「伝統」としての自己欺瞞~戦争遂行と原発推進に見る日本人の共通病理

2012.01.05.14:34

 今回は真面目モードに戻って、正月休みの「宿題」として自分に課していた文を書いておきたいと思います。

 これを書いてみようと思ったきっかけは、昨年12月下旬に何冊か取り寄せた本の中に、『丸山真男セレクション』(杉田敦編 平凡社 2010)を含めていて、それを拾い読みしたことです。丸山真男は、今の若い人には知らない人もいるかも知れませんが、戦後論壇の雄として活躍した著名な政治学者です。つむじ曲がりの僕は有名すぎると読まない癖があって、学生時代に『日本政治思想史研究』(東京大学出版会)を一冊読んだきりでした。それは非常に面白かったが、なぜかそれきりになった。それが今頃また読む気になったのは、今のあまりにお粗末な政治・社会状況が、どういう経緯でこうなってしまったのか、あらためて考え直してみたいと思ったからです。それは僕の場合、一種の精神病理学的な関心みたいなものなのですが、太平洋戦争関係の本を昨夏何冊か読んで、あそこにあった異常なものが実は戦後社会にもそのまま残っていて、その結果として「やっぱりこうなってしまった」ということがあるように感じられたので、丸山真男あたりだとそのへんのヒントをもらえそうに思ったのです。

 その「異常なもの」とは「日本的なるもの」です。妙に集団的・教条主義的で型にはまりすぎ、センチメンタルな物言いを好み、感情と理性が統合されているならいいが、むしろそれがたんに未分離なまま、物事を突き詰めて考えることはせず、曖昧なことばかり言って、論理が矛盾したり破綻したりしていても、それを明確に意識することはなく、実際の行動の多くはその場の“空気”によって決定される(それでは何のために考えるのかわかりませんが…)という個人としての主体性の欠しさ、度の過ぎた「ホンネとタテマエ」の使い分け、責任の所在がはっきりせず、それをはっきりさせないことがあたかも一つの道徳的価値であるかのようにみなす日本的な精神風土、等々です。

 この『セレクション』には幸いなことに、そうした“日本的メンタリティ”を直接扱った論考がいくつも含まれていますが、中でも僕が注目したのは、「超国家主義の論理と心理」(1946)、「軍国支配者の精神形態」(1949)、「『現実』主義の陥穽」(1952)です。

 太平洋戦争における軍や政府の要人たちの幼稚と無責任には驚くべきものがあった(その安易さはもたらした悲惨とは全く釣り合わない)というのは有名な話ですが、これらの論考は「何でそういうお粗末なことが起きえたのか?」を踏み込んで、かつわかりやすく解明してくれるものです。それらを読みながら、僕は昨年3月11日の福島第一原発の大事故へといたるプロセスと、この高名な政治学者の分析が頭の中で完全にオーバーラップするのに驚きました。何であんな事故が起きたのか、そしてその事後の対応がなぜこれほどズレたものになってしまっているのか、非常によくわかったという感触を得たのです。原発事故を「第二の敗戦」と呼ぶ人がいるようですが、これはまさしく「第二の敗戦」です。戦前戦中の政府と官僚は戦後から今にいたる政府と官僚と同じで、軍部は「原子力村」の関係者と同じなのです。これはむろん、メンタリティ(心性)の話ですが、焼け野原を前にいっときはいくらかマシになったはずが、日本人はいつのまにか完全な“先祖返り”を起こしていたのです。少なくとも僕はそう思いました。

 しかし、この種の感触を他の人にわかりやすく伝えるのは容易ではない。各自がこの本を直接読んで考えて下さるのが一番いいわけですが、困難は承知でそれにトライしてみたいと思います。

