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「暴力団撲滅」への素朴な疑問~暴排条例全国施行に思う

2011.10.06(17:30) 115

 これは僕には妙に引っかかる問題だったのですが、産経新聞に山口組組長・司忍氏へのインタビューが出ていたのを読んだ機会に、書かせてもらおうと思います。(ここをクリックして下さい。上下に分かれていますが、下に進めるようになっています)

 まずもって僕に疑問なのは、「暴力団とは何か?」ということです。
 僕の定義によれば、東電なんかは立派な「暴力団」なので、厳しく取り締まってほしいと思いますが、警察の定義ではそうではないのでしょう?「○○組の看板を掲げて、暴力を背景に違法行為を働く組織」、それが「暴力団」とされているわけです。
 しかし、権力や財力にモノを言わせて勝手なことをするのも疑いもなく「暴力」で、表向きは「合法」でも、道徳や社会正義の見地からすれば非道な悪事を働く組織なら、それは「暴力団」に他なりません。従って、官僚組織や大企業なんかは、最も「暴力団」になりやすいわけです。警察もその一つなので、「日本最大の暴力団は警察である」なんてブラックジョークもあるほどです。
 そういうのはほっといて、世間でヤクザと呼ばれる人たちだけを「徹底排除」するというのは、何かおかしくありませんか?

 余談になりますが、僕は学生時代、あるヤクザと「極道と暴力団の違い」について激論をたたかわせたことがあります。「任侠だの何だのといって、結局裏では弱い者いじめをしてるだけじゃありませんか?」と僕は言いました。僕はそのとき不機嫌でした。おかしな年上の知人がいて、「君にぜひ会わせたい人がいる」と言って、夜間わけがわからないままタクシーで連れて行かれた先が、その極道氏の家だったからで、その人は一目で、「ああ、これはそこいらのケチなチンピラではないな」とわかる人でしたが、僕はヤクザなんかとお近づきになりたいとは毛頭思っていなかったので、さっさと決裂して帰りたかったのです。
 するとその人は「違う」ゆえんをるる述べ立てました。まっとうなヤクザは覚醒剤で金儲けをしたりはしないし、社会的弱者は助けこそすれ、いじめたりなどは断じてしない、と言うのです。ほんまかいな。それじゃ、どうやって食べるのですか? 昔のヤクザは賭場を開帳したり、土建などの仕事を兼ねることもあったし、街の顔役として、色々なトラブルを処理し、それで信頼を得ていた。じゃあ、今は? 今は確かに、悪い奴が増えて、この世界もおかしくなったが、それでもまともな極道は卑劣な真似はしない、云々。

 完全に納得したとは言えないとしても、正直そうなその語り口から、その人が悪い人でないことだけはわかりました。極道氏は政治家どもや世間の薄汚い連中を罵倒しました。都合のいいときだけ「助けてください」と泣きついてきて、あとは知らんぷりしたがる連中です。そのとおりだとすれば、それはたしかにその人が憤るのも尤もです。

 何度目かに会ったときに、僕はその人がやった「小さな恐喝」の話を一つ聞きました。不心得なある病院の勤務医がいて、これはむろん妻子持ちだったのですが、夜勤のたびに仕事を脱け出して近くのバーに行き、そこのホステスにしつこく関係を迫る。あまりのしつこさにたえかねて、そのホステスから極道氏に相談がもちかけられたというのです。彼は早速その医者を脅し上げて、三百万を出させました。それで百万をそのホステスにあげて、残り二百万は自分のポケットに入れたというのです。縮み上がったその医師は以後真面目に勤務するようになったらしく、そのホステスさんは気色の悪いオヤジから解放されてほっとしたのです。
 「やっぱりよくないかね?」ときかれたので、僕は「そんなクソ医者、もっと大金を巻き上げてやってもよかったんじゃないですか」と答えました。相手は苦笑して、「君は自分より性格が悪い」と言いましたが、こういうのは違法ではあるが、“正義”にはかなった話です。警察に頼むより手っ取り早くていいし、そのホステスさんが慰謝料をもらえたのもよい。その病院もサボリ医師(勤務中に脱け出して酒を飲むなどという不埒な医者がいるということ自体、信じがたい話です)に悩まされなくてよくなったわけで、いいことづくめです。

