑事となって“捜索”したのです。ところが、何も「非行の物証」(タバコやシンナー、エロ本などがそれに該当するようでしたが)らしきものは見つからず、空振りに終わったのです。このときターゲットになった数人の生徒の中にはカノジョの写真まで押収された者がいたので、書きかけのラブレターがなかったのが幸いでした(今のような時代なら、僕も二人のプリクラ写真なんか置いていたかも知れません)。

 けっこう笑える話でしょう? しかし、ほんとの話なので、昔もそういう非常識な教師はいたということです。彼らが生徒のブラックリストを作成していて、自分がその上位にランクされる光栄に浴していたということもそのとき初めて知って、「そんなに憎まれていたのか?」と僕は驚いたのですが、ずっとクラスが一緒だった番長をしていた奴(一年のとき、彼は僕に「オレは必ず番長になってみせる」と宣言していました)とは仲がよかったが、僕は彼の子分ではなく、いわゆる「番長グループ」に所属していたわけではないし、他にもべつだん「非行」とみなされるようなことはした覚えがないのです。学校をサボっていたときも、下宿に寝転んで好きな本に読み耽っているとか、当時は詩人志望だったので下手な詩を作っているとか、その程度のことでした(下宿のおばさんはだから、落第するようなヘマはするはずがないし、何も心配はいらないと思ったのです)。

 しかし、延岡高校のこの「放射能」教師からすれば、こういうのは言語道断の許しがたい生徒であることは間違いないでしょう。先に書いた教師との衝突事件でも、うち一度は相手を「テメエ」呼ばわりして罵倒し(彼は不当な理由で生徒たちを馬鹿呼ばわりしたのだから、今でも十分それに値したと考えていますが)、教師は頬をヒクヒクさせながら反論もままならずその場に凍りついていたので、この教師のように、生徒たるもの教師を前にしたときはつねに軍隊みたいな直立不動の姿勢で、全幅の敬意を示していなければならないとする人間からすれば、どれほど憎んでも憎み足りないだろうからです。
 もとより僕はそれでどんな「処分」も受けませんでした。何も言い返せなかったくせに、職員室に帰ってから「あの生徒は何だ!」とその教師はうちの担任に八つ当たりしたらしいので、困惑したその担任の先生から「おまえ、怒るのはわかるが、あんまり無茶苦茶言うなよ…」と後で言われただけでした。その唯我独尊の傲慢教師に問題がありすぎるのは、他の先生たちにもわかっていたのです(その後、彼はうちのクラスではすっかりおとなしくなりましたが)。

 そろそろ話を戻して、思うに、この「放射能」教師も、生徒に思いやりのある、他の民主的な先生たちからはかなり問題があると見られているでしょう。僕の見るところ、実はこの教師こそが「学校の雰囲気を悪くしている」元凶なのです。「放射能はおまえの方だろ」と、僕は生徒や保護者たちに代わって言ってやりたいと思います。

 というのも、この教師は授業時の対応からして異常だからです。僕が延岡に来たとき、この教師はすでにそこにいたのではないかと思うのですが、生徒たちから彼の異常さについての話をこれまで幾度となく聞かされてきたのです。

 一体どんなふうに「異常」なのか? それを今回は少し詳しくご説明しましょう。この教師はとにかく、怒鳴り散らしたり、机を蹴飛ばしたりすることがむやみやたらと多いのです。一度などは、生徒を蹴飛ばそうとしたのか、机や椅子を蹴飛ばそうとしたのか知りませんが、勢い余ってスリッパが飛び、それが窓ガラスを直撃して、派手な音を立てて飛び散るという事件まであって、「○○先生窓ガラス(又はスリッパ)事件」として今に語り伝えられている(塾の生徒たちはその話を聞くと爆笑します)ほどです。

 しかもその理由が、「何でその程度のことで…」というのが多い。始業時の「お願いします」という挨拶の声が小さかったとか、生徒の一人が居眠りしたとか、宿題を忘れたとか、また、この教師は当てられた生徒が答を間違えたというだけでも怒り出すのです(ホントですよ)。何でも、正解に達するまで調べなかったのは怠慢だというので、生徒たちは全問正解に達した上で授業に臨まなければならないのです。だから、自分で調べてもわからないところは休み時間に職員室まで行って、残らず質問しなければならない。それで生徒たちが毎回のように職員室に押し寄せるので、他の先生たちは「生徒はここまで熱心になるのか! あの先生の指導は素晴らしい」と思うかもしれませんが、事実は仕方なくそんなことをさせられているだけなのです(僕も生徒に、当たりそうなところを聞かれたりしています。おかげで、「何なんだ、この時代遅れもいいところの下らないテキストは…」とわかったりもするのですが)。