 頭の先の観念や理屈としてはともかく、日本人には「個人が社会を形成している」という自覚がないのではないか、ということはこの前も書きましたが、丸山真男によれば、それは元からなかったわけです。現状を見るなら、戦後の民主主義教育によってそれが獲得されることもなかった。戦前戦中の天皇崇拝(元々それは明治時代――伊藤博文による帝国憲法立案の際――作られて上から押しつけられたことに始まる)のもとでは、天皇は「古今東西を通じて常に真善美の極致」であって、そういう「真善美の極致」たる天皇が主権者である日本帝国は無謬であって、「本質的に悪を成し能わざる」のだという宗教神話もどきの“信仰”がまずあって、正当性、権威の度合いは「究極的価値たる天皇への相対的な近接の意識」によってはかられた、というのです(政治のことを昔は「まつりごと」と言ったくらいで、宗教感情と政治意識が分離せず混合するのは未開社会の一つの特徴ですが、それを日本は近代になっても引きずっていた、という見方もできるでしょう)。
 軍部の権力の正当性(独善性)の源泉は、従って、皇軍=天皇の軍隊であるというところにあって、やってることが正しいかどうかではない、その「近接の意識」によったのです。その「近接の意識」の前では近代民主的な権力分立の思想など、ものの数ではない。

「かくして『皇室の藩屏[はんぺい]』たることが華族の矜持であり、(天皇“親率”の軍隊たることに根拠づけられた)統帥権の独立が軍部の生命線となる。そうして支配層の日常的モラルを規定しているものが抽象的法意識でも内面の罪の意識でも、民衆の公僕観念でもなく、このような“具体的感覚的”な天皇への親近感である結果は、そこに自己の利益を天皇のそれと同一化(アイデンティファイ)し、自己の反対者を直ちに天皇に対する侵害者と看做す傾向が自[おのず]から胚胎するのは当然である。藩閥政府の民権運動に対する憎悪乃至恐怖感にはたしかにかかる意識が潜んでいた。そうしてそれはなお今日(1946年)まで、一切の特権層のなかに脈々と流れているのである」(「超国家主義の論理と心理」尚、原文の強調のための傍点は“”で代用)

 これは遠い昔の話ではありません。げんにオウム真理教事件などでも、教祖の麻原は弟子や信者たちにとっては「生ける神」であり、高学歴の幹部の若者たちはその「絶対無謬性」をよりどころに、あのような殺人を含む犯罪行為を平然と行ったのです。違法行為を咎められると、それを「陰謀」「迫害」と決めつけて、自分たちは被害者だと言わんばかりにさらに烈しい攻撃に出る並外れた独善性も、戦前戦中の軍部とそっくりです。いわば、かつての忌わしい「無意識元型」が新たな装いで蘇ったのです。明白な犯罪行為はあっても、その責任を担う精神主体がどこにあるのか、裁判でもはっきりしなかったところまでよく似ている(思うに、それは「ない」のが正解なのでしょう。そこには個としての明確な責任主体の自覚は初めから存在しなかったのでしょうから)。

 こう言えば、「それは通らない理屈だ」と多くの人は言うでしょう。しかし、その「通らない理屈」を平然と申し立てるのはわが国の“伝統”なのです。たしかに、日常的な私生活の平面ではそれ(=個人の責任)は問われる。しかし、影響するところがはるかに大きい、国家的・社会的なレベルでの行動ではそうした理屈がまかり通るのです。

 戦後、天皇は「神」から「人間」の地位に下りました。たんなる「日本国民統合の象徴」以上のものではなくなった。生身の人間が「神」であるはずがないのは明白なので、それは全く正常なことですが、強い天皇崇拝心理は一部のウルトラ右翼を除けば、戦前に生まれ育った人(それも当時比較的年配の人たち)以外に残らなかったとしても、それを支えとして成立した個の無責任性はいわば「心の習慣」のようなものとして残った。「神の座」は空白になったが、曖昧模糊とした「国体」思想と、神がかり的なその支配形式によって生じた人々の心のパターンのようなものはその後も維持されたのです。

 番組名を忘れてしまったのですが、日中戦争から太平洋戦争へと突き進むそのプロセスがどのようなものであったのか、資料によって再現された御前会議の様子を中心にそれを辿り直すドキュメンタリーが昨夏、NHKで放映されました。それは見応えのあるものでしたが、国家を滅亡の瀬戸際まで追いやったその戦争が、要人たちの明確な意思決定はほとんど全くないまま、既成事実に押し流されるようにして“遂行”されたものであったことは、真に驚くべきことです。「国家元首」たる天皇の命令があったわけでもなければ、内閣総理大臣の明確な決断があったわけでもない。現場軍人の「暴発」で戦火が拡大すれば、それを軍上層部と政府があわてて追認して「作戦」を立て、犬猿の中の陸軍と海軍の対立のなか戦線が南方に拡大すると、またそれを後追いするという始末で、計画も見通しもあったものではない。「こういうことを続けていたらヤバい」というのはおそらく誰の胸にもあったはずが、言い出せず、不都合な情報はその都度理由をこじつけて斥け、安易な希望的観測のみにすがって、その当然の結果としてどうにもならなくなったら、今度は「一億玉砕」と言い出すのです。