 僕自身は自分のことは自分で始末する主義だったので、その人に何かものを頼んだことは一度もありませんでしたが、こういう人がいてくれれば、街をわがもの顔で練り歩いて、一般の何の罪もない人相手に乱暴狼藉を働いたりする連中など、一発で黙らせてくれるでしょう。小柄だが、全身バネのようなボクシングの達人で、素手の喧嘩をやらせれば関東でも五本指に入る、と言われているような人だったからです。

 前に桶川市でストーカー殺人事件がありました。あれなんかも、警察に何度も相談に行ったのに真面目に取り合ってくれず、かわいそうにとうとう殺されてしまったわけですが、知り合いに信頼できるヤクザがいれば、ストーカーとその取り巻きを脅し上げるか半殺しにするかして、やめさせることができていたでしょう。そしたら悲劇は避けられた。暴力で解決するのはけしからん、と言う人が多いかもしれませんが、ああいう執拗な、たちの悪い連中にはふつうの「お話」ではまず通じないのです。被害者の身になれば、そっちの方が助かるにきまっている。

 もう一つ、前に愛知県で中学生が五千万円もの大金を不良グループに脅し取られるという事件がありました。数年にわたって悪ガキどもはそれで“豪遊”していたのに、学校も警察も、周りの大人たちも、見て見ぬフリをしていたのです。その子は母子家庭でした。父親が交通事故で亡くなって、その保険金二千万を脅し取られ、それでもまだやまなかったので、母親は実家から借金を重ねて必死にそれを工面していたのです。その子は暴行も受けていた。それで何度目かに入院していたとき、地元のヤクザの組長の息子が偶然その病院に入院していて、おかしいと思ってその母子から話を聞き、正義感の強いその人はこれはほっとけないと昔のワル仲間と協力して、それを解決すべく動き出し、マスコミにも情報を流して、それでやっと母子はその地獄のような世界から救い出されたのです。

 要するに、ヤクザにはそういう「よい面」もあるということです。今の刑法では個人が暴力を用いてトラブルを解決するのは「私闘」として禁止されていますが、警察に頼んでも、書類だの要件だの、面倒なことが多いし、今の例の最後の二つなどは、警察にも何度も相談していたのに、何もしてくれなかったケースです。場合によってはヤクザの方がよっぽど頼りになるということです。

 社会の秩序維持の観点からも、ヤクザが一定の働きをしてきたことは明らかです。この山口組組長のインタビューにも、「社会から落ちこぼれた若者たちが無軌道になって、かたぎに迷惑をかけないように目を光らせることもわれわれの務めだと思っている」とありますが、立派なヤクザの親分なら、ふつうの大人の言うことは聞かない札付きのワルでも懐に引き取って、そのあたりのしつけもしてくれていたわけです。おかげで一般市民は、おかしな場所に迷い込まないかぎり、安心して暮らせた。

 また、「山口組は厳しく覚醒剤と不良外国人との接触を禁じている。実際、山口組が、薬物の売買や不良外国人との接触を本当にしているのならば、今以上に治安が悪化し、薬物も蔓延しているはずだろう」というのも、僕はそういうことはある程度言えるのではないかと思います。検挙率が下がる一方のサラリーマン化した今の警察のおかげでこの程度ですんでいるとは思えないからです。「不良外国人たちは今、日本のやくざが行き過ぎだと思える法令、条例が施行されて以降、われわれが自粛している間に東京の池袋や新宿、渋谷、あるいは名古屋、大阪などのたくさんの中核都市に組織拠点をつくり、麻薬、強盗などあらゆる犯罪を行っている。これが今後、民族マフィアと化していったら本当に怖くなるだろう」ともありますが、警察はそれは阻止できるのでしょうか? どうも疑問なので、僕は学生時代、西新宿に住んでいた関係で、夜中によく散歩に出かけ、歌舞伎町まで足を伸ばすこともしばしばでしたが、危ない目に遭ったことなどは一度もありませんでした。尤も、僕はこれまで一度も恐喝なんかには遭ったことがないという“幸運”な人間なので、たまたまなのかも知れませんが、当時は不夜城で有名なあのへんも「安全」だったのです。今はそうでないと聞きます。あのへんは山口組の縄張りではなく、関東の組が仕切っていたのですが(細かいことは忘れましたが、秋田からの出稼ぎだという気のいい焼き芋売りのおじさんから、新宿周辺のヤクザのシマ〈勢力図〉の話を長々聞かされたことがあります)。

