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関節が外れた世界の治療法

2011.08.20(14:16) 105

 「世界の関節が外れてしまった」というのは有名なシェイクスピアの『ハムレット』に出てくるセリフですが、こういうときインターネットは便利で、検索すると the time is out of jointがその原文だというのがすぐにわかります。
 
 今の世界はまさにそれです。メルトダウン寸前みたいに見える。巨額の財政赤字を抱え、出口の見えない不況が続く中、大震災とあの忌まわしい原発事故に襲われて青息吐息にもかかわらず、日本円が「安定通貨」として買われ続けるというのはどういうことかと首を傾げてしまいますが、アメリカは財政危機で、国債の格付けが下がり、ユーロもギリシャをはじめとする複数のEU加盟国(イタリアなども含まれているという)のデフォルト(平たくいえば国家破産)危機で、相対的に円は「安定」が見込まれるというのだから、他が悪すぎるのです。世界経済の見通しはもとより暗い。

 それに中東の政情不安定です。チュニジアのいわゆる「ジャスミン革命」以来、民主化運動の波は再び大きくなりましたが、独裁者カダフィ大佐のリビアがだいぶ前から内戦状態になっていて、政権崩壊は時間の問題と見られる他、最近はシリヤの問題がよく報じられるようになりました。こちらも情勢は緊迫化しているという話で、これらの国の政権がひっくり返ったら(そうなると思いますが)、それは「世界の石油基地」中東全体を大きな不安に陥れるでしょう。僕は民主主義者なので独裁には反対ですが、チュニジアもそうでしたが、それらの国々でも今後どうするのかという明確な青写真をもっている人は誰もいないようなので、どう転ぶかわからないような不穏な情勢が続き、あわせて中東全体が地震のときの「液状化現象」みたいなものに見舞われるのではないか、そうなるとどんな影響が世界に及ぶだろうと、素人なりに心配なのです。

 これとは別に、ソマリア(アフリカ)の飢餓の深刻さが伝えられています。現在360万人が飢餓線上にあると言われており、40万の子供たちが餓死の危機にさらされているという話です。関係諸機関の呼びかけに応じて世界各国から寄付が集まっているようですが、悲惨な状況が早急に改善される見込みはなさそうです(僕が子供の頃はビアフラのやせこけた子供たちのことがよくニュースになっていました。根本的な解決策を講じることはせず、世界はずっとアフリカの窮状に見て見ぬふりをし続けてきたのです)。

 今の時代、まともに立っている国が一体いくつあるのか? 今や世界経済の牽引車となった観のある中国にしても、内情は混乱を極めていて、貧富の差が拡大し、官財の癒着による不正が横行する中、各地で大小様々な暴動が頻発し、そもそもの話、「社会主義市場経済」なるものが一個の矛盾なので、いずれ政治の民主化は避けられなくなるでしょう。それを無理に抑えるべく、外部に意図的に敵を作り出し、国民の不満のはけ口をそちらに向けようとするようなことが続くと、世界全体が不安定化しているだけに、一層大きな危険が生じることになる。

 4日間で1500人を超える逮捕者を出したこの前の英国の若者暴動(一時は互いに離れた121の箇所で放火・略奪の乱痴気騒ぎが繰り広げられるという惨状になった)にしても、「社会の関節が外れている」としか評しようがない。あれは日本の一部の新聞が書いた「ニートの反乱」というようなわかりやすいものではなくて、逮捕者は上は58歳のオヤジから、下は11歳の少女に及ぶというもので、貧困労働者層の不良化した職のない若者が中心になっていたとはいえ、大学生や millionaire's daughterと報じられた裕福な家庭の娘も含まれていました。中には子連れで商店からの略奪行為に及ぶケースもあり、自分の犯罪行為を“激写”して、それを自慢げにインターネットに投稿する馬鹿までいたというのだから、開いた口がふさがりませんが、笑える(笑ってはいけないのでしょうが)のは、つかまえてみたら、それが警察関係者の家族だったというのまであったことです。どさくさまぎれ商店からテレビを盗んだというのでつかまった二十二歳の女性は、姉が警官で、その同僚によって逮捕されたのです(母親も民間の警察協力機関で働いていたという)。

 原因はあれこれ取り沙汰されていますが、暴動があんなに広がってしまったのは、緊縮財政下の歳出削減(spending cuts)に伴うweak policing(警察力の弱体化)の問題はむろんあったのでしょうが、政府や警察の偉いさんたちが休み入っていて、連絡が取れず、かんじんなときに指揮系統が機能不全に陥ってしまったことなどもあるようです。テレビやインターネットで騒動が伝えられる中、「今なら放火も盗みもやり放題」とばかり、「赤信号みんなで渡れば」の群集心理(a mob mentality)に支配された人たちが、子供や若者を中心にたくさんいたということなのでしょう。最初は警官による黒人射殺事件に端を発したというので、人種差別(racism)や社会的疎外(social exclusion)の問題が真面目に取り沙汰されたが、それは無関係とまでは言えないとしても、あとは社会的異議申し立てなどとは無縁の、ただただ犯罪的なだけの“不良のカーニバル”と化してしまったのです。

 お盆前に、これは一体どういう性質のものなのだろうと、UK riots(英国暴動)で検索して、向こうの新聞記事をいくつか読んでみたのですが、僕に一番面白かったのは、デイリー・テレグラフの政治論説主任、Peter Oborne の“The moral decay of our society is as bad at the top as the bottom”(われわれの社会の道徳の退廃は、上層部でも底辺層と同じほどひどい)と題された記事でした(原文はこちら)。