 苦笑させられるのは、彼らはいずれもやたらと道徳訓話の類が好きな人種であったらしいことです。丸山真男は「軍国支配者の精神形態」の中で、「ナチ指導者との比較」という章を設け、ヒトラーを初めとするナチス最高幹部とのそのあたりの相違を鮮やかに浮かび上がらせていますが、ナチスの場合は、「国内、国外に向かって色々と美しいスローガンをまきちらす点ではひけをとらない」が、それがスローガンでしかないことを心得ていたのであり、「戦争を開始し、戦争を遂行するに当たっては正義など問題ではなく、要は勝利にあるのである」というヒトラーがポーランド侵攻前に軍司令官に述べた露骨な言葉(K.レーヴィットはナチ指導者のそうしたありようを「能動的ニヒリズム」と呼んだ)にも見られるように、美辞麗句に酔って自分でもそれを信じてしまうというような甘たるいところはなかった(従って明確な責任の観念もあった)のです。しかし、わが国の戦争指導者たちの場合、「大東亜共栄圏を確立し、八紘一宇の新秩序を形成して、皇道を世界に宣布することは疑いもなく被告らの共通の願望であった」と言われるとおり、現実には驚くべき無計画性と無能・無責任によって自滅への急坂を転げ落ちながら、自分がふりまく“聖戦”の幻想を何より当人たちが一番信じていた、あるいは信じたがっていたということです。要するに、彼らは軍人や政治家というよりも、むしろ「天皇教」を奉じる狂的な宗教家に近かった。だからやたらと「精神論」をぶちたがるので、冷徹な現実認識など、期待する方が無理だったのです。だからこそ、

「対米宣戦は世界情勢と生産力其他の国内的条件の緻密な分析と考慮などから生れた結論ではなく、むしろ逆にミュンヘン協定のことも強制収容所のことも知らないという驚くべき国際知識に欠けた権力者らによって『人間たまには清水の舞台から眼をつぶって飛び下りる事も必要だ』という東条の言葉に端的に現われているようなデスペレート[やけっぱち]な心境の下に決行されたものであった。だから世界最高の二大国に対してあれだけの大戦争を試みる以上、定めしそこにはある程度明確な見通しに基づく組織と計画とがあったであろうという一応の予測の下に来た連合国人は、実情を知れば知るほど驚き呆れたのも無理はない」(「軍国支配者の精神形態」)

 …ということにもなるわけです。西洋人にはいくら理解しがたくても、「明確な目的意識によって手段をコントロールすることができず、手段としての武力行使がずるずるべったりに拡大して自己目的化して行った」のが、先のわが国の戦争だったのです。明確な責任主体はどこにもいない。だから極東軍事裁判でも甚だわけのわからないことになったのであり、丸山が皮肉めかして言うように、「言霊のさきわう国だけあって、『陛下を擁する』『御皇室の御安泰』『内奏』『常侍輔弼』『積極論者』こういった模糊とした内容をもった言葉――とくに皇室関係に多いことに注意――がどれほど判事や検察官の理解を困難にしたか分からない。こうした言葉の魔術によって主体的な責任意識はいよいよボカされてしまう」という結果にならざるを得なかったのです。

 こういうのと、戦後70年代以降の“一路邁進”的な「原発推進」がどう関係するのか? そこにはもはや天皇や皇室へのファナティックな信仰は関係しませんが、いったん「国策」ということになると、それが自動的な運動のようになってしまい、「推進」があたかも「正義」のようになって、自ら作り出した「安全神話」に縛られて関係者も異論が出せなくなり、原発反対は「地域エゴ」に矮小化され、マスコミは原発推進の翼賛機関と化し、裁判所も「初めに結論ありき」でその片棒を担ぎ、というわけで、全部が「推進」一色に塗り込められて、かえって安全性はないがしろにされて、悲惨な事故が起こるまで全く歯止めがかからないあたり、やはり似たところはあるのです。その責任主体が一向にはっきりしないことも似ていて、政府が作った原発事故調査委員会はごていねいにも「個人責任を追及しない」と宣言までして取りかかる始末(原子力学会は厚かましくも「個人責任を問わないように」という要望書まで出した)ですが、僕の見るところ、どのみち確たる原発推進の責任者などというものはいないのです。