 今はむろん、「みかじめ料」を取るのは禁止です。しかし、それがあくどいものでなくて、リーズナブルな用心棒代なら、そんなにそれは悪いことでしょうか? そのおかげで飲食店の客も安心していられるのたから、もちつもたれつです。
 会社にもよい会社と悪い会社があるように、ひとくちに「暴力団」といっても、それには良性のものと悪性のものとがあるのではありませんか? 慕われるヤクザと毛嫌いされるヤクザがいるわけです。先のインタビューには次のような言葉もありました。「オレオレ詐欺なんてとんでもない話だ。年老いた親の世代をだましたり、貧困ビジネスという食えない身寄りのない路上生活者をむしるようなことは断じて許されない。少なくとも山口組にそうした者がいれば厳しく処分する」と。もしもこのとおりなら、それらが今は暴力団の資金源の一つになっているとよく言われますが、それは一部の悪質低劣な暴力団のすることであって、「日本最大の暴力団」山口組のやっていることではないわけです。

 こう言えば、山口組ほどの“大手”になれば、いわゆる「企業舎弟」というのがたくさんいるから、そんなセコいことはしなくてすんでいるだけだ、と言われるかも知れません。そのあたりの事情は僕にはよくわかりませんが、覚醒剤も禁止、オレオレ詐欺だの貧困ビジネスだのはもってのほか、ということなら、そんなに「存在自体が悪」みたいに言われなくてもよさそうに思われるのですが、どうなのでしょう?

 かつてのヤクザ組織・団体は、「○○組」という看板を掲げて、いわば“営業”してきました。見た目にもわかりやすかった。そして「任侠道」を自負している以上、非道なことをすれば「これのどこが任侠道なのだ!」と詰め寄れば、それはまともな極道には応えることだったでしょう。その意味でそれは、何でもありのアンタッチャブルな犯罪組織とは明確な一線を画していたのです。その看板を下ろさせ、「解散」させて、それらが行き場を失ったいくつもの暴力集団として地下に潜るより、危険性はずっと少ないと言えるのではありませんか。

 会社だって潰れれば、大半の従業員は路頭に迷います。ましてや元ヤクザでは、まともな「再就職先」なんてあるわけがありません。そうすると、彼らは犯罪者になるほかなくなる。もはやヤクザとしてのプライドも掟もない、ただ食わんがための犯罪行為に走るだけの集団になるのです。

 法に触れるようなことをすれば、警察は厳しく取り締まればいい。相手が暴力団だろうが一般市民だろうが、そうするのが警察の仕事です。しかし、ヤクザが関係することは何でも悪だとして無差別に活動を封じようとするのは、今見たような結果を招来して、かえってマイナスになるのではないでしょうか。

 物事には「ほど」というものがあります。ヤクザにはヤクザの領分がある。先に見たようなことからも、僕はヤクザが全面的な悪だとは思いません。むしろ警察の機能を「補完」してくれていた部分だってあるのです。江戸時代の川柳に「清き流れに魚棲まず」というのがありましたが、ヤクザもいない“消毒”の効きすぎた社会というのは、ひょっとしたら、ふつうの人間にとっても息苦しい警察国家への一歩かも知れません。そうして、見た目の平和さとは裏腹に、川底にはかえって汚い沈殿物が増えるのです。

 最後に、僕は一つたずねてみたいのですが、ヤクザにひどい目に遭わされたという人が、全人口のうちどれくらいいるのでしょう? 僕は一度もないし、周りにもそんな人はたぶん一人もいないのです。ふつうに生活している人なら、大方はそうです。オレオレ詐欺だの、卑劣な貧困ビジネスに手を染めるような連中は、極道の名に値しない連中です。しかし、生きるたつきをことごとく奪い去られれれば、まっとうなヤクザでも低劣な犯罪に手を染めるところまでいずれは追い込まれてしまうでしょう。そんなことはすべきでないと僕は思います。

 僕のような塾商売の人間は、「隙間産業」で衣食する“外れ者”だという意味で、ヤクザと立場が似ています。何の身分保証もないというところも似ている。違うのは、僕は個人営業で、拠るべき組織を何らもたないということぐらいです。