 しかし、とここで素朴な疑問をもつ人がおられるでしょう。「全問正解状態で授業に出なければならないというのなら、そもそも授業はいらないのではないか?」と。実は、生徒たちも大部分はそう思っているのです。「あの先生の授業、意味があるのかな?」と生徒たちは言っていて、ことに優秀な生徒ほどそうなのです。

 しかし、そんなこと、ご本人に言おうものなら、どんな怒りの発作が起きるか知れたものではないので、恐ろしくてそんなことは口にできないのです。前に「英語係」というのになった生徒がいて、すでにおわかりのようにこれは英語教師なのですが、例によって例のごとく些細なことで突然怒り出し、それからくどい説教になったらしいのですが(そのときは窓ガラスは割れなかった由)、「もうおまえらみたいな馬鹿どもには教える気になれん!」と言い捨てて、職員室にお帰りになったというのです。

 僕はそれを聞いて、「ラッキーじゃないか。これからは君らはその先生の時間はずっと自習してればいいんだから」と笑いました。それなら塾でももっと宿題が出せるので、有難いことこの上なしです。するとその生徒は「わかってませんね」という顔をしました。そんなことをしたら、次の授業のときは怒号と机蹴飛ばしの嵐になってしまうのは目に見えているので、こういう場合には正副委員長と英語係がクラス代表として職員室に出向き、謝罪の上、「どうか私たちを見捨てないで下さい!」と哀願するというクサい芝居をしないと承知しないというのです。一人質問に答えられなかったか、宿題を忘れたというだけで、何で全員が謝罪を強いられるのか、僕にはさっぱりわかりませんでしたが、江戸時代の隣組みたいなものなのです。

 こういう有様だから、中には緊張のあまり、その教師の授業が近づくと胃がキリキリと痛み出すなんて生徒までいるのです。げんに何年か前に塾の生徒でそれでノイローゼになりかけた子がいました。それは面白いキャラの女子生徒だったのですが、不良じみたところは全くないものの、かなりアバウトな子で、宿題は時々やっていかなかったりするし、この教師のお好みには合わなかったようで、いつ怒鳴りつけられるかわからないと、気が気ではなかったのです。が、そのうち見捨てられた(「言うことを聞かない奴はオレは見捨てる」とかねて公言していた由)らしく、「最近は完全無視で、全然当てられなくなったので、ほんと楽になりました」と喜んで報告するようになりました。おかげでだんだん元気になり、マイペースで勉強できるようになって、「見捨てられた」にもかかわらず、センターでは英語9割の得点がゲットできたので、別に二次や私立対応の学力がその授業でつくわけでもなし、ゲシュタポ教師のそんな恐ろしい授業、真面目に受けなくても何ら差し支えないというのが“証明”される皮肉な結果になったのです。

 以上、これがその「放射能」教師の実態です。この教師が荒れ狂うと、窓ガラスが割れなかった場合でも、その罵声は他の教室にも響き渡るから、他の教室で授業をしている先生たち、授業を受けている生徒たちにも傍迷惑なのです。明るい笑い声ならいいが、怒声罵声では、気分がよかろうはずがない。だから、直接教わっていない他の生徒たちも、「あいつはキチガイですよ」と顔をしかめているのです。

 ところが奇怪なことに、この教師は「学科指導能力が高い」と思い込んでいる一部の親や生徒がいる。その異常さがエスカレートするにつれ、そういう声はさすがにほとんどなくなったものの、僕がこういう話をすると、「違うんですか?」ときく親がいまだにいるのです。

 こういう誤解が生じる理由は比較的かんたんです。その教師は英語のボスとして理数科(今はメディカルサイエンス科と改称)のいいクラスを担当することが多いが、その生徒たちは元から能力が高いので、極端に言えば、よほどのボンクラ教師が担当しても、いい結果は出るということなのです。

 延岡高校にはもう一人、サイアク!の評価をほしいままにしている定年間近のオバハン教師がいます。これがどういうわけだか受験学年を持ちたがるので、生徒の迷惑この上なしなのですが、この教師の担当クラスですら、生徒たちはまずまずの順当な成績を収め、中には旧帝大など国立難関大学の合格者もいるのです。以前、ある生徒が社交辞令で「先生のおかげで合格できました」とこの教師に言ったらしく、このオバハンはそれを自慢げに生徒たちに吹聴して「私のおかげよ」と言っていたというので、僕は笑ってしまったのですが、事実は、こんなデタラメな授業を受けていたのでは受からないと生徒の方が防衛策を講じて、自分で工夫して勉強したから合格したのです。げんに、今年の卒業生にも受験学年になってこの先生に当たった子がいて、意図不明の大量の宿題プリントを示しながら、「どうすればいいですか?」と青くなって聞くので、僕は「無視しろ」と答えました。他の生徒たちはそれを聞いてどっと笑いましたが、冗談ではなしに、そんなものにまともに付き合っていた日には志望校合格は覚つかないのです(彼はそのアドバイスに従って無事国立大学に合格しました)。

