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「ありえない」テレビ

2011.08.09(03:00) 104

 A男「ありえんやろ!」
 B子「うん、ありえんよね…」

 時々塾の生徒たちがそういう会話をしていることがあって、僕くらいの年配の人間には、その表現自体が可笑しく、加えて延岡弁のイントネーションには何とも言えないユーモラスな味わいがあるので、つい笑って「何が『ありえん』わけ?」と聞いてしまうのですが、それは学校の途方もない量の宿題だったり、休みが少なすぎることだったりするわけです。これ、英訳すると“That(or It)can't be!”か、そのまま“Impossible!”とでもなるのでしょうか。

 それはともかく、「ありえない」ことが頻発する今の病める社会においても、この前の東海テレビの“不適切なテロップ”事件などは明らかに「最もありえない」ものの一つでしょう。それは同局の某番組で視聴者プレゼントの「岩手県産『ひとめぼれ』10kgの当選者が『怪しいお米 セシウムさん』『汚染されたお米 セシウムさん』と表示されて」しまったという問題です。
 一体それは何なんだと、Youtubeで検索してみたら、ありました(こちら)。

 これを見ると、30秒ほどそれが画面に大写しになっているわけで、視聴者が唖然とさせられたのは無理もありません。局側は後でそれについて「リハーサル用に遊び心でスタッフが作成したものが誤って出てしまいました」と平身低頭、謝罪したそうですが、リハーサル用だと何だろうと、そういうものを平気で作ってしまうという感覚がそもそも異常なので、ふつうならそんなのは“遊び心”の対象そのものになりえないということが、感性のレベルでわかるはずです。僕が同じ仕事のメンバーなら、それを見たとたんに、「おまえ、これはどういうつもりだ!」と怒鳴りつけてしまうでしょう。何考えて生きてやがるんだと、腹が立つからです。軽いおふざけ、ですむ話ではない。

 おそらく、作った本人には悪意はなかったのでしょう。むしろそのことが恐ろしいので、僕が遊び心で作るのなら、「とにかく辞めない菅直人さん」とか「水素があっても爆発しないマダラメさん」とか、「水がなくても冷却されているので安全な関村直人さん」とか、この場合は大いに悪意はありますが、そういうのを作るでしょう。それが“誤って”出てしまったのなら、その意味がわかった視聴者は黒い笑いを笑うでしょう。それで局側は「不届き千万なスタッフがいて、総理と原子力安全委員長、関村東大教授にはたいへん不快な思いをさせてしまいました。誠に遺憾です」と“深く謝罪”するのです。僕は当事者として、「すみません。ついテレビではご法度のホントのことを言ってしまいました」と、記者会見で神妙にうなだれて見せます。どうせなら、その程度のブラックユーモアのレベルは保っていてくれ。

 前に、どこでだったかジャーナリストの大谷昭宏さんが「日本人の劣化」についてお書きになった文章を読んで、大いに共感したことがあったのですが、こういうのはそれの最たるものです。幼稚で、社会性ゼロ。一体どういう育ち方をしたのでしょう。「教育の普及は浮薄の普及なり」と言ったのは明治の文人、斎藤緑雨ですが、高学歴社会になって、かえって無教養な馬鹿が増えてしまったのかも知れません。

 ちょうど二十年ほど前のことですが、気まぐれを起こして心理学系の大学院というところに籍を置いていたとき、クリニックを経営する精神科の先生から、「しばらく前から以前には存在しなかったような種類の患者にお目にかかるようになった」という話を聞いたことがあります。それは、人間関係や仕事でうまく行かないのでやってくるのですが、「困ってはいるが、悩んでいるというのとは性質が違う」人たちだというのです。何か知らんがうまくいかなくて困っているので、どうすればいいか、手っ取り早い対処法を教えてくれ、とそのような人たちは言うのです。マーク方式の試験みたいに、「正解」というのがあって、それさえ教えてもらえば即問題解決、みたいに思っているようだというのです。