 筆者はこの中で「過去二十年間の英国支配エリートたちの目に余る腐敗」を糾弾しています。それは私腹を肥やす政治家たちだけでなく、社会から奪うだけ奪って、社会に応分のお返しをすることは考えず、合法的な税金免れと利得の拡大に精出す財界のお偉方の臆面もない利己主義も含みます。一体どのツラ下げて、そんな連中が暴動に加わった若者たちの犯罪行為を非難できるのだ、というのです。

 エリートたちはもたれ合い、馴れ合いの中で私利をむさぼっている。合法の外観はとっていたとしても、社会的公正の見地に照らせば、それは泥棒に等しいもので、暴動の若者たちはその“お手本”により正直、露骨なかたちで従ったにすぎないのではないか。ダブル・スタンダードもいいところで、少しは恥を知るがいいと、筆者は言いたいのです。貧しくてロクな教育も、ロクなチャンスも与えられない若者が悪の道に走るのはまだわかるが、彼らエリートたちは高い教育を受け、普通人よりずっと多くのチャンスを与えられた。にもかかわらず、己れの利得しか考えられないなら、それは最低の人間です。
 「上が腐るからこそ下も腐る」というこの論法は、昔の中国の治世論と同じですが、それは普遍的な真理であると僕は思います。わが国の場合もそのあたりは全く同じですが、上が腐りすぎている。仲間内の利得の追求ばかりになって、私心のない、思いやりをもった政治と社会運営が欠けているからこそ、社会の歪みは深刻化し、モラルも低下するので、それは今の文明社会共通の病理です。

 何かと言うと、今は「市場の動向」と言いますが、投資家たちは強欲なマネーゲームに狂奔し、世界経済の動向はそれに支配されている。これがそもそも不道徳この上ないことです。彼らは新しい産業を育てようとして投資しているのではない。自分の資産を増やしたいがためにそうしているだけなので、より多くの利得を求めてやまない強欲な株主たちのせいで、企業は長期的な見通しに立つ戦略を立てられなくなったと言われます。彼らは資金を忙しくあちこち移動させ、自身は何ら生産活動には従事することなく、巨額の利益を上げるのです(ときには目算を誤って大損もするでしょうが)。戦争でも、飢餓でも疫病でも、彼らにとっては金儲けのチャンスにすぎません。そんな下劣極まりない連中に、世界の圧倒的大多数の人たちの生活が翻弄されるのです。たちの悪いギャンブラーどものバクチに、堅気の人たちの生活が振り回されているとでも言えばいいか。

 かつて作家のミヒャエル・エンデはこの「カネがカネを生む」金融資本主義がもつ本質的な反道徳性と邪悪さに「素朴な疑問」を呈しましたが、今の文明世界におけるとめどない道徳的退廃の進行は、このことに淵源すると言っても過言ではないかも知れません。競馬やパチンコなどの“庶民のギャンブル”は非難されても、株式や為替市場の「背広を着た紳士ギャンブラー」たちが非難されないのは、先の論説にいう、商店から新型テレビを盗み出す犯罪行為は咎めても、権力者たちの合法的脱税や、システムの悪用による公の私物化が犯罪視されない不合理と同じでしょう。どちらが社会にとって深刻な脅威であるか、どちらが道徳的に深刻な害悪になっているか、少し考えてみれば、それは誰にでもわかるはずのことなのですが。

 今さら言うのも気が引けるほどですが、今の社会・経済システムそのものに人間の不道徳性を助長するものが含まれていて、権力乱用の誘惑にさらされやすい政官財のエスタブリッシュメントがロクな自覚もないままそれを悪用して私腹を肥やす。基本にこの構図があって、社会に歪みが蓄積して機能不全に陥り、社会的不平等は拡大、モラルも形骸化する中で、今の世界はカオスの様相をいっそう深くしてメルトダウンに向かっている。そう見ていいのではないでしょうか。

 この前の福島原発の事故にしても、この構図がそのまま成り立っていたわけで、だからあれは「道徳的退廃の結果」以外の何物でもないのです。そこがよく自覚されないかぎり、組織やシステムを少しいじったくらいでは何も変わらない。今の世界全体を覆う経済危機や政治的混乱についても、それは同じだろうと思います。

 今が大きな時代の変わり目であることはたしかですが、それはこの「道徳的退廃(現実に無反省に追従することによって僕らはその腐敗に加担している)」を人類が乗り越えられるかどうかにかかっているでしょう。それは一度大クラッシュを経験して、世界が破滅の瀬戸際まで行かないと変わらないのか、それともそうなる前に、「すぐに何とかしよう」という動きがあちこちで起きてくるのか。過去の歴史が示すところでは前者だということになりそうですが、今のグローバル化した世界は事実上「単一文明」になってしまっているので、next runner がどこから出てくるのか、それを輩出するだけの力が利己主義に深く毒された今の文明内部に残っているのか、それがいくらか疑わしく見えるのが悲しいところです。

 未来はわからないので、僕は別に悲観も楽観もしませんが、事態の深刻さを認識しないことには何事も始まらないので、少しでも多くの人がこの「根本的な病理」について考えてくれるようになれば、と思います。既得権益にしがみつく自らの利己性と貪欲はきれいに棚上げして、何かというと「道徳教育の必要性」について熱弁をふるいたがる偉いさんたちの厚顔無恥は、かえって道徳の空洞化と偽善を助長しているので、そういう有害無益な連中(公の意識に欠ける人間が有能であるはずはない)には早く退場していただかねばなりません。そうすれば、この社会はもっと適材適所の公正な社会運営がなされる場所に変わるでしょう。流血沙汰や過度の混乱なしにそうなるのが、むろん一番望ましいことです。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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