 うちの塾の生徒たちにしても、名だたる有名大学の合格者は累計でかなりの数にのぼりますが、僕はふつうにやっているだけなので、それは優秀な生徒がそれだけ多かったということでしかないのです。偏差値40の子を、偏差値70の大学に合格させたわけではない。だから「先生のおかげで」なんて言葉を、僕は一度も真に受けたことはありません。生徒が優秀なら、それに見合った結果が出るのは当然で、僕はその「後方支援」をやっているだけなのです。

 「放射能」教師についてのそうした評価には、もう一つ、次のような倒錯した理由も考えられます。それは心理学で「ストックホルム症候群」と呼ばれているものです。その一種みたいなものではないかとも疑われるのです。
 これはどういうものか、ネットで検索すれば説明がたくさん出てくるので、興味のある方はそちらに当たっていただきたいのですが、「はてなキーワード」というサイトに簡潔な説明が出ているので、それを拝借すると、

「誘拐や監禁の被害者が、極限状態の中で犯人に同情や連帯感を抱くようになること。
 1973年にスウェーデンのストックホルム市で起きた銀行強盗においては、1週間に及ぶ立てこもりの末に人質が解放された。その後、元人質たちが犯人をかばう証言をしたり、警察を非難したりしたほか、元人質の一人が犯人と結婚するに至ったことで注目され、この名が付けられた。
 ほかにも、誘拐の被害者であったパトリシア・ハーストがのちに犯人グループに加わり、銀行強盗を行い逮捕された「パトリシア・ハースト事件」(1974年)などが知られている」

 …というものです。こういうのはDV(ドメスティック・バイオレンス)の被害者などにも起こるものですが、カルト宗教の教祖や幹部などもしばしばこの手を使うので、予測不可能な激しい怒りや叱責に遭うことが日常化すると、精神的に不安定な人や自己肯定感に欠しい人は恐怖と混乱の中で、かえって相手への依存を強め、たまに優しくされたりするとむやみとそれに感激して、自分が被害者であるのに、逆にかばい立てして、そこから救い出そうとする人を逆に敵視したりするのです(その奇妙な「同一化」の心理プロセスについては、段階を追ったもっと詳しい説明が必要なのですが、議論が煩雑になるので、ここでは割愛します)。

 この教師は、明確に意識しているかどうかはともかく、この心理メカニズムを悪用しているのです。だから、たとえば一年生を担当すると、きまって早い段階できちがいじみた「爆発」をしてみせ、強い恐怖心を植えつけて、服従させやすいようにするのです。非常にイージーで卑劣な生徒支配のやり方だと言わねばなりません。

 こういうのは、しかし、愛情深い家庭に育った、自然な自己肯定感と心理的安定感をもつ元気な子供にはなかなか通用しない。僕は塾でこの教師に教わっているという生徒をこれまで何十人も見てきましたが、その大部分は彼を毛嫌いしていたので、生徒たちの多くは面従腹背(めんじゅうふくはい)しているにすぎないのです。逆に言えば、だから教師自身が気配を察して不安になり、“洗脳”効果が薄れるたび、爆発して恐怖を蘇らせなければならないのです。

 むやみとハッタリだけは多い教師らしいので(僕はそれをコンプレックスの裏返しと見ていますが)、それを真に受けて「そんなにすごいのか!」と思う生徒もいるようですが、事実としてはここに書いたとおりで、彼は「裸の王様」にすぎないのです(さっき僕に罵倒されて反論もできなかった教師が高校時代いたという話を書きましたが、それはハッタリ好きの天才歌人気取りの古文教師で、他のクラスには彼の熱烈な信奉者も一部いたらしいので、そういうのは素直なのか馬鹿なのかと、僕には不思議でなりませんでした)。

 前にも書いたあの効果の疑わしい「ベーシック・グラマー」なる無駄に量だけ多い文法プリントの全員への強制も、この教師の発案によるものなのではないかと、僕は疑っています(だから、先生たち個人の自由裁量の余地を広げよとここに書いたのです)。

 さて、ここでやっと話は「人事異動」に戻りますが、その人格上大問題のある「放射能」発言教師を、譴責(けんせき)処分にしたというのならわかるが、県教委は何と「昇格」させた上、そのまま同じ学校に居座らせたのです! 常識で考えられますか? 生徒たちの話では、それは「校長・教頭に次ぐポスト」だとのこと。つまり、たいへんお偉くなったのです。