 昨日もある知人と久しぶりに話をしていて、「東電の幹部はどうして刑事告発されないのだろう?」という話になったのですが、それは真に奇怪なことで、まともな法治国家なら、まず間違いなく刑務所に数年はぶち込まれます。末端の作業員が信じられないようなミスをしてああなった、ということでは全くないからです。なのに、全然その気配がないのは、どうしてなのか? それでいて一方で、こうした暴力団排除条例の徹底というのは、どう考えてもバランスを失しているように思われるので、今の日本に「法の下の平等」なんてあるのでしょうか? 冒頭、僕は「東電は暴力団だ」と言いました。経産省なんかも同じですが、こじつけじみた銃刀法違反等の微罪でヤクザを検挙するヒマがあったら、何であんな重大犯罪に等しいひどい怠慢や虚偽、隠蔽、情報操作、恐喝に等しい所業等々を立件しないのか、理解に苦しみます。控えめに見ても、「注意義務違反」による「業務上過失傷害」ぐらいは確実なところで、事の性質からしてそれも非常に悪質なものです。民事賠償だけで済むはずがない。聞くところによれば、警察が認定する「暴力団」幹部には今は「使用者責任」も厳しく問われるそうですが、電力会社や官庁には、なぜそれを問わないのですか?
 これ、有効な反論があったら、してもらいたいものです。

(下種の勘繰りが好きな人がいるので、念のためお断りしておきますが、僕は山口組と無関係であるのはもとより、その種のいかなる団体ともかかわりを持ちません。)

※追記
 これを書いてアップしたその日、仕事帰りに書店で偶然、溝口敦著『暴力団』(新潮新書)を見つけて買いました。直接読んだことはあまりないのですが、溝口さんがこの方面に精通したライターだということぐらいは僕も聞き及んでいたので、興味津々、読んでみました。非常に面白かったのですが、「おまえ、甘いよ」と叱られているような気もしました。
 この本から窺われる今の「ヤクザ社会の現実」はお寒いかぎりのようで、表向きは覚醒剤だの貧困ビジネスだのを禁止していても、それがないとシノギが成り立たないので黙認しているとか、社会からはみ出た札付きの乱暴者を吸収する力も魅力も、今の羽振りの悪いヤクザ組織にはないとか、物心両面での著しい“退潮”ぶりを示す話ばかりです。「暴力団は構造不況業種で、もう行き着くところまで行き着いてしまった」(あとがき)というのが著者の見方で、構成員の“高齢化”も一般世間以上に進んでいるようです。
 僕に一番興味深かったのは、著者が「半グレ集団」と命名する比較的年齢層の若い犯罪グループで、それがオレオレ詐欺だの、出会い系サイトを悪用した犯罪だの、貧困ビジネスだのの主要な担い手になりつつあるらしいことです。もはや伝統的なヤクザ組織にそうした連中を抑え込む力はないし、警察も、暴力団に適用できる法規をこちらには適用できず、匿名的な小集団が多いので、尻尾をつかむことも難しく、あれやこれやで野放し状態に近くなっているようです。こちらはヤクザ的な「美学」もなく、何でもありの集団なので歯止めがなく、それだけ悪質化もしやすいようですが、食えなくなったヤクザや破門組も参入して、今後も有効な取締りがなされなければはびこり続けるでしょう。一般社会との敷居が低いので、「ふつうの」若者が“転身”しやすいのも問題です。警察は結局、ヤクザを追い詰めた結果、より始末の悪い敵を呼び込むことになっているのです。
 この本の最後、「第七章 出会ったらどうしたらよいか?」後半の著者のアドバイスは親切なもので、かつ実践的です。「断固たる態度を取れ」というのは全く正しく、これは悪質な暴力団やごろつきの類のみならず、モンスター・クレイマーと呼ばれる人たちへの対応の場合でも同じでしょう。僕もたまに「ややこしい奴にインネンをつけられたらどうしたらいいのか?」と人にきかれることがありますが、そのとき言っていることと全く同じです。いちいち相手の下らない屁理屈に振り回されたり、脅しにびびったりせず、冷静にきっちり真正面から応対して、妥協せずに言うべきことを言え、ということです(妙に“良心的”な気の弱い人たちは自分の側の些細な落ち度を衝かれただけで狼狽して参ってしまうものですが、そうなると相手の思うツボなので、いつのまにか問題がすり替えられ、攻守が逆転してしまうのです。そんな安手の心理ゲームにひっかけられてしまうようでは先が思いやられます)。むろん、こういう対応をするにはある程度の胆力と勇気がいりますが、僕の理解によれば、それはかつての極道精神と一脈通じるところがあるので、その意味では、一般人も“極道”的なハラの据わったところをどこかにもっていなければならないということです。ことにこんな乱れた世の中では――。(10.7)
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