 丸山真男は戦争責任の追及を困難ならしめるものとして、「既成事実への屈服」と「権限への逃避」を挙げています。これはおそらく原発問題に関してもそのまま当てはまるもので、ある人物(「三国同盟でも最もイニシアティブをとった」とされる)は裁判で「三国同盟に賛成していたかと問われて、『それが国策として決まりましたし大衆も支持しておりますから私ももちろんそれを支持しておりました』と弁明』したそうですが、自分がその国策の決定当事者であり、「大衆も支持」したのは自分たちがまきちらしたプロパガンダによるものなのだというようなことは、まともに意識にはのぼらないのです。丸山は、「ここで問題なのは、自ら現実を作り出すのに寄与しながら、現実が作り出されると、今度は逆に周囲や大衆の世論によりかかろうとする態度自体なのである」と述べていますが、仮に「福島原発事故裁判」なるものが開かれたとするなら、そこで「戦犯」として被告席に立たされた人々は同じような態度を見せないでしょうか。

「原発が絶対安全だと、ほんとにあなたは思っていたのですか?」
「一般にそのように言われていました」
「しかし、そうではないことを示す事故の報告もかなりの数上がってきていたのではありませんか? 少なくともあなたはそれを知りうる立場にあって、安全の過信は危険だと人々に警告する義務があった」
「それは……原発推進は何しろ国策でありましたし、そのようなことが言える雰囲気ではありませんでした。私のほかにも危険性を認識していた人たちはいくらもいましたが、立場上個人的な意見は慎むべきだと思われたのです」
「なぜですか?」
「それは、現実には大規模な放射能漏れはまだ起きていませんでしたし、危険性についての注意を喚起すれば、それは無責任なマスコミが針小棒大に報じるところとなって、国民の間に大きな不安を巻き起こし、いたずらに反対派に利するだけで、国策としてのわが国の原発推進の大きな障害になることは明らかだったからです」
「しかし、そうしていれば、今回の事故のようなものは防げたのではありませんか? 安全性を軽視した一面的な原発推進政策にあなたは賛成だったのですか?」
「私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事にはなり行きがあります。…すなわち、前に決まった政策がいったん既成事実になった以上は、これを変えることはかんたんではありません」

 最後のセリフは、この本に出てくる東条内閣の外相・東郷のセリフをそのまま借用したものですが、違和感なくそのまま入ってしまうでしょう。そこがこわいところです。

 「原子力村」の関係者にはおそらく、明確な当事者意識をもった人は稀でしょう。従って明確な責任感や罪悪感もない。それが卑劣な態度だという自覚もないのです。意地の悪い見方をするなら、それらの人たちは名誉欲や保身からそうした社会的地位につけるよううまく立ち回った(多くはその自覚もなしに)のですが、そこで個人としての責任を問われる事態に立ち至ると、「権限への逃避」(その地位ゆえにそうせざるを得なかったのだという責任転嫁)を平然と行うのです。「重大国策に関して自己の信ずるオピニオンに忠実であることではなくして、むしろそれを『私情』として殺して周囲に従う方を選び又それをモラルとするような『精神』こそが問題なのである」と丸山は言いますが、そういうおかしな「モラル」の下では、個人としての責任感など消えてしまうのはもとより、「前に決まった政策がいったん既成事実になった以上は、これを変えることはかんたんではありません」ということになって、誰もそれを変えようとはしないまま、行き着くところまで行き着くことになってしまうのです。重大なことほどいったん決まってしまうと途中で軌道修正はできないということになってしまうのだから、こんな恐ろしいことはありません。

 今回の福島原発事故ではからずも露わになったのは、戦前・戦中・戦後と、そうした社会支配層の無責任システムと、まことに日本人的な「仕方がなかったんです」メンタリティが連綿として続いていた、ということです。

