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「深層崩壊」の想像を絶する破壊力

2011.09.14.18:44

 前回書いた鉢呂経産相の件は、仕事から帰ってニュースを見たら、その夜にもう決着がついていたので驚きました。後任は枝野前官房長官とのことで、一安心。しつこく辞めない“菅直人症候群”の蔓延を恐れていましたが、そうでなくてよかった。

 お話変わって、今回は台風被害の続きです。僕の郷里は今回の台風12号でひどくやられた和歌山県の山中にありますが、関係諸方面の努力奮闘のおかげで、実家周辺はようやく電気は復旧したというしらせを一昨日受けました。電話が通じるのにはまだだいぶかかりそう(弟いわく、「奥なので、一番後回しになる」)ですが、道路の復旧なども進んで「陸の孤島」状態は脱したようだし、ほっとしています。時間の問題で元の生活に戻れると思うので、骨折りいただいた皆さんにはこの場を借りて一言お礼申し上げます。田辺市は本宮町の災害復旧援助ボランティアを募集して、定員はすぐに埋まり、多くの方々に助けていただいたようです。

 書いておきたいことはたくさんあるのですが、今回は一つに絞ります。

 まず、この写真をごらん下さい。国土地理院がネットで公開している航空写真(9/7撮影)の一つです。これはデジカメによるものらしく、ピントが少々ずれているし、右下がかすれています。もう一枚あるのですが、こちらの方が様子がわかりやすいので、これを使用することにします。

 写真は右側が川の上流です。向かいの山がてっぺんから崩れて、川を埋め尽くし、手前、反対側の斜面にまで達しているのがわかります。真ん中の土砂の中に、森らしきものがあるのがおわかりになるでしょう。そこに、家が二、三軒写っています。そしてそのすぐ下が深くえぐりとられて、高さ二、三十メートルはあるでしょうか、そこが水の排出口のようになっています。
 この「森」は実は手前側の山の斜面の一部で、そこが出っぱりになっていました。川は蛇行して、元々はこの「森」と崩落した山の間を走っていたのです。そこだけ川幅が極端に狭くなっていて、二、三十メールぐらいだったでしょうか。
 それが向かいの山の崩落によって完全に埋まって、そこを中心に、土砂が川の上下流に向かって、幅数百メートルにわたって広がり、ぶ厚い“壁”を作ったのです。

 一時はだから、ここは天然のダムになったはずです。通路をふさがれた水は逆巻き、本来の流れとは反対側の斜面に激突、元は畑や道路だったところを押し流して、新たな水路を作ったのだと見られます。

 崩れた側の山の斜面は杉林で、人家はありませんでした。人家があるのは川を挟んだ手前側の山の斜面と、「森」の残骸が残っているふもとの出っぱりの部分だけでした。
 この森、出っぱりは、元はこの写真の右側、上流側に広い部分をもっていました。中央にお寺があり、その前が広場になっていて、その先、川側に戦没者のお墓があった。そして、お寺のさらに右手には、一段下がったところに地区の公民館がありました。つまり、この「森」の箇所は元は倍以上の面積をもっていたのですが、写真で見ると、それらは跡形もありません。

 これは和歌山県田辺市本宮町、三越(みこし)奥番地区の惨状を映したものです。この崩落は幸い一度に起きたものではなかったようで、住民たちは高いところにある家に逃れ、老婦人が一人、台風時の混乱で転倒するか何かして亡くなりましたが、九人全員が防災ヘリによって無事救出されました。

 僕の生家はここの下流、一キロほど先にありますが、父はこの奥番の生まれで、父方の祖父母と伯父一家の家はここにあります。今は無人ですが、家は残っていて、写真を拡大(クリック)してみると、その中央の「森」の右斜め下方に“「”を上下さかさまにしたようなかたちの水色の家らしきものが見えます。位置関係からしてそれが伯父の家だろうと思われます。ついでにその下(写真では上)に道路が走っているのが見えます。ぼやけているのでわかりにくいが、崩落した土砂はその下の河原まで埋めてしまっているのがわかります。

 これは僕には信じがたいことです。そこで、子供の頃にカメラ映像のようなものとして記憶したものを呼び起こして、伯父の家の真下の道路に自分が立っているところを思い浮かべてみます。

 そこから、崩落した山の斜面の中心部あたりを直線で結ぶと、距離はゆうに三百メートル以上あります。「森」のでっぱりのところからでも百五十メートルは離れている。しかも、その道路の下の河原は広くなっていて、幅が二百メートル程度あるのです。
 このとき僕がその下の河原の、集落側の斜面を降りたところにいたとします。山崩れを起こした山ははるか彼方にあります。三百メートル以上も離れているのに、かつそこはかなりの川幅があるのに、土砂が自分の足元まで達し、さらに自分を呑み込んでしまうなどと、誰が想像できるでしょうか?
 僕にはどう考えてもありえないと思われるのですが、実際それが起きているのです。