 どういう経緯でそういう話になったのかと言うと、そのときは僕がレポートの作成と報告の番に当たっていて、かねてから僕が問題に思っていたのは、「社会が異常になると、その異常な社会に葛藤なく適応する人間は必然的に異常になるが、従来の心理学は、社会適応の失敗者のみを主として扱い、“適応した異常者”の問題は十分検討してこなかったのではないか?」ということでした。それで、自分が書いたレポートの中身の方はすっかり忘れてしまいましたが、「表面上適応した、気づかれない異常者」のことを取り上げたのです。それでその話をしているとき、「そういえば、私にも思い当たるフシがある…」ということで、「困ってはいるが、悩んではいない」そういう奇怪な患者の話になったのです。

 この場合、と教授は言いました。困るのは、悩んでいる人には病識(病気の自覚)があって、それがあるということは芯に健康な部分があるからこそなので、そこに働きかけてゆけば心の葛藤やひずみを解消する方向にもってゆけるが、こういう人たちの場合、自分の異常性についての自覚がまるでない。たんにうまく行かなくなったので「困っている」だけで、何かハウツーめいた便利な答があれば、それで問題は解決すると、いとも安易に考えているところであると。正直、私はこういう患者にどう対応すればいいのかわからないので困っている、そういうお話でした。

 “遊び心”で「セシウムさん」のテロップを作成した若者(でしょう)も、こうした部類に入るのかも知れません。異常性の自覚そのものがなく、「人の感性は様々で、オレの感性はオレの個性なんで、人にとやかく言われる筋合いはない。だからこういう仕事ではまずかったのかも知れんが、少し騒ぎすぎなんだよな。良識ぶりやがって!」なんてひそかに思っている可能性はある。それでふだんから割と陽気で、人付き合いもよかったりして…。要はちょっと場面が悪かっただけなので、今後は状況判断に気をつければいい、と考えるだけで終わるのです。そういう言葉が平気で出てくる自分の内面の情景にギョッとさせられることはない。周りがギョッとさせられるだけなのです。

 僕が何を言わんとしているのか、わかる人には詳しい説明を要せずおわかりになるでしょう。最近はこの手の人が増えていて、とんでもないことを言ったりしたりしたから注意したら、“逆ギレ”されて大変なことになった、なんてのはよくある話のようです。精神病院にではなく、“ふつうのところ”にそういう人がいる。

 まあ、考えてみれば、今の民放はアホバカ番組のオンパレードだそうで、とにかく視聴率を取れさえすればいいということで、タテマエはともかく、モラルもへったくれもない、という世界に、事実上はなっているのかも知れません。先に述べた「社会が異常になると、その異常な社会に葛藤なく適応する人間は必然的に異常になる」という状況が出来上がっているのかも知れず、いつものノリでやったらこういうことになりました、というのが正直なところなのかも知れません。その問題の画面をごらんになった方は、上の方に「夏休みプレゼント主義る祭り」という意味不明の文字が書かれているのに気づかれたでしょう。知性もユーモアもあったものではないので、これ自体アホとしか言いようがない。
 最近の若い人がテレビを見なくなったというのは、その意味では幸いなことです。程度の低すぎる番組でテレビ局が自滅するのは自業自得で、社会向上の観点からは慶賀すべきことと言えるでしょう。テレビ離れを一層加速させたという意味ではこうした「不祥事」にも大きな意味があったと、後世の歴史家は“評価”してくれるかも知れません。

 それにしても、こんな幼稚で病的で、アホな社会に、一体誰がしたのでしょう? テレビ局がその“戦犯”の一人であることは、論をまたないと思われますが…。


【追記】その後、この「セシウムさん」の作者は50代のおっさんだったということが判明しました。同世代として恥ずかしく思うと共に、「若者」と見立ててしまった筆者の不明を深くお詫びします。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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