 まあ、これだけなら「気弱な偉いさんたち」ということで、日本人は何かというとそういうのに同情したがるので(僕に不可解なのは、そのことがどういう惨禍をもたらしたかはあっさり不問に付されてしまうことです)、「あんまり責めるのはかわいそう」ということになってしまうかも知れませんが、彼らはそういうところでは「気弱」なのに、敵対する少数派に対しては、えらく“お強い”ことです。これは戦前戦中の弾圧のことばかりではない、早い話が、原発問題でも、「原子力村」の先生たちは、反対派の学者には、村八分にするだけでなく、人を人とも思わないような無神経な嘲笑、罵倒を平気で投げつけてきたわけでしょう。フェアな科学的論争を行うというのではなしに。それでこういう事態になると、「仕方なかったんだから、ボクちゃんを非難しないでね」となかば当然のように言うわけです。ご都合主義もきわまれり。

 丸山真男によれば、こういう態度には二つの契機が関係します。一つは、妙な「現実」主義です。「すなわち、その時々の支配権力が選択する方向がすぐれて『現実的』と考えられ、これに対する反対派の選択する方向は容易に『観念的』『非現実的』というレッテルを貼られがち」だということで、「われわれの間に根強く巣食っている事大主義と権威主義がここに遺憾なく露呈されている」(「『現実』主義の陥穽」)という点。これは先に見た「既成事実への屈服」の別の側面です。現実を「色々な可能性の束」と見て、冷静に認識し、合理的・総合的な判断に基づいてそう認定されたというのではない、とにかく現実に行われてさえいれば、何でも「現実的」(それは日本人の感覚では「正しい」に近い)なのです。だから老朽化した原発が耐用年数を超えて運転されることなども「現実的」で、異とするに足らず、逆にメルトダウンを伴うような深刻な事故が起きうるというような「少数意見」は、「非現実的」で「観念的」な、いたずらに人々の不安を煽るようなものでしかないと、罵倒、嘲笑されたわけです。ついこの間までは…。

 もう一つ、丸山が挙げるのは、これよりは心理的にもっと微妙な、「抑圧の移譲による精神的均衡の維持」という現象です。太平洋戦争の場合、「軍部による独裁」と呼ぶにはあまりにも不可解な面があった。というのは「意識としての独裁は必ず責任の自覚と結びつくはずである」のに、「こうした自覚は軍部にも官僚にも欠けていた」のであって、「わが国の場合はこれだけの大戦争を起しながら、我こそ戦争を起したという意識がこれまでの所、どこにも見当たらない」こと、「何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事態は何を意味するか」、それを考えた先に丸山真男が辿り着いたのが、この「抑圧の移譲による精神的均衡の維持」という現象なのです。
 これはよりわかりやすく言えば、「自由なる主体的意識が存せず、各人が行動の制約を自らの良心にもたずして、より上級のものの存在によって規定され」るあり方で、「上からの圧迫感を下への恣意的発揮によって順次に移譲してゆくことによって全体のバランスが維持されている体系」だということになるのです。

 これは、丸山によれば、「近代日本が封建社会から受け継いだ最も大きな『遺産』の一つ」で、福沢諭吉を引用しつつ、説明が加えられていますが、要するに、「いじめの連鎖反応」みたいなもので、Aによって抑え込まれた鬱憤をB相手に晴らすというようなもので、日本人の好きな「弱い者いじめ」の心理なのです。圧迫を加えているその当の相手には逆らえないで、自分より弱い・低い地位にある者相手にその鬱憤を晴らすという、まことに男らしくない心理がそこにはあって、「西洋列強の脅威」に囲まれる中、自分もその「帝国主義化」を真似てアジア諸国への侵略に乗り出したことや、戦時中末端の日本軍兵士が中国やフィリピンで土地の住民相手に乱暴狼藉を働いたというようなことも、同じ心理が関係するだろうと言うのです。後者の場合、「国内では『卑しい』人民であり、営内では二等兵でも、一たび外地に赴けば、皇軍として究極的価値と連なる事によって限りなき優越的地位に立つ」ことになって、「己れにのしかかっていた全重圧から一挙に解放されんとする爆発的な衝動に駆り立てられたのは怪しむに足りない」というのです。