 深層崩壊(これはその土砂の量からしてもそれに該当すると思われるのですが)による被害の通常の例では、集落の背後の山が大規模な地崩れを起こして壊滅的な被害を受ける、というのがふつうでしょう。このケースの場合には、川を隔てた向かい側の山が崩れて、それが反対側のふもとにある家々までも押し潰したのです。

 再び、僕は消失した「出っぱり」の一部、お寺の前に自分を立たせてみます。そこから向かいの山までの距離は直線で八十メートルぐらいでしょうか。それでも山崩れによる土砂が自分を直撃するなどとは夢にも思わないはずです。間に川があり、そこの広場の高さは控えめに見積もっても川から十メートル以上はあるはずだからです。しかし、そんな“常識”はたんなる思い込み、希望的観測でしかなかったことを思い知らされるのです。

 全く恐ろしい。ちなみに言えば、この出っぱりの部分、土砂に埋まった中央の「森」の箇所ですが、これは昔の水害でできたものだと言われています。今回崩れた同じ山なのか、少し上流側の山なのか知りませんが、それが大崩落してここに堰を作り、天然のダムと化した。今は下流にいくつも砂防ダムができている関係で、河川敷は当時より十数メートル上がっているはずですが、低いところにあったお寺は水没し、後でそこの鐘が上流三、四キロ先で発見された。水が逆流して、あの大きな重い鐘をそんなところにまで運んだのです。

 そして、その“天然ダム”は轟音と共に決壊、下流域の平野部の町に甚大な被害を与えたのですが、そのときの決壊箇所が、おそらくは今回崩れた山の直下に当たる部分だったのでしょう。それを、この土砂崩れは再び埋めてしまったのです。

 もう一つ付け加えると、このあたり一帯は、今回の山崩れのあった側の斜面には集落がありません。川を挟んだ反対側の山の斜面に作られている。僕の実家のある集落もそうです。日当たりの関係だけでなく、そちらの側が岩盤地帯で、地崩れしにくいのです。これは古人の知恵で、紀伊山地は昔から雨が多く、台風の直撃を受けやすいところですが、見た目にはずいぶん切り立った斜面に家が並んでいるのに、地崩れで家が倒壊したなんて話は聞いたことがないのです。僕がこんなことを言うのは、別に自慢しているのではなく、今は「こんなところに宅地を造成するなんて正気か?」と思うような例を時折見かけるからです。別に生まれ育った土地でなくても、地形を見れば大体わかる。不動産屋さんたちは、交通の便だの何だの、そんなことだけ考えて安易に谷間を土で埋め立てて売り出したり平気でしているようなので、そんなところに家を建てたりすると、豪雨や地震に見舞われたとき、すぐに陥没、倒壊してしまうでしょう。マイホーム計画をおもちの方は、用心されることです。

 話を戻して、僕が今心配しているのは、この本宮町奥番地区の不完全な“ダム”の「排水路」が、再び大雨に見舞われたとき、流木などでふさがってしまうことです。今でもこの「排水路」はアーチ型になっている、ということは、それは満水になったときの水の逃げ道でしかないということで、そこがふさがるとかなり規模の大きな天然ダムになってしまいます。それが決壊すると、僕の実家などはかなり高い位置にあるので無事としても、下流域の町は大変なことになるのは明白なので、行政当局はむろん事態を把握していると思いますが、できるだけ早期に必要な工事(相当大規模なものになってしまいますが)に着手する必要があります(この件がほとんどニュースで報じられていないのは、緊急の危険性は比較的低いと見られているからでしょう)。

 和歌山県のローカル紙、紀伊民報はこの山崩れの際の住民救出劇を、「集落が壊滅 本宮町奥番地区」という見出しをつけて報じました。実際、残っていた人たちは全員転出して、以後、ここは無人地帯となるでしょう。数百メートルにわたって“消失”した道路は、ルートを変えないと難しいのではないかと思われますが、森林組合の職員など、奥山に山仕事に行く人もまだいる関係で、再建されるでしょうが、「和歌山県田辺市本宮町の最深部」(同紙)にあったこの集落は、何百年かにわたる歴史の幕を閉じるのです。

 代わって「最深部」になる僕の生まれ育った集落も、今回の災害をきっかけに、自分が小学生の頃はどれくらいの人がいたかと、それぞれの懐かしい顔を思い浮かべながら数えてみると、当時は約二十戸、百人前後いたのです。中学までの子供だけでも常時三十人はいて、賑やかでした。子供会の活動も活発で、山の神の祭礼や盆踊りは、当時は集落の一大イベントで、子供には心躍るものでした。それが、今はよそから転入してきた人を含めても、僅か十五人。子供は一人もおらず、多くが八十歳以上の高齢者です。だから、時間の問題で、災害がなくても、わが集落もいずれ無人地帯となるでしょう。あらためて『平家物語』の冒頭の一節を思い浮かべてしまいます。
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