 延岡の県立普通科高校の常識は世界の非常識だと、笑ってすませる気には僕にはなりません。僕は前回、詳しいことを書くのは差し控えました。これだけ書いておけば、さすがに異動させないとまずいと県教委は判断するだろうと考えたのです。すでに十分すぎてお釣りが来るくらい、長く在任しているのですから、異動しても誰もそれをヘンだとは思わない。担当教科も書かなかったし、個人を特定できる所までは行かないから、新しい赴任先で「イメチェン」をはかって、今度は生徒たちに毛嫌いされるような存在ではなくなることも可能だろうと。先生たちにも家族と生活があるので、それを思いやったつもりだったのです。いわゆる「大人の対応」をしたつもりで、県教委も同じく黙って異動させるという「大人の対応」をするだろうと期待したのです。

 それが、全然違った。むしろ真逆の対応をしたのです。僕の周りの保護者たちは、これは塾の生徒の親だけではないのですが、聞いて皆びっくり仰天したのです。

 だから、僕は考えたのです。いくら何でもこれはおかしすぎるから、県教委には何か全く別の意図があるにちがいないと…。この前も書いたように、この教師は二枚舌でも有名で、保護者なんかにはえらく愛想がいいのです。当然、上にもゴマスリはうまいだろうから、それで昇格したのだろうと考えることはできますが、いくら何でも生徒を放射能呼ばわりして(しかもさしたる理由もなしに)無事ですむはずはない。本人がすむと思っていたとしたら、それは馬鹿の証拠で、なおさら昇進の理由にはならないのです。

 それで僕が考えた「理由」を述べると、それは生徒への直接の被害を軽減せしめるための措置なのです。授業数も減らして、あんまりそこらをウロウロしないようにさせ、生徒との接触の機会を減らして、害を最小限にとどめる。他の学校に飛ばしても、本人の自覚がないと、また同じような問題を起してしまう。一応形式は「昇進」なので、教師本人の名誉は保たれ、周囲に波風も立たない。あわせて生徒の迷惑を減らすという、温情に満ちた一石二鳥、三鳥の“布石”なのです。偉いさんになれば、自重して態度や言動にも気をつけるようになるはずです。これを「深謀遠慮」と呼ばずして、何をそう呼ぶでしょうか?

 むろん、ご本人がカン違いしてそれでヘンに張り切って、「生活指導」の親玉として学校の風紀粛清(今でも十分に消毒は効きすぎていますが)に乗り出し、僕の高校時代の風紀係の先生たちみたいな勇み足に走ると、今度こそほんとに懲戒免職になってしまいますが、そこらへんのことは、県教委はうまく言い含めているはずです。申し訳ないことに、僕がここでそれを暴露してしまったとしても、です(ご心配なく。こんなブログ、誰も読んでやしませんよ。読んでても、皆読んでないふりをしてくれます)。

 僕は初め、信じがたいことだと思ったのですが、そう考えると「なるほど」と合点がいき、県教委の神のごとき周到な配慮に感じ入ったのです。

 わかりましたか、皆さん? 無責任でもいい加減でもない、それほどまでによく考え抜かれた県教委の、これは措置だったのです。抗議の電話をかけるなんて、とんでもない。こんな素晴らしい県教委、他にはありえませんよ。
 生徒たちも感謝しなさい。このウンザリする「放射能」オヤジとオバハン教師は残って、順当なら新三年生の担当になるはずだった、授業がわかりやすいと評判のよかった若手の女性の先生は工業高校に転出してしまったと、ガッカリした生徒が多かったようですが、大人の世界はムズカシイもので、県教委は配慮に満ちた“苦渋の決断”をなさったのです(先生たちの名誉のために申し添えておけば、僕の知る範囲でも、延岡高校にはまだいい英語の先生はいます。三年の担当ではないと思いますが)。

 県教委のこうした隠された「昇進」の意図からすれば、おそらくもう君らがあの先生にわけのわからない理由で怒鳴られたり、罵倒されたりすることはないでしょう。蹴飛ばした教卓や椅子や、スリッパが飛んでくることはない。仮にあったとしたら、あちこちから情報が入ってくる(言っときますが、公明正大をモットーとする僕が違法な手段で情報を入手することはありません)ため、まだいくつか“爆弾”を隠し持っているので、そのときはそれをまとめて「大爆発」させてあげます。何事もなければ、「大人の対応」でおとなしくしときますが…。

 以上、県教委の周到な配慮への深甚の謝意と共に、この文を締め括りたいと思います。
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