 この心理が「微妙」だと言ったのは、片方でその抑圧するもの(直接には神格化された天皇とそれに基づく国体の神聖さ)を自己の権威づけに用い、それによりかかって強がっているということがあるからですが、権威主義者というものはいずれも例外なく大きな感情的抑圧を抱えているもので、それが何であれ、彼らは自分がすがる権威によって心理的に抑圧されているのです。

 今の日本人は、しかし、何によって“抑圧”されているのでしょう?「原子力村」の住民たちは自分たちが作り出したサークルの権力と「安全神話」に抑圧された。ボスは必ずしも電力会社や原子力関係の団体の長でも、経産省でもなかったので、あえて言うなら、それは原子力村が作り出した共同幻想としての「原発推進」テーゼだったのでしょう。いずれにせよ、彼らはそこに強い“縛り”が作用していることを感じていた。彼らは自由な思考と発言を妨げられ、抑圧を経験していた(それが自分が選び取ったものだという自覚はない)ので、それによる屈折した怒りのようなものが、反対者に対する苦々しさや憎悪となって発散されたのでしょう。そしてそれが、原子力村の独善的な結束と頑迷なまでの“不退転”ぶりをさらに強化することになったのです(外部的な各種の利権だけではなく)。

 そう考えると、話はかなりわかりやすくなる。あのメドが全く立たない「核燃料サイクル計画」とやらに対する、「非科学的」と評する他ない常軌を逸したこだわりにしても、行きがかり上、白旗は絶対に上げられない精神構造から出ているのであって、それは精神病理学的考察の対象とするのが最も適切な性質のものでしょう。自縄自縛に陥って勝ち目の全くない戦争の泥沼に沈み込んで出られなくなった、傍迷惑なあの帝国軍人たちのそれと同じなのです。事の実現可能性とか、経済的合理性とか、そんなものは大昔にどこかに行ってしまっているのです。なのに、「こんな無駄に税金を浪費するだけのアホな計画はもうやめよう」という声は内部からは決して出てこなかった。これはおそらく、今は北朝鮮のような国にのみ見られる珍現象でしょう。

 結局あの戦争は原爆を二発も落とされてやっと終わったわけですが、「原子力村」は昨年の原発事故を受けて崩壊したのでしょうか? 必ずしもそうではなさそうなのがこわいところです。

 以上、他にもマスコミ報道のあり方に対する疑念など、最近原発事故をめぐってさかんに言われたようなことがちゃんとこの本には書かれていて、僕が今書いたことは「なるほど」と思ったことのごく一部にすぎないので、丸山真男その人の文章を直接お読みいただきたいのですが、最後に結論として付け加えるならば、前にも書いたことの繰り返しになるのですが、「まず個人たるべし」ということです。職業、社会的地位がどうであるかにかかわらず、どこで何をしていようと、人はまず個人でなければならない。外部の権威に依存しない、自由な行動・責任主体としての個人でなければならない。その自覚なしに、丸山の言う「既成事実への屈服」と「権限への逃避」をのんべんだらりと続けていれば、太平洋戦争の惨禍やこの前の福島原発の事故以上の災厄がいずれ襲いかかるでしょう。迂遠で甚だ抽象的に聞えるかも知れませんが、要は個人がその持ち場持ち場で明確な責任主体として行動すればいいわけです。それはそのこと自体は別に大きなことではなくても、そういう個人が増えることによってこの社会の“質”そのものが変化し、もっと柔軟で活気のある、風通しのいい社会に変貌してゆくでしょう。僕は大げさな革命理論は何も信じませんが、そうしたことによって生じる質的な社会の変革には期待を寄せるのです。逆に言えば、外からのどんな大きな改革が試みられたところで、個人の内面のありよう(見てきたような無自覚な自己欺瞞に終始するそれ、グルー元駐日大使をして「このような心的状態は、いかに図々しくとも自分が不当であることを知っているのよりもよほど扱い難い」と慨嘆させたそれ)が変わらなければ、時間の問題でそれは元の木阿弥に戻ってしまうだろうということです。それを、ここに見た「戦前戦中の日本人のメンタリティと今の日本人のそれとの類似」はよく示しているということにならないでしょうか(敗戦を機に「社会体制の根本的な変革」が行われたはずだったのですから)。

 僕がここで一番言いたかったのは、そのことです。
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